この後王女ら三人は、すぐに衛兵に連れられて部屋を出て行った。
待ち人のことなど片隅も考えていなかった三人は、すぐに驚愕することになる……。
「では、こちらの部屋へどうぞ」
案内役の兵士が、王宮内の一角にある部屋のドアを開けて鈴凛達を促した。彼女たちもそれに従う。
「話が終わりましたらお申し付けください」
部屋の奥に深い礼をしながら、兵士は言った。
真っ暗な部屋の奥からは、くぐもった声が返ってくる。
返事を受けて、兵士は部屋のドアを閉めた。
(……さて、ここからが重要だぞ〜)
鈴凛は自分に言い聞かす。
現在洋子や自分たちが捕らわれている場所からこの部屋までの道のりは、だいたい把握した。
途中にあった階段や通路なども、窓から見える城の外観などからどこに通じているか予想がついた。
ここまでは思ったとおり。いや、思ったよりも大きな収穫だった。
ただし本番は今、これから。
自分たちファルナール王国の王女たちに、帝国の要人から話があるという。
それがどんな話なのか、おおよその予見はできた。
今後、自分たちは人質として王国と帝国の外交にせいぜい利用されるだけだろうが、それについての具体的な段取りを、自分たちの態度を見て決めるつもりなのだろう。
もしかしたらもっと別の話題なのかもしれないが、どんな話であれ王国の者にとっては気分の悪い話であることに違いなかった。
「ちょっと、明かりつけてよ。真っ暗で何も見えないじゃない」
強い調子で鈴凛が声を張る。
相手に値踏みされる状況、たとえば今のような状況では弱みを見せずに強がるのが一番いいと、鈴凛は経験上そう理解していたから。
また、鈴凛は妹二人に、できるだけ黙っているように指示もしていた。
これは、妹たちは自分よりも若く……いや、幼いため、これから始まる言葉のやり取りには向いていないと判断したことによる。
「……おっと、すまないな」
不意に、くぐもった、底知れず低い声が唸った。
聞いただけで不愉快なような、不安になるような、内臓に響くドス黒い声色だった。
発せられた重い気の言葉にやや気圧されつつも、平静を装って明かりが点くのを鈴凛は待った。
花穂も先ほどの声に当てられて身を縮こまらせる。
雛子はただぼんやりとしていた。現状が判っていないようである。
程なくして、部屋の明かりが点いた。
とは言うものの、部屋の壁に備え付けられた燭台に火が灯っただけで、部屋の暗さが少々薄らいだ程度の明かりしかもたらさなかった。
(どっかの洞窟かっつーの)
内心で毒づく鈴凛。それでも彼女は『偵察』をやめることが無かった。
部屋を観察してみると、会議に使われるような正方形の机の上に、大きな地図が広げられていた。
机の周りにはイスがあるようだ。他には何も無いように見える。
おそらく帝国での作戦会議室か何かなのだろう。
(そんなところに王国の人間を呼び込むだなんて、どうかしてる)
率直な感想がこれだった。
この部屋が本当に作戦会議室であれば、帝国の動向、作戦といった重要事項を決める場所がここである。
ともすれば、今机の上に広げられている地図は帝国の機密と言って良い。
地図にある記載内容を見られれば、戦争における今後の作戦が自分たちにバレてしまうかもしれないではないか。
帝国も案外マヌケなものだ、と鈴凛は心の中で嘲笑した……が、すぐに考えを改める。
(もしかしたら、ワナ……。うん、有り得る)
いくら自分たちが若年だからといって、こうも簡単に機密に近づけさせるわけがない。
自分たちに帝国を侮らせるための処置、もしくはもっと別の意図があると、言えなくも無かった。
……このように鈴凛が四方八方に考えを張り巡らせている最中、再び例の黒い声が、机の向こう側から聞こえた。
