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第10回 「現代根付展 手のひらの中の芸術品」を観てきました。
平成15年6月7日




 この週末を利用して、東京・渋谷のたばこと塩の博物館で開催されている特別展示「現代根付展 手のひらの中の芸術品 〜高円宮コレクションを中心に〜」(5月20日(火)〜7月6日(日))を観てきた。

 現代美術の世界において新しい視点から制作されている「現代根付」に焦点をおき、根付をこよなく愛された高円宮憲仁親王殿下のコレクションを中心に、国内外の作品約450点もの現代根付を展示している。もともと、たばこ(煙草)は、煙管筒や煙草入れといった提げ物に関連がある。このため、提げ物である根付は、たばこ文化に関連が深いものとして、江戸時代の装身具とともに展示が時々行われている。


たばこと塩の博物館全景 展示会の案内(1階ホール前)




充実した展示、良心的な環境

 博物館は、交通の便の良い渋谷の駅から歩いて10分の所にある。入場料は非常に良心的な100円という設定。気の向いたときに、フラリと入れる環境にあるのが嬉しい。

 今回の展示会に行って、以前住んでいたロンドンを思い出した。街の中心のトラファルガー広場の前に、ナショナルギャラリーという世界最大級の絵画コレクションを収蔵する美術館がある。国が定期的に予算措置を講じて膨大なコレクションを集めたものであるが、そのカバーは、初期ルネッサンスから印象派の絵画まで幅広い。ここは、入場料は完全無料である。有名なゴッホのひまわりは、なんと美術館入口から歩いて10秒の所の展示室に、ひょいっと架けられてあった。私は、用があって美術館の近くを通りかかる”ついで”に、素敵なゴッホを眺めに立ち寄ったものだった。今回の展示会は、そんな良心的な文化的環境を彷彿とさせる好例であった。

 展示に併せて刊行された展示カタログが1階のカウンターで売られている。拝観の前には是非この1冊を買い求めたい。「現代根付/高円宮コレクション」(白鳥舎)と名付けられ、高円宮憲仁親王の著による173頁のソフトカバーである。注意深く本の奥付を読むと、本の著作権者は高円宮妃殿下となっている。本書を編纂するにあたっては、妃殿下が注意深く目を通されたであろうことが分かる。日本人作家の196点と外国人作家の44点の図版集である。価格は3500円であるが、開催期間中は割引価格で提供されている。こんなところにも、優しい配慮がうかがえる。
(このカタログは、参考文献のコーナーでも紹介している。)



 展示では、滅多に拝見することのできない251点の高円宮家蔵の貴重な現代根付を観ることができた。特に、稲田一郎の「雪舟」や中村雅俊の「切られ與三郎」など、根付の書籍「根付 たくみとしゃれ」(荒川浩和編、淡交社、1995年3月)に掲載されている第一級の現代根付を間近で観ることができたのは、すばらしい収穫だった。この二つは、一度でよいから実物を見てみたかった。

 雪舟は、一郎の最も得意とした題材で、他の根付師や香港ものの偽物根付による作品の模倣が多い。切られ與三郎の方は、歌舞伎根付を得意とした雅俊の中でも最高傑作の部類に入る作品で、一度は拝見したいと夢見ていたものである。両者とも根付として理想的な丸い形状をしており、デザインもコンパクトにまとめられている。デザインに破綻と隙がみじんも感じられないこのような根付こそ、最高傑作の称号にふさわしいと感じた次第である。

 展示根付の中身であるが、現代根付だけあって時代にマッチしたテーマの作品も散見された。「ストップ ザ エイズ!」という題での象牙根付は、注射器を持つ右手が血を流す自分に注射を打つデザインである。1998年の黒岩明氏の作であり、グロテスクながら面白い。また、根付がサッカーボール、緒締めがサッカーシューズといった組み合わせの意匠もあった。材質は黄楊や漆、卵殻で、1995年の針谷絹代氏の作である。ちょうどサッカー人気がうなぎ登りになりつつある時期の作ではないだろうか。その他に、ペプシの空き缶、スニーカー、ピノキオ、ホットケーキといった題材もあった。

 個人的には江戸時代の古根付の作風を保守的に守り、題材や表現に凄みのある根付が好みである。このような趣味に合う、森哲朗の「蝦蟇仙人」や「老猿」は非常に気に入ってしまった。この根付師にはこれから注目していきたい。

現代根付展の展示室(特別展示室)




現代根付への疑問、希望

 ところで、今回の現代根付展を観て、改めて”現代根付とは何か”について考えさせられた。

 常々感じていることは、江戸・明治頃の古根付と現代根付には歴然とした違いがあり、どちらかというと古根付が好きであること。そして、現代根付に違和感を抱いていること。現代根付のあり方や今後の方向はこれでよいのだろうか、という疑問。

 現代根付の一部にみられるような、あまりにも実用性を無視した意匠。あちこちが凸凹して、すぐに壊れそうなミニチュア彫刻。これらは、どう受け止めたらよいのだろうか。古根付が与えてくれるようなエネルギーと凄みの欠如。同じような”違和感”を感じている根付愛好家は、実は、他にも大勢いるのではないだろうか。

 江戸時代に作られた根付のデザインと、外国文化が押し寄せてきた明治維新後のデザインとでは、明らかに両者は異なる。外国の根付コレクターに言わせれば、外国の絵画や彫刻の影響を受けた根付、悪くいえば、外国文化に毒されたデザインの根付は敬遠され、純粋な江戸の古根付は、珍重されているという。彼らにとって、明治維新後の根付は、自分たちが見慣れた彫刻絵画に似たものを感じるため、興味が失せるのだろう。それでは、我々にとっての現代根付はどうか。同じである。日常生活で見慣れた、現代ずれしたデザインではないだろうか。我々が普段目にしている風景を再現してもらっても、グッとくるものは少ない。

