おなかいっぱいの恋・4
ひとかけらも残さず食べ尽くした晩餐のあとでは、あまりに図々しいだろうと自覚しつつ、だが景はその願いを口にする。
「どんだけ食べても、太らない体にして欲しいの!」
食事中は正座で、これは普段からだが背筋のピンと伸びた悪魔は、首を捻った。
「そんなものがお前の幸福に繋がるのか?」
「もちろんだよ! 女の子の一生は、ダイエットとの戦いなんだから! 好きなものを好きなだけ食べて、太らないなんて、このうえなく幸せだよ!」
「ほほう」
頷きながら、どこぞの店名とブサイクなネコの絵が描かれた湯のみを、ティンカー・ベルは口元へ持っていく。彼が使うだけで、適当にバラ撒かれただろう貧乏臭い景品も、銘入りの茶器に見えてくるのが不思議だ。
「ならば、携帯を貸せ。脂肪吸引で評判のいい美容整形外科を、腕によりをかけてググってやろう」
「そうくると思ったよ! 腕によりをって、誰がどう検索しても、結果は同じだからね!?」
「そこが素人の浅はかさよ。より良いサイトを見付け出すには、検索ワードのチョイスや工夫がだな……」
このままだと初心者向けのネット講座になってしまいそうな、ティンカー・ベルの口上を、景は唇を尖らせて遮った。
「昨日から、あれもダメ、これもダメじゃん! ティンカー・ベルは最初から、私の願いごとなんて、叶える気がないんでしょ!」
ぷんぷん怒りながら、景は空いた食器を運ぼうと、お盆を持った。だが青い手が、それを制する。何ごとかと動きを止めた景の前で、なんと皿たちが浮かび上がった。ゆっくりふわふわと台所へ向かって飛んで行くそれらのあとを、景は慌てて追った。
「わ……!」
台所では、まるで映画のような光景が広がっていた。誰もいないはずの流し台では、泡立ったスポンジが勝手に皿を磨き、また皿のほうも自ら蛇口から流れ落ちる水にその身を晒し、濯がれていく。
部屋に戻った景は、唖然としつつも、ティンカー・ベルに礼を言った。
「あ、ありがとう」
「うむ。我の魔法は、そこらの食洗機よりもずっと節水型だからな。安心して任せるがいい」
随分とささやかな性能を誇ってから、悪魔は話を戻すべく、立ったままの景を見据えた。
「まあ、どうしても魔法をかけてくれというなら、それは可能だ。ただ、『変化』の魔法は、取り消しができないのが難点でな……」
少し難しい顔をして、ティンカー・ベルは話を続けた。
「お前は、太らない体にして欲しいと言ったが、それはつまり、体型をキープできればいいのか? お前は今の自分の体に、全く不満がないのか?」
景はティンカー・ベルの前に座り直すと、手の指先から膝まで、ざっと視線を走らせた。
「そんなことはないけど……。もうちょっと胸が大きければとか、お尻が小さくなればとか、不満は色々あるよ」
「しかし我がお前に魔法をかければ、もう二度と体型を変えることはできなくなるぞ。お前は一生そのまま、貧乳でケツデカのままだ」
「そこまで罵られるほど、胸は小さくないし、お尻も大きくない! 多分!」
「ともかく、魔法をかけるなら、まずは今の体を改造してからのほうがいいだろう。死ぬまで保つに値するような、素晴らしい肉体にな。
――さあ、言うがいい。胸を何センチ大きくして、尻はどれくらい減らすのか。ウエストもか? 具体的に述べよ」
「……………………」
まるで鬼刑事の取り調べのように、ティンカー・ベルは詰問する。カミソリのように光る鋭い瞳に、舐めるように眺め回されて、景は自分の体を庇うように抱き締めた。
「やっぱいい! なんか恥ずかしいよ!」
そうだ。よく考えたらこれは、自分の体に対するコンプレックスを、詳らかに暴露することと同じではないか。
「何を今更照れることがある。我はお前の体など、隅の隅まで、膣の奥の肉ヒダまで、たっぷり拝んでいるではないか」
「さらっといやらしいこと言わないで! ともかく、もういいの!」
景が強く拒絶しても、ティンカー・ベルは特に気分を害した様子もなく、そうか、とつぶやくだけだった。
