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第15回 紐通しのいろいろ -特徴と分類の提案-
平成15年10月5日



 根付最大の特徴は、紐通し(Himotoshi-Hole、himotoshi-channel)の存在です。
 根付を知る外国人なら”ヒモトーシ”と言っても十分意味が通じ、世界的にも知られています。

 根付には、提物をぶら下げるための紐を通す穴が必ず開いています。萩焼の底の高台に切高台の切り込みが入れられているのと同じでしょうか。穴の空いていない彫刻は、「置物」として厳格に分類されます。手に取ったモノが根付であるかどうかは、まず紐通しの有無で区別します。

 根付師は、根付が帯の上に鎮座する姿を想像して、最適な紐通しの位置や大きさを決めます。上田令吉が『要するに紐通しの作り方は根付の意匠上最も大切なる条件で、根付に紐を付けて腰に提げた時に最も根付が立派に見ゆるやうに心懸けなければならぬ』と書いているとおり、非常に多くの思慮を重ねた上で決定されるものです。

 現代根付作家の駒田柳之氏によると、穴を開けるときは大変に気を使うといいます。意匠のバランスを壊さないようにするのは最低条件。欲を言えば、意匠を引き立たせるように開けるのがコツなのだそうです。根付は六面体で楽しむものです。穴のある底面や裏面が”良い絵”になっているのが上質な根付の条件だそうです。また、砂本清一郎氏は『作家にとっては泣き所であり、その根付の善し悪しを論ずる場合の焦点となる』とも語っています。このように、紐通しには蘊蓄があります。穴だけに侮れません。。。

 根付を極めた人たちにとっては、この穴は、なにやら哲学的な存在として観察されます。わずか数ミリの穴ですが、形状を見ただけで、その根付師を当てることができる場合があります。穴の擦れの状態を見ただけで、その根付がどのような運命を辿ってきたのか分かる場合があります。穴の内壁を見れば、材質の真贋が判明する場合があります。単なる小さな穴ながらも多くの情報が取り出せるのは、根付くらいではないでしょうか。

 今回はこのような紐通しについて、9つの分類を試みます。今後の根付研究において一定の指標となることを期待します。
機会があれば、ご自分の自慢の根付がどのような分類に該当するか確認してみてください。

 なお、これは大まかな分類ですので、根付師毎にさらに細かい観点があることに注意してください。また、様々なタイプがありますので、複数のタイプが同時に当てはまる根付もあります。

紐 通 し の 分 類  ひもとおし余話

  煙突形(18世紀以前)


  京都派型(岡友など)   幕末・明治型

  意匠構造利用型


  差根付・長根付型    饅頭・鏡蓋・柳左根付型

  結び玉収容型

  紐穴補強型(江戸派)   台上根付型(一穴)




1.煙突型(18世紀以前の古根付)

 根付師人名録に掲載されているような有名な根付師が活躍する時期は、18世紀後半以降です。しかし、それ以前にも数多くの根付が作られ、使用されていました。根付の原型となるものは15世紀や16世紀にも出現していますが、この分類は主に17世紀や18世紀の根付と一般に推測されている根付に当てはまります。

 18世紀以前の人々は不老長寿と福録を獲得しようとしたのでしょうか。中国の道教などの影響が色濃く見られる仙人や神農、鍾馗、羅漢の根付が多く作られました。それらの根付には、底面から背中に突き抜ける”煙突形”の紐通しが多かったようです。外国でもこの古いタイプを”チムニー(Chimney:煙突)タイプ”と呼称しています。

 写真で示すように、神農、廬生、羅漢の3つの根付は全く同じタイプの煙突形を有しています。さらに、底面には非常に大きめの穴が開けられています。穴の大きさは小指の先が入ってしまうくらいのものもあります。入り口は大きな穴ですが、背中に達するまでには穴の直径は細くなります。このことから、提げ物の紐は背中から入れられて、底面で結び目の玉を作って収容したと考えるのが適当でしょう。
背中から紐をぶら下げて帯に止めて使用していたと推測されますが、一方、帯の上に羅漢達が座る”岩”を安定させるには逆に紐を通す方(背中⇒底面)がよいと思われます。どちらが正しいのか更なる研究が必要です。)

