明日聞きに行きます 投稿者:aki 投稿日: 8月15日(木)21時19分26秒
先日の大分公演は会議があって聞きにいけなかったので、明日はぜひ聞きに行きたいです。職場の同僚から紹介してもらいました。shinサンの歌は沖縄の佐渡山豊が連想されました。(同僚からCD聞かせてもらった。)がんばって!
「時代(とき)よお前は」 投稿者:naoko 投稿日: 8月15日(木)18時31分50秒
はがくれさん、わざわざご登場いただきましてありがとうございます。
いろんな想いを引き継ぎながら「ハンセン病文学全集」が世に問われるのだと思います。
実はこの議論についてひつじさんからもメールをいただきました。
ひつじさん、引っ込んでいないでここに書いてくださいね。
さてさて、新ちゃんはもう大分ですね。
KIYOさんたちと無事に会えたかな?
ようやく、「時代(とき)よお前は」を歌うのですね。
この前の大分のコンサートで「途方のままに」の詩がようやく確定されました。
引き続き、大分で「時代よお前は」が確定されるのでしょうか?
「時代よお前は」、「休日」、「マイペンライ」など、未発表の歌の中には私の大好きなものがたくさん残っています。
新ちゃんのOKを待っているのですよ。
大分、今回は行けなくて残念だけれど、今夜はKIYOさんたちと楽しんでください。
ハンセン文学について 投稿者:葉隠れ 投稿日: 8月15日(木)12時10分38秒
naokoさんのメールに関して、かつて私は(ライ〕の呼称は差別用語であり、それによって差別されている者が(ライ)なる用語を差別用語の認識もないままに、安易に使用している{文学}なるものから、(ライ)を削除したら文学が成立しなければ(ライ)文学である。との思いからであった。俳句・短歌・では(ライ)そのものが全てであり、他の季語や修飾語は、もはや無力でありひつようない。(ライ)文学として評価されている作品の中に、やたら(ライ)が表記されており、(ライ)ガ病名ではなく天刑病・業病・片居(かったい)との誤解を生じかねない、そのような作品まで含まれているとしたら、(ライ)文学全集になりかねない恐れがある。・
もう出発したかなー 投稿者:KIYO 投稿日: 8月15日(木)11時50分22秒
Shinちゃんは再び大分に大移動ですね。忘れ物にご注意ですよ。
明日は残念ながら仕事なので院内町の成人式に寄れないのですが、明日の夜から土日は予定がないので大分をゆっくり見るならご一緒できますよ。成人式ではShinちゃんのHITASURAな思いを語るのがいいのではないでしょうか?
今夜はホテルにお邪魔しますね。
英語のもあるんだ! 投稿者:ミッチ 投稿日: 8月15日(木)07時12分53秒
いつか歌えるといいね。ほんと。ミッチは英語苦手だけど(苦笑)。
振り返って、なんかちょっとヤダナって思っちゃう「道の途中」で、宮里さんに会った。
ハタチ違いのあなたの歌。わたしも早く聞きたいな。成人式の人がうらやましいミッチです。
新たなステージに立つ、宮里さんと、ハタチのみんなに、おめでとうを。(電報みたいだね)
HITASURAについて 投稿者:shin 投稿日: 8月15日(木)06時01分54秒
今朝から大分県の院内町に向かう。翌朝早く町内文化センターで行われる成人式に教育文化講演会の中でコンサートをやる事に。大分づくしの最近、ゆっくり過ごせないのが残念。初めて成人式の公の場で歌うんですが、果たして何を話せばよいのか!歌う曲目は決まりました。今回[時代よお前は]を選曲。講演会のテーマが{今の僕にできること、ただひたすら}なので、どうしても歌わなければならなくなった。実はこの曲の歌詞からHITASURAのページができたようだが、CDの中にもあるように[ひたすら]の英語版はHITASURAなのだ。多分英語で歌う事はないだろうけど、いつか歌えるといいねぇ!
