フィレンツェ

Firenze

花のサンタ・マリア大聖堂

「花の都」フィレンツェについては、私が説明するまでもないでしょう。「町全体が美術館」と人々が口々に称える町。今回は、実質3日の滞在で、私が選び訪れたスポットで出会った美術品を中心に、感想をつづり、またできるかぎりの情報を提供できたら、と思っています。


事前の電話予約について

Firenze Musei 055−294883
で一括して扱っていて、どの施設に予約が必要か教えてくれます。予約が取れたら、日時と予約番号が指定されます。当日、この予約番号を係員が点呼するかコンピューターで確認することをしっかりこの目で見届けましょう。予約番号も見ないで、二人分のチケットを売りつけて倍の金額を取ろうとする不届き者も中にはいました。数年を経た今ではもうあそこに居ないだろうとは思いますが、アカデミア美術館の窓口でコンピューターの前にすわっている若い男がクセ者。私は、切符もぎりのおにいさんとおねえさんを通して、抗議して返金させました。
ただし、フィレンツェの各施設は、予約と列に並んで入場を待つのと二本立てなので、長時間並ぶのを厭わないのなら、必ずしも予約をとる必要はありません(2001年6月現在)。

ウフィツィ美術館 Galleria degli Uffizi
今回、あらためて感嘆させられたのは、ルネサンスに花開いた芸術が、未だ誕生の地に咲き誇っているということでした。文字通り、宝の山に迷い込んだ至高の数時間を過ごせました。これほどのコレクションを収拾し、保管してきたメディチ家、とりわけこのコレクションを市に寄贈したメディチ最後の相続人に感謝!

主な印象に残った作品
ジオット 「マエスタ」
この「荘厳の聖母」により我々が現在泰西名画と読んでいるものの何たるか、その節目のひとつにたどり着いたかのような感慨にとらわれます。同じ部屋に並ぶドゥッチョ、チマーブエの同主題作品と同じように様式としては、ビザンチン美術の影響を残しながらも、ジョットの空間・質感の表現は、大きな一歩を踏み出しているのです。玉座の聖母子を囲む天使たちは、上下に連なるのではなく、前後に重なり合い、三次元的な空間を醸し出す。また聖母子の衣裳の襞とそれを通して感じられる肉体もヴォリュームをもって描かれている。
この絵の天使たちがそうしているように、荘厳であると同時にあたたかみを感じさせる聖母子を、あこがれをもって見上げずにはいられませんでした。

シモーネ・マルティーニ 「受胎告知」
この主題におけるマリアは、少女らしい恥じらいや従順、あるいは宗教的恍惚をもって描かれることが多い。だが、この祭壇画におけるマリアは、険しい表情の大天使ガブリエルの口から吹き出る「告知」の言葉におびえ、それどころか嫌悪ともとれる表情を見せ、避けるように半身をよじっています。
目を奪う黄金色を背景としたこの「拒絶するマリア」は、不可思議な硬さを備えた魅力ある一品です。

マサッチョ、マゾリーノ 「聖母子と聖アンナ」
ルーヴルのレオナルドの同主題作品の若々しい聖アンナが有名なせいか、かえってこちらが不思議に思えてしまうほど、リアルに皺の刻まれた聖アンナです。立ち姿の彼女と椅子に座った聖母マリアは完璧な相似形の三角形を成し、マリアの左膝の上に抱かれた赤子のキリストまで三世代が厳格に視覚化されています。アンナの緋色の、マリアの青いヴェールの対照も美しい。
フィリッポ・リッピ 「天使を伴う聖母子」
 (一応)聖職者であった画家と修道女であった聖母のモデルとのロマンス(醜聞)はあまりにも有名。
そのような絵にまつわるエピソードを忘れてこの絵に向っても、絵画という表現手段が、なまみの女性をここまで理想化させ得た奇跡に驚嘆せざるを得ません。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ
表:「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像」 裏:「バッティスタ・スフォルツァの凱旋」

表:「バッティスタ・スフォルツァの肖像」  裏:「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの凱旋」
対になっているウルビーノ公夫妻のこの小型の肖像画の魅力をどう語ればよいのか。当日の私のメモには、「透明な永遠性」と書かれています。
鼻の折れた醜い風貌ながら深い人間性を感じさせるウルビーノ公と、穏やかそうな夫人は、完璧な横顔を見せ向い合っている。ここでは、宇宙の時間からすればほんの一瞬ながら、ある時間を共に生きた一対の男女が永遠化されているかのようです。
この絵に見入って、なかなか立ち去れないでいた自分を覚えています。

