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第43回 特別座談会 〜現代根付の魅力と今後〜
平成19年5月6日



現代根付師の齋藤昌寛さんがこのたび個展をギャラリー花影抄(根津の根付屋)で開催されます。(5/18(金)〜5/27(日)) 

個展を前にして、現代根付師と根付愛好家らを交えて『現代根付の魅力と今後』と題して座談会を行い、盛会のうちに終わりました。



 対談者 齋藤昌寛氏(現代根付師、五代目) 

嶌谷洋一氏(古根付愛好家、日本根付研究会幹事)

橋本達士氏(ギャラリー花影抄、根津の根付屋)
齋藤美州氏(同、四代目、昌寛氏の父)

吉岡宏氏(根付愛好家)

山口真吾(司会)(根付のききて

               (以下敬称略)




【初個展の紹介と意気込み】

山口(司会)

まずはじめに、今回の個展のご紹介と意気込みを聞かせてください。

昌寛(まさひろ)

今回、花影抄で初めての個展を開かせていただきます。今まではデパート向けに年に2,3回出品していました。今回の個展ではチャレンジしている部分もあるので、皆さんに楽しんでいただきたいと思います。


齋藤昌寛氏

山口(司会)

今回は何点くらいを出品される予定なんですか?

昌寛

15点から20点くらいを出品する予定です。どの作品を展示するかを花影抄と調整しているところです。

【編集注:ページの最後に昌寛氏の作品を掲載しています】

山口(司会)

一つの作品を作るのにどれくらいの時間がかかるのですか?

昌寛

一ヶ月間くらいかかります。長いと二ヶ月かかりますね。でも、同時に一つだけではなく、他の作品も並行して作ります。

橋本(はしもと)

他の作家さんと比べると、昌寛さんは作品が仕上がるのが早いほうだと思います。


橋本達士氏

昌寛

1個の作品だけを一球入魂で連続して取り組むと、煮詰まってしまってボロボロになってしまうんです。考えすぎて失敗してしまうことがある。同時並行で2,3個、多いときには5個くらいを取り組みます。そうやって少し作品から遠ざかると、違う考えも浮かんでくるし、作品の悪い部分が見えてきます。

嶌谷(しまたに)

全く違ったデザインの作品を同時並行で作られるのですか?


嶌谷洋一氏

昌寛

猪だけを同時並行で3個も作ると、同じものができてしまいます(笑)。猪と蛇とか、違うものを取り組みます。

山口(司会)

独創的なデザインは、どの段階で頭に浮かぶのですか?

昌寛

彫刻をやり始めたときは、荒彫りの段階でデザインを頭に描いていました。しかし師匠(美州)からは、“まず最初に自分の理想を頭に描いてから始めるように!”と叱られています。そうしないと良いものができない。私のブログにも書いていますが、荒彫りの工程は材料を削るだけで、増えない。いい気になって削りすぎてしまうとやり直しができないので、昔は怖かった。怖くなくなったのはつい最近のことで、ガーっと自分の思いどおりに削れるようになりました。

山口(司会)

今回の初個展に向けて、師匠として何か五代目にアドバイスはされたのですか?それから、師匠からご覧になって、五代目の作品の特徴について一言お願いします。

美州(びしゅう)

いや、アドバイスは何もしていません。五代目が30歳を過ぎてからは、特に何もアドバイスしていない。それまでは、頭をひっぱたいて教えたけれども(笑)。今では単に“これはいいな。面白い。”とか“これはつまらない。”といった程度を言うだけ。今は自分で考えさせている。これから先は、言葉で言ってもしょうがないので、体で覚えてもらうしかない。自分でどのように探し得るか、ということ。これが今後、作家として伸びるか伸びないかの差になってくる。

自分は若い頃に粘土デッサンを勉強したけれど、五代目には勉強させなかった。西洋デッサンは写実的で、自分を殺して写真のように作るもの。学校での変な知識がいかに自分に邪魔しているかということを私は実感している。日本の和のデッサンは、一度自分の目を通じて、感性を反映させること。五代目の特徴を挙げると、そういう和のデッサンで作品を作っているところです。

一方、五代目の最大の欠点は、古根付をあまりたくさん見る機会がない。そのため、“これが我が師だ!”となるような古典作家をまだ見つけられていない。見つかったらそれが師匠になる。作品をコピーするという意味ではなく、全体の雰囲気や、デッサン、造形、テクニックを学ぶもの。


齋藤美州氏

山口(司会)

美州さんは師となるような古根付作家はいらっしゃるのですか?

