Lagaan
監督:
Ashtosh Gowarikar
プロデュース・出演/
Aamir Khan
(マンガ・イラスト)Manosh Talukdar
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導入部はアミターヴ・バッチャンの腹に響く、渋い重低音バズーカのナレーションではじまる。
「時は
1893年、舞台は中部インドの一農村、チャンパネール。去年の雨季には雨が降った。しかしごくわずか。今年の雨季は、まだ雨は降っていない」…

殺人的な天候の中、この地を植民地支配するイギリス領事部は2倍の農税(ラガーン)を課す。無慈悲な要求。何とか今年の農税を免除してもらおうと藩王に嘆願に行く村人たち。その途中、村人たちは官舎の前で奇妙な遊びに興じているイギリス人を目撃する。
「何だいあの変な遊びは」…
「免除にしよう。ただし…」長官は一つ、条件を提示する。「我々にクリケット・マッチで勝ったらだ。今年どころか今後
3年間の税を免除してやろう。しかし負けたらだ。3倍の税を払ってもらう。いいな?」
動揺する村人たち。村の長が懇願する。
「そんな無茶な…藩王様からも何とか言ってくれませんか…」
「黙れ。お前には聞いていない。お前だ。どうだ、やるか」
長官が指差したのは、不敵な目で昂然と睨み返すブヴァン(アーミル・カーン)だった。
「承知した」
言い切るブヴァン。どよめく村人。勝ち誇ったように鼻で笑う長官。

無駄の無い導入部。ややもすれば強引な展開だが、観ている者を力強く引き込む。

よく言われる事だが、インド娯楽映画は長い。しかしその長いインド娯楽映画の中にあって『Lagaan』の長さは破格である。

かつて3部のオムニバス形式で製作された『Mera Naam Joker(邦題「私はピエロ」)』(ラージ・カプール監督・主演/70年)の上映時間は3時間50分であった。3部形式ということもあり、『Mera Naam Joker』はインターバル(途中休憩)が2度入っていたという。『Lagaan』もそれに迫る3時間42分、しかもインターバルは1度だけ。駄作であればこの長さは苦痛以外の何物でもない。ちなみに『Mera Naam Joker』は興行的には成功しなかったようだ。

通常インドの映画館では一日4回上映される。しかし『Lagaan』はこの4時間近い長さゆえに一日3回しか上映出来ない。とは言えチケット代を高く設定している訳でもない。一日の上映回数が一回減る訳だから、明らかに一日3回の上映というのは通常の映画に比べて興行収入の面でハンデになる。編集で短くして一日4回上映した方が興行的には安全であるにもかかわらず、この長さで押し通したということは、見方によれば製作陣がそれだけ映画に強い自信を持っていることの裏付け、と見ることも出来る。

ハンデある勝負、という点では映画中のインド人チームともオーバーラップする。
負け戦であろう事は誰の目にも明らかだった。何しろそれまでクリケットなど見たことも聞いたことも無かったのだ。ブヴァンに村人の非難が集中する。しかし懸命の練習に、一人また一人と村の男たちが馳せ参じだす。その想い、カースト、宗教は十人十色であり、それはそのままインドそのものを象徴しているかのようだ。それがまた、ストーリーに幅を持たせている。

不公平な申し出に、イギリス側からも協力者が現れた。長官の美しい妹・エリザベス(レイチェル・シェリー)である。正義感の強い彼女は、長官らの反対にも拘らず村に通い、ブヴァンたちにクリケットのイロハを手ほどきする。ブヴァンにほのかな恋心を抱くガウリー(グレーシー・スィン)は、熱心にエリザベスの手ほどきを受けるブヴァンの横顔を見て気が気でない。

嫉妬に燃えるガウリーが踊る曲「ラーダー・カエスィー・ナ・ジャレー」。
ダンスシーンはダンディアを基にしている。
ダンディアとはグジャラート地方の民族舞踊である。ジャンマー・アシュタミー(クリシュナ生誕祭)の夜、クリシュナ神像を中心に置き、その周囲を棒を持った男女によって踊られる円舞だ。このダンスシーンも、当初群舞であったものが次第にガウリーとブヴァンの二人舞踊となって行く。ガウリーの気迫がただ者ではない。嫉妬しているのだ。群集に混じり主賓として祭り見物に来ているエリザベスを激しく意識しているのだ。

ラーダーはクリシュナ神話(『ギーター・ゴーヴィンダー』)に登場する愛人。愛人であるが故に激しくクリシュナと愛し合った。そのクリシュナに対する熱い想いは昇華され、一つの宗教思想にまでなっている。また実際の所、クリシュナ神話では正妻ルクマーイーよりも愛人であるラーダーの方が広くインドでは知られている。