 古い根付と後世の根付とを比較すると、紐通しの直径は太い傾向があります。写真の3体も平均すると10mm程度あります。煙草の大流行が18世紀にありました。軽い印籠というよりも、むしろ煙管筒(キセル筒)、煙草入れ、火打ち袋、巾着(きんちゃく)などの重い提げ物を提げるために使用されていました。縄のような太めの紐を通してこれらの提げ物を結わえたのでしょう。さらに、18世紀以前の根付は一般的に大ぶりとなる傾向があったようです。私が収蔵する根付を1800年を境に2グループに分けて並べると、この傾向は確実に現れます。大ぶりな根付の意匠では、穴も大きめの方がバランスが良かったのでしょう。

 江戸時代の風俗を描いた古い屏風絵などを観ると、昔の人はいくつもの煙管筒や巾着などを同時に一つの根付から腰からぶら下げていたことが分かっています。実際、写真の紐通しの周辺には重い提げ物に耐えた使用痕が激しく残っています。おそらく、何本もの提げ物の紐を一括して結わえるためにこのように太い紐通しになったのかもしれません。

 ちなみに、印籠を提げるためには、印籠紐と呼ばれる絹で編んだ細めの組み紐を用います。印籠の重量や構造上、重い重量に絶える必要がなく、また印籠側面に上下に通した穴には太い紐は使用できないためです。煙突形の太い紐通しには、印籠紐は結わえるには不向きです。

 煙突形の紐通しを持つ根付は無名のものが多く、また材質の経年変化や題材などの判断により、18世紀以前の根付と分類することが可能です。ただし、後世において、贋作に対して意図的にそのような穴を開けている可能性もあり、注意が必要です。


煙突型(18世紀以前の古根付)の例


無銘 神農 
4.3cm 17世紀 京都・大阪
無銘 廬生の夢 
3.6cm 17〜18世紀
無銘 岩に腰掛ける羅漢 
4.9cm 17〜18世紀





2.京都派型(正直、友忠、岡友)

 18世紀から19世紀初頭にかけての一部の京都派の紐通しには、一定の規則性があります。例えば、有名な正直、友忠、岡友は、動物(Beast Netsuke)の根付を多く残しました。岡友と友忠は親戚関係にあったといわれ、両者とも同時代の正直とも親交があったと考えるのが定石です。

 彼ら一派の根付の紐通しは規則性があり、特徴のある大小の紐通しが底面に開けられていることが多いようです。穴は幕末・明治期の比較して大きめで、必ず大小です。このような規則性が当てはまらない根付に対しては、まず疑ってかかる必要があり、真贋上の注意を要することになるのでしょう。岡友派の根付を例にとって解説します。

 写真にあるように、岡友派の岡友岡隹(おかとり、岡友の弟)、岡言(おかこと、岡友門弟)、岡信(おかのぶ、岡友門弟)の動物根付の紐通しは、全て一定の規則性があります。

 まず、紐通しを開ける位置は、重心を考慮しつつ、意匠上の邪魔をしないように考えられて開けられています。どれも底面に開けられています。動物の場合は、太股か腹に大小の穴が開けられていますが、どれも正面(顔の向く方向)と反対側に偏って位置します。大きい方の紐通しに紐の結び目を収容したのでしょう。

 底面全体を見ると、紐通しの位置や形状、大きさには違和感が無く、自然に意匠にとけ込んでいます。とても妙なものです。動物の中心線上に位置しない大小の穴の位置はお互いに斜めになる傾向があります。ただし、左右対称形の蛤や鼠の穴は、当てはまらないことがあります。(18世紀型の差根付の項も参考。)

 また、紐通しの形状は曲線的でスムースです。艶めかしく、鋭利性は一切感じさせません。紐通しの縁がとても滑らかです。これが実際の使用によってすり減って滑らかになったのか、それとも、最初から根付師の配慮があったのかはよく分かりません。しかし、使用中に縁が崩れること、鋭い縁で紐が切断するのを防止するため、根付師が予め配慮した細工であったと考えるのが適当だと思われます。写真の4体ともがそうであることが証拠と言えるのではないでしょうか。

