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第11回 根付の真贋 〜私の失敗談〜  
平成15年6月27日


有名な根付コレクター達が書いた本を読んでいると、全員が全員、コレクションの形成の最初から蒐集に成功してきたわけではないようだ。最初は香港モノの怪しい偽物根付をつかまされ、他人に指摘されるまで気が付かなかった人がいる。その外国人は現在、京都正直や岡友などの素晴らしい根付を数多く蒐集し、世界の十指に入る著名な根付コレクターとなっている。

骨董蒐集のノウハウ本によると、
 
”目利きになるためには、偽物をつかんで痛い目に遭遇してこそ成長する”
 
との指南が見られる。

偽物をつかむリスクを犯さなければ本物は見極められない、という指摘は、かなり部分、真実だと思う。そして、本物を見極める眼がなければ、結局は、本物に巡り会えない。偽物を恐れていては、結局は本物を蒐集できないということだ。このようなリスクを冒すことを推奨しているわけではない。大切なことは、その修行期間をどれだけ短縮し、出血を最小化するか、ということだと思う。最初からパーフェクトはありえない。その道筋にたどり着く、見通しと知恵が必要だと思う。

今回のコラムでは、過去の私の失敗談を披露したい。
 
 
■私の体験
 
私が根付蒐集を始めた頃の話。

友忠や京都正直といった超有名な根付師の名前をやっと覚え始めた頃。その頃は右も左もわからず、根付と聞けば、がむしゃらに手を出していたと思う。その頃、自分の財布に余裕があった。気持ちは大きかった。正直に言えば、根付の価格の感覚が分からなかった。持っていた根付の本といえば、上田令吉の「根付の研究」、伊藤良一の「根付入門」、そしてHurtigの根付カタログくらいだった。その頃は、とにかく数を集めたかった。しかも急いで集めたかった。他の先輩コレクターに追いつきたかった。何が良質で何が平凡かよく分からなかった。そんな気持ちと欲があった。

当時は、骨董市や骨董屋を足を棒にして巡っていた。

インターネット検索やNTT電話帳のタウンページをフルに使って、骨董屋や古美術商に片っ端から電話をかけまくっていた。同じことをされたコレクターなら分かると思うが、根付を扱う骨董屋は少ない。 滅多なことで根付は見つからない。もし見つかったとしても、変な偽物が多い。良質な根付に限って、既に掘り出され、別のコレクターの手に収まっている。
 
 これは、そんな中でのある骨董屋での出来事だ。場所は、東京の中心部とだけいっておく。焼き物や西洋アンティーク、刀剣、根付などが集まる一緒のアンティークモールのような中にあった根付専門店だった。

展示されていた数は多かった。3段のガラスのショーケースで4台分。250個くらいはあったと思う。10畳ほどの広さの店で、客は私一人だけだった。今思い出せば、質はピンからキリまであったと思う。一目で分かる香港製の偽物もあったし、豊一の蜜柑龍、正利の人物根付、正廣の象牙根付、幕末頃の非常に手の込んだ柳左根付といったような、きちんとした根付もゴロゴロしていた。

問題の根付を購入するまで、その店には2回は通ったと思う。根付選びには、自分の感性を信頼して、ファーストインプレッション(初見感覚)を大切にすべきだが、長い間一緒にいても飽きがこないかどうかの感覚も必要だ。一目惚れして 頭がクラクラしている中では、高額の買い物は危険だ。いったん間をおいて買い物をすべし、という知恵を何かの本で読んでいて、それを実践していたのだと思う。

ショーケースをのぞき込むように見ていると、店の主人が奥に呼び、机の前に座らせてくれた。そして店の奥から桐の箱に大事そうに入った根付をいくつか取り出して見せてくれた。

その中には豊一があった。とても迫力のある本歌の根付だったが、値段は当時の給料の2ヶ月分だった。豊一については、根付の相場をだいたい知っていたので、貯金をおろせば買えない金額ではないが、その値段のレベルでは買えないと思った。それに、最初の価格が高かったので、価格交渉も無駄だと思ってしなかった。次に出てきたのが問題の根付だった。 
 