舞踊シーンがまるでそれまでの筋とは何の脈絡も無い昨今の映画と比べ、この舞踊シーンは筋が通っているばかりでなく、必然ですらあると感じさせる名場面と言っていいだろう。ガウリーのパートを歌うPBシンガー・アーシャー・ボースレーの哀調を帯びた熱唱も素晴らしい。

ここ数年の傾向であろうが、音楽会社はテープ・CDを売ろうとしてテレビCMを大量に流す。映画公開の約1ヶ月前から流されるCMは同時に映画自体の宣伝にもなる。従って映画製作の側も、より多くの金と労力を注ぎ込んで舞踊シーンをきらびやかに飾り立てようとする。往々にして話しの筋書きとは全く関係のない海外で舞踊シーンが撮影されるのもこうした理由によるのだろう。逆に言えば舞踊シーンだけ見ていても映画の筋は全く判らない。このように、筋と矛盾する派手な舞踊シーンを如何に不自然なく劇中に処理するかも監督の力量が問われる所であろう。

この点でも『Lagaan』は異彩を放っている。舞踊シーンを含めて海外ロケが一切入っていないのだ。もちろんこれは「時代物」という設定からすれば当然ではあるのだが、スイスやマレーシアの政府観光局がインド映画製作陣のロケ誘致のため新聞に一面広告を出したりする昨今の潮流に慣れきった目には、逆に非常に新鮮に映る。

とは言え、『Lagaan』製作陣が舞踊シーンに費用を惜しんだのではないことは、そのスタッフの布陣を見ても明らかだ。音楽監督には現在のインド音楽シーンにあって最も幅広い活躍をしているA.R.ラフマーンを起用。作詞はこちらも超一流のジャヴェード・アクタール。振付けはサロージ・カーン、フルハー・カーン、ガネーシ・ヘッジらインド随一のダンスマスターが起用された。ちなみにこの「ラーダー・カエシィー・ナ・ジャレー」はサロージ・カーンの振付けである。

ちなみに『India Today』誌625日号によると、『Lagaan』総制作費は約25カロールRs1カロール=1千万/従って2億5千万Rs≒7億5千万円)であるが、うち国内外の配給権で約20カロール、音楽権利で4カロールの収益が既に見込まれている。音楽の権利を購入したのはソニー・ミュージック・インディア社である。

支配者対被支配者という図式、とりわけイギリス対インドという対立構図は得てして悲劇や社会告発劇になりやすい。しかしシナリオはあくまでもエンターテイメントの要素を重視して、深刻な展開を避けている。

映画はインド人を熱狂させる二つの重要な要素を盛り込んでいる。一つはクリケット、もう一つは愛国心である。

インドにおけるクリケットの位置は、日本における野球と同じかそれ以上。ワールドカップのある日など、全国民がテレビやラジオの中継に釘付けとなるインドを代表する国民的スポーツである。その対戦相手が約200年の永きに渡って植民地支配を続けたイギリスであれば否が応でも感情は激昂しないはずがない。ましてや対戦の時期は植民地時代真っ只中なのである。

試合に必要なバットやレガースは全て村の女たちの手作り。正に全村一丸である。その大切な道具を手に、大群集の集う試合会場に乗り込むチーム11人。対戦相手のイギリス・チームは皆お揃いの白のユニフォーム。ブヴァンのチームにユニフォームなど無い。クルター、ドーティー、バラバラな普段着、バラバラな階層、正に好対照である。 

猛特訓の3ヶ月は過ぎた。遂に試合当日。二つのチームがお互いのブルペンから登場し、会場中央に整列する。カメラは気迫に満ちた一人一人の顔を流し撮りしていく。決戦の火蓋が今、切られようとしている。映画館内の歓声は絶叫に近いものに変わる。

娯楽映画として成功するのに不安ないくつかの要素も、しかし同時に『Lagaan』は併せ持っている。例えば、一つは映画撮影は今回がはじめてという無名の新人女優の起用。一つは、過去二作興行的には失敗作を撮り続けた監督。

主演女優・グレーシー・スィンは、かつてテレビドラマ『Amanat』での演技経験はあるものの、一般的な認知度は皆無である。一部の雑誌には「ダークホース中のダークホース」といった記事も見える。当初アーミルの相手役には『1947 Earth』で共演したナンディター・ダースが候補に挙がっていた。しかし「村娘役には外見があまりに知的すぎる」という監督の意向により却下。次に候補に挙がったのは、やはり『Ghulam』で共演したラニ・ムケルジーだったが、今度はラニのスケジュールの都合で却下となった。その後何人かの女優をテストした結果、最終的に村娘・ガウリー役に最も相応しいのがグレーシーである、と判断された。

