すばらしい投稿記事
 新聞の投稿記事は記者さんが取材した記事とは目線が違い、より一般の生活にちかいというか、障害などを学ぶ題材としてとても適している気がしています。今まではそれぞれのセクションで紹介させていただいていましたが、今日からはこのページに優先的に載せることにします。今まで載せてきたのもちょっとずつ載せるつもりです。

2007年2月5日 朝日新聞「声」欄
 一月半ば、障害のある人が招待された都内でのコンサートに向かう地下鉄の中、私たちの前に白いコートの7歳くらいの女の子が立った。隣のお父さんに、社内の目のつく物について質問しては楽しそうにおしゃべりしていた。
 私の隣に座った、知的に障害のある24歳の娘は、これから行くコンサートのことなど、首を振ったり鼻を触ったりしながら、私に伝えようとしていた。
 娘に気づいたその女の子は、大きく目を見開き、娘を見つめた。娘から目を離せなくなってしまったようだ。
 その気持ちはわかる。でも、ちょっと切ないなあ。私と目が合い、困った顔になった女の子に、私はフッと笑いかけてみた。女の子はもじもじしながら、少しほほ笑んでくれた。
 障害のある人は、見た目は少し変わっているけど、決してかわいそうな人たちじゃないの。あなたと同じように毎日を一生懸命生きているの。目が合ったらニッコリほほ笑んでみて。心が通じるのが分かるから。同じ人間なんだと分かるから。
 お父さんが、女の子にそう話してくれることを願いながら、地下鉄を降りた。
2007年9月19日朝日新聞投稿欄「声」より
「こんな大人になりたくない」 
 予備校の夏期講習へむかう朝の電車のでのことだ。私はドア近くに立っていた。いつもは静かな車内で、楽しげな歌声が聞こえる。私のすぐそばに座っている同年代の少年の鼻歌だ。彼には障害があるようだった。
 少年は気分がのってきたのだろう。手に動きがついて、前に立つおばあさんに軽く触れた。「どうしたの」とおばあさん。その笑顔を見て、少年に付き添っている方だろうと思った。
 少年は次に、自分の隣に座るサラリーマン風の男性のひざに軽く触れた。男性の反応は思いがけないものだった。少年の手を払いのけ、さわられた部分をハンカチでぬぐったのだ。
 少年は、次の駅で下車した。優しいまなざしを向けていたおばあさんは降りない。おばあさんは少年とは無縁の人だとわかると、男性への怒りがこみ上げた。少年はずっと笑顔だったが、何かを感じ取ったはずだ。
 絶対になりたくない、大人の姿を見た朝だった。
2007年12月27日更新
 「事故が生んだ 出会いの「幸」」
  都営地下鉄大江戸線の停電事故。乗客が線路を歩いて避難する映像がテレビでも映りましたが、あの電車の一両目に37歳の知的障害にある長男が乗っていました。
 その日、午前9時半過ぎに電話が鳴り、「息子さんと一緒に線路を歩き、今、次の駅に辿り着きました」と言う男性の声。とっくに横浜の作業場にいる時間です。やっと状況がのみ込めましたが、病院へ行かなければなりません。息子と同年代らしい男性は事情を了解し、「私がJRの駅まで一緒に行くので心配しないで下さい、大丈夫です」と言って下さいました。
 昼過ぎ、長男が作業場に着いた事を確認する電話を入れると「良い方に出会いましたね。『電車に乗せましたから無事に着いたら連絡を下さい』と言われましたよ」という職員。私もすぐに、その男性に電話をしました。安堵と感謝で「ありがとうございました」と繰り返すと、その方は「たまたま、側にいただけ」と答えるのみでした。
 最後に「写真をいただいてよろしいのでしょうか」と言います。長男は本能的にその方を信頼し、日ごろ撮って持ち歩いている得意の写真をあげたのです。
 たまたま近くに居合わせただけで「不幸」が起こりうる世相、いい方に長男が巡り合った「幸」を多くの方にしっていただきたいのです。
2008年2月4日更新
 三大紙に1ヶ月に1回ぐらいの割合で街中や電車内やバス内で困ったときに知らない方に助けられたけど、お礼を言えなかったので、直接お礼を伝える変わり(←お礼を言いたくても誰だかわからず不可能)に投稿欄で他の多くの方々にすばらしい行いをして下さった方のふるまいを伝える温かい投稿記事がよく載ります。事例として丁度良い投稿記事が見つかったので紹介させていただきます
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車内での嘔吐 温かさに感謝   (11月9日朝日新聞投稿欄「声」主婦36歳)
 
