トスカ
Tosca

Musica di Giacomo Puccini

Libretto di Luigi IIlica e Giuseppe Giacosa

dalla dramma "La Tosca" di Victorien Sardou


2004年4月11、14日サントリー・ホール

今年のサントリー・ホールのホール・オペラ 『トスカ』 は、「プッチーニ・フェスティヴァル」第一弾。
昨年の『カルメン』は「演奏会形式」だったが、今年は、日本で活躍するイタリア人タレント ダリオ・ポニッスィの演出による上演となった。
残念ながら、この新人演出家によるプロダクションは、「オペラ」上演としては、ひじょうに物足りないものだった。
今年も張り出し舞台を設け、舞台後方の階段との間を歌手に行き来させて歌唱・演技させていたが、演技と演技の間に妙な空白があるのが、気になった。これは階段の上り下りの手間というだけでなく、演出の未熟さゆえもあるだろう。
演出家だけの咎に帰すわけにはいかないが、美術・衣装の貧相さにもがっかりさせられた。聖母マリア像の石膏像の稚拙さは、クリスチャンに失礼だと思われるほどだったし、第一幕の聖堂内の「聖水盤」に使った小道具は、料理用のガラスボールとしか考えられない。
そして、出演者全員にまとわせた大判スカーフで作ったようなポンチョ(?)風の布地は、美術・衣装の石井幹子の談によると、出演者に装置の一部を着せるというコンセプトのもと、ローマの各所をイメージした色・デザインとのこと。しかし、トスカの衣装など、まるで神社の巫女さんのような代物で、歌手に気の毒なほどだった。それに、初日は前から三列目で鑑賞していた筆者の目には、生地の絹の質感があまり上等なものに映らなかったのだが…。
どうせ時代考証を無視するのなら、もっとシンプルな衣装にとどめても、よかったのではないだろうか。

のっけから苦言を呈してしまったが、こうなると、個々の歌手の「芸」を味わう上演として観るのが一番であり、実際そうなったのである。


第一幕 サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会

前述のお粗末な美術ではあるが、ともかく聖堂内に政治犯アンジェロッティ(成田博之)が逃げ込み、堂守(エンゾ・カプアノ)がコミカルに前口上を務め、画家マリオ・カヴァラドッシ(ニール・シコフ)が登場する。
「堕ちる男を歌わせれば世界一」とまで言われるようになったシコフにとって、カヴァラドッシは、彼得意の屈折感を発揮できる役どころではない。そうなると、このカヴァラドッシは、ひたすら彼の「声」を聴かせるために奉仕することとなったのだ。
最初のアリア「妙なる調和」でシコフは、早速、彼ならではの熱唱を披露した。若手指揮者のニコラ・ルイゾッティも、シコフのアリアが始まると、後ろを振り返り(指揮者とオケは張り出し舞台の後ろ本舞台に位置していたので、指揮者は歌手に背を向けて振っている時間が多い)あくまでシコフに合わせるという献身ぶり。
それでも、二日目(14日)のこのアリアの時は、シコフとテンポがずれそうになる一幕もあり、少々はらはらさせられたが…。しかし初日の「妙なる調和」は、私が今まで聴いたうちでも、彼のベスト歌唱のひとつに入るものだろう。
巷間、シコフ主導の「スロー・テンポ」には、賛否両論の声が上がっているようだ。アンサンブルという面では疑問が残るが、その一方で絶滅寸前(?)の、尊大なまでに「声」を観客にたっぷりと浴びせる昔気質のテノールのよさを味わえたと思う。
ルイゾッティの指揮ぶりは、スター歌手を立てることを第一にしながらも、オケをよく歌わせ、まとめていた。

カヴァラドッシとアンジェロッティとのやり取りの後、恋人マリオを訪ねてきた歌姫フローリア・トスカが登場。扮するドイナ・ディミトリゥは新進気鋭のソプラノ。美声の持ち主で、ことにとても美しいピアニッシモを操る。必ずしもトスカ歌いとしてふさわしいとは言い切れないかもしれないが(彼女には『ノルマ』などベルカント・オペラをぜひ歌ってもらいたい)、初日のすみずみまで神経の行き届いた繊細な歌唱はとてもよかった。若々しいトスカである。

トスカ、カヴァラドッシの愛の二重唱の後、ナポレオン敗退の報に堂守と子供達が大喜びしているところに、威圧的なライト・モティーフと共に、警視総監スカルピアが登場。聖なる教会内に異質な存在として侵入してくるスカルピアの登場は、実演・映像とりどりに見てきたが、大ベテランレナート・ブルゾンのスカルピアは、例の舞台後方の大階段の頂上に、部下を従えて忽然と現れる。その存在感は、神がかりを感じさせるほどに重厚で、これだけでも大歌手の風格を感じさせるに十分なものだった。
さすがに美声に衰えは感じられるものの、縦横に彼ならではの「スカルピア」を歌い、演じ切った。なんともノーブルで紳士的なスカルピアで、この邪悪で好色なキャラクターには反するのだろうが、ブルゾンならではの持ち味を徹底的に押し通して天晴れ。特に優雅にトスカをエスコートする紳士ぶりや、「テ・デウム」で祭壇に跪き、頭を深く垂れる姿が、「ブルゾンのスカルピア」の真骨頂だった。
本格的な演出でないゆえの視覚的効果不測はあったものの、第一幕の幕切れ「テ・デウム」の演奏・コーラスは圧巻。