美州

小学生の頃、東京国立博物館の図録(根付ハンドブック)をよく読んでいて、それを熟知していた。古根付はその頃から大好きだった。

山口(司会)

嶌谷さん、日本根付研究会で古根付の蒐集家と現代作家さんを結びつける企画が最近ありましたが、今後も同様の企画はありますか?

嶌谷

今後もどんどんやったらいいと思います。若い作家さんが研究会に入ってきているし、作り手、研究家、蒐集家といったような色々な人が研究会にいる。若い作家さんと蒐集家を結びつける企画は今後も考えていきたいと思います。

美州

研究会には、現代作家の面倒を良く見てくださる女性の方がいらっしゃる。研究会の場だけでなく、その後自由に会合を持って交流することもできます。“作家”としてというよりも、“一愛好家”として仲間にとけ込んで、参加していければいいんじゃないかと思う。作家として作品を売り込むような立場ではなく、一愛好家として参加できれば、研究会の場が非常に生きてくるのじゃないか。



【最近の根付に関する動向を振り返って】

山口(司会)

さて、次にこの1年間を振り返って、最近の根付の動向をどうご覧になっていますか?特にテレビや雑誌への露出が増えているような気がしますが。。。

嶌谷

昨年はNHKの「美の壺」が放映されたけれど、根付は元来は提げ物の付属品。根付は侍が提げた印籠や庶民が使った巾着や蔵の鍵を提げるのにも使われたと種々の使われ方を紹介して欲しかった。最近は着物ブームだが、実際に根付を腰に付けている人は見かけない。根付は使えば、両手が使えて便利なところもあるんだけどね。

 


橋本

着物がらみのところから根付のブームが来るのではないかと思っています。

嶌谷

ミニチュア彫刻として飾る楽しみ方もあるけれども、実用できる部分があることを忘れないようにして欲しいな。“根付って使えるんでしたっけ?知らなかったよ〜”って驚く人がいるかもしれない。根付は和服をわざわざ着る必要はない。ジーンズのベルトに付けて楽しむこともできる。

実用されることが分かれば、作り手も実用を前提に考えるようになる。実際に使うような人が出てくると、角が出っ張っていると欠けてしまうことも出てくる。壊れてしまって“「修理してくれ」って持ち込まれたら面倒くせ〜なぁ〜”と考えるようになれば、作り手も工夫するようになるでしょう(笑)

古い根付って、今は出っ張りの少ない丸々としている根付が多く残っているけど、実際は出っ張りのある根付もたくさんあって、使用中に壊れてしまって現在はあまり残っていないんじゃないかと思うことがある。




橋本

花影抄で根付を取り扱うようになってまだ1〜2年なので、もっと長い目で見た根付の露出度の変化は、正直分かりません。

嶌谷

テレビや雑誌への露出が最近多いことは確かですよ。メディアへ出る回数は増えている。

美州

小説に小道具として根付が出てくることは前からあった。根付が最初に大々的にメディアに出たのは、30年くらい前に中村雅俊先生がミキモトで個展を開いた時のこと。「最後の根付師」と題してブッシェルと一緒に読売新聞に出たのが一番古い。

後日談として、「最後の根付師」と銘打ったおかげで、“他にも根付師はいるじゃないか!”とあっちこっちから反発があって、結局は“機械を使わない最後の根付師”ってことで当時落ち着いた(笑)


