2002年6月6日
東京文化会館
1993年の初来日以来、毎回上質の上演を提供してくれるボローニャ歌劇場 Teatro
Comunale di Bologna の3回目の来日引越し公演である。
それにしても、10年はひとむかし。93年のミレッラ・フレーニ、フィオレンツァ・コッソットという大プリマドンナ競演の『アドリアーナ・ルクヴルール』の名舞台から始まり、中堅どころが顔をそろえた98年の第2回目の『ドン・カルロ』を経て、今回の『セヴィリャの理髪師』で、21世紀のベルカント・オペラを担うであろう若手の歌声を聴けたのは、感慨深い。
もちろん、若手に混じって大ベテラン、レオ・ヌッチがフィガロを歌ったのも、今回の大きな目玉。一昨年、心臓病で来日がキャンセルされ、もはや米大陸・極東などへの遠征は不可能とも耳にしていたのだが、今回元気な姿を見せてくれたのは、うれしいかぎり。
さて、言うまでもなく、超有名な序曲からオペラは始まる。流れるような管弦楽の響きが、ロッシーニの世界へと聴衆を誘うのだが、ダニエレ・ガッティの指揮は、ロッシーニには重厚すぎるのではないだろうか?
実は同じようなことは、レオ・ヌッチのフィガロにもあてはまった。颯爽と夜明けのセヴィリャの街角に登場するフィガロのアリア「私は町の何でも屋」。重い。Figaro
su, Figaro giùと歌われても、そんなにあちこち駆け回れそうもない感じ。かつてはフィガロを十八番としたヌッチだが、現在ではヴェルディ・バリトンの重鎮。年齢的にも、もはやフィガロには、立派過ぎる。
さて、物語は理髪師フィガロが、町娘ロジーナを見初めたアルマヴィーヴァ伯爵に、恋の仲立ちを請け負うところから始まる。ロジーナは後見人のバルトロに籠の鳥にされている。バルトロは彼女の若さと財産目当てに、結婚を目論んでいるのだ。
ロジーナ役のヴェッセリーナ・カサロヴァ。今や、ロッシーニ・メゾの第一人者となった彼女を聴くのも楽しみだったが、開口一番、どすん!ときた。メゾ・ソプラノというより、これはもうコントラルトなのかもしれない。どすのきいた暗めの声。ロッシーニは女のかんだかい声が嫌いだったのか、自作のオペラ・ブッファのヒロインの多くに低声をあてているが、考えてみると可憐な娘役に低い声というのは、絶妙なバランスを必要とするものだ。窓の下でセレナーデを歌う若者リンドーロ(伯爵の世を忍ぶ姿)との恋を成就して見せるわ、というロジーナの決意表明のアリア「今の歌声は」をよく聴くと、
私は素直で 人を立てるし 従順で やさしくて 情も深いわ
Io sono docile, son rispettosa, son obbediente,
dolce, amorosa
と、彼女の可憐さが充分計算し尽くされたものであることがわかる。何しろ、いざとなったら「100の罠」Cento
trappole を仕掛けるわよ、というのだから!
カサロヴァはスタイルがよくて、気の強そうな美人で、視覚的にも納得できるロジーナだった。アジリタも見事で、どすのきいた声をよくころがしてくれた。難を言えば、くぐもったようなイタリア語の発音が、少し気になった。
さて、ここ数年であっという間に、ロッシーニ・オペラの第一人者となった歌手がもうひとり登場する。若きテノール、ファン・ディエゴ・フローレス。これほどまでに、すべてがアルマヴィーヴァ伯爵にはまっているテノールが、ロッシーニが『セヴィリャの理髪師』を作曲して以来、存在しただろうか!?まだ30歳にもなっていない若さで、スリムでハンサム。その伸びやかで艶やかな高音を耳にすると、ロジーナならずとも夢中にならずにはいられないだろう。しかもこの若さにして、ロッシーニ・テノールに要求される高度な技巧を縦横に駆使してみせる!そして舞台を身軽に駆け回るやんちゃぶりを発揮し、コメディ演技の才も惜しげもなく披露してくれた。21世紀のスーパー・ベルカント・テノールとなるのではないだろうか!
バルトロのブルーノ・プラティコ(声量に物足りなさを感じたが、早口はお見事)、音楽教師ドン・バジリオのジョヴァンニ・フルラネット(同じバスのフルラネットでも、フェルッチョならもっと・・・と思わなくもなかったが、それはないものねだり)らバッソ・ブッフォたちも健闘。
彼ら若い歌手に混じって、レオ・ヌッチもとても楽しそうだった。
さらに第一幕のフィナーレなどでのアンサンブルの妙。心はずむロッシーニ・クレッシェンド!同じオペラ・ブッファでも、モーツァルトは明るさの底にデーモンをひそませているのだが、ロッシーニは底抜けに明るいのみ。考える必要などなし。ただただ音を楽しむ、すなわち「音楽」の快楽に身をゆだねればよいのだ。
だから第二幕後半で、バルトロの罠でロジーナがリンドーロの誠実を疑う窮地に陥っても、すぐに水戸黄門みたいに、リンドーロ実はアルマヴィーヴァ伯爵とわかって、すべては大団円。
この終幕でのアルマヴィーヴァ伯爵の長大なアリアが、今回の公演の最大のききものといってもよいものだった。フローレスの見事な歌唱に、聴衆も大いに熱狂させられた。
(ついでながら、伯爵の正体を現したときの衣装のド派手だったこと。「王子様オーラ」を発するフローレスでなければ、とても着こなせまい)
演出と舞台装置は、おおむねオーソドックスで、小道具にしゃれこうべを使ったりするところにちょっと毒があったくらい。ロジーナの窓のあるバルトロ邸の外観など、実に立派な装置。セヴィリャの町のパノラマもきれいだった。ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァルでも使用されたものとのこと。
最後になってしまったが、男声コーラスのイタリア語の響きの美しさも特筆ものだった。
とにかく、ロッシーニひいてはイタリア・オペラのエッセンスのような楽しい公演だった。ボローニャ歌劇場の引越し公演は、いつもイタリア・オペラの最良の伝統を運んできてくれるようだ。
指揮 : ダニエレ・ガッティ
管弦楽 : ボローニャ歌劇場管弦楽団
合唱 : ボローニャ歌劇場合唱団
演出 : ルイージ・スクァルツィーナ
装置/衣装 : ジョヴァンニ・アゴスティヌッチ
配役
アルマヴィーヴァ伯爵(リンドーロ) : ファン・ディエゴ・フローレス
医師バルトロ : ブルーノ・プラティコ
ロジーナ : ヴェッセリーナ・カサロヴァ
フィガロ : レオ・ヌッチ
音楽教師ドン・バジリオ : ジョヴァンニ・フルラネット
フィオレッロ : ロベルト・アックルソ
ベルタ : パトリツィア・ビッチレー