第二幕 ファルネーゼ宮殿

スカルピアの執務室から始まるこの幕も、第一幕の最後から引き続き、ブルゾンの名人芸が光った。
もともとこの第二幕は、全編トスカとスカルピアの二重唱で構成されていると言われるほどで、トスカの真の相手役が誰であるかが、明らかになる幕。何度見ても、結末を知っていても、手に汗握らされる、真の意味でのmelodorammaである。
その点、ルイゾッティの音作りとディミトリゥの役作りが、幾分か平板だったような観もある。しかしながら、全体としては若い両者が、ブルゾンによく応えて健闘していたと言えよう。
初日・二日目とも、ブルゾンの歌役者としての見せ場・聴かせ場は、十二分だった。前述したように、いささかのいやらしさもない紳士的なスカルピアなのだが、70才を前にしてのこの力強さはどうだろう。声・舞台での動き、最小限の「老い」しか感じさせないのは、驚異的だった。

ディミトリゥは、スカルピア刺殺後の「女優ぶり」は、今ひとつ物足りなかった。ただ、この部分は「声を聴かせる」より「演技見せる」 部分なので、トスカはほとんど初役に近いという彼女の今後に期待すべきだろう(ただし、あまりトスカは歌わない方がよいかもしれないが…)。
その発声のおかげで、刺殺直後の "Questa e' bacio di Tosca!" 「これがトスカの接吻よ!」 の決め台詞が、今までにない程に、クリアーに聴き取れた反面、"Avanti a lui, tremava tutta Roma" 「この男の前で全ローマが震え上がった」は”ベルカントのフォームを守りすぎたせいか、説得力が今ひとつ。マリア・カラスのように、この台詞は地声にして、「崩した」方が、迫力が出るのだろう。

忘れてならないのは、この幕では出番が少ないシコフのカヴァラドッシ。拷問された後にマレンゴの戦いでの王党派の敗戦の報を聞いての "Vittoria!" で二日とも、延々10秒以上、高音を伸ばし、その「テノール至上主義」を存分に発揮してくれた。特に初日は、前から三番目、それもシコフの真正面で声のシャワーを浴びた筆者は、理屈ぬきで「声」の力と輝きを堪能することが出来たのだった。

カーテン・コールにはブルゾンが一人で出てきて、聴衆もこの大歌手に惜しみない拍手を送った。今回の公演の第二幕は、ブルゾンへのオマージュの為にあったと言っても、過言ではないだろう。


第三幕 カステッロ・サンタンジェロ

この幕は、もうシコフの「星は光りぬ」の為にあったようなもの。
トスカへの手紙を書き始め、「星は光りぬ」を歌い出すまでのシコフは歌唱ばかりか、一挙手一投足に至るまで、内省的でパセティック。どんなに簡素なセット、小道具であろうと、シコフはひとたび歌い始めれば、自己の世界に埋没することが出来るようだ。
ここでも、シコフに合わせたスロー・ペースのルイゾッティの指揮が賛否両論のようだが、歌を聴かせることに徹底した「テノール至上主義」をここまで貫き通せば、天晴れと言えよう。とにかく、現在、「星は光りぬ」を声量たっぷりの声で、ここまで情感豊かに歌い上げることの出来るのは、シコフだけかもしれない。
彼が尊敬する故・フランコ・コレッリが、驚異のブレスでデミュニエンドさせた le belle forme discioglie dai velli 「ヴェールの下から美しい姿態を現した」 の部分を、シコフは逆にクレッシェンドで表現しているのが、印象的だった。

ただし、初日は飛ばしすぎたせいか(テレビ・カメラが入っていたせいか、初日のシコフとディミトリゥは大変気合が入っていた。ブルゾンは常に堂々としたもの。むしろ、二日目の方が調子よかった)、その後のトスカとの二重唱でカヴァラドッシいささか息切れ気味だった。

最後のカヴァラドッシ銃殺は、階段の最上段で執り行われ、駆け登って恋人が死んでいるのをそこに見出したトスカは、そこから身投げする(ように見える)のだが、ほんとうに高所なので、迫力があった。最後の "O Scarpia avanti a Dio!" 「おお、スカルピア、神の御前で!」 も、ディミトリウは声を張り上げすぎることなく、美しく決めていた。

以上、今回は、とにかく主役三人を「聴く」上演ということで終始し、またそれで成功していたといえるだろう。オペラ上演としての不備・不満は残るにせよ、日本でこれだけの歌手を揃えて高水準の演奏を生で聴けるのは、大変幸甚なことだと思う。

 

指揮 : ニコラ・ルイゾッティ

演出 : ダリオ・ポニッスィ

美術・衣装 : 石井幹子

管弦楽 : 東京交響楽団

合唱: 藤原歌劇団合唱部/東京少年少女合唱隊

配役

 フローリア・トスカ   ドイナ・ディミートーリゥ

マリオ・カヴァラドッシ   ニール・シコフ

スカルピア男爵   レナート・ブルゾン

アンジェロッティ   成田博之

堂守   エンゾ・カプアノ

スポレッタ   高橋淳

シャッローネ   清水宏樹

看守   小野和彦


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2004年5月9日

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