カルメン
Carmen

Musique : Gerges Bizet

2003年4月16日

サントリー・ホール


完全な形でのオペラ上演ではないとはいえ、演奏会形式の枠を超えた良質の上演を毎回提供してくれる「サントリー・ホール・オペラ・シリーズ」。何より、いわゆる「引越し公演」に比べると、はるかに手ごろな値段で、世界的に活躍する現役一流歌手のパフォーマンスに接する機会を作ってくれるのが、ありがたい。
近年では、ニール・シコフという、日本での評価が低かった−というより、日本ではなまの声を聴くことができなかった−優れたテノール歌手の名を知らしめたことも、功績のひとつであろう。2000年『仮面舞踏会』、2001年『ドン・カルロ』に続いて3度目のホール・オペラ登板となる今回は、『カルメン』ドン・ホセ役である。
それにしても、このラインナップ、さながらシコフの十八番をずらりと並べた感がある。かくいう筆者も、『仮面舞踏会』ですっかりシコフに惚れ込み、2001年には『ホフマン物語』を観るため、ウィーンまで飛んだ次第である。

今回のホール・オペラは、ソリスト、合唱(舞台背後の客席に陣取った)ともに、黒を貴重にした簡単な衣装と各々の演技はついたが、演奏会形式の基本にかなり立ち返った上演だった。正直なところ、物語としての流れが度々中断され、中途半端な印象が残り、「オペラ上演」としての評価は、留保するしかない。但し、舞台後方で歌唱・演技が行われる予定が「アーティストの要望により」舞台前方に変更になったということなので、当初の演出意図とは違った舞台となったのかもしれない。

プロスペル・メリメの小説をジョルジュ・ビゼーがオペラ化した『カルメン』のストーリーについては、あらためて述べるまでもないだろう。

ヒロインのジプシー女カルメンを演じたのは、ロシアのメゾ・ソプラノ、エレーナ・ザレンバ。シコフのドン・ホセとの共演も数多いそうで、今回の『カルメン』演技のコンセプトは、このふたりを中心として組み立てられたと見てよいだろう。息の合ったところを見せてくれたが、まったく異質な世界の出会いであるはずのカルメンとホセのカップルにしては、いささか慣れすぎた感もなきにしはあらずだった。

それはともかくとして、今回最大の収穫は、ザレンバの素晴らしいカルメンを堪能できたことである。2000年の『仮面舞踏会』では、占い師の妖婆(?)ウルリカを歌い、その容姿を活かせる役ではなかったが(ドスのきいた歌唱は見事だった)、黒いドレスの胸元に真っ赤な薔薇をさして登場してきたこのカルメン、なまの舞台・映像共に筆者が今まで見た中では、群を抜いた美貌のカルメンだった。私見ながら、筆者の思い描く、カルメン像はちょっと美人の規範からはずれている方がよいくらいなので、ザレンバでは美しすぎるのではないかと思えたほど。とにかく背の高いブルネットの美女で、あばずれを装っても、気品がにじみ出てくるのは、彼女の個性だろう。
そして、その深みのある低声は、華やかさの中にも陰があり、カルメン歌唱のお手本と言えるのではないだろうか。高音から低音まで均質な響きは、実に耳に心地よい。特に「ハバネラ」と「ジプシーの歌」の情熱的な歌唱が見事だった。さらに彼女は、フラメンコ風の踊りも披露し、聴衆を大いに沸かせた。

シコフのドン・ホセは、徹底的に内向的な役作り。マザコンで真面目な男が、悪女に誘惑されたことから転落してゆくホセ役を、演技派として知られるシコフがどう演じるか大いに興味があったのだが、終始して地味な印象だったのが、やや物足りなかった。
とはいえ、そのリリックで豊かな美声は、衰えることを知らず、この声のシャワーを浴びただけでも、ファンとしては大きな喜びだった。
ただ今回、声の力と響きに頼りすぎているように感じたのは、筆者だけだろうか?演奏会形式でなければ、もっと複雑な性格付けをしたホセの歌唱をきかせてくれるのではないかと思えるのだが…。特に終幕のカルメンとの二重唱の部分など、もっとドラマティックに歌い演じてくれるものとばかり思っていた。筆者、ラテン的なドン・ホセ像にこだわっているのかもしれないが。
リリックなホセだけあって、「花の歌」はまさに絶品。また、ミカエラとの二重唱の最中に、カルメンの投げた花に目を落とし、複雑な表情を見せたところなどSinging actor シコフの面目躍如であった。

というわけで、気品あるファム・ファタールのカルメンと、内気で生真面目なドン・ホセというカップルだったので、むしろ普遍的な愛の物語になっていたと言えるだろう。終幕の二重唱、ホセのカルメン殺しもぎらぎらした対立より、愛し合ったふたりの必然的な結末という印象。目を開けたまま息絶えたカルメンと、それをじっと見つめるホセは絵姿のように、決まっていた。


エスカミーリョのイルダル・アブドゥラザコフは、元気よく舞台に登場して元気よく「闘牛士の歌」を歌ってくれて、大変好感が持てた。確かに「女殺し」の闘牛士としての色気にはまだまだ欠けるにしても、その柔らかな美声はバッソ・カンタンテとして、これから大いに期待が持てそうだ。

野田ヒロ子は、可憐で純情というミカエラ像にはぴったりだったが、「何も恐れることはない」のアリアなど、ミカエラの芯の強さをもっと表現して欲しかった。ここをしっかり歌わないと、ミカエラは無個性な役になってしまう。

藤原合唱団によるコーラスは手堅く聴かせてくれたが、オーケストラには不満あり。指揮のボエーミは、テンポが一貫していないなど、どうも安心して聴けなかった。

というわけで、十全の上演とまではいかないまでも、いつものサントリー・ホール・オペラと同じく、聴きどころの多い舞台で、楽しかった。一言でまとめれば、非ラテン的な『カルメン』の醍醐味だったと言えようか。

 

指揮 : マルコ・ボエーミ

舞台構成 : 山本英明

管弦楽 : 東京交響楽団

合唱: 藤原歌劇団合唱部/東京少年少女合唱隊

配役

 カルメン   エレーナ・ザレンバ

ドン・ホセ   ニール・シコフ

エスカミーリョ   イルダル・アブドゥラザコフ

ミカエラ   野田ヒロ子

フラスキータ   駒井ゆり子

メルセデス   田口道子

モラレス   清水宏樹

スニガ   小野和彦

レメンダード   高橋淳

ダンカイロ   今滋


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2003/04/19

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