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第28回 あやまちを繰り返す日本人
平成17年2月27日




 今年は、アルベルト・ブロックハウスというドイツ人が『NETSUKE』という本を1905年に出版してからちょうど100年にあたる記念すべき年です。この本は482ページの大書で、根付の起源、用法、種類、根付師のリスト、根付コレクションの写真等が記されています。有名な『根附の研究』を上田令吉が書いたのが1943年ですから、それよりも更に40年も前に外国人が大きな研究書を出版していることになります。

 今回のコラムの目的は、このブロックハウスの紹介ではありません。
 外国人による根付の「洋書」のことを述べようとしています。

 世の中、根付について書かれた洋書のことを悪く言う人がいます。大部分の根付愛好家は聞き流していますが、事情を知らない初心者に対して悪影響を与えかねません。間違った考えに基づく話は、インターネットが発達した現代のことですから、媒体を通じて誤って他人に届けられるおそれがあります。洋書について考えてみたいと思います。



 まず、根付について書かれた洋書の数ですが、オークションカタログを除いたとしても100点以上が出版されています。日本美術を取り扱った洋書の中でも、根付は出版数が多い部類に入るのではないでしょうか。代表例としてはレイモンド・ブッシェルが6点の書籍を出しています。ブッシェルは1945年に米国海軍の小艦艇の船長として進駐軍の一員として来日し、ブッシェル・アンド・朝比奈法律事務所の弁護士をしながら根付を蒐集しました。彼の書籍がきっかけで根付の世界に入ったコレクターが何人もいます。彼は国際根付ソサエティのジャーナルでも「Q&Aコーナー」を長年担当し、専門的な知識を会員に提供してきました。

 もちろん、洋書の中には、間違った記述があったり、贋作の写真が掲載されているものもあります。根拠のない勝手な持論を延々と述べているものがあります。言語が英語だけにこのような洋書を読む時は、めまいがします。根付の時代特定として「この根付は1760年の作だ」と勝手に決めつけているような本もあり、一体どう調べたら10年単位で正確な年代特定ができるものかと笑ってしまいます。また、中国産の贋作が堂々とカラー写真で掲載されている図録もあり、一度読んだだけで嫌になってしまった本もあります。例えば、ブッシェルの有名な『コレクターズ根付』では、怪しげな岡友の「親子兎」や豊昌の「虎と猿」が掲載されています。

 一方、日本人ではとても完成させることのできない、ユニークで優れた洋書もたくさんあります。その筆頭として挙げられるのは、フレデリック・マイナーツハーゲンというイギリス人が手書きで記録した根付カードでしょう。そのカード集は『The Meinertzhagen Card Index on Netsuke in the Archives of the British Museum』(通称「MCI」)として米国で出版されています。根付作品と銘の忠実な模写と解説、根付師の特徴、売買記録などのデータが作品毎に書かれていて、2冊組の本には5000カードが収録されています。これは彼の努力と才能による業績ですが、根付が数多く流通していた外国、しかも根付取引の中心地だったロンドンでディーラーをしていた立場にあったからこそ実現可能だったのだと思います。

 根付研究は、当然、根付を数多く観察することができなければ達成できません。この点、外国人は恵まれていたように思います。ブッシェルの本、ラザーニックの「根付大辞典」、ハワイの根付ディーラーとして大勢のコレクターと知り合いだったからこそ可能であったハーティッグの「1000個の根付図録」、優良根付が1200点も掲載されているスイスのバウアー・コレクション図録。

 そして、大英博物館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、エルミタージュ美術館、ピーボディー博物館、ビクトリア・アルバート美術館といった世界的にも有名な美術館毎に出版されている、美しい根付図録の数々。掌で触って鑑賞できることが根付研究の大前提となりますが、その機会に恵まれた外国人のことを "根付研究で不利な立場にある"とは誰も決めつけられません。



