その女、悪魔憑きにつき・2



 とりあえず蛍光灯を点けて、確認する。

 尖った耳に、大きな角。背には黒い翼が、尻からは細長い尻尾が、それぞれ生えている。男は、青白いを通り越して、真っ青な肌をしていた。腕は丸太のように太く、胸は厚く盛り上がっており、割れた腹筋の下の、逞しくも長い足は、現在折り畳まれている。――男はなぜか、きっちり正座しているのだ。太い眉に切れ長の瞳。大きな口にスッと通った鼻筋と、なかなかの二枚目である。男がちゃんとした人間だったならば、もしかしたら景だって、彼にのぼせ上がっていたかもしれない。

 それはともかく。――自称、ティンカー・ベル。
 どう見てもどう考えても、男の外見は、彼自身が名乗ったその名のイメージとは、かけ離れている。
 隅々まで検分したのち、今頃になって、景は顔を赤らめた。

 「な、なんで、裸なんですか……!」
 「一応、腰巻きは付けているが」

 男は座ったまま、申し訳程度に下半身を覆っている、短い腰巻きの裾をめくってみせた。

 「そ、そんなちっちゃいの……! な、なんか黒々したのが、チラチラ見えてるし……」
 「ふむ。やはりこのちっぽけな布切れでは、我のロンギヌスの槍は隠しきれぬか」

 さらりと言ってのけてから、男改め、ティンカー・ベルは、小気味良くパチンと指を鳴らした。

 「わ……!?」

 ふわりと揺れた空気に気を取られてから、再び景がティンカー・ベルに目を戻すと、彼はいつの間にか服を身に付けていた。

 「……!」

 驚きのあまり、景はぱちぱちと瞬きする。
 よそ見したのは、一瞬だったはずだ。それなのにティンカー・ベルは、細かいストライプの入ったグレイのスーツを、きっちり着込んでいる。スーツと同系色のネクタイに、ピンクのシャツという組み合わせも、センスが良い。彼にもよく似合っている。
 ――ではなくて。

 「今のは……魔法? ということは、あなたはやはり、妖精なのですか……?」
 「低能な羽虫と一緒にするな。我は、悪魔だ」
 「あくま?」

 きっぱり言ったかと思うと、ティンカー・ベルは座卓の上に手を伸ばし、そこにあったクッキーを断りもなく食べ始めた。

 「あっ、それ! 妖精さんのために用意したのに!」
 「だから、お前が呼んだのは、我だろう。誇り高き、悪魔の」

 ――悪魔。
 一度目は流したが、二度も聞いてしまえば、捨て置けない。
 ティンカー・ベルの見た目は、確かに妖精というよりも、悪魔を名乗るほうがしっくりくる。しかし景としては、認めたくない。――自分が呼んだのが、悪魔だなんて。
 あっという間に妖精への貢ぎ物を食べ尽くすと、それだけでは足りないのか、ティンカー・ベルは脇に置いてあったクッキーの包みを取り、残りを食べ始めた。遠慮なく人様の菓子を頬張っている彼に、景は自身のスマホを突き出す。

 「ほら、ここ! これ、『ケール』語で妖精さんを呼び出す呪文なんでしょ!?」

 ティンカー・ベルは液晶画面を眺めながら、噛み砕いた菓子をごくりと喉へ送った。

 「お前、これは古代ヘブライ語だぞ。訳せば『邪悪な種族の皆様、私の小汚い願いを叶えるために、協力してください』となる」
 「……!」

 ――知識もないのに、ネットの情報を鵜呑みにすると、こうなるのか。
 なんたる、情報弱者。自己嫌悪のあまり、景の目の前は暗くなった。
 落ち込む彼女をよそに、ティンカー・ベルはマイペースだ。もう一つの妖精への貢ぎ物、ミルクピッチャーの中に指の先を付け、それを舐める。

 「これだけで食べるのはちょっとな……。さっきのクッキーに垂らせば良かったか」

 ブツブツ独り言を言ってから、ティンカー・ベルはふと気付いたように、暗い顔の景に声をかけた。

 「おい。妖精でも妖怪でも、悪魔でも、構わんだろう。何者だろうと、お前の『小汚い願い』を叶えてやるんだから」
 「協力してくれるのが悪魔じゃ、なんか違います! あと、小汚いって言わないで!」
 「悪魔だと何がダメなんだ?」
 「乙女のお願いごとに相応しくない!」
 「……………………」

 自分で乙女とか言っちゃう系。ティンカー・ベルは金色の目で、しらじらと景を見据えた。だがすぐに、納得の表情になる。

 「ん、そうか。お前は、処女か。確かにオトメだな」
 「そっちの意味じゃない! てか、なんで分かるんですか!?」

 確かに景は男性とお付き合いしたことがなく、二十歳(はたち)となった今も純潔を守っている。しかし、なぜそれが分かるのか。自らの体を抱き締めるようにして、景は悪魔の視線から、自らを庇った。だがティンカー・ベルは、景の膜が一枚あるかないかになど、既に興味をなくしたようで、彼女の携帯を操作しながら、食い入るように画面を見詰めている。