ボッティチェッリ
「春」
「ヴィーナスの誕生」
「マニフィカートの聖母子」
あまりにも有名なフィレンツェ・ルネサンスの代表作。ルネサンス美術を至高のものとし、それ以前を「暗黒の中世」と決め付けるのは乱暴でしょうが、しかしやはりこの異教の美神の上陸で、ルネサンスの春が訪れたのかとつくづく思わされました。ことに修復の終った後のこの2点の画面の華麗さ、繊細さは、輝くばかり。
ボッティチェッリの展示作品として、もう1点「マニフィカートの聖母」を挙げておきます。こちらはキリスト教的主題だが、聖母マリアの美しい容貌は、あたかも美神の姉妹であるかのよう。
丸い画面に沿うように聖母や天使たちの体が柔らかく湾曲しているのが、目に心地よい。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「三博士の礼拝」
もしこの作品が完成していれば、レオナルド絵画の完璧な集大成となったことでしょう。
にじり寄るかのように聖母子を取り囲み礼拝する人々。遠景では、なぜか馬が猛り土ぼこりをあげ、廃墟のような建物が見えている。それらの図像の渦巻きの中心で、ただ聖母子だけが穏やかに君臨しているのです。

ミケランジェロ 「ドニの聖母子」
この作品も近年の修復であざやかな色彩が蘇りました。
円形の画面に重厚に聖家族を据えたミケランジェロの構成力の見事さ。しかも聖母にひねった体のポーズを取らせているにもかかわらず。
それにしても、聖家族の背後に裸体の少年たちが描かれるとは…?

ティツィアーノ 「ウルビーノのヴィーナス」
ティツィアーノの裸婦像の素晴らしさは、健康な官能性にあります。このヴィーナスなども世俗的な室内を背景とし、かなり誘惑的なまなざしを見るものに投げかけているにもかかわらず、少しの卑猥さも感じさせません。
のびやかな肢体、輝くような肌の描写は、視覚芸術によってどこまで触覚をも表現させることが可能なのか教えてくれかのようです。

他にもマニエリスムの作品群、メディチ家の人々の多くの肖像画等、見所はつきません。ローマ時代の彫刻のコレクションも数多く、ローマ皇帝たちの胸像を眺めながら、長い廊下を歩く楽しみもあります。また窓からのアルノ川やウフィツィ広場の眺めもこの美術館ならでは。最後に廊下の突き当たりにいる猪のブロンズ像に挨拶してこの美の楽園に別れをつげました。
予約(指定された時間に点呼)、予約なしの列並びの2本立て

パラティーナ美術館 Galleria Palatina
ポンテ・ヴェッキオを渡ったアルノ川の対岸にある壮大なピッティ宮殿内にあり、各部屋には「アポロの間」「ヴィーナスの間」といった名前がつけられ、宮殿の内部装飾の美しさも堪能しながらの鑑賞ができます。

主な印象に残った作品
ラファエッロ 「大公のマドンナ」 「椅子のマドンナ」
前者は、数多いラファエッロの聖母子像でも、私が最も好きな作品。暗闇から浮き上がった節目がちな聖母の顔が美しい。
その静謐で高貴な印象の「大公」とはまた別の味わいの、庶民的な愛らしい聖母が描かれたのが「椅子のマドンナ」の愛称で呼ばれる後者。ころころと太った赤子のキリスト、聖母子に憧れのまなざしを向ける幼い聖ヨハネも可愛らしい。椅子に座った(?)聖母はかなり無理なポーズをとっているにもかかわらず、それが不自然に感じられず、円形の画面にきれいに収まっています。

ティツィアーノ 「マグダラのマリア」 「灰色の目の紳士」
前者は、改悛するマグダラのマリアという宗教的主題だが、ティツィアーノが表現したかったものは、やはりここでも女性の肉体美にほかならない。天上を見上げる目、燃えるように波打つ赤毛、そして豊満な裸体は、カンバスを突き破って溢れ出んばかりの生命力に満ちています。
後者は「イギリス紳士」とも呼ばれる男性肖像。その灰色がかった青い瞳は輝き、整った鼻筋には血が通っているかのようです。この男性に恋してしまう女性鑑賞者は、少なくないことでしょう!


