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第5回 根付研究について思ったこと
平成15年3月13日


今、根付研究に興味がある。根付研究について思ったことを、初心の今、書き留めておきたい。


根付研究の柱は、主に、

 @現存する根付の図録化
 A根付師に関する研究記録
 B根付の意匠・解題研究
 C根付の製作技法に関する研究


に分類することができる。

これらの研究は現在、根付に関する内外の研究会や各種コミュニティーで行われている。

@については、欧米人を中心に100年前から数々の図録が出版されており、問題はない。世界で根付が流通し続ける限り、オークションカタログも次々と出版され続けるだろう。新しい根付の発見があれば、図録に載せることはできる。インターネットが益々普及する今後は、私のようにウェブサイトで公開する者も増えていくだろう。

Aについても、基本的な人名録の基盤整備は終了している。

上田令吉やラザーニックの本は、とても有用だ。今なお未知の銘が入った根付が発見され続けていくが、それを加えてバージョンアップしていけばよい。根付師自体の研究も進められている。伊勢の正直や田中岷江に関して緻密な研究をされる方もいる。


解題研究

重要なのは、BとCだ。

特に、解題研究は、膨大な労力を要するものであり、作業は困難を極める。外国人よりも日本人が得意とする分野であり、日本人が率先して取り組むべき分野である。根付題材については、かつて、カール・シュヴァルツが「根付小事典」として題材辞典を出版した。日本語版も出ている。非常に貴重な研究であるが、ひとつひとつの解説の底の浅さを感じずにはいられない。

代表的な題材の解説はジョナスらによっても出版されている。が、日本語には翻訳されていない状況にあり、日本人に広く読まれていない。ということは、日本人の検証を受ける機会を逸しており、結果、内容の正確性がどの程度のレベルであるか適切な評価がされていない、ということになる。

今後、根付の解題に関して新たな書物が発見されるようなことは少なくなってくるだろう。根付師が手本としただろう北斎漫画等の文献は、既に知られ、読まれている。寶袋の発見のような奇跡はまだ起こるのだろうか。

しかし、インターネットが発達しつつある。日本各地のおらが村の伝承・伝奇に関する情報が、比較的簡単に入手できるようになった。手がかりの紐を掴まえさえすれば、芋蔓式に解題の材料が入手できる。根付研究者にとっては良い時代に入った、と言えるのではないか。

そんな手段を利用して、協働できる可能性がある。『根付解題大辞典』の編纂を行っても良い。100人集まって5本ずつ書けば、すごいことになる。


製作技法研究

次にCについては、研究が非常に少ない。

現代根付師は細々と"彫刻"を続けているが、この先はどうなるのだろう。本物の根付師が少なくなりつつある現在、根付製作に関する情報の記録・保存作業が必要ではないだろうか。早急な課題だと思う。

根付製作に関する研究の良書は、ある。第一に、レイモンド・ブッシェルが中村雅俊への聞き取りをした本が挙げられる。(The Art of Netsuke Carving. ,Masatoshi as Told to Raymond Bushell)

この点、彼は根付研究に対して非常に大きな貢献をしたと思う。

また、齋藤美洲の「根付彫刻のすすめ」(1984年12月)は、製作段階を細かに図説した良書だ。根付師を記録したビデオソフトもある。根付教室で持てる技術の全てを伝えようとしておられる方もいる。

しかし、これらは江戸時代の具体的な製作技法の全ては伝えてくれない。

特に、秘伝のコアとなる技法に限って教えてくれない。我々が知らない技法がおそらく沢山あるのだろう。根付の真贋鑑定のためには、根付を即物的に観察できる知恵が必要だ。その一番の近道は、根付製作の技法を知ることだと思う。根付を外形的に観察することにより真贋判定を行うことは、可能だ。しかし、根付の外形的な観察であって、製作プロセスまでを踏まえたものか。料理は食べて楽しむ以外に、レシピを知り作って楽しむ方法もある。

象牙の木目を消して透明な飴色に仕上げるため、"焼き入れ"と呼ばれる酸の液体に漬けて煮込む方法があるらしい。獅子の口にコロコロと動く小玉を封入する方法があるらしい。夜叉染めには特殊な調合割合があるらしい。そんな技法が一切失われようとしている。根付師の技術は、文献には絶対残されない親方からの口伝技術だ。それを本格的に記録する作業は、どこかにあるのだろうか。どこかにアーカイブはないか。


空想と解題

例えば、"友忠の牛"と聞いてどのような牛を想像するだろうか。ひょっとすると、江戸時代の牧歌的な農村風景に横たわる牛を想像していないだろうか。夜な夜な根付を掌で転がして、そんな風景を想像するのはよい。

しかし、本当の姿は、違う。当時の一般庶民の生活を具体的に調べてから、情景を目に浮かべてみる。そして根付師が意匠に込めた本当の意味を逞しく知ることは、大変だが必要な作業だ。

根付は江戸時代の洒落の芸術であり、支配権力のお上を皮肉る反骨気質を象徴したもの、と言う人がいる。本当にそうだろうか。"反骨気質"と安易に一括りするのは楽なことだが、一方で無責任でもある。江戸時代の根付の"末裔"は、同じ日本でケータイストラップとして復活し、世界に広がっている。我々がストラップを携帯電話に結わえるとき、反骨精神でストラップのキャラクタを選んでいるだろうか。安易な十把一絡げの根付解説は、どうかと思う。一般庶民が根付を求めたのであって、根付師が根付を押しつけたのではない。それは、江戸時代でも純粋な商業行為だった。

たった2、300年前の江戸時代でも、日常生活は日々淡々と営まれていた。それは牧歌的で、理想郷のような空想世界ではなく、至極現実的な人間社会だった。根付の意匠の真意を知るためには、当時の社会経済を確認し、日常生活を冷静に組み立てていく作業が必要だ。牧歌的に見えるのは、具体的なイメージに対して盲目だからではないだろうか。

正一 玉獅子 19世紀中期 大阪

無銘 武志士仙人 18-19世紀

玉珪 紙縒を持つ人物 1800年頃 江戸

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