宮里さんへ 投稿者:ミッチ 投稿日: 8月15日(木)00時57分22秒
実は、あの質問を書いた後、「関係あったらどうなの、無かったらどうなわけ?」と、思ってきたの。
「あるよ」って言われても、「無いよ」って言われても、何にも変わらないような気がして。
宮里さんが、何を歌っても、ミッチがそこから何を受け取っても、それはお互いの自由。
どこから出発していてもかまわない、今、宮里さんが歌っているってことが、いっとう大事で、それだけでしょって。
だから、あの文、もういいや、削除しようって思ってたの。
で、そうこう考えているうちに、「ハンセン病文学」のお話になって、そのことをぐるぐる考えているうちに、答えをもらっちゃった。それも解説つきで。
いろんな気持ちが、ぴったりしっくり、「ひたすら」になっちゃった!んだね宮里さん。
ねえ、ほんと飲みすぎないでね。レミーマルタン、誘惑しすぎ。
この文、誰も解説してくれないと思うけど・・・。だいじょうぶかな。
文字プラスアルファ 投稿者:新井克巳 投稿日: 8月14日(水)20時46分51秒
新一さん、8/16の目前です。文字以上に、顔を合わせていること、音楽での表現ができることを踏まえて、いい一日を演出してください。東京でいろいろとパフォーマンス術を語ったけど、最後は「本当は何を言いたいんだろう」と自問して、自由にふるまってくださいね....私も明日から「大舞台」なのでおたがい頑張ろう
再「ハンセン病文学」 投稿者:naoko 投稿日: 8月14日(水)10時20分41秒
新ちゃんが書いていることは、藤巻さんの言う、「乗り越える」という問題ですね。
新ちゃんは、乗り越えて進んでいくのだと思います。
ただ、療養所に埋もれている過去の作品に光をあてる、というのも大事だと思うよ。
でも、その場合、「暗い」といった過去のイメージだけではない文学作品としての新しい発見がなければと思います。「ハンセン病文学」としてそこでくくられてしまっただけでは、「ハンセン病文学」というくくり方に抵抗を覚える人たちの想いが空しいものになってしまう気がします。
そういう意味でどんな作品が並ぶのか、私は出版に期待しています。
北條民雄についてひとこと。
北條の全集を読んでいると、北條は隔離を間違ったものと受け止めていたこと、そしてそれに対する怒りを持っていたことがわかります。北條はけっして人生をあきらめていなかったとも思います。どうすれば隔離の壁を越えてより自由に生きられるかを最後まで模索していたと思います。彼は病気におもねるようなことはなかったと思っています。だから彼は、「外」に向かって書き続けていたのです。
ミッチさんへの解説 投稿者:naoko 投稿日: 8月14日(水)10時09分34秒
新ちゃんの文章、わかりにくくてごめんね。
新ちゃんは、この掲示板に携帯電話でアクセスしています。
ケータイって、書き込める字数が限られているんだよね。新ちゃんはその許された字数をいつも一杯一杯使って書き込んでいるだけれど、文章の推敲にとても苦労しています。
(新ちゃん、センテンスは短くね)
それで新ちゃんの言っていることを解説すると、新ちゃんはこれまでハンセン病を隠して歌を歌ってきました。それは正直にまっすぐに生きたいと思っている新ちゃんの気持ちとは相反するものでした。去年の裁判の判決まで、それは新ちゃんにとってどうすることもできないことのように思えていました。それが新ちゃんにとっての葛藤でした。
過去のひたすらな想いを確認しながら今新たに歩き始めている新ちゃんを応援してくださいね。
苦言 投稿者:naoko 投稿日: 8月14日(水)09時59分59秒
新ちゃん、プロなんだからね、ちゃんと自分の健康と声を管理してくださいよ。
車の中で爆睡なんてダメだからね。
飲みすぎも要注意! 血圧上がるよ!
過去の歴史を刻むのはいいのだけれど 投稿者:shin 投稿日: 8月14日(水)04時52分10秒
以前、いろんなハンセン病患者が書いた古い作品に目を通したことがある。あまりの暗さと閉鎖的で排他的な表現に共通した人生へのあきらめ感が支配されていて、そこにうごめくものが、まるで僕には現実社会から離れた自虐的なものと陶酔的なものに思えて、書く事でしか道を見出せない存在の根っ子が本当に文学作品と呼べるに値するのかと疑問を抱いてきた。療養所の中の文芸をハンセン文学だと世に問うのは、単に過去の作品をそう呼ばせたい?位置づけたいだけの動機からくるものだろうか?とつい考えてしまう。歴史を堀起こして刻むのはいいのだけれど。さて。
レミーマルタンの独り言 投稿者:shin 投稿日: 8月14日(水)01時43分46秒
大好きなレミーマルタン飲んだら翌日部屋で酔い覚めずダウン!昨晩行き着けの店からハシゴ3軒。帰宅して車の中でCD聴いてると爆睡してた。目が覚めたら無題の曲がなぜかリフレインしていた。
ミッチさんの質問に答えましょう。ひたすらは療養史とは何の関係もありません。僕の歌詞にはひたすらという言葉がよく使われます。それは、僕自身が正直にまっすぐ歩きたい事への願望を心の底に脈打つ人生観の歪みの葛藤を越えてそれでも人間の良心を忘れない生き方を目指したいとのスタンスを確認しながらいつまでも抱きたいという思いが、ひたすらという表現になっちゃった!
