私こそあなたの忠実な友
この手で涙をぬぐってあげたではないか
苦悩を眠らせ 天上の夢と消してあげよう
私を忘れたの?
情熱の嵐は もう静めて
男ではなく 詩人としてよみがえるのよ
愛しています ホフマン
私のものになって!
(エピローグのミューズの台詞より)
2月下旬、NHK衛星第二で1995年ミラノ スカラ座で上演された『ホフマン物語』が放送された。『ホフマン物語』は19世紀パリで活躍したオッフェンバックの遺作。オッフェンバックが未完のまま没したので、ギローが補筆完成させたものの、現在にいたるまで様々なエディションが流布しているフランス語のオペラ・コミック。台本はバルビエとカレの手による。
イタリアオペラ中心に取り上げている当サイトではあるが、このスカラ座のプロダクションう観て心打たれ、また昨年(2001年)ウィーン国立歌劇場の立見席でこのオペラをなまで観たこともあり(タイトルロールはウィーン、ミラノともニール・シコフ)、この場を借りて筆者なりの感想を述べてみたい。
プロローグ。ルーテルおやじ(エルネスト・パナリエッロ)の酒場は、ウィーン国立歌劇場版では少しあやしげな居酒屋だったが、スカラ座版では高級な、それもオペラハウス付きリストランテ風(ミラノだと、「ドン・カルロス」?もちろん筆者は入ったことないが)。ルーテルおやじも客も皆、タキシード姿で決めている。そこへ親友ニクラウス(実はその正体はミューズ。メゾ・ソプラノのスザンヌ・メンツァーが男装して扮する)に伴われて詩人ホフマン(言うまでもなく実在の詩人・小説家兼作曲家E.T.A.ホフマンがモデル)が登場。折しもオペラ座ではホフマンの恋人の歌手ステッラが、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』に出演中。しかし最近ステッラとうまくいっていないホフマンは、憂鬱そう。
「オペラ史上初めて眼鏡をかけたまま舞台に上ったテノール」シコフは、ウィーンでもスカラ座でも眼鏡をかけてホフマンに扮した。その他『エフゲニー・オネーギン』のレンスキーのような「自称詩人」役のときなどに、眼鏡を活用するようだ。
さて、ここでもうひとり紹介しなくてはならない登場人物がいる。ステッラをホフマンから奪ってやろうと画策する顧問官リンドルフ(サミュエル・レイミー)。この後、各幕で登場するコッペリウス、ミラクル博士、ダッペルトゥットという悪魔的な役を、慣習どおりレイミーがひとりで演じわけた。何しろメフィストフェレス役など、悪魔を歌わせれば右に出るものはないと言われるレイミーである。そのバスの美声と諧謔味のあるキャラクターが、実にはまっていた。ちなみにウィーンでこの役を歌ったジェームズ・モリスは実に立派だったが、やはりワグナー歌手なので、悪魔と言うよりヴォータン(神様)みたいだった。
皆にせがまれるままホフマンは、酒をあおりながら自らの三つの恋の思い出を語り始める。
ホフマンの最初の恋の相手は、「おぼこ娘」のオランピア。さて、オランピアを歌ったのは・・・現在まちがいなくこの役の最高峰であるコロラトゥーラ・ソプラノのナタリー・デッセイなのだが、画面を見て筆者は驚いた。1995年の初夏の時点、彼女はお腹が大きかったんですね。衣装で隠そうとしているけど、お人形役には無理な体型でした。まあ、それには目をつぶることにして、ここはひたすら彼女の超絶コロラトゥーラ歌唱を堪能。ただし、視覚的な先入観もあるのかもしれないが、現在聞かれる彼女のオランピアより、ややシリアスで重めの歌いまわしに聞こえた。実は昨年のウィーンでは、彼女にキャンセルされました。この恋は、オランピアが実は「自動人形」であったことがわかり、ホフマンは自分の想いが、まったく表面的に惹かれただけのものだったと思い知らされて終わる。
第二幕。今度のホフマンの恋人は、さすがに生身の娘アントニア(クリスティーナ・ガッラルド・ドマス)。今度のは魂はあるけどね、とはニクラウスの言葉。アントニアはもと歌手だったが、現在は病弱で父親(ボリス・アルティノヴィチ)に歌うことを止められている。ホフマンとは相思相愛で、アントニアは恋人との結婚生活を素直に夢見ている。ところがここで自称医者のミラクルが現われ、言葉巧みにアントニアの耳に吹き込む。おまえは、舞台で受けた喝采を忘れられるのか?ホフマンと結婚しても子育てに追われれば美貌も衰え、夫に見向きもされなくなるぞ・・・。この悪魔のささやき、実になまなましく現在でも通用するではないか!
