カヴァレリア・ルスティカーナ
Cavalleira Rusticana

Musica di Pietro Mascagni
Libretto di Giovanni Targioni-Tozzeti, Guido Manasci
dalla romanza di Giovanni Verga

道化師
I Pagliacci

Musica e libretto di Ruggero Leoncavallo

2004年9月15日 新国立劇場

新国立劇場の2004/2005シーズンのオープニングを飾ったのは、ヴェリズモ・オペラの定番二本立て。イタリア・オペラにもドイツ系の歌手を起用する傾向があるという、先シーズンからの総監督が、ヴェリズモ・オペラをどう料理したか?
結論から言うと、『道化師』のタイトル・ロールにジュゼッペ・ジャコミーニを招かなかったとしたら(当初のキャスティングだったセルゲイ・ラリンがキャンセル)、多くのイタリア・オペラ・ファンは消化不良のまま劇場を後にすることになっただろう。

二本のオペラに共通の指揮者は、ドイツ圏で活躍する阪哲朗、演出はグリシャ・アサガロフ。
まず、前者に関しては、上演を見た多くの人が指摘するとおり、実力がどうこうという前に、まったくイタリア・オペラに向いてないとしか言いようがない。テンポが速い。オケをまったく歌わせない。歌に演奏を添わせる柔軟性に欠ける。明らかな人選ミスである。

『カヴァレリア』『道化師』ともに、基本は同じセットで通された。右手に教会、左手に酒場、両端を背面のバルコニーがつなぎ、その前面に広場。20世紀前半〜中葉と思しき衣装の群衆が、双方の物語を行き来する。難を言えば、イタリア的な土の温かみに欠ける視覚的な感触ではあったが、そこまで完璧を要求するのは酷だろう。群集の動きは、細かく気配りされ、なかなかに演劇的だった。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』

申し訳ないくらい、印象が薄い上演だった。
主役を歌ったエリザベッタ・フィオリッロ、アッティラ・B・キスは、ともに悪くはなかったのだが、やはりイタリア的でない演奏に割を食ってしまったのか。特にキスの場合は、高音は出しているものの、『道化師』のジャコミーニと比べてしまう所為か、どうも細くて力強さに欠け、聴き劣りしてしまったのだ。特に「乾杯の歌」あたりからは、声に疲れが感じられた。
「大」がつくテノールと、普通のテノールの差と言うと、言いすぎだろうか?
マンマ・ルチーアの片桐仁美は、健闘。経歴を見てもドイツ物の多いアルフィオの青戸知は、まったく場違いな歌唱で、ドラマをぶち壊していた。(本人のせいではなく、これも人選ミスだろう)

何よりも問題は、田舎町を舞台にした下賎な情事や痴話喧嘩を、ギリシャ悲劇であるかのごとくに高めたマスカーニの美しいメロディが、情緒に欠ける乾いたテンポで演奏されてしまった。『カヴァレリア』の間奏曲で、こんなに感傷に浸れなかったとは。
演出で目を引いたのは、バルコニーや二階の窓を多用して、トゥリッドウ、ローラのラブシーンを強調していたこと。また、イースターのミサで担がれるキリストの磔刑像が巨大で、えらくリアルだったのには驚かされた。

『道化師』

プロローグのトニオの口上は、電飾のアーチを背景に歌われる。ゲオルグ・ティッヒは柔らかな声質のバリトンで、ゲルマン系と思しきながら、歌役者としてなかなかの健闘を見せていた。
続いて、道化師一座が賑やかに登場するが、ジュゼッペ・ジャコミーニのカニオは、白いスーツに身を包み、道化師にしては、いささか気品があり過ぎ(北イタリアで見かけるインテリ紳士そのもの)。しかしながら、第一声が発せられるやいなや、その力と輝きに圧倒されるしかなかった。中音域の充実も、申し分なく、60歳を超えてもなお、これほどまでに会場を「声」で埋め尽くせてしまえるものなのか!
実は、私はセミョン・ビシュコフ指揮の『カヴァレリア・ルスティカーナ』の全曲盤を聴いて、ジャコミーニの知性が勝ったトゥリッドウに今ひとつ物足りなさを覚えていたのだが(サントゥッツァがジェシー・ノーマンだったので、なおさら知的な『カヴァレリア』になってしまったのかもしれない)、イタリアのテノーレ・ドランマーティコが実演で発揮する熱さを実感して、私の今までのジャコミーニ観がまったくの片手落ちだったことを悟った。

驚かされたのは、『カヴァレリア』と同じ合唱団が衣装も替えずにこちらの舞台にも立ったのだが、俄然活き活きとしていたこと。これはやはり御大ジャコミーニのオーラが伝染したということだろうか。

カニオがあまりに輝かしかったせいか、ネッダのジュリエット・ガルスティアン、シルヴィオのルドルフ・ローゼンの印象は薄くなってしまった。視覚的には、カニオの老いを際立たせる効果は出ていた。ベッペの吉田浩之は、細いが瑞々しい声で、好演。

フィナーレの道化芝居は、カラフルな装置・衣装が楽しく、「舞台の上の舞台」で起こる惨劇との対照の妙があった。
そして、ここではなんと言っても、ジャコミーニ=カニオに尽きる。嫉妬の末に、次第に現実と虚構の区別がつかなくなる過程が、歌唱・演技が一体となって、そら恐ろしいほどリアルに表現された。老いの影を色濃くにじませながら、追い詰められて爆発する情熱。「声の力」は、これほどまでに、真実を語り得るのだ。
惜しむらくは、阪の指揮がここでも、朗々たるイタリアのテノールの歌唱とのずれをのぞかせていたことなのだが、その苛立ちを補って余りあるジャコミーニの名唱だった。
遂に真のテノーレ・ドランマーティコの声を聴くことが出来たこの晩の "La commedia e' finita" 「喜劇は終わった」 は、一期一会のものとなった。
 


指揮 : 阪哲朗

管弦楽 : 東京フィルハーモニ管弦交響楽団

合唱 : 新国立劇場合唱団

演出 : グリシャ・アサガロフ

衣装・美術 : ルイジ・ペーレゴ

 

配役

「カヴァレリア・ルスティカーナ」

 サントゥッツァ   エリザベッタ・フィオリッロ

トゥリッドゥ   アッティラ・B・キス

アルフィオ   青戸知

マンマ・ルチーア   片桐仁美

ローラ   坂本朱

「道化師」

カニオ   ジュゼッペ・ジャコミーニ

ネッダ   ジュリエット・ガルスティアン

トニオ   ゲオルク・テイッヒ

ベッペ   吉田浩之

シルヴィオ   ルドルフ・ローゼン


Copyright © 2004 Natsu. All right reserved.


2004年11月11日

 「オペラの部屋」に戻る