東京での宮里コミュニティ 投稿者:新井克巳 投稿日: 8月12日(月)20時23分55秒
新一さん、すっかり私の地元住民ですよ。今日、道でバッタリ「Sea
Horse」マスターに会い、新一さんが道中無事だったかと聞かれました。近所の沖縄料理店のマスターとも馴染みになっていますね。まあ、私とは生活リズムが違うため、出会う人の層も違うのでしょう。そのうち、夜のコミュニティで「役員」になったりして....
オオ〜ッ! 投稿者:naoko 投稿日: 8月12日(月)19時46分07秒
何だかモノスゴ〜イ問題提起をしてしまったみたいで小さくなっています。
私は、加賀乙彦さんが言われる意味での「ハンセン病文学」って、ありかなって思ってます。
ただ、ひっかかりを書いておきたかったのです。
裁判が始まる前の九弁連のシンポジウムで、竪山さんが発言されたことをいつまでも忘れられずに覚えていました。
「何で『らい文学』なんてものがあるのか。『結核文学』なんていうものはない。」
そんなお話でした。
そういうことになったのがなぜなのかを、私たちはいつもきっちり自覚しておかなければと思います。
そのためには冠もいいんじゃないかと思いますよ。自覚の契機ですもの。>KIYOさん
はがくれさんの言葉には、おそらくはがくれさんなりの深い思いがあってのことだと思うので、私はそれをまちがっているとは言ってしまえないものがあります。はがくれさんをここに呼んでこようかしらん。はがくれさんのことばは「ともすれば」というところにアクセントおいて読んでもらえたらなあ。
療養所に長年暮らしてきた人の、自分自身にまつわる病気の観念との決別の問題のように思うのですよ。病気にとらわれるまいっていう。はがくれさん、ちがうかなあ?
今日は私は日弁連の会議で東京です。今日は今の今までみっちり会議。明日も続きます。
新ちゃんも、やっと愛楽園にたどり着いたのに、今度はまた大分だね。
大分でのライブのとき、スタッフの人に録音を頼むのを忘れないでね。
また来た 投稿者:皓星社 藤巻修一 投稿日: 8月12日(月)12時59分18秒
>ハンセン文学がともすると病気に阿ることで成立
という言葉が、何か引っかかっていた。
現在の医療の水準から「かつての作品が病気に阿る」というのは、やはりまちがっていると思う。
そういう意識は大事だが、かつての事実と作品を踏まえてのものでなければ、逆に「現在」の作家と作品に「おもねている」ということにならないか?