やがて、アントニアの亡くなった母のイメージが現われ、娘を呼び始める。彼女も歌手だったのだ。ついにアントニアはそれに応えて歌い始め、歌い狂い、命を落とす。ガッラルド・トマスの歌唱と演技は、鬼気迫り、彼女にも歌うのをやめられなくなったアントニアの霊が憑りついてしまったのではないかと思えたほど。
実は筆者は、以前からなぜアントニアの母の声が、実の娘の命を奪うために誘惑するのだろうと不可解に思っていたのだが、このスカラ座版を観て、納得できた。ここでは一度倒れたアントニアが起き上がって、大階段を駆け上がって母(マリアーナ・ペンチェーヴァ)と抱擁するアイデアが採用されているのだ。父と恋人ホフマンを振り切って!アントニアの「死」は、象徴に過ぎなかった。アントニアと母は、夫・父・恋人を捨てて、芸術家として再生した女たちだったのだ。
つまりこの幕でのホフマンの物語は、芸術家同士の恋の相克、(ちょっと気恥ずかしくなる言い回しだが)女の自立がテーマというわけ。
ここまではホフマンのキャラクターはさほど重要ではなかったように思う。だが有名な「ホフマンの舟歌」で幕を開けるヴェネツィアを舞台にした第三幕から、いよいよホフマン自身の苦悩も深まっていく。今度の相手は、娼婦ジュリエッタ。演ずるデニス・グレイヴスが圧巻。だいたいこのメゾ・ソプラノが悪女でない役を歌っているのを私は見たことないが、ここではその背の高さをさらに強調する踵の高い靴をはき、野性的な女王のように君臨する。彼女にダイヤモンドを与え、ホフマンの影を奪うように命令するのが魔術師ダッペルトゥット。
この後のホフマンとジュリエッタの誘惑と官能の二重唱が熱かった。今時のオペラ舞台では滅多にお目にかかれなくなった男声と女声の一大バトル!最初は、歌は巧くても地味なおじさんのようだったシコフが、物語が進むに連れ、この人こそホフマンそのもの!と見えてくるのだ。すっかりジュリエッタに篭絡されたホフマンは、せがまれるまま「影」を与えてしまう。その後鏡に自分の姿が映らないのを見て呆然とするホフマンに、ジュリエッタの裏切りが追い討ちをかける。恐ろしいのは、ジュリエッタがまったくホフマンに恋してなかったわけではないということ。
「また、むなしく心を燃やしたな、ホフマン!」というコンチェルタートの中でジュリエッタは、「ホフマン、あなたが好きよ。でも、このダイヤモンドの輝きを断わるわけにはいかなかったの」と歌う。オペラ版『金色夜叉』!あるいは映画『紳士は金髪がお好き』でマリリン・モンローが歌う”Diamonds
are girl’s best friends”!
今までの恋と違い、身も心も焦がし官能に溺れた恋ゆえ、ホフマンは苦悶する。こうなると、シコフの演技力がものを言ってくる。捨て鉢になり、自嘲気味に笑い、そして泣き崩れる姿の真に迫っていること。それまでは皮肉っぽく傍観してきたニクラウスも、今や痛ましげに友を見守っている・・・。
エピローグ。ニクラウスは、オランピア、アントニア、ジュリエッタは、現実の恋人ステッラというひとりの女の三つの面だったのだ!と看破する(故に、演出によっては、ひとりのソプラノが三人の女+ステッラを演ずる場合もある)。しかしステッラは、飲んだくれたホフマンを見捨て、リンドルフの手を取る。
ここでニクラウスは、ミューズの正体を顕わし、ホフマンに手を差し伸べる。
「私を忘れたの? 情熱の嵐は もう静めて。 男ではなく 詩人としてよみがえるのよ。 愛しています ホフマン!」
倒れていたホフマンは、顔を上げミューズを仰ぎ見、その腕の中に身を投げる。そして全員により感動的なフィナーレが歌い上げられる。
おまえの心の燃えがらで
おまえの才能を あたため直せ
穏やかに やすらいで
自分の痛みに 微笑むがいい
ミューズが苦しみを和らげてあげよう
その苦しみこそ大切なもの
恋は人を大きくし
涙はもっと大きくする
ミューズに抱かれるホフマンというこのラストの、感動的だったこと!ここをウィーン版では、ミューズに見守られながらホフマンがひたすらペンを走らせるという演出にしていたが、どちらも甲乙つけがたい。
いちファンとして、この1995年ミラノと、2001年ウィーンのシコフを比べると、後者の時の方が、どこか飄々として諧謔味を増していたように思う(特にプロローグでの「クラインザックの歌」など)。あるいは、ミラノの頃はまだ若さが残っていて、恋の苦しみの表現がよりシリアスなものとなっていたのかもしれない。イタリアオペラのテノール役みたいに、輝かしい高音を響き渡らせてホフマンの情熱を表現するのは、共通していた。フランス・オペラのギャラントを重視する人から見ると、額に青筋立ててやりすぎ?なのかもしれないが。いずれにせよ、「ホフマンを演じるのではなく、ホフマンという役を生き抜く」と言われるだけのことはあり、テノール歌手ニール・シコフ生涯のあたり役であることは、まちがいない
最後になってしまたが、このスカラ座上演では、指揮の
リッカルド・シャイーのけして放埓に流れることなく、端正でありながら、熱っぽい音作りも素晴らしかった。力強く統制のとれた合唱も、スカラ座ならでは。
アルフレード・アリアスの演出は、とにかく豪華絢爛(第二幕でアントニアが母の元に駆け上がっていくシーンのためだけに大階段を作ってみせたところなど、その真骨頂)。上演当時、背景画などが「お化け屋敷」と評されたとも聞くが、E.T.A.ホフマンの怪奇趣味を表出したかったのだろう。やり過ぎ(esagerato)の一歩手前、もしくは一歩踏み込んだかな、という感じ。しかし、第三幕の歓楽の都ヴェネツィアでのゴンドラの使い方、エキゾチックなバレエの多用などは、うまく雰囲気を出していたように思う。
音楽と文学。芸術と恋、そして人生。オッフェンバック畢生の大作『ホフマン物語』の美しいメロディの中にどんなにか、人生への、人間への賛歌が込められていることか!