不滅の騎士的バリトン エットレ・バスティアニーニ

Ettore Bastianini, Il baritono cavaliere eterno



不世出のヴェルディ・バリトン、エットレ・バスティアニーニの代表作として、ここで『イル・トロヴァトーレ』のルーナ伯爵役を取り上げるのは、あまりにもあたりまえすぎる選択かもしれない。筆者がいまさら語ることなどもうないかもしれない。
バスティアニーニは、同じヴェルディの作品ならば、『仮面舞踏会』のレナートでもまた素晴らしい録音を残している。或いは、ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』のジェラール役も、この歌手の持ち味を知る上で、重要だろう。
だが、やはりバスティアニーニと言えば、ルーナ伯爵なのだ。これほどまでの「あたり役」は、二十世紀のオペラ上演史上の特筆ものであったことは、世紀が変わった現在でも多くの人が認めるところであろう。そしてまたどれほどの人々が未だ魅了され続けていることだろう。
そのノーブルな声、イタリア語の発音の美しさ、暗い情熱と悪の香り、こういったバスティアニーニの持ち味が、キャラクターと一致したとき、彼のスタイルは余人の追随を許さないものとなった。そうして空前絶後の「ルーナ伯爵」が創造されたのだった。

『イル・トロヴァトーレ』 "Il Trovatore"はスペインの戯曲をもとに、サルヴァトーレ・カンマラーノ、その死後に引き継いだレオーネ・エマヌエレが完成させた台本にジュゼッペ・ヴェルディが作曲し、1853年ローマで初演された。
15世紀初頭の戦乱のスペインはアラゴン地方を舞台とした、極めて複雑な人間模様と政治的背景を持つ、おどろおどろしい物語である。。
アリアフェリア城の若い城主ルーナ伯爵は、アラゴン公爵妃の女官レオノーラに想いを寄せているが、レオノーラはルーナの敵側の武将で吟遊詩人でもあるマンリーコと相思相愛である。政治的にも敵対関係にある恋敵の男二人は、レオノーラをめぐり激しく対立し、ついには救いのない陰惨な結末を迎えることになるのだが、実はルーナとマンリーコは血を分けた兄弟だった。先代の伯爵に母親を火あぶりにされたジプシー女アズチェーナが、伯爵家の次男をさらい、復讐のために自分の息子として育てたのがマンリーコだったのだ…。

このような因縁譚めいた部分をひとまずおいて、ルーナ、マンリーコ、レオノーラの三角関係に視点を合わせてみたい。
まず第一幕第二場でレオノーラとマンリーコの逢引の場面に、ルーナ伯爵は出くわす。するとレオノーラが甘い言葉とともに伯爵の胸に身を委ねてきたので伯爵はChe far? 「いったいどうしたんだ?」とえらく驚く。どうやら既に彼は片思いをはっきり自覚していて、レオノーラが自分になびくことなど思いもよらなかったようだ。
案の定、レオノーラはすぐに人違いに気づき、Ah, dalle tenebre Tratta in errore io fui! 「ああ、暗がりのせいで見まちがえをしてしまいましたわ!」とマンリーコに謝り、伯爵はいきなり強烈な肘鉄をくらうはめになった。以前、筆者はオペラの中でよく「人違い」があることをいぶかしく思っていたが、電気のない時代の夜の暗闇では充分ありえたことなのかもしれない。ましてや、ルーナとマンリーコは実の兄弟だったのだから、容姿が似ているはずで、この「人違い」は、最後に明かさせる事実の伏線だったのだろう。
ここから嫉妬に燃える伯爵(バリトン)とそれに対抗するテノール、ソプラノの恋人同志の三声がからみあうスリりングな三重唱の第一弾が展開される。筆者がこの部分で愛聴するのは、1962年ザルツブルク音楽祭の全曲ライヴ録音。ルーナ=バスティアニーニ、マンリーコ=フランコ・コレッリ、レオノーラ=レオンタイン・プライス。三人のいかにも気性が激しそうな声がぶつかり合い、最後の慣習的にハイCを伸ばす部分は鳥肌ものである。

その後マンリーコが戦死したと思い込んだレオノーラが修道院に入るという晩、修道院の庭に部下を引き連れたルーナが現われ、有名なアリア「君が微笑み」を歌い上げる。
ルーナ伯爵は言うまでもなく貴族である。バスティアニーニの歌うルーナを聴き、また残された凛々しい舞台写真を見ても、ルーナの魂もまたその身分にふさわしいものであることは、まちがいないと思う。そんな彼が、なぜ、まったく自分を愛そうとしない女を略奪までしてわがものにしようとするのか?
「君が微笑み」で、夜空の星すらかすんで見えるというレオノーラの微笑みを称えた後で彼は歌う。