その他、ベラスケス、ムリーリョ、ルーベンスなどそれほど大きな画面ではなくても、秀作が多く見られます。赤を基調とした壁に、いかにも代々の宮殿の主がコレクションを飾りつけたという感じに展示されています。
予約必要なし。

アカデミア美術館 Galleria dell’Accademiai
フィレンツェ派の宗教画のコレクションも豊富な美術館なのですが、どうしてもミケランジェロの彫刻作品群に目を奪われてしまいます。
主な印象に残った作品
「牢獄のギャラリー」
ユリウス二世の墓病に設置されるはずだった四体の男性裸体像「奴隷」「聖マタイ像」
「牢獄のギャラリー」と呼ばれているだけあって、これらの像は、あたかも肉体という牢獄から解放されようと、もがいているかのようです。どれも未完のまま鑿が止めおかれているのですが、もし作品が完成したあかつきには、彼らは真の生命を得て硬い大理石の塊から旅立ってゆくのではないかと思われるほど。

夏目漱石の小説「夢十夜」で、運慶の彫刻について、次のように語っています
なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
私には、その「木」を「石」に置き換えたると、これらのミケランジェロの作品になるのではないかと思えるのです

「ダヴィデ」
今回、およそ10年ぶりにこの美術館を訪れた筆者は、「牢獄のギャラリー」の突き当たりの広間にすくっと立っていたダヴィデ像の神々しさに、初めて観たとき以上の衝撃を受けました。「奴隷」たちが石の中から解放されて生命を得たのが、このダヴィデなのでしょうか。人間の姿を写した大理石の塊ではあるが、人間を超えている。なぜなら彼は永遠に若く美しいのだから。
予約(番号をコンピューターで確認)、予約なしの列並びの2本立て
ダヴィデ 聖マタイ

ヴェッキオ宮殿 Palazzo Vecchio
フィレンツェ共和国の政庁舎だった重厚な外壁と塔が絶妙に組み合わされた宮殿。ミケランジェロの「ダヴィデ」のコピーやアンマナーティの「ネプチューンの噴水」などの共和国の理念を象徴する彫刻のあるシニョーリア広場に面しています。
入り口を入ってすぐの中庭には、コピーながらヴェロッキオの「イルカを抱く童子」の愛らしいブロンズ像があり、心を和ませてくれます。
もともと13世紀に建設が開始された宮殿で、2階の壮大な「五百人の大広間」はフィレンツェ共和国の威信をかけて15世紀末に整備されたもの。そして16世紀にはヴァザーリの構想・指揮のもと大掛かりな改造・装飾が施され、今日その豪奢な姿を見せています。
多くの芸術家・職人を指揮して自らの理念を視覚化させたヴァザーリのプロデューサーとしての手腕には感嘆しますが、これでもか言わんばかりに天上や壁を埋め尽くす大量のマニエリスム絵画・装飾群には、正直言って疲れました。イタリア語で言うところの、basta!(もう十分!)
3階の各室にはコンピューターが設置され、ヴァザーリのプロジェクトについて解説してくれます。

予約必要なし。

花の聖母(サンタ・マリア)教会(ドゥオーモ) Santa Maria del Fiore
洗礼堂 Batistero S.Giovanni
ヴェッキオ宮殿がフィレンツェの政治の中心なら、こちらは言うまでもなく信仰の中心地。ブルネッレスキの手による黄金比率のクーポラを乗せた、大理石の華麗な外観の大聖堂。このクーポラ、あるいは付属のジョットの鐘楼のどちらも、頂上まで登るとよい運動になり、素晴らしいフィレンツェの眺望が臨めます。
洗礼堂は有名なギベルティの「天国の扉」(コピー)もさることながら、内部のモザイクも素晴らしい。
今回、私にとって予想外の収穫は、ドゥオーモの地下に降りていくサンタ・レパラータ教会跡Cripta di S. Reparata。入場料が必要ですが、現在のドゥーモ着工前まで大聖堂だった教会跡は大いに見学の価値があります。ルネサンスの象徴「花のサンタ・マリア」の下に古代ローマ時代の初期キリスト教会の遺構・遺品が眠りについていたとは。
さらにこの地下にはブルネッレスキの墓もあり、自らが設計したクーポラの下で眠るブルネッレスキはなんと幸せなのだろうとつくづく思いました。