 
■掘り出した民谷根付

それは、木刻の玉獅子で、「民谷」銘が裏面に入っていた。材質は、黄楊か櫻材。獅子が台の上に乗っている構図だ。玉の部分は、柳左根付のように宝珠の中がくり抜いてあって、遊び玉がコロコロと転がっていた。 保存状態は非常によかった。傷といえば、裏面に筋のような線が数本入っていただけだ。 それまでにコレクターによって大切に保存されてきたような状態だった。聞くと以前のコレクターは米国在住の日本人だという。主人は、
 
”これは本物の民谷で、これほど状態の良いのは滅多にない。”
 
と断言していた。
 
裏面の銘は、勢いがあって、鋭く彫り込まれていた。偽物根付にありがちなためらいがちの弱々しい彫銘ではない。手に持って触らせてくれた。が、主人が奥からうやうやしく出してきたものを、コロコロと掌で転がすことは躊躇させられる雰囲気があった。常に睨みつけるような主人の視線も気になっていた。

価格は28万円だという。どことなく、せかされて、即決が求めらている雰囲気と威圧感があった。値踏みしている自分自身が値踏みされている感覚だった。

民谷が江戸に住んだ有名根付師だということくらいは知っていた。その根付を見たとたん、同じタイプの民谷根付がHurtigのカタログ本に載っていたのをとっさに思い出した。驚いた。Hurtigのカタログは、世界の著名な根付蒐集家から1000個の根付を厳選して1000枚のカラー写真を掲載した有名な本だ。今では絶版になっていて稀少本だが、当時何とか手に入れていて、私の知識の源泉だった。

”民谷の玉獅子で完品だ! すわ掘り出し物か!?”
 
と咄嗟に思った。自分がラッキーだと思った。
これが間違いの始まりだった。掘り出したと思ったら、実は自分自身が掘り出されていた。

念のため、主人の許しを得て、その時持ち歩いていたカメラに写真を撮らせてもらった。いったん家に帰って冷静に考えようと思った。銘の部分や六面全部の写真を数枚撮らせてもらい、後日、家にあるカタログと照合した。はたして形はそっくりだった。
 
色艶、彫りの細部、プロポーションを両者をにらめっこして比較した。カタログの民谷が偽物でない限り、骨董屋の民谷も偽物でない気がしてきた。そう確信した後は、居ても立っても居られなくなった。翌日、現金を持参して買いに出かけた。骨董屋では値引き交渉が当たり前なので、なんとか22〜23万円くらいに値段は抑えたいと算段して出かけた。

値引き交渉は案外うまくいった。主人の側でもそれくらいの値引きは十分な許容範囲だと思ったのだろうか。23万円だった。お金の支払いと引き替えに、「民谷」は大事に桐箱に納められ、私にポケットに入れられて帰宅の途についた。
 
帰宅後は、机の上に置いてなめ回すように観察した。自分のものになったとたん、一層、色艶が綺麗に見えた。本の写真ともう一度現物を比較した。全く同じ形で間違いない、と思った。有名な日本人コレクターが持つ民谷根付は、いま私の手元にある根付の兄弟に違いない。そんな思いに浸りながらその夜は至福の時間を過ごした。 
 

 
  
    
問題の”民谷”根付 Bernard Hurtig 著「Masterpieces of NETSUKE ARTONE
THOUSAND FAVORITES OF LEADING COLLECTORS」掲載の
民谷の玉獅子
 


■突然のひらめき。そして暗転。
 
。。。何かおかしい。。。 と感じたのは翌朝だった。

突然、解せないものを感じた。

それは、理屈でなく、ひらめきだった。

私は、初見でのひらめきを大切にしている。同時に、事後の偽物ではないかとの突然のひらめきも大切にしている。
このひらめきは、数年後に突然やってくることもある。判定に関する詳細な理屈付けは、後からついてくるものだ。 
 