橋本

伊藤若冲展など日本美術全体について最近急に企画展が増えていて、ブームであることは確かだと思う。

嶌谷

落語家の文楽さんの煙草入れコレクションがたばこと塩の博物館にあるが、春夏秋冬の季節によって全部使い分けていた。根付なんかも、当時はそのように使い分けていたのではないかと思う。

美州

季節ごとに使い分けられるなんて、お金持ちですねぇ(笑)。

吉岡(よしおか)

実際に根付を身につける立場からすると、できることなら使い分けて使用したい。服の柄やアクセサリは使い分けられている。根付でできないことはないと思います。


吉岡宏氏


嶌谷

たとえば、夏には提げ物は網代編みで、根付も夏向きの物を使っていたんじゃないかと思う。

吉岡

今朝(5月1日)のテレビで日本で一番早い鮎の解禁日のニュースを見ました。ということで、今日は「鮎」をモチーフにしたペンダントを身につけてきました。

全員

すごい!(笑)

 
吉岡氏の鮎のペンダント


橋本

根付の露出が増えてくるようになって、根付をコレクションの対象から、おしゃれに使いたい人が増えていると思う。テレビや雑誌にチョコチョコ出てくるようになって、美術展で根付を積極的に見るのではなく、たまたまチャンネルを合わせていた人が根付を知ることが多くなっている。

嶌谷

夏なんか特にいい季節だね。上着を着ないし、ポケットがないので、ちょっとしたものは根付と提物に入れて身につける。ジーンズから提げるといいかもしれないね。

吉岡

街を歩いているとベルト通しにモノを提げている人を見かける。東急ハンズに根付のファッションを提案するのがいいかもしれない。

橋本

ハンズに売り込むには条件のハードルが高いんだよね(笑)。ハンズに並べば一発で根付が広まるでしょう。「助六」という雑誌を読むと、着物を着る立場の人からの根付の提案があってドキっとする。簡単なタイプの根付は、どんどん提案されて商品化されている。大手のブランドがドバッと根付を取り扱うようになると、根付が定着するようになるのでは。

嶌谷

僕が提げ物と根付を使うなら、チープなものではなく良い物を身につけたい。御神輿を担ぐような人は、みんなに根付を見せびらかして欲しい。ブランド志向の強い人がいるかもしれないし、カシオの時計が好きな人がいるかもしれない。色々な人がいてもいいと思う。




吉岡

「美の壺」を見た小学生が根付を欲しくなって、でも、お小遣いで買えるようなものがないのは悲しい。色んな立場の人が、趣味やお財布の状態に合わせて買えるような根付があっても良いのでは?

山口(司会)

日本人は、モノが大好きで凝る国民。モノマガジンが出ているくらい。そこで蘊蓄が広まれば、様々な根付の商品が出てくると思います。

橋本

根付がブームになれば、古根付の蒐集家にとっては競争相手が増えますね。テレビに出たら、画面に出た良いものが欲しくなるのが普通。コレクタが増えるのは自然でしょう。

山口(司会)

昌寛さんに伺いたいのですが、ご自分の作品はどう取り扱われたいですか? 鑑賞用として100年、200年大切に残して欲しいか、それとも、壊れても良いのでどんどん使って欲しいか、気持ちとしてはどちらなのでしょうか?

昌寛

師匠からは“使うに耐えるものを作れ”と言われている。擦れて顔や毛彫りがなくなっても、なくなるまで使われるのが、そもそも工芸品としての使命。使って、見せびらかしていただいて、生き残っていくのが嬉しい。使用されることを前提に作っています。




嶌谷

使われたものの美しさっていうのはあるよね。根付のナレは一つの形だけど、使っていくうちに馴染んでくる常滑焼やお箸がある。使って慣れているから“使いやすい”と感じる面もある。印傳の巾着も買ったばかりは真っ黄色だった。使っているうちに、いい感じになってきた。モノっていうのは、使っていくうちに良くなっていくんだよね。

山口(司会)

古根付は、使われてナレとなる部分をあらかじめ計算して作られている、とよく言われますが、現代作家としてはどうなのでしょうか?