「そうあからさまに様子を探るなよ。そういうのはもう少し節度を持ってやったほうがいいぜ」
相手の第一声。声色に反して、やや軽い調子の明るい口調だった。
妙な馴れ馴れしさが、鈴凛の癪に障る。
しかしまだ目が暗闇に慣れないせいか、その声の主が未だ見えない。
「だがまぁ、しばらく見ないうちに背が伸びたな。三人とも元気そうで、何よりだ」
「何よソレ。帝国に知り合いなんていない。軽軽しい口の利き方しないで」
「これは手厳しいな。お前、いつからそんなにガードが硬くなったんだ」
変わらぬ口調に、鈴凛は妙にイラついた。
いくらなんでも、相手の物言いは一国の王女に対して無礼と言えた。
また、相手の口調もそうだが、何よりその相手が誰なのかわからず、しかし相手は自分たちを認知していること。
つまり、相手に優位に立たれているのが、勝気な鈴凛には気に食わなかったのだ。
やがて、やっと声の主が見えてきた。
どんな強面の男なのかと見据えてみれば、予想に反して相手はフードつきのマントに身をくるんだ仮面の男であった。
そのいで立ちに鈴凛のイライラが余計に募り、つい悪態が口に出てしまう。
「ちょっとアンタ。さっきから馴れ馴れしいことばっかり言ってると思ったら仮面なんかつけちゃって、いくら私たちが敵方の王女だからって、礼儀ってもんを知らなすぎるんじゃない? それとも帝国の人たちって、皆こういう感じの礼儀知らずなわけ?」
今この場において帝国に捕らわれている彼女たちからすれば、帝国の要人の怒りを買うような発現をしたところで何の得も無いのだが、一度口にしたら止まらないのが彼女の性分だった。
「素顔くらい見せたらどうなのよ。それがレディに対する態度ってもんでしょうが」
「レディはそんなに口悪くないだろうに」
「うっ……。……っるさいわね!」
「まぁとにかく、そういきり立つな。確かに、いくら妹相手だからって失礼が過ぎたとは思うが、その辺は俺たち兄妹の仲じゃないか」
「……は? 『兄妹』?」
激昂気味だった鈴凛が、仮面の男の言った一つの単語に気を取られ、やや呆気に取られた。
そんな鈴凛を知ってか知らずか、仮面の男は続けた。
「そう、俺たちは血の繋がった兄妹、家族だろう。だからそう邪険にするな」
若干の間、鈴凛は相手の言葉が理解できないといったような無表情だったが、次第に怒りの様相が表れ、そして叫ぶ。
「ふざけないで! なんでアンタなんかに妹呼ばわりされなきゃいけないの!」
確かに鈴凛には兄がいたが、目の前の男とは雰囲気があまりに似つかないことを彼女自身も判っていた。
「だいたいアニキはファルナール王国の後継者なんだから、よりによって帝国にいるわけ無いじゃない!」
感情の赴くまま、思いついたままに彼女は声を荒げる。
彼女の怒りには様々な要因があるが、最も強い「それ」は目の前の礼儀知らずに『妹』と呼ばれたことだ。
鈴凛自身が兄を強く想っているが故、何故だか判らないが兄と自分を汚されたようで心底腹が立ったのだ。
そんな折、再三怒鳴る姉を花穂は黙って見ていたが、花穂は鈴凛と違い、いささか冷静に仮面の男を観察できていた。
観察と呼ぶには随分と陳腐なものだったが、それでも花穂は鈴凛より目の前の男を判っていたことだろう。
この場に咲耶や春歌といった姉たちがいたならば鈴凛と同じように怒ったと思われるが、花穂はそうではなかった。
彼女は、何かを感じていたのだ。そう、どことなく懐かしい『何か』……。
その『何か』に行き着いた途端、彼女はハッとして顔を上げた。
瞬間、鈴凛の罵声を花穂が遮る。
「お姉ちゃま、待って。お願いだから」
「な、何よ」