 穴の形状は、例外もありますが、機械で彫ったような真円ではなく、ゆがんだ円形か小判型になるのが一般的です。岡友と岡言の臥牛の穴は、特に大きい方の穴がそうですが、小判型です。京都・正直も、真物の紐通しはパックリと小判型に大きく開いた形が多いので有名です。

 さらに、岡友派に共通する特徴ですが、穴の深度が深く、空間が広いものになっています。工具を用いてグリグリとくり抜いたものですが、二つの穴を結ぶトンネルは、象牙材の表面よりも離れた奥の方を通過しています。岡隹の獅子と岡信の蛤の紐通しの深度は、実際にノギスで深度を計測すると、両方とも約10mmでした。根付の高さがどちらも3cm弱であることを考えると、相当奥まで彫り抜いています。

 これが古い京都派の全てに当てはまる規則性であるかどうかは未確認ですが、深く広く穴を掘ることによって、象牙材を少しでも多く削り、軽量化を図ったのかもしれません。また、深く掘り進むことにより、2穴を結ぶ”橋”の部分を太くし、結果、紐通しを跨ぐブリッジ(橋)の強化をしたのでしょう。材の肉取りをすることによって、後年の収縮によるひび割れを防止する効果があったともいいます。そのような目に見えない部分に細かい工夫があったようです。


京都派型(岡友派)の例


岡友 臥牛 
5.7cm 18世紀
岡隹 獅子
3.7cm 18世紀
岡言 臥牛 
5.6cm 18世紀〜19世紀初頭
岡信 蛤 
3.9cm 18世紀〜19世紀初頭





3.幕末・明治型

 幕末・明治頃の形彫り根付は、小型の紐通しとなるのが特徴です。背中又は底面のどちらかに2穴となるタイプが多いようです。また、二つの穴の大きさは、お互いに大小となることなく、ほぼ同じ大きさのものになる傾向にあります。

 この頃になると、18世紀以前の紐通しのような、むやみに太い紐通しにはなっていません。線が細く、デリケートな形状となっています。これは彫刻技術が発達するとともに、上質な細い印籠紐が普及したためだと思われます。軽量の印籠を提げるためには大きく、重い根付は必要としません。帯にほんの引っかける程度で十分なのです。このため、印籠を提げるためには、小さめの上品な根付が組み合わされました。軽い黄楊材や、小さい象牙材の根付が印籠には用いられました。これらの根付には小さな紐通しが使われたようです。

 また、明治期にはいると、装身具としての根付の使用は廃れていきました。実用を前提としない観賞用の根付製作のため、紐通しを形式的に開けることも多くなりました。意匠上の邪魔となるので、紐通しをなるべく小さく開けておこうとする動機もあったと思います。そのような紐通しには、実用してみるとバランスが悪い根付も中にはあるようです。実用を前提とせず鑑賞用として製作したのでしょう。

 ちなみに、現代根付師の稲田一郎氏は、一郎根付特有の非常に小さい紐通し穴の理由について尋ねられた時、”現代では紐通しは使用されないので重要ではないから”、と答えたといいます。

 紐穴は背中に開けられている「背中型」と、底面に開けられている「底面型」の2種類があります。その複合型もあります。

 写真の友親(江戸、背中型)や光次(大阪、底面型)、光正(東京、底面型)は、幕末・明治の典型的な小型の紐通しです。どちらも、印籠からのびた2本の印籠紐を束ねてやっと通過する程度の大きさです。このように、幕末明治頃の根付の紐通しは、小型が典型のようです。ちなみに、友親の方は実際の使用痕が穴周辺で確認できますので、これは印籠を提げるために用いたと推測しています。結び玉収容型の穴でもあります。



幕末・明治型の例


友親 布袋と唐子 
3.7cm 幕末 江戸
(背中のタイプ)
光次 面を持つ唐子 
2.8cm 明治・大正 大阪
(底面のタイプ) 
光正 鯛車で遊ぶ童 
3.5cm 明治・大正 東京
(底面のタイプ) 





4.意匠構造利用型

 紐通しのないものは置物に分類される、と先に述べました。よって、ご自分の”根付”に紐通しが空いていないからといって、がっかりしてはなりません。根付には紐通しが明示的に開いていないものがあります。