昌寛

使われたことを想像して作っているわけではありません。顔がすり減ってなくなったら良くなるだろうなぁ、とか、毛彫りが擦れたからテカテカに光って綺麗だろうなぁ、などと考えていません(笑)。

使用前と使用後の両方に魅力があるのが、良い作品だと思います。そのためにも、細かい彫刻部分ではなく、造形の大まかの形を決める工程がとても重要です。“造形が重要”という意味では、日本根付研究会の『根付の雫』最新号に掲載されていた、森田藻己の途中で放棄した作品に関する渡辺さんの記事が面白い。


美州

藻己先生は、名人だからこそ、あの途中の段階で早々に見極めて、作品を放棄することができたと思います。普通の職人は、もったいない!と思ってギリギリまで頑張ってしまう。

嶌谷

僕なんか悪あがきして、どうにかならんかなぁ、ってトコトンまで頑張るけどな(笑)。失敗した部分は、象嵌して誤魔化したりして(笑)。






【そもそもの根付の魅力について】

山口(司会)

ご自身にとり、そもそも根付の魅力は何でしょう?

嶌谷

根付は、使っても良し、使わなくても良し。持っている人のお好み次第であるのが良いところ。古根付も現代根付も、楽しみ方は色々とある。その人の趣味次第だと思う。

吉岡

嶌谷さんの楽しみ方以外に「作るも良し」というのもあると思う。油絵を始めるとしたら部屋にキャンバスを置くスペースが必要だが、根付は見よう見まねで作り始めることができるし、根付教室もある。間口は広いのではないかと思う。

私が根付を始めたきっかけは、もともとは小さい物が好きだった。ドールハウスの家具を買ったり、食玩を段ボール単位で買ったり、フィギュアを買ったりした。そのなかで“どうやら根付というのがあるらしい”という話が伝わってきた。10年くらい前に渋谷の松濤美術館の象牙彫刻展を見たのが最初。決定的だったのが千葉美術館の現代根付展で、見たときは頭を殴られたような驚きがあった。そんなこんなで根付教室に通うようにもなり、一気にディープな根付世界に入ってしまった(笑)。根付を知り始めた3,4年前は根付はあまりメディアに露出していないので、情報が少なかった。





嶌谷

現代根付は見るチャンスはあるけど、古根付はなかなか見る機会がないんだよね。現代根付展はたくさんあるけど、古根付は東京国立博物館くらい。

山口(司会)

私が根付を始めたときも情報飢餓の状態でした。根付業者のサイトも提物屋さんくらいで、マンションの一室で敷居が高かったし(笑)。初心者として、最初に何をしたらよいのか分からなかった。その経験から、「根付のききて」というウェブサイトを立ち上げて、三つのことをしようと思いました。本物の根付のデジタル・ギャラリーの掲載、根付のお薦め書籍の紹介、そして、フェイクの注意情報。私も最初は、ご多分に漏れずチャイナものの「松山」を買ってしまいました(笑)。

嶌谷

「山口」なんていう銘のフェイクもあるんだよね(笑)。根付の本は、なかなか手に入らないね。最も手に入らないのが美州さんの『根付彫刻のすすめ』。根付彫刻の指南書はあの一冊だけ。お茶の水にある日貿出版社に出向いて入手しようとしたけど絶版だった。

山口(司会)

『根付彫刻のすすめ』の続編は執筆されないのですか?

美州

頼まれれば書くし、書きたい気持ちはある。原稿だけは書けるけど、一人だけでは写真撮影や出版はできない。今度はもっと簡単な製作方法を丁寧に解説したい。

嶌谷

『根付彫刻のすすめ』に掲載されている猩々(しょうじょう)は難しいよ。作れないよなぁ、あれは!(笑)。お福さんの顔も意外に難しいんだよね。正月の福笑いの顔でいいなら簡単に作れるけどさぁ(笑)。

橋本

最近はインターネットのブログもあるし、彫刻の解説は簡単にできるのではないでしょうか?