 「――なるほど。これほど稚拙な儀式と術者でありながら、我のような上級悪魔を呼び出せたのは、お前が我が名を明確に指名したからか」
 「我が名って、ティンカー・ベル……さんていう、お名前ですか? あなたの世界のことはよく分かりませんが、悪魔にしては珍しいお名前のような気がしますが……」

 言葉を選んだ景の問いかけに、ティンカー・ベルは頷いた。

 「うむ。我の生まれた国では、少し前にそういうブームがあってな。キラキラネーム? 生まれた自分の子に、分不相応な名前を付ける、アレだ」
 「キラキラ……」
 「悪魔なのだから、素直にルシファーだとか、サタンとでも名付けておけばいいものを、妙にこそばゆい、恥ずかしい名前を付けるのだ。おかげで我も迷惑している」
 「……………………」

 どこの世界でも、奇妙な流行はあるものだ。景が悪魔たちに親近感を抱きかけたところで、ティンカー・ベルは話を進めた。

 「まあ、ともかく、呼び出されたならば、何もせず帰るわけにはいかぬ。
 何が望みだ? 世界征服か? 大虐殺か?」
 「いやいやいや!」

 景は慌てて首を振った。名前だけは可愛い、しかし恐ろしい風貌をしたこの男ならば、容易に世界を滅ぼしてしまいそうだ。そんな彼に、自分のお願いごとを伝えるなんて――。景は躊躇してしまう。
 あまりに平凡で、くだらない望み。
 言ったら言ったで、「バカにしているのか」と、頭から丸呑みにされてしまいそうだ……。
 なかなか口を割ろうとしない景を見て、ティンカー・ベルは小首を傾げた。

 「言う気がないなら仕方がない。意味もなく悪魔を召喚したペナルティとして、この国の平均株価を、一万円ほど暴落させて帰るか」
 「ちょ、待って待って! せっかく景気が良くなってきたんだから、やめて! バイト代が下がっちゃう!」

 慌てて引き止めてから、景は唇をきゅっと引き結び、小さくため息を吐いてから、おずおずと口を開いた。

 「その……あの、ですね……」

 もじもじと指を絡ませながら、景は話し……出さない。

 中学時代の初恋の相手が、最近バイト先のカフェに来るようになった。
 向こうはこちらに気付いていないが、なんとかお話しがしたい。
 あわよくば、それ以上の関係になりたい。

 以上。

 まとめれば三行で済むこれを語るのに、景は結局三十分以上かかった。その間、ティンカー・ベルは口を挟むでもなく、おとなしく聞いていた。図体はバカでかく、顔もいかめしいが、彼は案外我慢強く、紳士的な悪魔なのかもしれない。

 「話は分かった。それでは明日、お前の職場に調査に行こう」
 「引き受けてくれるんですか?」

 あまりにくだらない願いごとだから、断られるかと思っていたのに、ティンカー・ベルは特に迷惑そうな様子も見せなかった。

 「その初恋の相手とやらが、神やら魔王やらだったら、叶えるのは難しいが」
 「いやいや、普通の男の子ですって」
 「ならば、多分大丈夫だろう。だが念のため、契約するかどうかは、明日の結果次第とさせてもらう」

 ティンカー・ベルは、顔に似合わず、慎重な性格のようだ。だが、安請け合いされるよりは、信用できるかもしれない。

 「それから、召喚者と悪魔は……対等であるというのが、我の考えだ。だから我に敬語を使う必要はない」
 「で、でも……」

 悪魔が人間にとって目上の存在かどうかは知らないが、とりあえずこの男にタメ口をきくのは、かなりの勇気がいる。なんとか許してもらえないか。景が上目遣いにティンカー・ベルの表情を伺っている先で、彼は腕を組んだ。

 「お前が改めないのなら……。平等に、我も言葉遣いを改めますが、それでもよろしいですか?」
 「いや、それは……。分かりま……分かった」

 恐ろしい見てくれの人物に、礼儀正しくされると、余計怖い。身に沁みた景は、いつものように振る舞うよう努めることにした。そもそも彼女はぞんざいに扱われてばかりいて、敬意を持って接してもらうことに慣れていないのだ。

 「うむ。――ところで」

 ティンカー・ベルは眉間に皺を寄せながら、ミルクピッチャーを摘み上げた。彼の太い人差し指と親指の間にあると、ただでさえ小さなピッチャーが、ますます小さく見える。

 「召喚の贄として捧げられたものを、悪魔は必ず平らげなければならない。だが、これをこれだけで食べるのは、少しつらい。なんとかならんか」

 ピッチャーの中に入っているのは、蜂蜜である。

 「あ、じゃあ、ホットケーキでも焼く? そんで、その蜂蜜をかけて食べるとか」
 「ホットケーキ!」

 悪魔の目がぎらりと輝く。

 「お前、作れるのか?」
 「出来合いの粉を使えば、簡単だよ。好き? ホットケーキ」
 「〜〜〜〜大好きだ!!!!」

 軽い気持ちで尋ねたのだが、ティンカー・ベルは思ったより強力に食いついてきた。
やや引き気味に、だが景は悪魔の希望を了承し、ホットケーキを作り始めた。
 そういえば景も、夕食がまだだ。
 彼女は都合六枚ほどホットケーキを焼き、悪魔と二人で食べた。ちなみに作ったものの五枚までは、ティンカー・ベルの腹に収まったことを、付け加えておく。


つづく