まさか妹に止められるとは思っていなかった鈴凛はややバツが悪そうに花穂を見やると、花穂はまっすぐに仮面の男を見つめていた。
「あの、すみませんけど、あなたの仮面、外してもらえませんか? もしあなたがお兄ちゃまなら、顔を隠す必要はないでしょ?」
見知らぬ人間と話す事の不慣れから来る硬さが感じられたが、しっかりとした口調で言葉を紡ぐ。
「うむ、ごもっとも。そういう言葉を待ってたよ。良い判断だ」
お前も成長したんだな、と付け加えつつ、男は仮面に手をかけた。
彼のその動作は、ひどくゆっくりに見えた。
外した仮面を手元に置き、続けてかぶっていたフードを取り払う。
その動作で溢れて揺れた、男性にしては長い漆黒の髪。
彼女たちを見据える、非常に鋭いが奥底に優しさの見える瞳。
「これで信じてくれるかな?」
先の黒い声とは根本から異なる、低いけれど清涼な声。そしてその声を紡ぎだす端正な唇。
三年前に遠くへ行ってしまった、忘れもしない最愛の兄の顔が。
目の前に。
「……ウソ」
「お、お兄ちゃま……ホントにお兄ちゃま?」
鈴凛は立ち尽くし、花穂も目を見開く。
「ウソよ、こんなのウソ! アニキのはずない!」
先ほどよりさらに感情的に叫ぶ。
目の前の男に兄を感じた本能と、あらゆる可能性を考慮してしまい本能を許容できない理性。
せめぎあう『二人の彼女』が、鈴凛の頭を混乱させていた。
花穂も、最も会いたかった者が急に目の前に現れたことで、多少放心しているようだった。
頭を振る鈴凛に、素顔を現した男は不自然なくらい優しい声で語る。
「随分疑い深くなったな。悪いことではないが、できればそんな風にはなって欲しくなかったな……」
言いながら、左手の拳当てを外してみせる。声が違うのは、どうやら仮面が変声器の役割をしているらしかった。
「これが証拠だ。よく見てくれ」
男が差し出した左手、その甲には鈍く光る刻印があった。
―――邪印だった。
「お、お兄ちゃま……ホントにお兄ちゃまだー!」
弾かれたように花穂が駆け出して男に飛びつき、彼はそれを受け止める。
「お兄ちゃま……会いたかった……すごく会いたかったぁ」
「俺もだよ。花穂は大きくなったな」
頭をなでられ、くすぐったそうに微笑む花穂はとても幸せそうだった。
「鈴凛も突っ立ってないで、こっちに来てよく顔を見せてくれ」
「…………」
鈴凛も花穂と同じような衝動に駆られてはいたが、現地が帝国本拠ということもあり、どうしても疑惑を抱かずにはいられなかったのだ。
未だ戸惑っている鈴凛に、またしても優しい眼差しで訴える男。
「本当に用心深くなったな。きっと今までそんな調子で、無理して頑張ってきたんだろう。辛い思いもしたはずだ。悪かった。許してくれ」
「あ、アニキ……」
「本当にすまなかった」
「……アニキぃ……」
感極まったのか、目に涙を浮かべて静かに歩み寄り、抱きついた。男も彼女の肩を優しく抱く。
今このとき、鈴凛は王女や姉としての立場を降り、久しぶりに、本当に久しぶりに一人の妹に戻ったのだった。
もはや彼女たちは、男に抱かれながら泣くこと以外をしなかった。
ただ、泣くことだけを、し続けた。
「ねぇお兄ちゃま、何で帰ってこないで帝国にいるの?」
「そうだよ、私たちみんなアニキのこと待ってたのに!」
ある程度して、落ち着いた姉妹が口々に彼へ疑問をぶつける。
三年間溜まった想いは積もり積もっていたし、もちろんその想いはすぐにでも男に向けたかった。
だが、とにかく一番不可解なことをはっきりさせておきたかったのだろう。
「その辺は色々事情があるんだが、言う訳にはいかない。何せ今も監視されてるものでね」
声をひそめての耳打ち。
体を強張らせた二人に、男はやはり優しく接する。