過去を批判的に乗り越えるためには、きちんと歴史を知ることが必要だ。過去のたくさんの作品を読んでそう思うのです。
もう一度 投稿者:皓星社藤巻 投稿日: 8月12日(月)09時59分11秒
昨日は、急いでいたので引用で済ませましたが、気になって再びきました。
ハンセン病患者・元患者(この言葉はスキではありません)のかかれたものは、1920年以来単行本にして約1000冊あります。また、戦前の北條民雄、明石海人以来「癩文学」という言葉は自覚的につかわれてきました。私が草津や栗生に縁が出来た頃は、「らい文学」といっていました。「ハンセン病文学」は、「らい」が「ハンセン病」と置き換えられる中で、便宜的に使っています(ほかにいいようが無いという意味で)。
時間が無いので、機会を改めようと思うのですがプロミン以前、不治といわれた時代は、10代の終わりから20代で入院して失明や病気の進行で、あと5年創作活動ができればいいほうだと、時を刻んで書いています。事実、北條は23歳で死に、活動したのは2年余りに過ぎません。北條とともに全生園で文学サークル5人衆と称された若者もみな、20代で亡くなりその作品は幻となっています。
こうしたなかで作られ文壇やジャーナリズムで「無視」されてきた、作品の復権は、同じ境遇におかれた作家たちの集団として世に問う必要があると思います。
ただ、そういう不治であり終生隔離の下にあった作家と、現在の状況の中でこれからの人生を力強く切り開いていこうとする人々の意識や作品を同一に論じることは出来ません。
僕の視点が過去に向いていること、現在の実践の場から乖離しているかもしれない(なんせ、付き合いは老人ばかり)ことは、先に書きました。しかしその上で、先人の苦闘や作品をきちんとふまえ、批判的に乗り越えてほしいと、再度思います。その材料の一つになればいいと念じています。
http://www.libro-koseisha.co.jp/
初めまして・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 8月12日(月)03時33分03秒
ここへは、実は毎日お邪魔しておりまして、でもROMで御座いました。
あまりにも深いお話が多く私ごときが発言させて頂くことが憚られた、というのが本音です。
今回「ハンセン病文学全集」の話題を拝読し、加賀乙彦氏の「みみずく通信」も(不勉強にも)初めて拝読しました。
そして、思うところがあって蛮勇を奮って書かせて頂くことにしました。
加賀さんの文章の丁度真ん中辺りにこう書かれています。
「ハンセン病文学」として一括される何か特徴というものは、あまり私は見出すことができなかった。
沢山の作品を文学者としてお読みになりその上でこの発言をなさっています。
この言葉が私にこれを書くことを決心させてくれました。
それはあまりにも当たり前の言葉で、だけどそれだけに、
この問題を考える上での一つの出発点というか、良い手がかりになると思われたからです。
作品をお書きになっている作者は「ハンセン病文学」を書こうとして居られるわけではない。
しかしマグマのように心の底から突き上げてきてその作品を書かせたのはハンセン病がもたらした魂の叫びだったのでしょう。
だけど単にそれだけのことなのではないか、書かれた動機にハンセン病が関係していようがいまいが、生まれてきた文学の価値にはまるで関係がない。
『「ハンセン病文学」として一括される何か特徴というものは』だから無くて当たり前と加賀氏は仰有っているのではないでしょうか。
文学的価値とそれを生んだ動機とは切り離して考えるべきだと。
宮里さんの歌の価値はハンセン病とはなんの関わりもないのと同じです。
結論を急ぎます。国(政府、国会、官僚、一部の医学者)が犯した大罪「ハンセン病禍」は
決して歴史から消えるものではないし、またいつまでも我々の心から消し去ってはいけないものである。
だから「ハンセン病文学」、「ハンセン病回復者」というような「かんむり」は残すことにむしろ意義があると考えて良いのではないか。
そのことと、例えば宮里さんや、退所者の方達が「ハンセン病」から離れる、脱却する、心から消え去らせていくということとは、”別問題”ではないか?
個々の方々はそのようになさるべきで、私達の心からも消え失せることが望ましい、それが真に差別を消し去っていく方向だから、という風に考えます。
きゃあっ、新参者が、生意気にも書いてしまいました!
