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第38回 美術雑誌「美庵(Bien)」のインタビューより
平成18年10月30日


 今年、「美庵(Bien)」という美術雑誌(平成18年5-6月号、藝術出版社)に根付の特集「触れろや、遊べや! 根付・驚異のミクロ世界」が組まれ、日本根付研究会の他の3名の諸先輩方とともに、古根付コレクターのひとりとしてコレクション写真とともに紹介されました。

 コレクターへのインタビューは紙面の都合で短く短縮されていますが、参考までに全文を掲載いたします。雑誌では、作家の内田康夫さんや現代根付作家さん達のインタビューが掲載されています。また、諸先輩方の”根付に興味を持ったきっかけ”が書かれていて面白いです。アマゾンなどの書店で注文できると思いますので、ご興味のある方は、是非、雑誌をご覧ください。




1. 根付に興味を持ったきっかけを教えて下さい。


 実は二つの幸運が重なりました。まず、10年前にロンドンの大学院に留学をしていた時、ふらりと立ち寄ったヴィクトリア&アルバート美術館の東芝ギャラリーで初めて根付を見る機会がありました。ネツケなるものを海外で、しかも英単語で初めて知りました。二つめの幸運は、帰国後しばらくしてから仕事の関係で携帯電話とケータイストラップの関係を調べていた時、東京四谷の提物屋さんに偶然お邪魔し、素晴らしい根付を手にとって見る機会があったことです。この両方の出会いがなければ、根付のコレクションを始めるようなことはなかったと思います。

 コレクションを始めた当初は、どのような文献や図録を参考としたらよいか分からず暗中模索が続きました。インターネットを検索してもたいした情報はありませんでした。今でこそ根付に関して300冊以上の本を所有していますが、当時はとっかかりの入門書ですら何を選んだらよいのか分からない状態でした。試行錯誤で少しずつ根付を買い集めていくにつれ、知識が増え、日本人にはほとんど知られていない根付の魅力に次第に取り憑かれていきました。根付の一番の魅力は多種多様な題材やキャラクタがあることで、見飽きることがありません。ドイツ人のカール・M・シュヴァルツ氏の分類によると、根付には350種類以上の題材があるそうです。



2. ご自身がコレクションする際の基準は何ですか?(たとえば、作家、モティーフなど)また、その理由を教えて下さい。

 18世紀の京都に廣葉軒吉長(こうようけん・よしなが)という根付師がいました。彼とその一派による根付が好きなので集めています。1781年に書かれた『装劍奇賞』(そうけんきしょう)という本の中で吉長は紹介されているのですが、それ以外には彼のことは全く分かっていません。鍾馗や猿回し、仙人、布袋といった人物根付を象牙で彫刻することを得意としていました。通常、根付師は十八番となるデザインを見つけると同じパターンを繰り返し製作することが多いのですが、彼の場合、取り上げた題材の種類は少ないものの、デザインは全て異なりユニークです。これまでのところ約60体の吉長による作品を写真で確認していますが、同一のデザインは皆無であり、想像力に富んだ根付師であったことが分かります。

 それから、吉長以外では同じ京都の岡友(おかとも)の一派による抜群のプロポーションの動物根付も好きですし、幕末・明治の東京の竹陽齋友親(ちくようさい・ともちか)の小ぶりながらも上品な人物根付も好きです。荒削りでパワフルな18世紀の根付にも大きな魅力を感じます。コレクションは象牙のものが多いです。木刻も好きですが、細密彫刻ができるメリットや材料の質感の点では象牙の方に軍配が上がります。

 根付を選ぶ際の基準としては、「良いデザイン」と「細密彫刻技術」、「機能美」の三つがバランス良く揃った根付であること。そして、なるべく綺麗な作品を選ぶように心がけています。根付は装身具ですから、機能的であって、美しいものが好まれたはずです。駒田柳之先生の根付教室に通って勉強した時に初めて知ったのですが、根付師は我々の想像以上に作品の磨きや仕上げに時間を費やしています。デザインを考えつくして手間暇をかけた作品は、江戸時代でも高価だったと思います。また、コレクションの基準として「飽きのこないもの」を選ぶことが最も重要だと思います。一ヶ月や一年で飽きてしまうようなものはダメだと思います。私は市民オーケストラでバイオリンを弾くのですが、バッハやモーツァルトの古典曲が現代でも演奏されているように、古根付には時代を経ても飽きられずに生き残ってこれた、なにか力強い普遍的な美が備わっているように思います。



