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第40回 私にとっての根付の魅力
平成19年1月19日




私が見た最初の根付


 私が最初に根付の“雷”に打たれた場所は、約10年前、ロンドンのV&A美術館(ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館)の1階にある東芝ギャラリーでした。(※1)

 V&Aは、工芸美術や装飾美術の分野では世界最高峰の美術館として有名です。私はこのギャラリーで初めて根付を見ました。照明を落とした暗めのギャラリーでは、数百個の根付が縦横型の透明なショーケースに展示されていました。

 いろいろな根付がありましたが、最も心が動かされたのは、京都スクール・蘭亭(らんてい)の弟子である蘭明のやせ衰えた犬でした。

 犬の彫刻はコロコロと肥えたものが普通ですが、この蘭明は、背骨や肋骨が奇妙にゴツゴツと浮き出た、やせ細った犬でした。現代や大正・昭和期のアーティストでも描けないであろう、グロテスクに痩せた犬がコンパクトに横たわる構図。京都スクールの象牙根付の特徴である、鼻先や眉、関節部分を意図的にナレさせた仕上げ。それまで見たことのない、新しい表現に感動を覚えました。正直に言えば、”欲しい”と思いました。今でもそう思っています。




蘭明(らんめい)
“葉の上に横たわるやせ衰えた犬”
19世紀 京都

(英語名:Emaciated dog on a pile of leaves)
(写真は“AN INTRODUCTION TO NETSUKE”
(Earle, Joe V&A /Compton /Pitman House(1980))より引用)



 江戸時代の当時、痩せ犬が人気の図柄だったのでしょうか。何か題材上の特別な意味があったでのしょうか。なぜ、根付師はこのような作品を残したのでしょうか。不思議です。さまざまな想像が頭を巡ります。

 東芝ギャラリーを素通りするのはもったいない、ととっさに気がつきましたので、展示されている根付のひとつひとつを、時間をかけて目に焼き付けるように観察しました。根付には多様な意匠があることを発見したのは、この時のことです。いや、“多様な”と表現する以前に、そもそも展示してある作品は、全てが異なるデザインなのです。驚きました。

 この蘭明の作品には、刀装具や蒔絵などの、比較的お上品な部類に入る工芸分野では見あたらない、毒々しい表現があります。

 武家が使用する刀装具や印籠は、表現において最後の一線を踏み越えることはありません。また、狩野派の絵師は、形式主義にとらわれ、浮世絵師のように町中の庶民の暮らしの風景を描くことができなかったと言われます。でも、蘭明には、自由がありました。根付にはエロティックな春画も、奇想天外な構図もあります。生首や髑髏、ムカデといった図柄が出てきます。からくりもあります。根付とは、大きさや紐通しなど必要最小限の規格はあるものの、創意工夫に基づく、自由な表現分野なのだと知りました。



構図のミニチュア化に感動


 ふつうの人ならば、最初に根付を見たならば、その細密彫刻に感動するのかもしれません。しかし、私の場合は東芝ギャラリーで細密彫刻に感動した記憶はありません。

 もちろん、細密彫刻も根付の魅力の一つです。例えば、写真の卒塔婆小町。この細密ぶりは驚異的です。このリアルな造形の大きさは、大きさ(高さ)がたったの3.5cmだと知れば、細密彫刻の凄さが分かるのではないかと思います。目には小さな象嵌が入っていて、傘や杖、足首の部分、右肩の部分の彫刻は器用に透かしてあるのです。信じられません。



竹甫(ちくほ) 卒塔婆小町(そとばこまち)

米国のボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston)の旧蔵品(蔵品番号:47.579)
(Lazarnick"Netsuke & Inro Artists and How to Read Their Signatures"掲載)


高さがたった3.5cmの彫刻
複雑な透かしの構造




 しかし、細密技法は、特段、日本の専売特許ではなく、例えば細密画やカメオ彫刻、精密時計など外国にもあります。東芝ギャラリーでは、細密彫刻に感動するというよりも、むしろ、

   “これだけ小さな体積に大きな構図を上手に納めたなぁ”

という驚きが強かったです。形は凸凹としていなくて、どれも一定の大きさの範囲に収まっていました。東芝ギャラリーでは、彫刻技術よりもそのミニチュア性に感動しました。ミニチュア化こそ根付の大きな魅力だと思います。
(実益的なことをいえば、コレクションに場所を取らないというのは、日本の住宅事情を鑑みれば素晴らしいことです。うっかりと壺や絵画などのコレクションに走らなくてよかったと思うときがあります。)