大きな間違いを、考え違いをしているのではないかと、戦々恐々です。
厳しいご批判、ご叱責を下さい。勉強して行きますので・・・m(_ _)m
http://www2.to/hans/
(無題) 投稿者:KIYO 投稿日: 8月11日(日)22時09分29秒
感想です
私もこの事についてずーっと考えていますので現時点の感想を書きます。私たちのHPの頭にはハンセン病回復者という冠をがついています。いつか外したいと思っています。しかし、ついていたほうが説明しなくても済むという考えも一方であります。そのタイミングはと考えた時に答えはありません。(あるとしたら私の勇気かもしれません。)
私がハンセン病の問題を知り、いろいろ調べて行く中で「らい文学」というジャンルはないと書かれていたのは島さんではなかったと思います。(島さんだとは断定できるほど自信はないのですが…。もしかしたら別の人かもしれません。曖昧な記憶でごめんなさい。)言葉が変わり「ハンセン病文学」を活字にし始めるとそれは自然に使われ始めるでしょう。過渡的にせよ半永久的に活字として残されて行くのです。20年前に文学を通して表現された方々は「ハンセン病文学」ではなく「文学」を望んでいたのではないでしょうか。
しかし、冠をとる勇気のない私の感想は説得力に欠ける…。
承知しています。 投稿者:皓星社藤巻 投稿日: 8月11日(日)20時38分12秒
naoko様。
べつなところに書きましたが「ハンセン病を売り物にせずその文学的価値で勝負すべきだというのも、そのとおりでしょう。むしろ、それがなされたときが文学的社会復帰といえる。しかし、この90年間、わずかな例外を除いてマスコミも、文壇・詩壇・俳壇もこれらの膨大な作品をむしつづけてきた。ここに、これだけの作品が埋もれているんだということをいうには、そういう名をつけるしかないと思ってきました。しかしいま、元患者作品がハンセン病の名を冠さなくても正当な評価を受けるときが来てほしい。全集あるいは「ハンセン病文学」という括りは、そのときまでの過渡的な使命をになうものだと考えるようにもなりました。」と思っています。
この「全集」の発端は島比呂志さんが20年近くまえ、「らい文学全集」がほしいと書いていたのに触発されたり、何人かの友人と語り合ったのが発端で15年前企画しました。
なくなってしまった大勢の友人との約束が、いまやっと果たせるという感じです。僕に抜け落ちたりかけている視点があることは自覚しています。若い人には批判的に乗り越えてほしいと願っています。
特別告知 投稿者:naoko 投稿日: 8月11日(日)09時32分52秒
5000番の踏み主はとうとう現れませんでした。
そこで5000番に代わり、5555番の踏み主にプレゼントを準備することにしました。
みなさん、5555番に注目!
ミッチさん
遺族交流会は今度で3回目です。最初は3人でした。今回は6人でした。
「少しずつ」っていうのは、ほんとに少しずつなんです。
次回は10月4日の予定ですが、福岡の弁護士が、「熊本まで来れない人のために福岡でやりたい」と言って、9月の福岡での開催を考えています。
まだまだ「声に出せない人生」(「我執」)を抱えている人がたくさんいらっしゃると思います。
新ちゃん
クラスメートのこと、良かったね。
「ハンセン病文学」? 投稿者:naoko 投稿日: 8月11日(日)09時25分04秒
ハンセン病関係の掲示板を時々荒らしに回る(失礼!)藤巻さんが、ようやくこの掲示板にやって来てくれました。
「ハンセン病文学全集」! 壮大なお仕事になりますね。
でも、「ハンセン病文学」というくくり方には入所者の方の中には少なからず抵抗を覚える方もあります。「みみずく通信」の記事で加賀乙彦氏もそのことに触れていましたね。膨大な作品群の中で病気から離れた作品はひとつもなかったとも。
新ちゃんは、昨年の副大臣交渉のとき、「私はハンセン病から解放されたい。私はハンセン病の中の歌ではなく、ハンセン病から出ていく歌を作りたい。」と言いました。
生き直しコンサートのあと、はがくれさんはコンサートの感想をこの掲示板に寄せてくれて、こんな風に書いてくれました。
「ハンセン文学がともすると病気に阿ることで成立している感がありますが、新君にはそれが全くなくて、一人の人間がそこにありました。」
ここには書ききれないいろんなことを考えさせられました。
藤巻さん、新ちゃんみたいな若い世代が視野にありますか?
新ちゃんの詩、どう思いますか?
それから「裁判記録集」の方もよろしくお願いします。おっと、私の作業が遅れていますね。
一度事務所に来られるという話、どうなりましたか?