3. コレクション、研究などを行なう際、心がけていることを教えて下さい。


 コレクションに際しては、他人の意見に惑わされずに自分の好みを発見し、それに集中するように心がけています。そのため、過去の図録をたくさん見たり、先輩方のコレクションを拝見して勉強するようにしています。コレクションの道しるべとしては、国内外の図録の研究が欠かせません。世の中に存在する根付作品の全体が見通せなければ、自分のコレクションのレベルは把握できないと思います。

 コレクションの数については、限られた予算内で集めていますので、総数を一定に抑えつつ常にコレクションの質を高める方向で入れ替えるようにしています。スイスの有名コレクターに大富豪アルフレッド・バウアー(1865-1951)という方がいましたが、彼の蒐集のポリシーは”大量の二流の根付コレクションよりも、少数ながらも一流のコレクション”なのだそうです。数に走らず、限定した個数の中でコレクションの質を高めていく。その工夫を考えることが蒐集の醍醐味のひとつだと思います。そのためには研究が必要ですし、仲間との情報交換も欠かせません。海外との接点を持つことも大切です。

 それから、根付は骨董や美術品と同じ範疇ですから、当然、真贋上の注意を常に考えています。材質のニセや嘘の彫銘が数多くあります。レジンという物質を固めて象牙に見せかけたり、木刻に見せかけたプレスチックの根付が数多く売られています。それらの多くは中国で大量生産されているようです。最近では写真をコンピューターに取り込んでコピー品を生産する技術があるようなので、有名カタログに掲載されているからといって安易に購入すると痛い目に遭います。明治以降の海外流出のため良い根付が日本にあまり残っていないことが原因でしょうか。日本には古根付に目が利く骨董業者がわずかしかいません。信頼できる業者を早く見つけることが大切です。



4. 現在、根付に関連して興味のあること、研究していることがありましたら教えて下さい。(たとえば、特定の作家、作家の経歴、モティーフ、銘など)また、その理由を教えて下さい。

 私が根付を知ったきっかけでもありますが、ケータイストラップに付いているキャラクター人形は、江戸時代の根付に起源があると考えています。ぶらさげる相手が印籠から携帯電話に変わったのですね。ケータイストラップは、日本が流行の発信源となって台湾や香港に伝搬していきました。

 キャラクター化とは、対象の特徴をシンプルに抽出して意匠化することですが、日本人は古来から人物・動物・植物のキャラクター化が得意でした。鳥羽僧正の『鳥獣戯画』 や葛飾北斎の『北斎漫画』が良い例です。現代では日本のアニメ、テレビゲーム、フィギュア人形、漫画が世界の最先端を行っています。また同時に、日本人は手先が器用で、モノのミニチュア化も得意でした。例えば、盆栽や箱庭、漆工、俳句、刀装具などです。キャラクター化とミニチュア化の能力に秀でた国民だったからこそ、根付やケータイストラップは必然的に発生したのだと思います。このあたりについて研究を進めて、うまく説明できたら面白いと思います。



5. 特に魅力を感じる作家がいましたら教えて下さい。


 最近、若手の現代根付作家の方が活躍していらっしゃるので、作品を興味深く見ています。注目している女性作家さんもいます。ただ、一方で、現代根付のあり方については少し違和感を感じています。あまりにも実用性を無視した凸凹の形や、すぐに壊れそうなミニチュア彫刻が氾濫しています。残念ながら、古根付が与えてくれるような気迫や凄みを感じることは少ないです。根付は、腰からぶら下げて他人に見せびらかす江戸時代のキャラクタグッズでした。ですから、少し離れて眺めても題意が容易に理解できるようなデザインの工夫がなければなりません。テクニックに走ってゴチャゴチャしている根付はちょっと違うと思います。江戸時代からのキャラクター文化の文脈で根付を捉えることができれば、面白い作品がたくさん出てくると思います。



6、ご自身のお立場などから、根付の世界、根付そのものなどに対して思うところを、ご自由にお書き下さい。


 これまでは外国人が根付を高く評価してきましたが、日本人はもともと根付が大好きだと思います。最近、若い人を中心に日本人のコレクターが増えてきています。ケータイストラップやフィギュア人形を楽しむのはいいけれど、文化的・歴史的に貴重な日本美術の本物の世界が奥に広がっていることをもっと多くの日本人に知って欲しいと思います。

 それから、根付コレクターに言えることは、各人がコレクションを楽しむことは良いことなのですが、それだけではダメだと思います。幕末・明治期、根付は捨てられるように海外に流出しました。17世紀や18世紀の根付も海外に流出したということは、冷静に考えれば、古い根付を評価して、それまで大切に保存していた日本人が一部に居たわけです。しかし、日本人全体としては、根付を国民的財産だと考えるまでのエネルギーがその頃にはありませんでした。そのような過ちを繰り返さぬよう、展示会などを通じて多くの人と感動を共有する作業が必要だと思います。


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