 余談ですが、日本人が元来得意なのは”細密技法”というよりも、”ミニチュア化”なのだと思います。盆栽や箱庭、漆工、俳句、刀装具は、もともとは大きな世界があるものを、キャラクタ化によってその特徴を生かしつつ、小さなミニチュアに縮めて表現するものです。そういえば、布団圧縮袋も日本人の発明でしょうか。蒐集家や現代根付師は、根付の魅力を細密技法にのみにとらわれると、ひょっとしたら損をしているかもしれません。

 根気よく頑張った細密彫刻は、驚きです。でも、根付は数メートル離れたところから他人に見せびらかすための装身具ですので、必ずしも不可欠な要素ではないと思います。それよりも、動きのある大きな構図をコンパクトに収めることができた作品こそが素晴らしいのであって、細密彫刻技術はそのための手段に過ぎないと思います。



装身具として綺麗なものが良い根付


 東芝ギャラリーで更に発見したことは、装身具としての根付の“色感と質感”の素晴らしさでした。

 根付には落ち着いた色感があります。原色系の派手な色でも興奮色でもありません。象牙や木の素材の質感を活かした仕上げ、自然な染め色、キビキビとはめ込まれた象眼に感動しました。

 V&Aには、装飾美術を中心とした素晴らしい収蔵があります。第一級の陶磁器、衣装類、ガラス細工、宝石、金属細工、織物といった装飾品に囲まれながら、根付が展示されています。まわりの展示品を見れば、いつの時代であっても、また、どの国や地域であっても、綺麗なもの・美しいものが優れた装飾品(装身具)なのだと教えてくれます。身につけて飾り立てるものなのですから、当たり前ですね。

 そのため、以降、私の根付のコレクションに際しては、より綺麗なもの、より美しいものを優先的に選ぶようになりました。良い材料を探し求め、手間暇をかけて仕上げをしなければ、綺麗な作品は生まれません。お金がかかります。綺麗な着物や帯、印籠、袋物と一緒に用いられる根付。染めムラのあるチープなものを取り合わせることはできません。


 私のコレクション初期の根付がここにあります。

 大阪の根付師・光次の唐子根付です。光次は、大原光廣(おおはらみつひろ)の一門です。明治初期頃に活躍していました。仕上げの綺麗さは師匠の光廣譲りなのでしょうか。2.8cmの小ぶりな作品ですが、その象牙の綺麗な質感は宝石のようです。光廣一門には他に光定(みつさだ)もいますが、彼ら全員は、象牙根付の仕上げの美しさに関しては、根付師の中でもトップクラスなのではないかと思います。これは、光廣が若い頃に象牙卸商に住み込みをしていて、象牙の善し悪しが十分に分かっていたことと関係があると思います。



光次(みつつぐ) 面を掲げる唐子 
19世紀後半 大阪



 この「質感」を指や手のひらで直に触って感じることができるのも、根付の魅力の一つです。

 根付の場合は、象牙や木、角、焼き物が材質ですから、手のひらで触り、その質感を楽しむことができます。一方、印籠の蒔絵は、漆や金粉・銀粉といった素材を付着させて加工する工芸ですが、手のひらでベタベタと触ることはできません。また、刀装具は手で触っても冷たいです。

 
以上のように考えると、根付は、日本料理のように、素材の色感や質感の持ち味を生かした美術分野なのだと分かります。ソースで料理を食べさせるようなことはしません。素材の持ち味を生かす工芸なのだとしたら、ブラスチックは根付の材料になり得ないことになります。また、現代根付において、高価な象牙材や木材を用いているのにベタベタと着色してしまうのは、余計なものではないかと思えます。



根付の上に根付なし


 どのような装身具にも流行があります。時代によって、はやりと廃れがあります。時代にマッチした装身具は、人気が出てブームとなりますが、スタイルや考え方に合わないものは捨てられます。装身具としての根付も同じです。江戸時代には、根付のほか、印籠、袋物、刀装具、帯留め、髪飾りといった装身具がありましたが、これらも同じだったと思います。

 ある時代では行列ができるほどに人気があった根付師が、後世ではそれほどでない場合があります。また、存命中は評価されなかった根付が、後世になって大ブレークする場合もあります。