嶌谷

でもさ、そもそも左刃(ひだりば)はどこ行けば買えるの?今はハンズで買えるけど、昔は売っていなかった。“カッターでも彫れる根付”の教科書があればいいね。

昌寛

花影抄で根付教室を開いたらいいじゃないですか?

橋本

ゆくゆくは考えてみても良いですね。

美州

たとえばさ、七宝や陶芸の教室ならば、一回の教室で生徒が作品を持って帰れる。でも、根付教室の難しさは、一つ作るのに何ヶ月もかかってしまって、挫折してしまうところがあるんだよね。



嶌谷

三ヶ月で一つの作品ができるような教え方を教室でしてみる。

橋本

昌寛さんご自身にとっての根付の魅力を伺ってみたいですね。

昌寛

最初、自分はオヤジの枠のなかに居た。つらくて辞めようと思ったことが何度もあった。その後、自分の力が出せて作れるようになってくると、楽しくなってくる。作品の一部を自由にグワっと曲げてみたりとか。でも、半年かかって根気を詰めて作った作品が“つまらない”と言われたときはガックリくる。もっと面白いものをたくさん作って、人に見てもらえるようにドンドン出していくようにしている。

嶌谷

根付教室では、とにかく作品をたくさん作りなさいって指導されるよね。根付作品をたくさん見ることも必要。



【現代根付が古根付から学べること】

山口(司会)

さて、次の話題ですが、題材や技術、デザインなど、現代根付が古根付から学べることは、何かありますか?

美州

古典は、あらゆる意味でのふるさと。最後に帰るところは古典。現代であろうが古典であろうが、奥に流れるものは一つ。根付史を見れば、時代毎の変化は当然あるけれど、でも「根付」というものの本質は変わっていない。

若い頃に根付を始めたときは置物や象牙彫刻の全盛時代で、“根付なんてやるんじゃない!”って言われた。それでも根付を続けられたのは、根付のアートがあったから。ただね、根付のアートについて一緒になって語り合えたことはない。根付の面白さは、もちろん意匠や技術を楽しむことはできるけれど、もっと奥にあるアートも楽しめるんじゃないかと思う。


山口(司会)

そのアートについてもう少し具体的に説明すると何でしょうか?

美州

個人の表現が出せるということ。古根付を見た場合、作家は「アーティスト」と「職人」に分かれる。友忠はオリジナリティのあるアーティストだが、その弟子は職人。根付のアートというものを理解できれば、根付全体の価値もあがってくるはず。




山口(司会)

根付師は全員が全員、才能があって独創性を持っているわけではないと思います。古根付の作家には、師匠の作品を少しだけ変化させて、コツコツと真面目に根付を作ってきた職人もいました。それから、根付は「作り手」の表現だけでなく、ファッションとして「使い手」の表現と結びつく部分もある。「使い手」のわがままもある。デパートで売られている根付は「作り手」だけの表現だけど、花影抄のような場を通じて「使い手」の表現と結びついたら、これは大きな流れになると思います。

美州

それも夢の一つですね。アーティストにはパトロンが付くもの。たとえば、“兎を作って欲しい”と注文するパトロンがいたら、作家と使い手の両者の価値観で独創的で良い作品が生まれてくる。

山口(司会)

ギャラリー花影抄の責任は重大でしょうなぁ(笑)。

橋本

サッカー選手のなかでも“彼はアーティストだ”と称される人がいるが、それはサッカーというルールのなかでのお話。ボールを手に持ってプレーすることはルール違反。独創的な根付を自由に作っていくとしても、一定のルールのなかにいることが求められているのではないか。好き勝手に作家が作るのではなく、使い手が求める一定のルールのなかでプレーすることが必要だと思う。現代作家が過去の作家から学ぶべきヒントは多いのではないでしょうか。




嶌谷

僕は現代作品を買うときには、もし作家さんが目の前にいれば、“この作品は使うけど問題ないよね?”と聞きます。そこで作家さんが“ちょっと待ってくれ!壊れそうなので使わないでくれ!”とは言わないで欲しいと思う(笑)。実用的であって欲しい。

差し根付ってあるけど、本当に実用的なものが多く残されている。今日は実際に使われた差し根付を何本か持ってきました。現代作家は、昔はこんなのだったってのは知っておいて欲しい。このことを知っているのと知っていないのでは、大きな違いがある。



嶌谷氏所有の差し根付


山口(司会)

あくまでも実用を前提にすることが必要不可欠ということですか?

