注意!
この話の内容はけっこう酷いです。
虫が好きな人、殺生が嫌いな人、その他子供の純粋さゆえの残酷な行為を許せない人は読まないで下さい。
言いましたよ。言いましたからね。





シーチキン

 

一つ、あなたに聞いておきたいことがあります。

あなたは『シーチキン』を知っていますか?
『知っている』と答えたあなた、この場合の『シーチキン』は某缶詰食品とは全くの別物ですぜ。

おそらく、梨が言っている『シーチキン』とあなたの思っている『シーチキン』とはギャップがあることと思います。


では、ここから語らせてもらいましょう。
梨の言っている『シーチキン』とは、どのようなものか?
まず、『シーチキン』は動作です。用途は『ねぇ、シーチキンしよ?』とか、こんな感じです。
しかも期間限定。『シーチキン』を行うにはある季節でないといかんのです。



これは結構昔の話で、梨がまだ小学生、札幌に住んでいた頃の話です。

梨の家から多少離れたところに『中央公園』と呼ばれる公園がありました。
よくここでサッカーや鬼ごっこなどして遊んだものです。梨と『シーチキン』の運命の出会いはこの中央公園。

先ほど季節が限られていると言いましたが、その季節とは秋です。
札幌は関東などに比べると非常に自然が豊かで、虫なども結構わんさかです。
で、季節は秋ですから、出没する虫も当然秋仕様であります。

さて、秋仕様の虫と問われたとき、あなたは何を思い浮かべますか?
キリギリス、コオロギ、スズムシなど、挙げれば結構出てきますよね。
え?何でそんなことを聞くのか、ですって?そりゃーあなた、『シーチキン』を実行するにはとある虫が欠かせないからですよ。

さて、そのとある虫、皆さんは何だと思いますか?









答えはトンボです。トンボはもう必要不可欠です。
秋になると、トンボが結構多めに飛び交うんですよ、公園中に。今はどうか判りませんけどね。
で、トンボって言うのはなかなか可愛らしいもので、ついっと人差し指を天に指してやると、その指に留まるんですよ。

さぁ、ここからが本番です。

この日、梨は友達とサッカーをしていました。
で、しばらく遊んだあと、リーダー格の友達が「ちょっと水飲んでくる」と言って、その場を離れました。
リーダー格の子はなかなか人徳があったので、「オレもオレも」と他に何人か彼についていきました。

で、手持ち無沙汰になった梨とその他何名か。

そのうちの二人、TくんとKくんがこんな話をし始めました。

T:なぁ、シーチキンって知ってる?
K:何それ、知らな〜い。どんなの?
T:知らないのか、じゃあやって見せてやるよ。

その会話が耳に入った梨はちょっと興味があったので、話の輪に直接は加わらずに様子を見ることにしました。

さて、おもむろにTくんは先に言ったように、人差し指を上向きに伸ばします。
案の定、とあるトンボが一匹その指に留まりました。留まってしまいました

T:いくぞ〜。

そして指に留まったトンボの羽をおもむろに掴むTくん、何故か嬉しそうに口を歪めています。
梨は決してこのときのTくんの顔を忘れない

羽をどう持ったかと言うと、トンボの背中から見て左の羽を左手に、右の羽を右手に、って感じです。
ハイ、もうわかりますね!次の瞬間、Tくんは!



T:シー!チキイイィィィィン!!!



絶叫しながら羽を引っ張りやがりました!!

哀れ、トンボは頭から尻尾まできれいに真っ二つ一刀両断たぁこのことだ。

あまりの唐突かつ残虐な処刑を目の当たりにし、絶句する梨とKくん。
しかもこの後Tくんは「お前もやってみ?」とKくんに勧める始末。
トンボの命のことなど露にも思ってないのでしょう、彼の冷酷さは手におえません。
話の輪に加わらなくて本当に良かったです。
なにせTくんったらなかなかに強情で、Kくんがやりたがらないのに必死で食い下がってるんですもん。

結局Kくんもやるハメになり、トンボはほんの数分のうちに二匹から四匹になりました。

これがシーチキンの正体です。
しかもこのシーチキン、結構長い間流行りました。
この日以外にも、梨が遊んでいるときに遠くのほうで「シーチキー―ン!」という叫びが聞こえるたび、酷いことをすると思ったものです。

梨も何回か誘われましたが、そのつど『怖いからヤダ』と言って断っていました。
梨の他にも数名そういう子がいましたが、梨も含めて全員が『臆病者』のレッテルを貼られた記憶もあります。

このシーチキンという名の由来、それはチキン(=腰抜け)ではないことを証明する、というところにあるらしいです。
じゃあそれがなぜ『シー』と付くのかイマイチ判りませんが、まぁそういうことですわ。

子供っていうのは残酷ですね。
だって、虫の命を笑いながら奪ったり、そしてそれを出来ない仲間を馬鹿にするということを、普通にやるんですから。
それは子供が持つ純粋さの裏返し、と言えるのではないのでしょうか。
純粋に喜楽を求め、純粋に優越感を求め、純粋に自身の安定を求める。

『純粋』という言葉が、必ずしもいい意味を持つとは限らない、梨はそう思わずにはいられません。

という訳で。




今回の教訓:
子供特有の『純粋さ』には気をつけろ!