山岡松子談話そのニ

 若い頃には父もよく眞劍勝負をやったさうですが、晩年にはやりませんでした。一度やらうとしたのを、まあまあと言って皆んなで制めたのを記憶しております。
 (略)
 父が眞劍試合をしなかった代り、表の書生部屋ではしょっちゅう刃物三昧が行はれてゐました。玄關取っつきの部屋は、面會人の控室兼用にしてゐたのですが、客同士ここに控えてゐる間に喧嘩を始めて斬り合ひになるのです。ですからこの部屋の長押も襖も刀疵だらけでした。廢刀令が布かれてからも、床の間に長い刀が飾ってあるものですから、これを抜いて斬りつけるのです。いつも仲裁に入るのが母でした。英子といひましたが、女ながら度胸のいい方でして、女が中に入ると邪魔になってならないらしいのです。ぐづぐづしてゐるうちに父が奥から出てくるといふやうに、ちゃんと手順が出来てゐました。
 斬合ひの定連に村上政忠といふ人がありました。父の高弟で、また柔道の先生でした。おまけに何人力といふ馬鹿力を持ってゐて、見上げるほどの大男です。お時勢がお時勢、父がまた武藝者だったものですから、亂暴者も随分出入りしましたが、何が亂暴といって、此人ほど亂暴の人はありませんでした。もう一人松岡萬といって、氣の短い人がありましたが、この二人が書生部屋で顔を合しました。初めは仲良ささうに話してゐましたが、『先生の一番弟子は誰だらう』『もちろん俺だ』『イヤ俺だ』と言ひ合ってゐたと思ふと、もうチャリンチャリンと斬り結んでゐました。
 (略)
 その村上さんが、父に何か言はれると、まるで猫のやうに温和しかったから不思議です。父の臨終の時は御旅行先から駆けつけたのですが、つひに間に合はないで、おいおい子供のやうに泣きじゃくりながら、『約束が違ふ、先生、死ぬ時はいっしょとあれほど固く誓ったのに、ひとりで死ぬといふ法はない』と言って、遺骸をいれた瓶の蓋…すでに封印してあるのをこぢあけて無理に入らうとするのです。皆んなで制めようとしても、前にお話したやうな大力ですから、手におへません。九谷の湯呑を握りつぶし、薩摩焼の火鉢を踏みつぶしてしまひました。仕方がないので巡査を呼んで来ましたが、今度はその巡査を手玉にとってポンポン投げ飛ばすのです。見かねた勝海舟さんが、『かう暴れてはどうにもならんから、葬儀が濟む迄警察に留置して貰ひたい』と頼んで、結局警察に連れてゆかれましたが、そこでも散々暴れて、留置場を壊したさうです。

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