嶌谷

もちろん、丸太のような差し根付を作っても売れないし作家も困るので、実用本位だけでなく、美術的な要素も必要でしょう。でも、原点のようなものは知っておいて欲しい。現代作家も原点を知っているのと知っていないとでは、作品に表れるものが全然違う。知っていて作る人の方が断然面白いよ。

美州

現代根付師のなかには、根付を知らなすぎるし、根付を知ろうとしない、古根付に対する評価が当を得ていない人がいる。一方、研究会の愛好家のなかにも、理論を持って根付について言葉で説得できるほどのものを持っている人は、少ないのではないだろうか。

吉岡

使う側から言えば、和服を着ることが多い人にとっては、“根付を気軽に使えない”という不満がある。シンプルなものが欲しいのに、ゴテゴテしているものが多い。単純なものがよい。根付は主役として付けるものではない。主役は着物で、アクセントとして帯留や根付があるもの。主張しないものが欲しい。

嶌谷

そういうものがあっても良いと思う。実用品として単純で安価なものがあっても良いし、美術品的な高価なものがあっても良い。

吉岡

指輪をたくさん持っている人を“指輪コレクタ”とは呼ばない。年に1度しか使用しない指輪を100個持っていたとしても、“コレクタ”ではなく“使用者”と呼ぶはず。芸術品レベルのアクセサリがあってもいいけれど、その他の色々なものがあっても良い。一点物ではなく、マスプロ製品があっても良い。安物や普通のものがないと、根付のジャンルは広がらない。もちろん美術的に優れた根付を作ろうとするし、愛好家が求めようとするのは理解できるが、優れていないものを差別的に排除しようとすると、根付というものは死んでしまう。

美州

吉岡さんの考えにすごく賛成。昔、ジーパンをはいて原宿を歩いている若者に根付を付けさせたい!と思ったもの(笑)。プラスチックの根付で構わないから。


齋藤美州氏の提げ物


山口(司会)

ピラミッドの底辺という意味では、結構、裾野は広がっていると思う。妖怪根付、キティちゃん根付、チャイナ根付が出てきている。足りないのは、底辺から上を見上げる方向性。“キティちゃんもいいけれど、上の方にはこんな面白い本物の古根付の世界が広がっているよね!”という見せ方が必要。花影抄にはそんな現代作品の見せ方を期待したい。

嶌谷

だから前に橋本さんに言ったでしょ!? 花影抄は根付らしからぬものを売ってはいけないよねって(笑)。第一の条件として“使える作品”を取り扱って欲しい。



【今後、現代根付はどうあるべきか】

山口(司会)

さて、今後、現代根付はどうあるべきでしょうか?

美州

現代根付の問題は、作家が根付だけでは食えないのが一番の問題。花影抄に出されている作家さんもそうではないか?

橋本

現代根付は、これまで狭い世界で形成されてきた。“こうあるべき”というものも、ひとつの価値観しかなかった。多様性が足りないと思う。値段のこと一つとっても、枠があってそこから抜け出すのがなかなか難しい。色々な値段があってもいいと思うが、それが許されない面もある。今までの枠をむやみに壊すつもりはないが、多様性やブランド力、様々な価格帯があっても良いはずだと思う。作家についても、別の彫銘、別の価格帯で、もう一つの別の“ブランド”を提案していくような企画に取り組んでいきたい。




山口(司会)

現代根付の一番の問題は、処分したいときに売れないということ。市場性がない。現代根付の最初の売値は、人件費がかかっているのだからあのレベルは理解できる。でも、手放すときに値段がつかない。古根付のようにせめて半額くらいにはならないかな、というのが実感。作品を楽しんだ分を引いたとしても、ほとんど何も残らない。古根付は安心して買える。