女優の人気度や知名度で集客率が左右されるのはどの国も同じであり、無名女優の起用はインドの場合でも例外無く冒険である。そればかりではない。年を追うごとに過激になっていく傾向にある露出度も「時代物」という設定ではあるものの皆無である。

監督・アシュトーシュ・ゴーワリカールの監督デビュー作『Pehla Nasha』と続く二作目の『Baazi』は商業的には失敗だった。うち『Baazi』はアーミルが主演したものである。当初アシュトーシュが『Lagaan』の企画を何人かのプロデューサーに持ち掛けた時、それを映画化しようと申し出た者は誰もいなかった。アシュトーシュは旧知のアーミルを訪ねる。それは単に一人の監督として同じ業界人たるアーミルに意見を聞こうとしたに過ぎなかった。やはりアーミルの反応も他のプロデューサー同様冷ややかなものであった。アシュトーシュはシナリオを持ち帰り、半年かけて手直しをし、再びアーミルの前に現れる。

「それは本当に素晴らしいものだった。当初のシナリオから著しく進化したものとなっていた。正直な所、僕は彼がこれほどまでのシナリオを書けるとは予想すらしていなかった。彼の才能に非常に興奮したんだ。それでこの映画を作ろうと決意したんだ」(『indiatimes.com』のインタビューより)

こうしてアーミルは自らのプロダクションを設立、プロデューサーとなって映画製作に入る。99年初頭のことである。

撮影の行われたカヌリア(Kanuria)村はブジから20Km。ブジは今年(2001年)1月の大震災で壊滅的な被害を受けた。撮影は大地震の起きる直前まで続いていたという。

ちなみに、ブジを中心としたグジャラート地方はしばしばボリウッド映画の舞台となっている。現在でも女性たちがインドの中でもことさら派手なサリーや、多くの装飾品を日常的に身に付けていたり、男性も伝統的な衣装を大切にしている事、それら衣装が映える単色の自然風景に事欠かない事などがその理由だろう。最近では『Hum Dil De Chuke Sanam』、『Refugee』などが記憶に新しい。『Lagaan』の美術監督・ニティーシュ・デサイはまた『Hum Dil De Chuke Sanam』も手掛けた。ニティーシュも多くの賞を獲得した超一流の美術監督である。


マンガ化された『Lagaan』表紙

映画のプロモーションにおけるアーミルの行動力もマスコミに取りざたされている。

自らのホームプロダクション製作ということもあろうが、インタビュー、記者会見や、いわゆるプレミアム・ショーと呼ばれる舞台挨拶付きの上映会も、インド国内は元よりロンドンや南アのサンシティなどといった場所でも精力的に行っている。また、公開直前、アーミルはヴァジパイ首相を含む内閣閣僚らをも試写に招待し、マスコミの話題となった。試写を見た首相はご機嫌な様子で「こんなに面白い映画は随分久しぶりだ」といったコメントを残している。

Lagaan』は2001615日に公開された。冒頭に返るが、ストーリーの季節設定は「モンスーンに入ったのに、未だ雨の無い日照りの夏」ということになっている。とすればちょうど今だ。

近年、IT産業などが注目されているとはいえ、今もってインドの基幹産業は農業である。農業従事者にとってモンスーン期の雨は命だ。都市生活者にとっても同様である。酷暑期の殺人的な気温が一雨で一気に低下するからだ。雨を待ちわびる気持ちは、おそらく酷暑という季節の存在しないどんな国の人間にも解らないだろう。ラスト・シーンは正にそれを象徴している。

突然の雷と共に大粒の雨が乾ききった大地に降り注ぐ。イギリス人たちは慌てて建物の中に避難する。しかし一方、インド人たちは大雨に濡れるがままに、その下で踊り、抱擁する。全身で雨を悦ぶ。感謝する。

全体を通してストーリーは単純明快だ。ストーリーはおそらくヒンディー語を母語としない者や日本人にとっても容易に分かるものである。だからこそ力強い。そして楽しい。4時間近い大作は、ものの見事に時と我を忘れさせてくれる傑作である。

参考:
■『インド映画娯楽玉手箱』(キネマ旬報社)
■『
Screen2001615日号
■『
India Today2001625日号
■『
indiatimes.com』(インターネット)


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