 実際のところ良い根付の大部分は、海外に存在します。明治維新の開国以降、箱買いならぬ"樽買い"で無数の根付が外国に流出しました。明治時代は根付は樽に詰められた単位で外国に売られたそうです。浮世絵や書画も同じ運命に遭遇しました。しかし、これらは外国人が盗んでいったのではありません。正当な商取引として、根付を高く評価した外国人が日本人と対価と交換したのです。根付の流出はとても残念なことですが、当時の日本人がボヤボヤしていたのですから仕方ありません。でも、需要があるということは面白いもので、同時に、外国人好みの贋作も数多く生産され、買われていきました。結局は、清濁合わせて数多くの根付が海外に出ていったわけです。

 大量の根付を手にした外国人は、次に何をしたか。彼らは根付を系統立てて研究し、根付とは何なのか、スクール(流派)とは何なのか、題材は何なのか、そして、どれが価値ある良い根付なのかについて調べました。この"価値ある根付の研究"が重要です。研究が進めば、どれが価値のある根付で、どれが贋作根付なのかが判明します。判明ができれば、根付のセレクション(取捨選択)が可能です。取捨選択の情報力があれば、現代の日本においても根付の”掘り出し”が可能ですね。
(とある骨董業者の方にこのような話を聞いたことがあります。その方は関西方面で数十年前から根付も手広く取り扱いました。1980年代にハワイを中心として海外で根付の価格が高騰した時代には、日本人業者が外国の展示即売会に行っても、外国人ディーラーは絶対に日本人に価格表を見せなかったそうです。日本からは総じて安く仕入れて、とても高い値段で売買していました。日本人には根付の相場の情報がない。さらに、どの作家(懐玉齋、岡友、友忠など)の根付が一番人気があって値段が高い、といった情報がなければ、日本でどのようなことになるかは火を見るより明らかでしょう。)

 研究に基づく情報を持っているということは凄いことですね。日本ではお金で情報を買うことが普通の時代にようやくなりましたが、外国人は昔から情報を大切にしてきました。情報を蓄積してこなかった日本人は、明治以降でも安価に根付を放出してしまいました。大正期の売立て(競売)では、根付はほとんど図録に上らず茶道具がメインでした。つまり、根付は当時、一部の名品を除いて、売立てという流通ルートに乗せる価値のないものとして扱われていました。また、昭和のバブル期では、日本人は海外のつまらない美術品を高額で買い漁りました。大正期及び昭和バブル期であっても、良質な根付はまだ日本にありました。しかし、研究に基づく情報がなく、そして情報に基づく根付に対する価値観が確立されていなければ、日本人が根付を更に放出してしまうのは当然の成り行きとなります。

 情報という意味での具体例を言えば、MCIのカードがあります。マイナーツハーゲンは、根付師毎に題材の分類、用いた材料の傾向、売買金額、販売先、銘の正確な模写を記しました。傾向からはずれる根付は、贋作の疑いがあることがカードから分かることになります。私は、マイナーツハーゲンのカードは、純粋な根付研究というよりも、根付ディーラーとして必要だった真贋判定の基礎資料として記録を残した、と位置づけるのが正しい評価だと考えています。

 外国人の研究というものは、社会科学・自然科学のどの分野でも同じように行われます。客観的データを残し、仮説を立てた後、根拠を持って論証し、結論を導き出します。仮説が真なり、と導けない場合もあります。それでも、失敗を繰り返しながら着実に真実を探求し、知の巨塔を積み上げていくのが彼らの方法です。このようなプロセスを経た研究には説得力があり、強いです。

 イギリスの大学院で修士号を取得した際、指導教官からは徹底的にこの研究姿勢を叩き込まれました。どんなに小さな発見でも良いのです。それが真実であると認められれば、他の研究者が次の階段を上る際のハシゴとなります。外国人は、あたかもラグビーボールをパスするチームプレーのごとく真実を積み上げてきます。これが知の積み上げであって、成果は彼らの出版物(すなわち洋書)により公開されます。