サザビーズがオークションでの日本美術部門を縮小することとなったが、あの問題の本質は、愛好家にとって“古根付の価格”が分からなくなるということ。今後ボディブローのように効いてくる。現代根付も処分するときに価格が分からない、売る場所がない、という問題がある。


橋本

現代根付の市場がないというのは、問題だと思う。一度売れた現代根付は、また売れると思っています。現在、こちらで開催中の「水谷一夫作品 展示販売会」も同じ趣旨。現代根付はほとんど使っていないし、傷んでいないはず。売れっ子の作家さんの作品が市場に出れば、買いたいと思う人は多いはず。現代美術のなかで見れば、現代根付は必ずしも高価ではない。上に押し上げるようなことも必要だと思う。

嶌谷

現代根付の作家のトップクラスは、既にそれなりの価格がしている。トップクラスの作家の本当によいものは、なかなか市場に出てこない。

  


山口(司会)

高円宮様が役割を担っていたような作家の頭をナデナデしてあげる仕組みも必要だと思う。表彰制度や作家のプロフィール情報を整理する。流通市場としての環境を整備する。

橋本

根付のなかで棲み分けをしていくことも必要だと思う。根付というものが十把一絡げで、一緒くたになってしまっている。量産品もあれば、手仕事で芸術レベルものもある。分けて考えれば混乱もなくなる。陶芸の世界では、@自由造形の部門、A日常的に使用する部門、B伝統部門に分かれている。根付も、@伝統的なもの、A革新的なもの、B日常的に使えるもの、にはっきりと分けて提供するようにしたい。

山口(司会)

それは賛成。革新的な作品を見ると、ルール違反だ!と言って目くじらを立てる古根付の愛好家がいる。一方、若い女性が古根付の蝦蟇仙人を見ると“気持ち悪い”という声が上がる(笑)。棲み分けは重要なことだと思う。

橋本

色んなものがあっても良い。根付を「デザインする人」と「作る人」に分かれても良い。

昌寛

今の作家は一個のものをじっくりと作るタイプが多いが、それで1,2万円だったらお小遣いにしかならない。別のデザイナーが描いたものを彫刻できる人はいないのではないか。




美州

現代では下職と呼ばれる人がいない。デザインする人と作る人を分けることは、難しいものがある。工賃をもらって彫刻する職人はいないのではないだろうか。

山口(司会)

ちなみに、昌寛さんはご自分の作品がどんな人に売れたか、ということに興味はありませんか?

昌寛

昔、花影抄で自分の猪を買っていただいたお客さんに偶然お会いして、とても恥ずかしい思いをしました(笑)。自分の作品は自分では売れない。自分で作ったもので喜んで頂けたらありがたいけれども。。。

吉岡

愛好家の喜びの声が作家に届くようになればよいですね。

昌寛

現在の現代根付の流通では、何が売れているのか、何を作って欲しいのかが分からない。フィードバックが作家に返ってこない。何を作ったらよいか分からない状況にあります(笑)。

山口(司会)

五代目の昌寛さんは実はシャイだった、ということが分かったという成果がありましたので、ここで座談会はお開きにしたいと思います(笑)。長時間ありがとうございました。




今回の個展に出品予定の昌寛さんの作品
(左から「貘」銘(昌寛)、「向干支:猪蛇」銘(昌寛)、「麒麟」銘(昌寛)、「龍」銘(昌寛)、「獅子」銘(昌寛))

作品の写真:花影抄 (C)2007


5月1日(火) ギャラリー花影抄(根津の根付屋)において



   編集後記: 悩み事の百貨店のような昌寛さん(実は私と同い年!)のブログを読んで密かに注目していました。古根付愛好家にとっても、本物としての十分な納得感のある作品ばかりです。今回が初個展とのことですが、個展の場を通じた愛好家との交流をステップにして、将来の素晴らしい作品を期待したいと思います。

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