 それは欠陥品や未完成品ではありません。意匠の一部を利用して紐を通して使用するのです。例えば、動物の手足や植物の茎などのデザインの一部分を自然のまま上手に利用して、紐を通して結べる構造にすることがあります。根付鑑賞の醍醐味の一つは、このような粋な工夫を発見することにあります。

 意匠を殺さないためには、不自然な穴を開けないことにこしたことはありません。そのため、意匠上の必要があったり、穴を穿つことを嫌う根付師の場合、このような意匠構造利用型の紐通しを積極的に採用することが多かったようです。例えば、伊勢・正直は、蛙などの彫刻をする際には体の一部を紐通しとして利用した、と上田令吉は指摘しています。

 写真はそのような意匠構造利用型の例です。


意匠構造利用型の例


正一 
玉獅子 
3.4cm 19世紀中期 
大阪(名古屋)
光定 
玉獅子鈕 
3.7cm 
江戸時代末期 大阪
無銘 
鞠を抱える子犬 
3.2cm 19世紀 
京都
吉友
張果老仙人 
6.3cm 18世紀 
京都
亮則(津田亮則) 
龍 
3.4cm
一位 昭和期
左手、左足、玉の3点で紐が通る穴が巧みに構成されている。実際の使用痕がある。 獅子の左前足が紐通しの役割を果たしている。この印鈕を持ち運ぶときはここに紐を結わえることになる。 左足と玉の間が紐通しとなっている。実際の使用痕がある。 背中から入れた紐が左の裾下の穴から出るようになっている。18世紀以前の煙突形の紐通しの変形でもある。 龍の体の一部が紐通しとなっている。





5.差根付・長根付型(背中の大小斜め配置型)

 差根付や長根付には、背中に大小の紐通しが開けられていることが多いようです。重心を考慮しつつ、背中の上下方向の中央部分に穴を開けられました。18世紀以前には仙人やオランダ人といった題材が流行しましたが、このような古いタイプの根付の紐通しはほぼこの形です。

 二穴は大小であって、さらに面白いことに、必ず斜めに位置するのが定石です。これが重要な特徴です。上下に一直線に並ぶ紐通しはあまり見かけません。これには実は、経験に基づく根付師達の知恵が込められています。

 差根付や長根付は、牙彫りであろうと木刻であろうと、必然的に繊維の縦方向に長辺を取って材料どりをします。象牙であれば、象牙の成長する方向に、木材であれば木の成長する幹の方向です。長さが5cm〜15cmにもなる細長い根付ですので、水平方向に材料取りをすることはありません。そのような材料取りは困難ですし、また、折れやすいので強度上も問題があるからです。

 このため、繊維の方向に一直線上に2つの穴を配置すると、繊維に沿ってひび割れが生じ、破損するおそれがあります。ひび割れは、大抵、繊維の方向に沿って発達するものです。使用を重ねる毎に疲労が蓄積し、ある日突然抜けてしまうことになります。強度上の欠陥となりクレームがつきます。結果、実用を前提とした差根付や長根付の大小の穴は、必ずといって良いほどに斜めに配置しました。逆に言えば、直線上に並ぶ紐通しの根付は、何の考えもなく後世の根付師が作成したものであるおそれがあります。

 大小の穴となる理由は、後に出てくる「結び玉収容型」の項をご覧下さい。


差根付・長根付(背中の大小斜め配置型)の例


無銘 武志士仙人 
8.0cm 18世紀
無銘 扇を持つ中国人 
7.4cm 18世紀 
笑楽 樊會 
5.4cm 19世紀 大阪





6.饅頭・鏡蓋・柳左根付型

 円盤型や箱形の根付には、重心に配慮して根付の底面の中心に紐通しが開けられていることが多いようです。

   饅頭根付の場合 

 饅頭根付の場合は、中心部分をくり抜いて貫通させ、紐を結わえた象牙材のピンを貫通させた穴にはめ込んで使用します。象牙材は中心部に神経の黒い穴が開いていることが多いので、中心部をくり抜いて取り除いてしまえば、都合が良く、一石二鳥の効果もあります。