Sperada il sole d'un suo sguardo
La tempesta del mio cor.
あなたのまなざしの輝きが
わが心の嵐を追い払ってくれる


そう、ルーナは恋という「心の嵐」にとりつかれているのだ。自分のやろうとしていることが、どんなに強引で理不尽かわかっていても、彼自身どうすることもできないのだろう。たとえ相手に愛されないことがわかっていても、レオノーラをわがものにすることでしか「心の嵐」をおさめることができないのだ。
バスティアニーニの歌唱には、激しい情熱、狂おしいまでの欲望、そして永遠に女性的なるものへの憧れが満ち満ちている。
私には、ルーナの愛の方が、マンリーコのそれより深いものに思えてならない。レオノーラという女性の悲劇は、自分をより愛している男性をどうしても愛せなかったことにあるのではないだろうか。
何しろ、これより後の展開で、いよいよ結婚式を控えたマンリーコとレオノーラなのだが、母親アズチェーナが敵に捕らえられたと知るやいなや、マンリーコは花嫁を置き去りにして、母親救出に向かってしまうのだ。このうえもなく情熱的なアリア「見よ恐ろしい炎を」を歌って。
どうも女性としての筆者は、こんなマザコン男を選ぶレオノーラに疑問をいだかざるをえないのだが、このレオノーラの選択を納得させてしまうテノールがただひとりいたのだ。
フランコ・コレッリ。いうまでもなく、20世紀中盤を代表するリリコ・スピントの大テノールだが、前記ザルツブルク音楽祭、ミラノ スカラ座などでたびたびバスティアニーニと組み、『イル・トロヴァトーレ』の名舞台を残している。
彼のテノール魂そのものの熱い歌唱を聞けば、その情熱の対象が母親であろうが、恋人であろうが、たいした問題にならない。さらにその美しい容姿を加味すれば、多少マザコンでもレオノーラがわが命を犠牲にしてまでマンリーコに尽くす気持ちもわかろうというものである。
それにしても、ともに暗い情熱をはらんだまなざしと声を持ったテノールとバリトンで『イル・トロヴァトーレ』を聴くことができた聴衆は、なんと幸せな人々だったのだろう!おそらくこのdark eyesのふたりならば、「兄弟」という設定も大いに説得力があったことだろう。

さて、入信しようとするレオノーラの前にたちはだかったルーナだったが、あわやというところで今度はマンリーコが駆けつける。
三者三様の思惑と感情が入り混じり、再び情熱的な三角関係の重唱が始まる。同時間軸でのそれぞれの想いが、声の競演となってぶつかり合う、オペラならではの醍醐味を味わえる部分である。
テノールとバリトンの対立が最高点に達したとき、一瞬オーケストラが演奏を止め、レオノーラの情熱的な声が響く。
Sei tu dal ciel disceso, O in cielo son io con te? 「あなたが天国から降りていらしたの?それとも私が天国であなたと一緒にいるのかしら?」
こうして恋人たちは手に手を取って去り、後に残されたのは、怒りに気も狂わんばかりのルーナ伯爵。

さて、第三幕は、城の野営地で勇壮な兵士のコーラスで始まるが、ルーナは「あの人はライバルの腕の中に!」とひとり嫉妬にもだえている。そこに飛び込んできたのが、マンリーコの母親のアズチェーナだったので、ルーナは狂喜してジプシー女を虜にする。
一方、マンリーコとレオノーラは前述したように結婚式をあげようとしていたが、直前になって花婿は母親救出に向かってしまい、花嫁は取り残された。

レオノーラはえらい。ここでマンリーコに怒ったりはせず、四幕で飛んで火にいる夏の虫となってしまった恋人をわが命を犠牲にして救うことを決意するアリア「恋は薔薇色の翼に乗って」を歌う。
一方、憎い敵を親子ともども捕らえても、相変わらずレオーノーラはいずこと嘆くルーナ。そこへレオノーラが現われ、「取引」を申し出る。自分の肉体と引き換えにマンリーコの命を助けてくれというのだ。
哀れなルーナ伯爵。彼が正気の状態だったら、果たしてこのような屈辱的な取引を受けただろうか?「心の嵐」を鎮めたい一心で、「愛情」ぬきのレオノーラを受け取ることに飛びついてしまったに違いない。
この相思相愛ではない男女の二重唱は、実に聴き応えがある。ヴェルディ節ともいえる軽快なメロディに乗って、けして交わることなく終わるふたりの心が歌いあげらえるのだ。
私がこの部分でこよなく愛聴するのは、1962年スタジオ全曲録音(トゥリオ・セラフィン指揮、スカラ座管弦楽団)でのバスティアニーニとアントニエッタ・ステッラの二重唱。ここばかりでなく、全編に渡ってなのだが、セラフインの徹底的にスタイリッシュで、かつ歌手の個性を最大限に活かした音作りは、奇跡のようだ。まさに一糸乱れぬという言葉がぴったりの端正な演奏でいて、ルーナとレオノーラのそれぞれの心の高揚が熱く伝わってくるのだ。