 18世紀の根付は、明治時代には捨てられるように海外流出しましたが、現代では非常な人気があります。また、明治時代の根付は、名工たちがまだ身近にいて評価が高かった大正期・昭和期の売立てでは、人気があり高額落札だったかもしれません。しかし現代ではどうでしょう。現代根付は、数十年後には評価が上がっているかもしれませんし、ひょっとしたら廃れているかもしれません。色感と質感が抜群の中村雅俊の作品が、数十年後には根付師のなかで最高の評価になってもおかしくはありません。(※2)


また、使用者が異なれば、求められた根付の種類は異なりました。

 武家が印籠を提げたときは、腰飾りとしての印籠の蒔絵よりも自己主張しない、抑制された図柄の根付が喜ばれたでしょう。現代人の感覚で言えばあまりインパクトや魅力は感じませんが、武家にちなむ故事の図柄が好まれたことでしょう。軽い印籠を提げる場合は、小ぶりで上品な根付で十分でした。材質は、象牙が一部用いられていましたが、木刻が中心でした。(※3)

 他方、印籠を使用しない豪商や町人達は、屋外ではきんちゃくや胴乱(どうらん)、一つ提げの煙管入れ、とんこつを提げていました。印籠の蒔絵に遠慮する必要がないので、霊獣や仙人など見る人を圧倒するような図柄が好まれたことでしょう。人によっては自分の干支を選んだり、渋好みのデザインを提げていたかもしれません。また、根付に求められたのは、提げ物の重量に耐える大きさや重量でした。大きなものを提げる場合は、使用する紐も太くなるため、比例して紐通し穴も大きくなりました。材質は自由です。人によっては、鷹の爪や狼の牙を根付に使用する人もいたことでしょう。


 以上のように、時代(江戸時代、明治時代、現代)が変われば、求められる根付は異なります。また、根付の使用者(武家、豪商、町人)によっても異なります。時代や使用者によって評価は変わるのですから、一体どれが素晴らしい根付であるかについて絶対的な優劣の基準はなく、贋作を除けば、正解・不正解もありません。(※4)

 根付が好きな人は、それぞれの着眼点で根付に魅力を見いだしています。なので、他の蒐集家に対して自分の好みや考え方を押しつけることは、あってはならないと思います。武家が求める根付と豪商が求める根付。どちらが格上でどちらが格下か、などという議論は野暮です。軍事マニアが軍服を着て独り悦に入っている分には問題ないですが、他人に軍服を着せようとはしないで欲しいと思います。



ザ・根付占い!!


 根付は、自分のスタイルを演出する装身具でした。ファッションとして個の主張のために使用されました。根付の好みは人それぞれです。ということは、逆に、コレクションされた根付を見れば、その人の性格が分かるのではないか、と密かに思っています。根付は蒐集家たちを映す「鏡」であって、それが魅力の一つだと思います。 

 次はその根付占いの一例ですが、はたしていかがでしょうか。以前に大流行した動物占いと同じで、コレクションを見て人物評が陰でされているかもしれませんね。    (※5)(※6)


    可愛い根付ばかりを集められておられる方 → 茶目っ気のある方が多い。いつも愉快に根付に接しています。

全方位外交のように脈絡なく、根付を片っ端からなんでも集める人 → 集めること自体に興味を持つ子供のような性格で、枠にとらわれません。数は力だ、と思っています。我慢をすることが苦手かも。

自分の好みに基づいて特定の根付師ばかりを集める人 → 蘊蓄やこだわりのある人。学者肌。孤独は苦になりません。

ある特定の材質の根付を集められる人 → 探求心がおう盛な人。探求心を満足させるためには、手段を選びません。根付作品を削ってみることさえしてしまいます。

魔除けや長寿の味を込めた根付を特に集める人 → 信心深く、健康長寿を特に期待する人。

大伽藍のような立派なコレクションを完成させている人 → 物事に対して、計画的に長期的に取り組むことができます。客観的な視点を持っていますが、熱い情熱も奥底に秘めています。

渋好みの根付を集める人 → 性格も渋く、魅力的です。他人を苦しめるダジャレが大好きかも。

一時代前の名声や他人の評価に基づいてコレクションする人 → 権威主義的でスノッブ。他人が自分をどう思うか、ということを常に気にしています。客観的な冷静な議論が苦手です。