 ただし、この饅頭根付の形では、肉実があり重たく、携帯に不向きです。その解決が次に示す上蓋と下蓋の二分構成の饅頭根付です。


孝眠 張良と黄石公 直径51mm  幕末・明治




饅頭根付(二部)・鏡蓋根付の場合

 二部(上蓋・下蓋)に分かれる饅頭根付の場合は、下部の底面に丸い穴を開けると同時に、上部の内側にアーチ型の紐を結わえる穴を開けます。上の写真の孝眠の饅頭根付は非常に重量がありますが、中をくり抜いた二部構造の饅頭根付は軽量で使いやすいという利点があります。

 本物の根付師は、外から見えない部分の仕事であっても一切手を抜きません。写真の法實の饅頭内部の紐通し用の穴は、雪のかまくらのような美しいアーチで、このパーツだけでも十分な芸術性を感じさせます。丁寧に造形をしてから滑らかな仕上げをしています。

 一方、轆轤引きをした象牙の皿に金属の鏡蓋を嵌めて使用する鏡蓋根付も、この饅頭根付と構造は同じです。鏡蓋の裏側に付けられた穴に紐を通して結わえ、象牙の裏側の穴から通すことになります。

法實 饅頭根付
(縦)2.8×(横)3.8×(厚)1.8cm
19世紀
(写真提供:U氏(横浜在住))
仙谷(印:竹民) 竹饅頭 
直径4.9cm
19世紀
無銘 松竹梅図
鹿角
直径4.3cm
19世紀
光民 渡辺綱
鏡蓋根付
直径4.3cm
19世紀前期
(写真提供:U氏(横浜在住))



柳左根付の場合

 柳左根付とは、形状は饅頭根付に似ていますが、中を透かし彫りにして中空構造です。ひとつの材料をくり抜いて彫刻します。花鳥や雨龍などを題材にして、細かく透かし彫りにしたものが多く、江戸時代に江戸に住んだ「柳左(りゅうさ)」という挽物師が創始したことからこの名前が付いたと言われています。紐通しは、たいていは、一穴が裏面の中央に開いています。透かし彫りの中に穴の形状や位置をどのようにデザインするかが腕の見せ所です。

 使用方法は、外側から穴に紐を通していったん紐を外側に出し、結び目の玉を作ってから、再び中の空間に玉を押し込めて入れます。結び目の玉は中に隠されているので、紐通しとしては最も理想的な形状といえます。

 面白いのは、紐通しの穴が多数ある場合で、松寿の雲上雷神根付がその例です。雷神が寝ている雲の隙間には多数の穴が開いていて、どれでも好きな穴に紐を通せるようになっています。実はこの根付の中には、昔の紐の結び玉の残骸が残っています。以前の所有者が紐を切断したときに中から取り出せずに放置されたようです。柳左根付の実際の使用法を説明する証拠と言えます。

 柳左根付は、紐通しの構造に強度が無く、重いものを提げることが困難であったため、専ら印籠に用いられた根付であると思われます。

無銘 羅城門の鬼腕
海象牙(セイウチ牙) 4.7cm 19世紀
松壽 雲上雷神 3.6cm 19世紀





.結び玉収容型  

 提げ物の紐の端は、根付に結んで使用します。この型は、その紐のさらに端の終着点の処理にも”妙”がある方法です。

 紐通しが2穴開けられている場合は、おおよそ半分くらいの根付は、大小の大きさの穴となっています。これは、紐の結び目の玉を大きい方の穴に内部に収容できる構造となっています。根付の内部に紐の玉を隠すのです。

 根付は帯の上にぶら下げて使用しますが、結び目の玉が出ていると見栄えが悪く、邪魔です。また、結び目の位置が固定されていないため、根付を通じる紐がユルユルすると、提げ物の装着時に根付が不安定となります。それを一々直すのは面倒です。我々が使用する腰のベルトのバックル(金具)の位置が不安定である場合を想像してください。ベルトの端にバックルが固定されているからこそ、ベルトの装着は簡単ですが、固定されていなければ、いちいちバックルの位置を確かめて直さなければなりません。

