「おーい、豪! 起きてるー?」

日本縦断特急ヴェガ。

史上空前の特別急行は今、月が浮かぶ夜空の下を走っていた。

特別急行だからという訳ではなかろうが、列車とは思えないくらい、その走りは夜の静けさと同じくして穏やかである。

そんな走行の中、静寂を破るように、とある個室の戸を叩く音が寝台車内に響く。

「ねーぇ、豪! 寝ちゃったのー?」

もしかしたら既に床に入っている相手に対し、無遠慮なノックと共に声をかける所から、相手への思慮は微塵も感じない。



声の主、名前は山口星奈。



「豪ってば、もー。寝てるんだったら返事しろー」

寝てるのならば返事をするわけがないのだが。



「……は〜い」



男性のものらしい、普段より幾分低い声がドアの向こうから漏れてきた。

どこかやる気のなさそうなその声を聞いた途端、許可もなしに嬉々としてドアを開ける星奈。

そして第一声。

「アンタ、バっカじゃないの?」

「……」

いきなりその言い草は何だ、といった風に、個室の主はしつらえられたベッドから半分だけ顔を出す。

体を覆う布切れから覗く目は細く切れ長で、ひどく鋭かった。

個室の主と星奈は、ヴェガにたまたま同時に乗り合わせたことで知り合ったという、まだ日の浅い友人同士である。

一見しただけで気圧されるようなその目は、しかし付き合いが短いはずの星奈には全く無効だった。

星奈は、彼のその瞳が自分を脅かそうとしているものではないことを知っているからだ。



「本当に寝てるんなら返事できるわけ無いじゃん。マヌケ―!」

そんなことは彼も重々承知している。

あえて返事したのは彼なりのジョークであったのだが、星奈はそれを『自らの作戦勝ち』と満足げに微笑んでいた。

短い付き合いながらも「どうせ弁明したって無駄なんだろうな」と理解している彼は、一つため息をつく。

「なんか用か」

「あ、そうそう。ちょっと今、食堂車まで出てきてよ」

「無理」

素っ気無く言い放つと、星奈に背を向けるようにくるりと寝返りをうった。

彼の態度にムッとして、ツカツカと個室の中へ入っていく星奈。

ベッドの側面まで来たところで、顔半分だけ出した彼を睨みつけながら腰に手を当てる。

「何さ、その態度。この星奈ちゃんのお願いが聞けないってワケ?」

「もう奢らされるのは嫌だ」

どうやら個室の主からしてみると『星奈のお願い+食堂車に来い=ご飯奢れ』の等式があるらしい。

「今回はそんなんじゃなくって。もっと真面目な話」

奢りの話も真面目に考えて欲しいものだと思いながらも、その意を口にはしなかった。

やはり、言っても無駄だろうという推測の元である。

「みらいちゃんのことで、ちょっとさ。だからさぁ、さっさと準備して食堂車まで来てよ」

星奈が言ったみらいちゃんとは、今をときめく花のアイドル。

テレビの向こうでは底抜けに明るく、圧倒的な存在感で大人気の彼女ではあるが、その実はか弱く気の小さい少女であった。

ちょっとしたきっかけが理由で「本当」の飯山みらいを知った星奈と個室の主は、彼女の二面性に驚いたものである。



「つばさちゃんとみらいちゃんがもう食堂車にいるんだから、あんまり待たせないでよね」

(……なんだって。つばさって言ったか、今)

個室の主は思案した様子を見せる。



……つばさと星奈がコンビを組むと、ろくなことがないのだ。

今までにも彼女ら二人―――と共に、金髪美女や財閥のお嬢様など―――の起こす列車内事件で、個室の主は色々とエライ目に合っていた。

彼女らが散々騒ぎたてる中、彼はその後始末に一人奔放するのが常であるのだ。

放っておけばいいものを、見た目は怖くとも中身は筋が通っている個室の主であるから、見て見ぬフリが出来ないのであろう。

また、不幸にも彼以外に幾人かの少女が騒ぎに巻き込まれることもある。

巻き込まれる少女らの大体の候補が 『絵が上手な少女』 『登山好きな少女』 『寡黙な少女』 『なまずグッズ集めが趣味な少女』 といった面々なのだが、今回は珍しく 『アイドルな少女』 飯山みらいがその不幸に当たったようだ。



あの気弱な少女が絡んでる中で、突っ走る傾向のある星奈とつばさのツートップを放っておいていいものだろうか。

答えは、否。食い止めることが可能なのは自分と車掌と料理長くらいだ。

「……着替えるから、先に行ってろ」

「はいはい、待ってるからね」

個室の主の言葉を受けた星奈は、ひらひらと手を振り、部屋を出て行った。





星奈が出て行った後に、手早く普段着に着替える。

青っぽいTシャツに黒のパーカーを重ね、下は柔らかいジーンズ。

しゃれっ気の無いものであるが、本人はわりと気に入っている服装だ。



先ほどまで寝転がっていたので、男性にしては随分長い髪がだらしなく跳ねている。

前髪は顎に届き、後髪は首裏をすっぽりと隠すくらい長い。

その髪を、前髪を多少残し、あとはうなじのあたりで纏めた。

髪を纏めると、前髪に隠れた目が覗いた。



上記したように、彼の目の鋭さは常人離れしている。

もともとの顔立ちは端整で、本来なら異性にも受けがいいであろうその容姿も、目つきの悪さから一般受けしない。

また、口数も割と少なく、口を開けば開いたでやや無愛想気味な口調の彼だから、「怖い人」という印象を周囲に与えがちである。

ただ、この列車の乗務員や他の客などは不思議と彼を怖がらず、逆に彼の内面の良さをしっかり感じ取り、好感を抱くものがほとんどだ。





着替え終わると、ハァ、とため息を一つ。

(やれやれだ、全く)

この列車に乗ってから、彼は気苦労の連続だった。

色々変なことに巻き込まれ、貧乏くじを引き、後始末は全部自分の担当。

嫌だ、めんどくさい、もうゴメンだと口では言う。

しかし、そんな状況を心のどこかで楽しんでいるのも、事実ではあった。

(こういうのも、まぁ悪くは無い)

端から見れば『ニヤリ』という形容が当てはまるような微笑みが浮かぶ。

部屋から出るとまたいつもの無表情。そして食堂車に向かう。





個室の主、名前は白羽鳥 豪。