再びブサイクな猫の湯のみを傾ける彼を眺めながら、景は、昨夜からのことを冷静に思い返してみる。
美人になりたい。スタイルが良くなりたい。
だがその願いを、ティンカー・ベルには、叶えて欲しくない気がする。
――だってそんな方法で綺麗になっても、ティンカー・ベルは褒めてくれないだろうし、好きになってもくれないだろうしなあ……。
美しくなりたい理由は人それぞれだろうが、とりあえず景は、誰かの目を引くための手段と捉えているようだ。誰かの――例えば、自分が気になる相手の目を。
景はハッと我に返った。
――いや、まさか……まさか。私が美人になりたいのは、あくまでも幸せになりたいからで……。
じゃあ、幸せとは何なのか。
「具体的に述べよ」と、今、目の前の悪魔にそう問われたら、とんでもない答えを返してしまいそうだ。
――私は、あなたのことが……。
「しかしお前は別に太っていないだろう。なぜ急に、太らない体が欲しいなどと、言い出した?」
「あ……」
話題を振られて助かった。景は赤くなった顔を必要以上に大きく動かして、その辺に置いてあった雑誌をティンカー・ベルに渡した。
「ほら、ここに載ってるモデルさん、水谷 花憐ちゃんっていうんだけど、『ファウスト』のお得意様なの。めちゃくちゃ可愛いでしょ? 今日もお店に来てくれたんだけど、そのとき、甘いものを食べるの我慢してるって聞いてね。それはつらいなあって思ったから」
「――モデルのK.Mは、食べたもの、吐いてるんだょ。ぁたし、吐きダコ見たもん。顔が可愛くないから、せめて痩せないとって感じかな。悲惨だょね☆」
「は? モデルのK.Mって、花憐ちゃんのこと?」
しかし、話の内容よりも、突然一本調子で喋り出したティンカー・ベルの様子が、あまりに怪し過ぎる。訝んだ景は、彼が立てて読んでいる雑誌を、机の上に引き倒した。その下から現れた青い右手は、いつの間に奪ったのか、景のスマホをいじっている。
「こらあ! 何、人のもの、勝手に触ってるの!」
どうやらティンカー・ベルが読み上げたのは、芸能人の噂を募った、匿名型掲示板の書き込みらしい。
「もー! そんなの信じないで! 嘘を嘘と見抜ける人でないと、ネットを使うのは難しいんだからね!」
受け売りの説教をかましつつ、景は水谷 花憐の姿を思い浮かべた。
確かに細かったが……。いや、だが彼女は、「甘いものを我慢している」と言っていた。確かに花憐は、三日とおかず「ファウスト」に来店してくれているが、パンケーキなどのスイーツを注文する頻度は、さほど多くない。食後吐くなんてことをしているなら、来るたびにいくらでも食べればいいではないか。
「花憐ちゃんは吐くなんて、そんなことしてないよ。モデルとして、節制してるだけ!」
景の反論を、だがティンカー・ベルは聞いていない。花憐の噂を発端に、過食嘔吐、拒食症などの摂食障害について検索し、そのリンクを辿っている。
「うーむ。ここまで追い詰められるものなのか。体重なんて、食べることを少し我慢して、運動でもすれば、いくらでもコントロールできるだろう」
「そんなことは、分かってるんだってば! それができないから、女の子は苦労してるんだよ……」
そう。太りたくないと思いつつ、デザートを用意してしまう景も、苦労している一人である。
切って冷やしておいたキウイを、冷蔵庫へ取りに行く途中で、景は背中に人の気配を感じた。振り向くよりも早く、優しく壁に押し付けられる。
「わっ……! ちょ、ティンカー・ベル!?」
ザラザラした壁紙の感触を頬に受けながら、景は悪魔の名を呼んだ。
「魔法なんて使わずとも、今の体型を保つなんて、簡単なことだろう。例えば毎日、性的な絶頂に上り詰めて、カロリーを消費するというのはどうだ?」
耳元で囁く彼の手が、胸元へ潜んでくる。
またこのパターンかとうんざりしつつ、だが抵抗しない自分が、景は嫌になってきた。
つづく