 大きい方の穴の開け方にはバリエーションがあります写真に示すように、単に太い穴を開けたもの、太い穴の中にお椀を沈めたような綺麗なドームを彫っているもの、動物の脚の間などに玉を納めるタイプなど様々なタイプがあります。

 この紐通しをみるにつけ、日本人の繊細な習慣や気遣いに感心せずにはいられません。根付研究家の山縣武氏が、紐穴の形状に関する考察において、”日本的な習慣でしょうか。風呂敷や紐を使用する場合、何によらずその末端の処理には常に神経を遣っておりました”と指摘しているが、非常に興味深い視点である。(『根付 江戸細密工芸の華』日本根付研究会20周年記念出版 日本根付研究会編)

単に太い穴を開けたもの 内部がドーム型 意匠の空間に収容するタイプ
布袋根付
3.1cm 幕末・明治
真敬齋 風景
4.0cm 江戸後期
直正 いぼ蛙
4.9cm 20世紀
伊勢
南柳 提灯を持つ男
4.8cm 20世紀
埼玉
無銘 鞠を抱える子犬
3.2cm 19世紀
京都
(両足の股の間に収容)
旭齋(塚本旭齋) 鮎
5.0cm 大正・昭和 
千葉
(三匹の鮎の間に収容)





8.紐穴補強型(江戸派)

 根付の使用において最も負担のかかる部分は、紐通しの周辺部と言えます。紐と結び目の玉を通じて提げ物の重みが一番加わるのが、構造上紐通しだからです。きちんとした根付師の根付は、摩擦に対する耐久性が考慮されています。

 江戸に住んだ根付師の中には、この紐通しを補強した人たちがいます。確認できているだけで三輪、玉珪、舟民が居ます。三輪の一派、玉珪の属した龍珪一派、舟民が属した舟月一派の根付には、このような補強を行う伝統があったのかもしれません。

 木刻の根付に対する補強は、象牙や染め鹿角を嵌入しました。写真の例は舟民と玉珪の例です。紐通しや巖入方法には師匠からの秘密の口伝があったと上田令吉は書いています。舟眠は、大の穴に象牙のリング、小の穴に緑色に染めた鹿角のリングを嵌めました。玉珪の方は、片方の穴に染め鹿角を嵌めています。もう片方の穴には何も嵌めなかったようです。このようなリングを嵌めることにも高度な技術を必要としました。

 木刻根付に対して紐通しの縁を補強することによって、縁周辺部から生じるひび割れを防止していたのでしょう。現に、舟民と玉珪の補強のリングは一部がすり減って欠けており、使用上激しい負担がかかっていたことを示しています。また、補強の目的以外に、無味乾燥で殺風景な桜材の底面について、見栄えを向上させるために異なる材質(象牙と鹿角など)を組み合わせて嵌入させたのでしょう。


紐穴補強型(江戸派)の例


舟民 神主 4.0cm 
1800年頃 江戸 櫻刻
玉珪 石持ち 3.5cm 
19世紀 江戸 櫻刻





.台上根付型(一穴)  

 とてもシンプルな紐通しです。形彫りの台上に穴を開けただけの仕掛けです。

 下から紐を通し、結び目を作って引っかけるだけでした。結び目が見えるので見栄え的にはあまり良くありませんが、写真の正廣の場合は他の部分に紐通しを置きようがないので、このような紐通しとならざるを得なかったのでしょう。しかし、工夫次第では、雲橋の風景根付ように、結び目を竜宮城の建物の中の奥に押し込んで隠すうまいやり方もあります。


台上根付型(一穴)の例


正廣 唐子と雪達磨 4.5cm 
19世紀中期 大阪
雲橋 風景 3.9cm 
19世紀中期
無銘 玉獅子 2.9cm
19世紀





ひもとおし余話  

   三穴型のちょっと変わった紐通し
 三穴の紐通しが開けられている珍しい根付です。実用上紐通しを使い分けていたのか、それとも一旦開けた紐通しの位置が悪く別の紐通しを後に開けたのかよく分かりません。このような三穴の紐通しがある根付が時々あるそうです。