32年ぶりの再会は無記憶だったけど 投稿者:shin 投稿日: 8月11日(日)01時52分02秒
皆多忙の夏お疲れ様。やっと遠い愛楽園に無事着。前日古里宜野湾市で待ち受けていたのは32年ぶりの中学校時代のクラスメートだった。小学生の頃一緒に遊んだ幼なじみの方もいた事に感激したのは良いけれど、時の重ねがその人の苦労が読みとれ、年月の面影がどこにも探せず言葉を失った。その頃の話をされてもよみがえる事がなく、我が道を歩いてきた自分の生き様を見つめさせられた一幕ばかりが走馬灯の如く年輪を感じた次第!僕の事を他の同級性にも伝えたいと言ってくれた旧友の熱き思いをしっかり受け止めました。クラスメートが力になると宣言した言葉には涙が落ちた。
5101?ということは、5100藤巻さんでしたか? 投稿者:ミッチ 投稿日: 8月11日(日)01時11分20秒
naokoさん、遺族交流会ってあるんですね。遺族の方のお話、聞いたことがありません。逆に言えば、遺族の方が、自分の思いを伝える場所が本当になかったんだと思います。場が、広がっていくことを願っています。
ところで、療養所史の、命ひたすらと、宮里さんのHITASURAは、つながるところがあるのでしょうか。気が向いたらお返事ください。
お願い 投稿者:藤巻 投稿日: 8月11日(日)00時32分07秒
いま、皓星社では『ハンセン病文学全集』を編纂中です。この80年間に書かれたハンセン病患者・元患者作品のアンソロジーで「日本文学の隠れた鉱脈を顕かにする」と期待されています。
詳細は下記をご覧ください。
http://www.libro-koseisha.co.jp/TOP-zenshu-pan/PANHU-MAIN.html
第一巻は無事下版しました。月末には書店に並ぶはずです。
この全集は、同時代の人に読んでほしいことはもちろんですが、かつて我々の先達、村松武司は、ある本の解説にこのように書きました。「この世にライがなくなっても、すなわちハンセン病患者・元患者が死に絶えても、人々の手から手へ確実に渡され読みつがれていくことを願っている。」
わたしたちも、同じ思いでこの全集を編纂しました。そのために、公共図書館、学校図書館などの大勢の人の目にふれ、長く保存され、だれでも利用できる場に、この本が置かれることを願っています。
図書館は利用者のリクエストを重視して選書します。どうか、お近くの図書館などに是非ご推薦、リクエストをお願いします。
いま帰宅しました 投稿者:新井克巳 投稿日: 8月11日(日)00時30分32秒
実は金曜の早朝より少年の野外活動指導をしていました。学校を離れた解放感からか、子どもはよく遊ぶこと。私も気力では負けずに奮闘しました。新一さん、見送りできずすみません。国宗様、レスをありがとうございます。これから泡盛飲みます
遺族交流会 投稿者:naoko 投稿日: 8月10日(土)09時02分42秒
昨夜の熊本での遺族交流会は、本当に心が洗われるような素敵な会でした。
これまでに療養所に取られた親のことを人と語り合うような機会を一切持つことなく、社会で暮らしてきた人たちの想いに、みんなが何度も涙しながら、あらためて私たちが取り組んだ裁判の意味と意義を考えさせられました。
ある遺族の方の、「自分も病気になりたかった。そうすれば療養所で親と一緒に暮らせると思った。」という言葉に、バラバラにされた家族の痛みを思いました。
幼くして親から引き離されるということが、心にどんなに深い疵を残すことか。
何をしなければならないか、今考えています。
この遺族交流会の場をもっともっと広げていかなければ。
そして遺族や家族の想いがもっとみんなに伝えられるように。
ランチタイムはコーヒー付きが定番? 投稿者:shin 投稿日: 8月10日(土)04時52分16秒
沖縄着きました。あっちこっち東京を散策したかったのだけど、一人で出歩くにはきついものがありました。歌うのも良いけど体が疲れ果てると何とか食べるのは普通にとショウガ焼き肉定食で昼初めて白ごはん食べた。うるさい喫茶店だったけど庶民的な町で食べれたのは一つ進歩!沖縄ではランチタイムにはコーヒー付が定番だけど、待っても注文取りにこないから、アメリカン飲んだ!奥の方で酔っ払いが、ギャーギャーうるさかったけど、何かと政治の話など新聞そのままのネタでだべっていたおっさんたちの会話が日本人的だなぁと思った!画一的な話で盛り上がっているのが不思議な店だった。
ミッチさんへ 投稿者:naoko 投稿日: 8月 9日(金)03時55分54秒
ごあいさつが遅れました。はじめまして。
自分への誕生日プレゼントなんてちょっと素敵ですね。
新ちゃんのCDは期待にたがわない内容だと思いますよ。
楽しみにね!
夏バテに運動不足解消を 投稿者:shin 投稿日: 8月 9日(金)00時21分21秒
今日の東京の天気は快晴だった。ぎりぎりまでホテルで甲子園の第一試合を応援して横になっていたら爆睡。最終回に逆転をとの祈りは叶わなかった。暑い夏、今度沖縄帰ったら久々に海に入ろうかなと思う!思いっきり真っ黒になってみようかな!さすがに今夜は飲んだくれにはなれなかった!すごく疲れちゃってギター担ぐのも気力がいる!東京で担いで歩くのは、やっぱり体力がいるねー。宅急便で送りたいくらい。少し筋力を鍛えるか。両足のふくらはぎがぱんぱんに張っていて日ごろの運動部不足が分かります!夏バテには皆さんも気を付けて!今度は大分の院内町で講演会です!