 
真贋判定の方法で面白い話がある。ニューヨークには有名なメトロポリタン美術館というところがある。そこが年間数億円以上の予算を使って美術品を購入する際には、学芸員が作成するチェックリストに基づいて厳重な審査が行われるという。すこしでもチェックリストに疑義があると、メットの理事会は通過しないシステムとなっている。その審査のトップ項目は、
 
『新しい美術品を見た瞬間に感じたことを、最初に浮かんだ言葉で書け。』
 
だという。

この判定は、骨董鑑定の真髄だという。(「にせもの美術史―メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦」、朝日文庫、トマス ホーヴィング著)

様式スタイルのチェックや即物的な科学鑑定は、後からついてくる。それよりも、「美(美術品)」とはそもそも人間を感動させるオブジェクトである以上、初見の感動を具体的に書かせるらしい。

その民谷根付の何がおかしいのか、具体的に言えない。ただ、一晩手元に置いてみて既に”飽き”の感覚が来てしまったのである。コレクションとして持ち続けるにはこれは致命的な感覚だ。それに、江戸時代の根付にしては、完璧すぎるほどの状態も気になり始めた。たしかに、完品状態の根付も世の中には存在するが、それはレアケースだという。(ブッシェル「コレクターズ根付」)

彫りの技術は下手ではないが、超絶というわけではない。
染めの具合は綺麗だが、200年前の古色の味があるわけではない。
獅子の顔のプロポーションはしっかりしていて崩れはないが、凄みにかける。
状態は完品だが、使用痕が全く見あたらない。
いったん気になり出すと、こうした次々と疑問点が出てきた。

こういう場合は、状況を早期にリセットするのがよい。即刻、その骨董屋に電話を入れて、返品を申し入れた。その後の交渉の経緯は、詳しくは書かないが、嫌みを言われつつも、結果として返品は受け入れられ、お金も戻ってきた。骨董屋には嫌われたと思うが、偽物は偽物だ。自分がそう確信できる以上は、理は我に有り、だ。

それから数年後の後、それが偽物であることが最終的に確信できた。別の骨董屋で同じタイプの根付を見つけたからだ。値段は8万円だった。それとなく骨董屋に真贋を尋ねたが、本物だとは断言しなかった。本物の民谷がそのような値段になるはずがない。偽物だと判断しているのだろう。おそらく同じタイプ根付が、近代に大量に量産されたのだと思う。

私が購入した骨董屋がその民谷根付を偽物と認識していたかどうか、今では分からない。しかし、善意だが目が利かない骨董屋であったか、それとも、目が利くが悪意の骨董屋のどちらかであったのだろう。どちらにしても、要注意の骨董屋で高い買い物を安易にしてしまったわけである。 
 
 
■目利きへの長き道のり
 
冒頭で書いた目利きへの道のりについて。

結局は、こうした体験をどのように通過していくかが大切なことだと思う。リスクは多く冒すのがよい。常に感性を磨き続け、その感性を裏付ける理屈も考えること。自分をバックアップしてくれるカタログや専門書といった書籍の蒐集も必要だ。知識を得るためにはお金は惜しまない。知恵を得るためには人と交わることも厭わない。危険状態になったら抜け出る交渉術も欲しい。目利きとは、そんな総合力だと思っている。

根付が入っていた桐の箱(共箱)に惑わされてはダメ。できるならば、根付を手元に置いて掌で転がしてみる時間を多く持つこと。一目惚れは危険で、ライバルが割り込んでくる危険がなければ、初見から数日間以上の間をおいて購入すること。根付専門店など、信頼のおける
パートナーを早く見つけること。ゆきずりの骨董市は、掘り出しはあるが、一番要注意。
 
それから、テレビに出てくる有名な骨董商が言っている。骨董を見ることとは、すなわち人(骨董屋及び客)を観ること。目利きとは人間鑑定の極意でもある。骨董の真贋鑑定を通しての、ホンモノの人間を見分ける人間鑑定術。その人は、鑑定は1/5秒で終わるが、修業は一生だとも言っている。怖いのは、善意だが目が利かない骨董屋と目が利くが悪意の骨董屋
 


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