「イタリア映画祭2004」寸評

La finestra di fronte

向かいの窓

2003年

監督・脚本 : フェルザン・オズペテク
原案・脚本 : ジャンニ・ロモリ
撮    影 : ジャンフィリッポ・コルティチェッリ
音    楽 : アンドレア・グェッラ

監督のフェルザン・オズペテクは、イタリア映画界で
心境著しいトルコ出身の監督、ということだそうだが、正直なところ、本作は、私には期待はずれだった。
ずばり問題は「脚本」にあると思う。謎の老人、夫婦の葛藤、不倫の恋と美味しい材料をそろえ、観客の興味を引っ張ることには、途中まで成功している。しかし、終盤に入ると、物語の求心力がいかにも弱く、脚本家にとって都合のよい展開が鼻についてくる。新しい時代のメロドラマとしての位置づけはできるのかもしれないが…。

先にあげた「三大要素」をひとつひとつ見ていくと、まず「謎の老人」
本作は2003年の死に際しては「チネチッタのイコン」とまで言われたマッシモ・ジロッティの長い俳優歴の終点としては、ふさわしいものといえよう。まず、冒頭のに A Massimo マッシモに捧ぐ とタイトルが出て、古くからのイタリア映画を見ている人間にとっては、これだけでも感無量である。それも老優の晩年にありがちな特別出演でもなければ、好々爺の役でもなく、遠い過去の傷を背負ったまま歳月を重ねて、心を閉ざした老人というひじょうな性格演技を要求される役どころで、またジロッティはそれに見事に応えている。この老人の謎解きが、この映画の一番の見所となっていた。

次に「夫婦の葛藤」だが、まず映画は、ヒロインのジョヴァンナ(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)と夫フィリッポ(フィリッポ・ニグロ)のぎすぎすとした夫婦関係の描写から始まる(いさかいをしながら、ローマの町を歩いていた二人が、橋の上で立ち尽くしていた老人ジロッティを保護することになる)。若くして結婚し、子供も設けてはいるが、互いに生活に不満を持つ夫婦のぎすぎすしたやり取りは、ひじょうにリアルで、ここは巧く描けている。次第に脇に退く役どころではあるが、善良でも生活力のない労働者階級の若い男を演じたニグロは好演。
ジョヴァンナ・メッゾジョルノも演技力の確かな女優だが、倦怠期の妻を演じるにしては、いささか若々し過ぎる。

だがそれも、第三の要素「不倫の恋」を語るに至って、ジョヴァンナ役が美女でなければならなかったことを納得させられるのだ。アパートの「向かいの窓」に住むエリート銀行員ロレンツォ(ラオウル・ボーヴァ)が夫に代わって、老人「シモーネ」の過去の謎解きに協力を始めるところから、それは展開する。このロレンツォが「ソープ・オペラ」によく出てくるタイプの絵に描いたような美男子で、ここに美男・美女の不倫の悲恋物語が成立するのだ。

実は三要素それぞれの出来は、興味引くものなのだが、前述したように、それらの集約の仕方が散漫かつご都合主義だったのが、私にはまったく物足りなかったのだ。
個々のシーンでは、ジョヴァンナとシモーネがダンスをするうちに、いつしか時が遡り、青年のシモーネが友人たちとダンスを踊っているところに切り替わるのが美しい。ただ、このあたりもイタリア映画を見慣れたものには、ある程度予想のつくカメラ・ワークだったと感じてしまうのは、いささか厳しすぎるだろうか?
イタリア映画2003で大好評を博したという前作『無邪気な妖精』 "Le fate ignoranti" のビデオを見終わるまで、オズペテク監督の評価は控えたい。

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2004年6月20日

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