吉四六かなー 投稿者:KIYO 投稿日: 8月 8日(木)23時02分02秒
今頃は焼酎飲んでいますか?Shinちゃんと新井さん。すてきなコンサートだった事が伝わってきます。それにすてきな応援団もたくさん駆けつけたようで・・・。美味しいお酒をいっぱい飲んでください。お2人さん。
naokoさん、5000番はあっという間でしたね。昨夜は4900前だったような気がするのです。きっと皆さん東京のコンサートのことが気になったのではないでしょうか。更新楽しみにしていますよ。
それから質問です。ミッチさんの書きこみの「命ひたすら」はHITASURAと関係があるのでしょうか?
5000番は誰? 投稿者:naoko 投稿日: 8月 8日(木)21時33分52秒
東京のコンサートについてはじきにHPでまとめます。
新ちゃん、私が撮った写真を送ってよね。
恵楓園、光明園、それに退所者原告団のたくさんのみなさん、新ちゃんの応援に来てくれて本当にありがとう。
東京の人たちにはなんだかすごく受けていたね。予想以上でした。
新井さんともはじめて会えて、一緒に飲んだくれることができてうれしかった。
で、一度は上りたいと思っていた都庁の展望室だったのですが、当日は光化学スモッグの注意報が出て、まわりはぼんやりとけぶっていて、遠くは何も見えませんでした。残念。
新ちゃんの高所恐怖症はどっかにいってしまったようですね。
ところで、私が東京に行ってバタバタしているうちにHPへのアクセスが5000を越えてしまっていました。うかつでした。
もちろんこれから申し出てくださる方でもOKです。新ちゃんのCDをプレゼントします。
5000番を踏んだ方、5000番のアクセスカウンターを画像保存して、私宛にメールに添付して送ってください。プレゼントの送り先を忘れずに!
さらにさらに、私の本来のホームページ NAOKO'S HOME PAGE は最近更新をサボっていたのですが、10000を越えました。気まぐれなHPに毎日少しずつでもアクセスしてくれる人がいてうれしいです。近いうちにまたいろいろ更新したいと思っています。お盆休みのあとを楽しみにしてください。
国宗さま、お時間いただき感謝 投稿者:新井克巳 投稿日: 8月 8日(木)18時50分04秒
私はあいにく都庁コンサートには行けなかったのですが、その晩、新一さん等を囲んで打ち上げをさせていただきました。成功したとのお話しをうれしく思いました。関係者の皆様に感謝申し上げます。どうぞ、またお会いいたしましょう。なお新一さんは本日より、再びわが家に泊まっています。これから飲みにいきます、懲りずにまた....
展望室のステージ 投稿者:shin 投稿日: 8月 8日(木)15時30分00秒
昨日都庁展望室で朝から歌いまくった。眺めの良い所と神様の気分でトーク、演奏。立ち止まる人たちの合間を通り抜ける僕の声はいかがなものだったのか。パネル展初日を飾った空間と高層の織り成すステージは老いの方、観光客など憩いのムード感覚。スポットのない中で歌うのは久し振り。予定通りの曲順をこなし、反響ヨシの声を横に無事終えた。当日駆け付けてくれた非入所者、退所者の原告の皆さん応援ありがとうございました。人権啓発に尽力している年配の方もしっかり僕の歌を聞いてくれていました!次は10月1日西口広場で歌います!面白そう。
はじめまして 岐阜も暑いです 投稿者:ミッチ 投稿日: 8月 7日(水)23時53分56秒
こちらは、アスファルトも溶けちゃう勢いの暑さです。
KIYOさんに「沖縄愛楽園の療養50年史命ひたすら」を読みましたっていうお手紙を書いて、宮里さんを紹介していただきました。
東京はいかがでしたか。うのさんがおっしゃるように、もちろん良かったんでしょうけど。どんな曲を歌ったのか気になっています。教えてくださいね。
今年の誕生日来月なんですけど、自分へのプレゼント、宮里さんのCDにしようと思っています。
歌詞を何度も読んでいて、どういう声なのかなあ。どんな歌なのかなあって、写真を見て想像しています。来月までがまんがまんのミッチです。
どうぞよろしくお願いします。
熊本も暑いです 投稿者:うの 投稿日: 8月 7日(水)21時14分23秒
どうだったんだろう?法務局の主催とか言われてもピンとこないし。都庁展望室って言われても想像もつかないし。私も高いところだめだから考えたくないし。良かったことにしとこう。
これから都庁でコンサート 投稿者:naoko 投稿日: 8月 7日(水)07時59分09秒
東京で朝を迎えています。
これから新宿へ向かいます。
新ちゃんの今日の調子はどうでしょうか?