 誤解を恐れずに正直に言えば、かなりの数の現代根付は面白くない。芸術鑑賞において嘘・偽りの美辞麗句を並べることほど、芸術家を馬鹿にした話はないだろう。素直な気持ちを表わせば、自分の感性がそう受け止めてしまっているのだから、しょうがない。

 彫刻や染め上げの技術は、江戸時代よりも現代の根付師の方が上達しているかもしれない。情報化社会で様々な技術が習得できるようになっている。機械彫りの発達により、特殊な表現もできるようになっている。材質は、金やクリスタル、ナッツ、琥珀といったものがドンドン使われていて、それだけ表現の幅も昔と比べて広がっているはずである。なのに、である。なぜだろうか。


  古根付には、題材の核心にズバリと触れて、ストレートな意匠のものが多い。
  現代根付には、彩色や彫刻がケバケバしていて、目障りなものが多い。

   古根付には、一瞬にして、根付が何の形を現しているのか判別できるものが多い。
  現代根付には、意匠の焦点が分散している。ごちゃごちゃして識別に時間を要する。

  古根付には、限られた丸みの中で、躊躇いなくデフォルメを行う妙。利用者の利便に配慮。
  現代根付には、表現上必要ならば、実用性を無視して、突起物が出ているものが多い。
  華奢で、要するに、”使えない”ものが多い。

  古根付には、鑑賞者に対してグッと凄みを与える、集中された表現があるものが多い。
  現代根付には、現代や外国のデザインの毒されていて、我々に訴求しないものが多い。
  鑑賞者に媚びを売る可愛らしい動物が氾濫している。

  古根付には、魅力的な古色がある。古風な意匠表現におもしろさがある。
  現代根付は、新品である。普段、町中で見慣れたデザインがそこにある。




 なぜ日本が今、アニメやゲーム、漫画、フィギュア人形、ケータイ・ストラップの分野で世界の最先端を行っているか考えてみたい。これらに共通することは、対象の"キャラクタ化"の文化である。意匠の特徴をシンプルかつ的確に抽出して捉えること、そして制限された条件の中でコンパクトに表現することが必要とされる芸術分野である。ギトギトと華美装飾を塗り固めることはしない。万人に理解される意匠を、シンプルに取り出す作業である。仙人なら仙人の、龍なら龍の、玉獅子なら玉獅子の特徴がある。

 根付の場合は、江戸時代の粋と洒落の文化だと表現される。腰の上に鎮座する彫刻物が他人の目に留まる見せびらかしを前提としている。根付師が題材を押しつけるのではなく、所有者が見せびらかしたい題材を選ぶ自由がある。自分の干支を選ぶ人がいれば、自分の商売や信条にちなんだ道具や諺、伝説を選ぶ人もいただろう。見せびらかしを前提とする以上は、行きずりの万人に理解できるキャラクタでなければならない。目を凝らして考えないと判別できない根付は、失格であったに違いない。根付文化の末裔であるケータイ・ストラップのキャラクタが、なぜ爆発的に流行しているか考えてみて欲しい。

 日本人は、新しいルールをゼロから作り出すことが苦手な国民である。国際会計制度やISO(国際標準)といったルールは全て外来である。ただし、いったんルールが与えられれば、その制限の下で、トンデモナイ創意工夫を発揮する特性がある。それは江戸時代の昔からそうだった。今のクルマや家電生産も、しかり。カイゼンとは、一度できあがったものを改良する意味の言葉だ。だから、根付のような、実用上の大きさや丸み、紐通し穴に関する条件が与えられた中では、自由な意匠の考案や、繊細の彫刻技術の開発には、とても素晴らしい能力を発揮した。私はそう解釈して根付を眺めている。

 こう考えると、現代根付が進むべき方向が見えてくる。

 まず、現代根付も、実用上の制限を第一に考えて欲しい、と願う次第である。大きさの条件や紐通し穴の義務といった制限のある禁欲的な空間の中での芸術活動。そこで、完全自由な創意工夫を展開したからこそ、根付は日本で極度に発達したのだと思う。そのような制限は課しているだろうか。実際の使用者から意見や感想、クレームを受け付けて、フィードバックを製作に反映しているだろうか。

 次に、きらびやかな表現にも限度があるのではないか。現代根付は出しゃばりすぎている。昔は印籠、巾着、煙草入れ、火打ち石などの提物と対(ペア)で組み合わされていた。根付は、豪華な印篭の蒔絵や巾着の模様を引き立てる立場にあった。脇役である。江戸時代も着色技術はあったのだろうが、当時の根付師は着色しなかった。根付一本だけで勝負しようとするから、ウルサイ小物に成り下がる。

 現代でも、何十万円もする江戸時代の高価な古根付を、遊び心でケータイ電話に結んでいる人がいる。古い象牙の犬根付を密かにポケットに忍ばせて、一緒に"散歩"に出かける人がいる。江戸時代の古根付は、まだ十分に実用に耐えられるのである。現代根付は、そうなっているだろうか? 現代根付は、本来目的の、実用したい人間に正対し、真剣なお付き合いしてくれているだろうか。一緒に持って歩きたいと思うほど、その根付はご主人様に凄みを持って語りかけてくれるだろうか。現代根付は100年後にちゃんと飴色の古色がつくだろうか。

 現代根付は、そんな根付であって欲しい。





  現代根付展 手のひらの中の芸術品 〜高円宮コレクションを中心に〜

   2003年5月20日(火)〜7月6日(日)
   特別出品 : 高円宮家
   協  力 : ロバート・O・キンゼイ/国際根付彫刻会/日本象牙彫刻会
   入場料: 100円



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