 一方、日本人の研究は刹那的です。日本人は茶道具の箱書を重視するように、権威や評判で物事を判断しがちです。その分野の重鎮が述べているのですから、と安易に受け入れてしまいます。また、過去の伝承を脈絡もなく、主観的につらつらと書き連ねてみます。論点がグルグルと回って、最後は離散します。しかも、時が過ぎ、場所が変わると、何が真実なのか怪しくなります。真実は何なのか。何も残っていません。結論までの論証方法(プロセス)が正しいのかどうか、客観的に根拠を示せているのか、他の専門家からの検証を受け入れているのか、オープンな議論はされているのかどうか、という点では、全然ダメです。



 ここからが、今回のコラムで一番述べたいことです。

 外国人の研究や書物をつかまえて、頭から否定するのは間違いです。"外国人の洋書は害"だと断定するのは、その主張こそ害悪でしょう。輸出ものの贋作を数多く掴まされた外国人、日本文化や日本語を理解できない外国人、商業主義で投機目的として日本人から根付を奪った外国人とけなすのは、一昔前まで外国人を"ガイジンガイジン"と指さして差別した、頑固で独りよがりの日本人そのものでしょう。たまたま日本に住んでいた、たまたま日本語が読めたことにアグラをかいていないだろうか。

 この世の中、考えたことを公表して、広く理解を得た者が勝ちなのです。中身が正しいかどうかは関係なく、本や記事などの媒体を通じて考えを世間に公表した者が他人に影響を与えるのです。であれば、何が間違っているのかを具体的に指摘してあげることが、根付に関して他人にモノを述べる人間としてすべきことではないでしょう。洋書の中身すら読んでもいないのに"日本のことは日本人が言うことが正しい"と狭量を固持するのは、古いムラ社会そのままの姿です。建設的ではありませんし、我々には何の知恵も残りません。150年前にボヤボヤと根付を流出させてしまった日本人から何の進歩もありません。あやまちを繰り返そうとしています。

 良い根付の大部分は、現実に海外に存在します。日本人は洋書を通じてそれらを勉強することができます。根付とは何なのか、何が良い根付なのかを知ろうとするならば、洋書は無視できません。世の中に存在する根付全体の上等・下等、スタイル、範囲、種類が見通せなければ、自分が蒐集しているコレクションの"位置"が分からないのではないでしょうか。平素自慢している根付は、世に存在する根付全体から見れば、ひょっとしたら、狭くつまらないコレクションかもしれません。年代特定も間違っているかもしれません。幕末・明治以降の根付、特に藻スクールを異常に評価する日本人が多いのはなぜでしょうか。日本人はなぜ”印籠根付”ばかり集めているの?と外国人から指摘されるのでしょうか。

 日本人は、優れた根付を美しい写真集で整理してくれた外国人に感謝するべきでしょう。そして日本人は、我々こそが取り組むことができる根付題材や根付師の生い立ち、根付師の技法などの研究に力を入れるべきでしょう。グローバルな世の中では、日本人・外国人、日本語が読める・読めないなどで根付仲間を区別することは無意味であり、それぞれが得意分野を胸を張って担当し、協働しながら、より深い根付研究を行うべきでしょう。

 最後に、ブロックハウスは『NETSUKE』で次のように書いています。

"他の民族の美術を理解したいと望むのであれば、自分自身の目でものを探求するために十分な知的柔軟性が必要であり、また、その民族と同じように考え、感じることができなくてはならない。"(序文)

"日本人が仕事に注いでいた愛情・献身・忍耐、それから、現在では我々が所有している小さな芸術品(根付)に対して奮い立って取り組んだことを知るのは、素晴らしい。"
(第2章)

 ブロックハウスが理解したこのような柔軟な姿勢こそ、今の日本人が必要とするところではないでしょうか。
 また、根付師達の努力に対して、愛情を持ってこのような評価をしてくれた外国人が100年前にいた。これは素直に嬉しいと思います。


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