仕事が終わらな〜い(^^; 投稿者:naoko 投稿日: 8月 5日(月)05時06分28秒
やたら忙しくて、ここにもゆっくり寄れませんでしたよ。
横目で眺めながら、シ・ゴ・ト。
8月9日のハンセン病訴訟第27次提訴の準備を今しておかなければ、東京に行けないんだもの。
今月は東京出張が多い。先週も金・土は東京。今週も出かける。来週も東京。回数券を買えば良かったかナ。
クーラー病かなぁ? 投稿者:shin 投稿日: 8月 5日(月)01時43分20秒
7日の人権啓発パネル展示会が新宿区の東京都庁第一庁舎展望室である。その企画にハンセン病の人権回復の理解をとの趣旨で東京法務局と東京都主催で歌います。なにせ高層恐怖症の僕、前以て下見しておかないと足がすくむ。できるだけ歌に集中することにしよう。今日新井さんを訪ねながら上京。雑踏の中をギター持って歩くのはちょっとしんどい。たまには手ぶらで出向きたい時がある。年なのかなぁー、それとも暑かったせいなのかなぁー。愛楽園の納涼祭は本当に暑かった。変に酔えなかった。地域の人は一杯だったんだと思うけど、交流はあったんだろうか?
暑い夏です 投稿者:KIYO 投稿日: 8月 4日(日)22時09分05秒
暑い夏が続いていますね。今日はある用事で大分空港内を見学してきました。特別に許可をもらって滑走路内にも降り立ちました。ちょうど沖縄行きのANKが飛び立つところで、滑走路からだと飛行機の音が身体に響くし、青空に向かって飛び立つ姿は感動的でした。あれに乗って沖縄に行きたいねって感じでした。しかし、滑走路内は45℃ぐらいの熱さだそうで、いつか名古屋空港の滑走路が熱さで溶けたと言うのも納得です。Shinちゃんはこれからアパート探しですか?私は大学を卒業してから6回引越しを経験しましたがアパート探しの秘訣は残念ながら持ち合わせていません。納得して決めるというより、まあまあで決めて、後でそこの良さを見つけ出すタイプです。イメージにあったものが見つかるといいですね。
暑中お見舞い 投稿者:shin 投稿日: 8月 1日(木)22時55分03秒
暑中お見舞い申し上げます。慌ただしい夏の休み計画で忙しい日々の中いかがお過ごしでしょうか?先日奄美大島の旅を敢行!あっと言う間の夏休みの船旅でした。奄美の風を感じただけで自分らしさが見える気がして収穫は多きなり!さて現実は社会復帰のためのアパート探し、今月には退所の段取りを強行するつもり。どこに住みたいかと言われた時、住みたい場所を決定できないのが不思議。何処でもいいや。それだけ住みたい所がないって事かな。思いっきり出るつもり。ハードルばかり考えてると気持ちがまいる。とりあえず引っ越しジタクを。心はいつも人生の旅人かな?
広報誌はホームページで閲覧可 投稿者:新井克巳 投稿日: 8月 1日(木)21時05分09秒
「東京都中央区広報」に掲載された「東京法務局のおしらせ」のアドレスをお知らせします。http://www.city.chuo.tokyo.jp/koho/140801/07_02.html
新井さんへ 投稿者:naoko 投稿日: 8月 1日(木)06時33分47秒
東京のお話は以前からあって、HPの方でも紹介していましたよ。
新ちゃんは、新井さんには直接話していなかったのかしら?
みなさんで参加していただければと思います。
ただ法務局はこちらへは詳しい情報を送ってくれていません。
よければ新井さんのお持ちのお知らせを私までFAXしてくださいませ。
FAX 096-322-2573
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