欠けや慣れが激しい古根付であっても喜びを持って蒐集できる人 → 懐の深い寛容な人。他人の苦しみや悩みをまるで自分のことのように理解してあげることができます。

なぜか贋作ばかりが手元に集まる人 → 頑なな人。
(※7)




現代では手に入らない”何か”


 根付の魅力は、まだあります。

 現代の造形物では絶対に手に入らない”何か”が、古根付にはあります。表現がなかなか難しいのですが、現代人から見れば江戸時代の作品には“異国情緒”があります。昔の根付には、なんとも言えない魅惑的な雰囲気が漂っています。

 東芝ギャラリーの蘭明の犬がそうですし、写真の岡友の犬もそうです。現代の犬のデザインでは、このような造型表現はお目にかかれません。この岡友の犬の表情は、特に強烈です。現代のものでも明治時代のものでもない江戸時代の古風な薫りが、異様にプンプンしています。この薫りを感受性よく嗅ぎ取ることができれば、江戸時代の本歌であるか明治の写しであるかの見分けがつくのではないでしょうか。

 幕末・明治時代に外国人が浮世絵や根付を大量に購入したのは、外国人が日本に対して異国情緒の魅力を感じたからでしょう。そして、同じ日本人であっても、現代人が200〜300年前の作品を見れば、やはり、当時の外国人と同じように「異国情緒」を感じることができるのだと思います。私は、昔の日本人ってなんて面白いのだろう、と思います。当時の外国人もきっと同じように感じていたに違いありません。



岡友 鞠を抱える犬
18世紀 京都

後ろ姿のS字のラインがため息が出るほどうつくしい。
象牙以外の材料では実現できない仕上げ。




 次に、これは数年前、私がある根付を処分したときのお話です。

 オークションで処分したのは、布袋様とそれに寄り添う子供の図柄の根付でした。18世紀以前の非常に古い作品で、顔の部分はナレで剥げていました。布袋様と子供の口元と目尻がかろうじて残っていました。価格的には2〜3万円程度のものです。高額の根付ではありません。大部分のコレクターからは見向きもされないような根付です。ただ、時代を経て生き残ってきた証としての古びがあり、お顔の表情は穏やかそのものでした。

 オークションの落札者は、病院にお勤めの女性のかたでした。年齢は存じ上げませんが、やりとりの様子からすると30〜40代くらいだと思います。根付を受け取ったその方は喜ばれ、

  “この根付は癒しを与えてくれる。私の守り神だ。”

とおっしゃっていました。医療関係者ということもあり、日々の苦労や悩みに関して、なにか救いを根付に求めているようでした。根付に対して、こころの面で”何か”を求めている人がいることを知ることができた体験でした。

 骨董蒐集家のなかには、古い土器や仏像の残欠を蒐集する方がいます。完全品でなくとも、在りし日の全体の姿を想像しながら、慈しみ、大切にする人達がいます。現代のせわしい物質文明では手に入らない「何か」を求めているのだと思います。

 現代よりも明治の根付、明治よりも幕末の根付、幕末の根付よりも18世紀の根付、と時代を遡るにつれて、感じる魅力は増すように思えます。例えば、この無銘の神農の根付ですが、煙突形の紐通し穴の太さから察して古い時代のものですが、神々しい何かを感じさせてくれます。深夜にこの根付を眺めていると、心の安らぎを感じることがあります。江戸時代の所有者も同じことを感じていたのではないでしょうか。




無銘 神農(しんのう)



 根付には多種多様な題材があります。ドイツ人のカール・M・シュヴァルツ氏の分類によると、350種類以上あるそうです。しかも、同じ題材であっても、根付師によっては別々の表現方法があります。世界の他の工芸分野において、題材や造型の種類が数百〜数千という単位で展開されているものが、いったい他にあるでしょうか?