ルーナとレオノーラがそんな切羽詰ったやりとりをしている間、マンリーコが何をやっていたかというと、牢屋で母親をあやしていたのだ。ここを聴くと−たとえ、コレッリが歌っていても−つくづくレオノーラは選択を誤ったと思う。
そこへレオノーラが現われ、マンリーコに逃げるように告げるが、マンリーコはそれを「裏切り」と取り、今度は恋人に駄々をこねる。やはりマザコン男である。彼がさっさと逃げないので、実は毒をあおっていたレオノーラは息絶えてしまう。
恋人の犠牲を知り嘆くマンリーコ、レオノーラのなきがらを見て逆上するルーナ。ルーナがマンリーコを処刑台に追い立てた後、アズチェーナがあれはお前の弟だったのだと告げる。
吹き荒れた嵐の最後にルーナ伯爵の口をついて出た言葉は
E vivo ancora 「そして俺はまだ生きている」

そう、いつもバスティアニーニは取り残される運命にあった。「イル・トロヴァトーレ」だけなく「アンドレア・シェニエ」でも「ポリウート」でも、テノールとソプラノが手に手を取ってこの世を去り、バリトンは孤独な生を続けるしかなかったのだ。

皮肉なことに、実人生ではエットレ・バスティアニーニは、1967年わずか44歳でこの世を去ってしまった。あとに残されたのは、至上の騎士的バリトンを失って途方にくれた聴衆である。あるいは我々は未だに取り残された思いを抱えて、オペラを聴き続けているのかもしれない。
マリア・カラスがSoprano assoluto 「絶対的ソプラノ」と称えられているように、エットレ・バスティアニーニには Il baritono cavariere assoluto 「絶対的騎士的バリトン」の称号を冠してもよいのではないだろうか。





エットレ・バスティアニーニ Ettore Bastianini (1922〜1967)
シエナ生まれ。1945年、バスとしてデビューするが、その後バリトンに転向し、1953年フィレンツェ五月音楽祭の「戦争と平和」のアンドレイ役でその地位を確立する。以後、戦後のイタリア歌劇黄金時代を代表する歌手のひとりとして数々の名盤・名舞台を残す。1963年と1965年には来日、日本でも多くの女性ファンの心をかき乱したという。
1965年のメトロポリタン歌劇場の出演を最後に舞台を去り、1967年喉頭癌のため、シルミオーネで死去した。


参考CD : 「イル・トロヴァトーレ」 EMI 1962年  (指揮:トゥリオ・セラフィン、合唱・演奏:スカラ座)
        「イル・トロヴァトーレ」 ドイツ・グラモフォン 1962年(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン、合唱・演奏: ウィーン国立歌劇場 ザルツブルク音楽祭ライヴ)

参考文献 : 「スタンダード・オペラ鑑賞ブック イタリア・オペラ(下)」 音楽の友社
         「音楽の友別冊 グランド・オペラZ」


おまけ  筆者の夢の「イル・トロヴァトーレ」

指揮 : トゥリオ・セラフィン
合唱・演奏 : スカラ座
演出 : ルキノ・ヴィスコンティ
配役
マンリーコ : フランコ・コレッリ
ルーナ伯爵 : エットレ・バスティアニーニ
レオノーラ : レイラ・ゲンチェル
アズチェーナ : フェードラ・バルビエーリ


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2003/01/01


La notizia

2003年5月下旬、フリースペースよりバスティアーニ−ニの伝記の日本語訳
 『君の微笑み エットレ・バスティアニーニ
(マリーナ・ボアーニョ、ジルベルト・スタローネ著、辻昌宏、麻子訳 定価:3000円)が出版されました。
歌に生き、がんと闘ったバスティアニーニの劇的な生涯が綴られた、ファン必見の伝記決定版です。
美麗写真も多数掲載。







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