あの『インド神話入門(新潮社)』の長谷川明氏が出した、最新刊。 それだけで、インド好きな人々を書店に走らせるには十分だろう。
学生時代、友人に誘われてインドへ行った。旅行前になって、 「インドのことをぜんぜん知らないのも、つまらないかな」 と思い、とりあえず手にした、さいしょのインド関係本が、『インド神話入門』だった。 私にとっては、それはいまでも特別な一冊となっている。 この本により、インドというところには、自分の想像を絶する神々が存在していたのだと知っただけでなく、読後に出かけたインドへの旅行が、彩りに満ちたものとなったからである。 一番おどろいたのは、日本の“天部(毘沙門天・大黒天など)”の神が、インドの神に由来していると知ったときだった。 こんなことは、多少なりともインド神話を知る人であれば常識だろうが、当時の私には胸がどきどきするほどの発見だった。 そして、歓喜天という神の名も、ここで初めて見たのである。
「ガネーシャ」の項に、その異様なイラストはあった。 はじめは度肝を抜かれた、極彩色の大衆宗教画にもすっかり目が慣れてきたところへ、「歓喜天双身像」の、単純な白黒のイラストはかえってセンセーショナルで、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感さえ覚えた。 頭だけが象で、人間のからだをし、立ったままいだきあう、一対の像。グロテスクなのに蠱惑的。邪道に堕ちるすれすれのキワをあぶなく渡る、そんな仇(あだ)っぽい造型に、私は戦慄し、また抗いがたい魅力を感じた。 この像の秘密を知りたい。なんとなくこわい、だけど知りたい。 人が成長していくにつれ、避けてはとおれないセックスへの興味に、それは酷似していた。それもそのはず、歓喜天は、性力信仰を司る神としての一面を持った、非常に特異な神格だったのである。 長年知りたかった秘密を解き明かしてくれる一冊との期待から、新刊『歓喜天とガネーシャ神』を一気に読んだ。
本書は、「歓喜天篇」と「ガネーシャ神篇」の二部構成になっており、それぞれの神が成立した歴史を、数多くの資料を紹介しながら解説している。 語り口が軽く、ひとつの文献の論証にさほど固執せずに進んでいくので、とても読みやすく、一冊でひろく知識を仕入れられるというお得感のある本だった。 ただ、紙幅の都合なのか、著者が元来あっさりした性格なのか、やや論証よりも類推にかたむくという印象を受けた。 著者の心のなかでは十分に検証された末の結論なのだろうが、その部分がはしょられているので、消化不良の読後感が残る。
たとえば、「歓喜天篇」中、正面から抱き合う形の双身歓喜天像が、現在日本以外でなかなか発見できないものの、ネパールで造られているのを著者自身が見たことがある、という短い話がある。
「その姿は日本の歓喜天に驚くほど似ている。これを欧米や日本の観光客向けのみやげ品でかたづけにくいのは、日本から誰かが行って製作指導をしたわけではないらしいということだ。とすれば古くからあった信仰をもとにしているのだろう。とにかく、日本型の歓喜天もまったく孤立したものではないということだ。(『双身歓喜天の由来』より)」
「したわけではないらしい」では、論拠としては弱すぎる。だから、これにつづく「とすれば古くからあった信仰をもとに・・・」という推理も、なんだか頼りなく見えてしまう。こう書くからには、著者自身はネパールでその証拠をつかんできたはずである。実地検分を載せてほしかった。 日本の歓喜天像は秘仏とされていて、イラストでしか目にすることができず、前から悔しい思いをしていた。この段では、ネパール製の歓喜天像の写真がはっきりと写っており、「像を見てみたい」という欲求不満は解消される。本書には、他にもたくさんの写真が掲載されていて、どれもが興味深いものばかりである。それならばなおのこと、写真でかきたてられる好奇心をきちんと満たしてくれるような論証がほしいところだ。
そう思いながら「あとがき」までたどりついたら、まるで私の思いを見透かして待っていてくれたかのようなことが書いてあった。
「発言は気軽にすればいい。学説といえなくても意見を発表するのは勝手である。その結果がこの本になったわけである。批判されることをむしろ楽しみにしている。」
なるほど、そういう意図なら、軽い筆致や、深追いしない自説の展開も、うなずける。読むほうも書くほうも、おたがい力を抜こうというわけか。
このたぐいまれな神について、厖大な知識と資料を手にしているにちがいない著者が、本書で試みたのは、浅く広く歓喜天とガネーシャを紹介していく入門書をつくることだったのだろう。この本を読んで、さらに深い興味と考察を持った読者は、「まえがき」に列挙された文献に自分であたってみること。あとがきからまえがきへとフィードバックする仕掛けも、うまく組まれていると思った。
さて、私がかねてから魅力を感じていた、歓喜天およびガネーシャの性力(シャクティ)についての記述は、これもまた非常にあっさりとしていて、残念に感じた。 エログロ寸前の宗教秘儀などは、もちろんのこともっと詳しく知りたい。はじめて歓喜天のイラストを見たときに受けた、あのなんともいえない強烈な印象を、裏づけるものがほしいのだ。 入門書に次ぐ、さらに性のタブーに挑戦した内容の続編を、いまは大いに期待している。
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