 ということで、「根付は手のひらのなかの小宇宙だ」とは上手に表現したものだと思います。人間が精神的な何かを必要としたとき、ぴったりの題材やぴったりの表現の根付が必ずや見つかり、こころを満たしてくれるに違いありません。自分に合うファッションを見つけるときのワクワク感と同じですね。


 以上をまとめると、型にはまらず自由であること、装身具として綺麗で美しいこと、モノ・カネ以外の「美的なもの」であること、世界で最も多彩なキャラクタ工芸分野であること、そして、人間のこころに潤いを与えてくれて、そこに精神的な価値を見いだすことができること。これらこそ、根付の素晴らしい魅力だと思います。







(おわり)




※1
  余談ですが、弊サイト「根付のききて」にコレクションのギャラリーを開設しているのは、東芝ギャラリーの影響です。もし、ロンドン滞在中に東芝ギャラリーに行かなかったら、私はこんなに面白い根付というものを一生知らずにいたことでしょう。

 コレクションを他人に公開すると“目垢がつく”と言って嫌う人が多くいます。私の場合は、たとえ目垢がついても良いので、私の東芝ギャラリーでのような体験を多くの人にもしていただきたい。そして、もし、本格的に根付のことを知ろうと考えた場合には、わずかながらでもお役に立てるよう、参考文献や贋作注意情報などの最低限の道しるべとなるもの公開しておきたい、という考えです。

※2
  例えば、明治時代に来日した英国人は、三輪(みわ)の根付が大人気であるとして、神戸の骨董商に探し回らせました。(「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記」、荒俣宏(翻訳・解説)、小学館、1993年) しかし現代では三輪は大人気というものではなく、中堅の根付師です。また、一昔前には名古屋派の根付を精力的に集めるコレクターがおり、値段が高騰した時期もありました。しかし、現在はそれほどでもありません。

 大正から昭和初期の東京美術倶楽部等の売立てで出品された「根付」と現代のサザビーズやクリスティーズのオークションで出品される「根付」。人気アイテムは時代によって異なるものであって、時代が100年も異なるそれぞれの落札結果は、コレクターの視線方向がたえず動いていることを示しています。根付の人気は常に変化しています。

※3
 平戸藩主の松浦静山は、「甲子夜話」(かっしやわ)において象牙根付と印籠との組み合わせの蒐集を回想していますので、象牙の根付と印籠との組み合わせは、否定されるものでありません。また、『装劍奇賞』の柳左(りゅうさ)の紹介として、“挽物クワラ根附の上手、蒔絵印籠に墜して蒔絵あたりても、きずつかず甚よし”と書かれていますので、象牙根付が印籠と使用されていて、その難を克服するために柳左根付が考案されたことが書かれています。象牙根付は印籠にもちゃんと用いられていました。


※4
 時代のキセルや喫煙具の変遷をたどってみると面白いです。16世紀末にたばこが日本に伝えられた後、17世紀の初頭には、江戸時代最初の禁煙令が出されるほど喫煙が大流行。同時にキセルを持つことが大流行し、「喧嘩キセル」と呼ばれる鉄製のお椀のような雁首の大きなキセルを持って、京都の街々を闊歩する面々。大きくて派手な造りのキセルを持ちながら、女性を連れての花見や野遊びに興じる男。花柳界の流行として1mの朱塗りのキセル。こういったことが17世紀の浮世絵や屏風絵などに描かれています。煙管筒を帯に差して持ち歩く人物も描かれています。このような装身具の形態や流行を踏まえれば、大ぶりの差し根付についても、十分に存在したことが分かります。

※5
  一方、根付師はどうでしょうか。

 京都・吉長は、その陽気な人物根付から察すると、お茶目な性格で、人間そのものを愛した根付師だったのではないかと思います。谷齋の根付にも、ひょうきんな猿の帯はさみや口をポカンと開けた蛸など遊び心がいっぱいの作品が残されていますが、彼は子供が大好きで、お金を持っているときは全部を近所の子供に駄菓子を買ってあげていたようです。

 蛙の黄楊根付で有名な鈴木正直(初代)は、一分の隙がなく、大胆な太い線で、写実的で真剣な作品が多いですが、その性格は、やはり気が短くて怖い性格だったようです。緻密で手を抜かない作品のみを残している大原光廣や懐玉齋は、性格も緻密で妥協のないものだったのではないかと思えます。

※6
 最初に「動物占い」を考案して世の中のブームの火付け役となったのは、実は大学の研究室の私の後輩でした。そこそこ儲かったようです。

※7
 いずれも実在の特定の人をイメージしたものではありません。念のため。



【参考文献】
大江戸趣味風流名物くらべ(吉村武夫、昭和51年1月、西田書店)
日本根付研究会25周年記念出版「根付の雫」(日本根付研究会、2000年12月)
「浮世絵と喫煙具 選」(昭和53年11月、(財)専売弘済会文化事業部)

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