無銘 大森彦七 5.3cm 18世紀


金具の紐通し
 紐通しは根付に穴が開けられるものとは限りません。写真の根付のように金具を付けて紐を通す方法もあります。

無銘 魚籠型竹篭根付 6.8cm 竹


紐通しの別の目的
 私はこれを発見して、目から鱗が落ちる思いで頭がクラクラしたことがあります。
 私は人物があぐらで座る一郎の根付を二体持っています。二体の底面はあぐらを組んだ足が描かれるどちらも同じ構図です。ある時、ふと両者の紐通しの位置や配置が異なることに気がつきました。

 面打ち師の方はお尻の中央寄りの場所に、左右に分かれて開けられています。一方、猿回しの方は、おしりの縁の方に一穴と背中の側に一穴が縦の方向に置かれています。同じ構図であれば、紐通しも同じ位置に来るはずです。なぜでしょうか。

 疑問は、猿回しの方の紐通しの中を照明付きのルーペで覗いてすぐに解けました。猿回しの方には象牙の黒い芯が垂直に通っていたのです。芯の部分を紐通しにそのまま利用し、黒い部分を穴の中に隠していたのです。それでは黒い芯はどこに突き抜けているのだろうかと猿回しの背中を見ると、なんと背中の上(紐通しの真上に位置します)には貝の象嵌がありました。象嵌で芯を巧みに隠していたのです。猿回しの衣装のデザインの一部と思っていたら、実はそんな工夫があったのでした。

 面打ち師のように穴を左右に配置しても象牙の芯は隠せます。しかし、そうすると、紐通しの左右のバランスが悪くなると判断したからこそ、縦方向に穴を開けたのでしょう。何とも凄い一郎の技だと感心した発見でした。

稲田一郎(1891-1977) 猿廻し 3.7cm 1960年代頃 東京 面打ち師 3.7cm
(注)象牙の芯は、台上の玉獅子の底面でも観察できます。

染めの前か後か
 根付師の技に関してもうひとつ。紐通し穴の中を観察すると、染めの染料が付着しているものそうでないものの二種類があります。これは根付師の製作工程に由来します。紐通しを先に仕上げて染めを行った場合は、どす黒い染料が付着しています。逆に染めの後で紐通しを開けた場合は、真っ白な象牙や黄楊の表面が残っています。このように紐通しは、根付の作業工程を証言してくれるタイムカプセルでもあるのです。

 なお、紐穴内部が新しい場合はちょっと注意が必要です。贋作者の中には18世紀型の紐通しに見せかけようとして、穴の形状や大きさを細工する人がいます。古い根付に見られる大きめの紐穴に似せたような彫った様な跡があったら、気を付けましょう。


偽物香港根付の場合(形状、位置)
 香港根付の紐通しには一定の法則があります。これに当てはまる根付は、九割以上の確率で外国製であり、しかも、材質は練り物であるおそれがあります。特徴をしっかりとおさえておくことが肝要です。

 【香港根付の特長】
  1.紐通しは背中の上部に開けられている。
       
 揚げ物を提げるのではなく、携帯ストラップのように、
    根付自身が釣り下げられるために開けられている。

  2.穴の周辺は輪っかのような二重の円が彫られている。
    一見したところ紐穴補強型の根付を模したように見える。

  3.穴の形状や開け方は品性に欠ける。
    ”紐通し穴がちゃんとあるでしょう!これは本物の根付です!”と、
    いかにも本物の根付を装うが如くアピールしているようです。



偽物香港根付の場合(内部)
 本物の根付には紐通しの中にも気配りがあります。ニセモノにはありません。
 実用上の損傷を防ぐために、根付師は紐通しの構造に意を尽くしました。二方向からの穴が内部で「∧」状に交差すると、交差の部分が鋭利となり、紐が切れやすくなる原因となります。低級な根付は「×」状に穴を開けています。このような紐通しは、大量生産によりドリルで簡単に開けられた証拠で、論外です。

 最も丁寧な紐通しは、内部で滑らかな「n」状になっていて、穴の奥で紐が擦り切れないように曲線構造とします。きちんとした根付師は、優秀な日本製品のように実用上の配慮をきちんとしています。作品にどれだけ意を尽くして製作を行ったかを知るには、隠れた紐通しの裏側の世界を観察しましょう

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