サンティッシマ・アヌンツィアータ教会 Santissima Annunziata
アンドレア・デッラ・ロッビア作の産着を巻かれた赤子のテラコッタ製メダルがはめこまれた孤児養育院Ospedale degli Innocntiの横にあるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会に入ってみたところ、ミサの最中なので内部見学は遠慮しました。しかし、この教会の正面入り口横に「願掛けの回廊」があり、ここで何人もの画家に手による素晴らしいフレスコ画が手に取るような位置から見学できます。
特に ロッソ・フィオレンティーノ 「聖母被昇天」
ポントルモ 「マリアのエリサベツ訪問」
が印象に残りました。

アルノ川左岸の2つの教会を訪ねました。

サンタ・マリア・デル・カルミネ教会 Santa Maria del Carmine
この教会には近年フレスコ画シリーズの修復が完成したブランカッチ礼拝堂Capella di Brancacciがあります。この礼拝堂は、予約は必要ないものの、入場制限が行われていて、ある程度の見学者の数が集まると15分間の見学というシステムになっています。
マサッチョ、マゾリーノのコンビが着手し、後にフィリッピーノ・リッピが完成させた壁画のシリーズのうち、特に傑作なのは、やはり次の2点。
マサッチョ 「楽園追放
修復により、後年描き加えられていた葉が取り除かれて、アダムとイヴは描かれた当時の裸体を見せるようになりました。天使に棒で追われ、身も世もなく涙にくれるアダムとイヴは、感情をなまなましく表出し、人間中心のルネサンス芸術の真髄を示しています。
マサッチョ 「貢ぎの銭」
「完璧」という言葉を思い浮かべてしまうほどのフレスコ画。群像と風景の構成に安定感があり、もちろんそれにはマサッチョが追求した透視図法がいかんなく発揮されています。柔らかな印象を与える色彩も、修復の甲斐あってか瑞々しい。計算し尽くされた(といっても冷たい雰囲気ではない)調和の支配する大傑作。


サント・スピリト教会 Santo Spirito
ここの教会ではオルカーニャ、ドメニコ・デル・マッツィェーレらの作品が見られますが、印象に残ったのは、
フィリッピーノ・リッピ 「聖母子と諸聖人」
フィリッピーノはフィリッポ・リッピの画風を受け継いで入るものの、父親よりは人物を理想化はせず、ポーズも動的。やや荒っぽい印象はありますが。
それにしても、ブランカッチ礼拝堂のフレスコにおいてもそうなのですが、フィリッピーノは、しばしば画面の中に鑑賞者の方を見つめている自画像を書き込んでいます。ひとつの画面にふたりもフィリッピーノがいることすら!


再び、アルノ川右岸に戻り、

メディチ家礼拝堂 Capelle Medicee
サン・ロレンツォ教会裏手に入り口がありますが、一族のための礼拝堂でこのスケール…。さすがはメディチ家です。
見所はなんといってもミケランジェロの設計による「新聖具室」(ウルビーノ公ロレンツォとヌムール公ジュリアーノの墓廟)
一方の壁面にメディチ家の守護聖人二人を従えた「メディチの聖母子」が奉られ、その両側の壁にはロレンツィとジュリアーノの墓が組み込まれ、その上方には理想化されたニ青年の坐像が据えられています。圧巻はその下に横たわる「朝」「昼」「夕」「夜」の擬人化された四体の裸像。そのけだるげな表情、投げ出された肢体を目の当たりにし、これが大理石の塊とは信じられない思いでした。当日の日記に私は「神技としか思えない」と記しています。
まさしくこの空間は、神のごときミケランジェロの精神と手により創造された小宇宙といえるでしょう。


3日間でまわったフィレンツェの美術館・教会はだいたい以上のとおりです。サンタ・クローチェ教会はダンテ、マキャベッリ、ロッシーニ、マルコーニらの墓に詣でただけで、付属美術館に寄らなかったので、割愛しました。
その他にもサンタ・マリア・ノヴェッラ教会、サン・マルコ美術館、バルジェッロ美術館等々、心を残しながら訪ねられなかったスポット多数。




また、これは美術見学とは関係ありませんが、今回はフィレンツェ郊外(駅前から出るバスで30分ほど)のVilla Lindaという宗教施設に宿泊しました。門限もあるし、市中ではない不便はありますが、それらを補ってあまりある快適な滞在でした。破格の安い料金で、清潔な部屋、美味しい朝食、そして美しいトスカーナの田園風景を満喫できます。
ベネデット派の尼僧さんたちの差配する宿ですが、男性も宿泊可(私の見かけたのは皆、家族持ちのお父さんでしたが)。

もし、住所・連絡先等を知りたい方がいらっしゃいましたら、当方までご一報ください。
Villa Linda近辺の風景


02/09/20

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