「何、心配ない。会話は聞こえていないし、相手もさほど真面目に仕事をしてないからな」
言い終え、スッと二人の肩にかけていた腕を開放した。
「すまないが今回はもう時間が無い。何とかお前たちを逃がす処置はするが、詳しいことはまた今度だ」
「やだ、もっとお兄ちゃまと一緒にいたいよ。話したいことたくさんあるのに」
目に涙のきらめきを残したまま、花穂は切実にせがんだ。
「やだよ、せっかく会えたのに、また離れ離れになるのはいや」
「……ダメだよ花穂、アニキを困らせちゃダメ」
離れようとしない花穂の肩に手を触れながら、鈴凛は諭した。
鈴凛自身は当然花穂と同じ気持ちであったが、王女として、姉として振舞ってきた今までの生活は、彼女に強い責任感を生んでいたのだ。
「ね、アニキはまたすぐに会いに来てくれるから」
「……ホント? お兄ちゃま」
「もちろんだ」
腰掛けながらではあるが、背筋を伸ばして自身の右手を左胸に当てて言った。
それは、王国の騎士がする君主への誓いの仕草であった。
「ね、だから今は部屋に帰ろ? アニキはいつだって私たちのこと考えてくれてるから、大丈夫」
「……うん、そうだね。わかったよ」
渋々と花穂は男の傍を離れ、男を見やりながらドアへ歩み寄った。鈴凛も花穂に続く。
「話は終わりだ。彼女たちを丁重に送って差し上げろ」
いつの間に仮面を付け直したのか、男が当初の声で言い放つと、部屋のドアが重たい音を立てながら開く。
この部屋まで鈴凛達を案内した者とは別の兵士が顔を出し、彼女たちを外へと促した。
花穂は最後に男を見つめ、手を小さく振った。男も軽く手を上げて答える。
花穂が出て行った後に、続いて鈴凛が部屋を出かけたとき、彼女が不意に振り向いた。
「ねぇ、次はいつ話せる?」
「判らないが、一週間以内に何とかする」
「ダメ、三日以内。そうじゃないと泣いちゃうんだから」
昔に何度も言って兄を困らせた『泣いちゃうんだから』をここでも言ってみせ、たまらず男は苦笑する。
「肝に銘じておく」
「…………じゃ、またね」
名残惜しそうに、鈴凛は部屋を出て行った。
……しばらく男は椅子に腰掛けたままだったが、数瞬後に息を吐きながら仮面を外した。
その顔は、口の片端だけ吊り上げて笑う、およそ闇に捕らわれた者がするような、ゾッとする表情だった……。
また、部屋を出て行った様子を見る限り、きっと鈴凛も花穂も、男に会えた事に夢中で気付かなかったのであろう。
もしくは、部屋を出たそのときに気付いたかもしれない。
―――末の妹が、いつの間にか姿を消していたことに。
あとがき、読みたい人だけドラッグしましょう
なんつーか、ダメです。ダメダメです。だめぽ。 読んでて、色々と情景描写や流れに不自然さが有り有りです。 ダメです。久しぶりの新作なので腕が鈍ってます。 えぇ、毎回↑みたいなこと書いてる気がしますが。 えー、あれですね。代名詞が多すぎですね。似たり寄ったりな表現が多すぎですね。 ダメダメ。まったくもって。 前回からやたら期間も空きましたし、もうダメですね。クソですね。一度死んだほうがいいですか、自分。 生き返れるものなら一度死んでお詫びしてもいいんではないでしょうか、自分。 卑屈になるしかない、ただいまそんな気分です。 まぁとにもかくにも、とりあえず五ヶ月ぶりの長編小説でした。 拙いところ多々ありますが、見るに耐えないところ多々ありますが、「俺のほうがもっと上手く書けるぜぇー」なところ多々ありますが、
こんな物でも読んで下さった貴方には感謝の意を示します。 どうも、読んでくださってありがとうございました。 こんな梨の拙作でよければ、今後ともお付き合いください。 では、コレにて。梨でした。
2003/4/5 0:19 梨