 3日、1歳の息子が39度近い熱を出し、救急病院から帰るとき、とても親切なタクシーに乗りました。
 診察の長い待ち時間。離れた調剤薬局での薬の受け取り。薬局を出ると外は暗くなっていて、早く帰って寝かせてやりたいと焦る。やっとタクシーを見つけて乗り込み、一息ついた途端に息子が嘔吐し、服はもちろん、座席のシートまで汚してしまった。
 「子供が吐きました。止まって頂けますか?」と謝ると、50歳ぐらいの運転手さんは一瞬驚いたようでしたが、車を路肩に止め、トランクからタオルを持ってきて貸して下さりました。
 「大丈夫そうなら発進するからね」と車を動かし、その後も動転して何と言っていいか分からない私に、「おとなしくなったね。吐いてすっきりしたのかな」と言って下さいました。これから仕事という時間帯でしたのに、嫌な顔せず、クリーニング代も「子供のことだからいいよ」と受け取りませんでした。
 黒っぽい車でしたが、お名前や会社名も確かめずに降りてしまいました。光が丘から成増駅までお世話下さった運転手さん。本当にありがとうございました。
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 ここまで特定(地域と車の色など)されると電車の中での親切と違い、東京の成増付近でタクシーの運転手を旦那さんがしている主婦の方がこの投稿記事に気づき、それを聞いた旦那(運転手)さんが会社や駅前での待機時間などに他の運転手さんに話することで、情報が広まり、最終的に対応された運転手さんにお礼のメッセージとして伝わるような感じがしました。

2008年2月6日更新
 またまたこのページにふさわしい投稿記事が見付かったので添付させていただきます。
「大人扱いした写真館に感謝」(2007年12月11日朝日新聞投稿欄「声」より)
 息子が来年1月、成人式を迎える。重度の知的障害があり、養護学校を卒業し、現在は地域の福祉施設に通っている。
 記念写真を撮ろうと、以前にも写真を撮ってもらって、息子の障害のこともよく分かっている近くの写真館に行った。紋付袴を付けてもらい撮影。うまくポーズを決められず、なかなかカメラに集中できない息子に、写真館の奥さんが、息子が大好きなアンパンマンやドラえもんの人形で興味を引きつけようと懸命に声を掛けた。
 すると、カメラマンが「子どもを撮っているんじゃないんだ。大人の写真を撮っているんだ」とたしなめた。「大人扱いを一番していないのは、この私じゃないか。」と心の中でひそかに反省した。
 普段ならとっくに終わってしまうだろう撮影に、時間がかかり、申し訳ないと思いつつ、一人の大人として記念写真を撮って下さった気持ちに感謝した。
 息子が産まれてからたくさんの病院に通い、息子の障害を受け入れるまで、悩んだり苦しんだりした時期もあったけれど、もう20歳。なんとたくましく成長してくれたことだろう。
 写真はそろそろできあがる。我が家の宝物がもう一つ増える

2008年5月3日更新
 2008年2月28日毎日新聞より
「子どものころの友を思い出そう」
 私は小学校教員で低学年の担任が主でした。低学年の級の隣に障害児学級を置くことが多く、交流の少ない子どものことが気になっていました。そこでその級の担任と相談に、交流を深める学習を計画しました。
 その中にパン作りがありました。すると隣の級と一緒にやりたいと、児童が提案しました。子どもたちは一対一で真剣に教え、生き生き活動しました。このような学習を通して仲間という心が育ち、違っているのは当たり前ということに気づいていったと思います。
 この教え子たちが24歳になり、同級会を開いて私も招かれました。そこに障害児だった子がいて、みんなと分け隔てなくおしゃべりを楽しんでいました。これを見て大人の行動や心の持ち方が子どもの心を変え、行動できる大人になっていくことが分かりました。
 子どものころの友人を忘れず思い出すことです。それが最も大切な思いやりの心ではないかと思います。

2009年2月24日更新
「障害児の成長促す支援大事」
2008年12月6日朝日新聞より
 知的障害児はいろいろと遅れていて何も出来ない。成長・発達はしない。そんな風に見られがちだが、この考えは正しいだろうか。
 私ども夫婦が里親として都から預かった3歳の知的障害児は体重2420グラム、身長47センチで生まれ、三日間、保育器に入っていたという。人生の出発からして確かに遅れていた。言葉は5歳を過ぎても一歳児並みの一語文。小中学校は「できない子」と決め付けられて友達に恵まれず、中学校の給食では教室の隅で一人で食べていた。
 この娘が養護学校高等部へ入学し、先生方の適切な指導を受け、まず大きく変わった。多くの友達ができ、漢字書き取りや計算問題の宿題を自分から進んでやるようになった。ワープロで漢字交じりの日記を書くようになった。乗法九九も正確になってきた。
 卒業後、一般企業に就職して11年がたつ。知的障害者のスポーツ団体のバスケット部の日本代表として世界大会にも参加した。この変化を成長・発達と言わず何というだろう。この子らに必要なのは、適切な支援と活躍・発表する場であると確信する

2009年12月23日更新
「白杖の人には肩・肘を貸して」
 2009年11月3日朝日新聞「声」より
 繁華街の歩道を白杖をつきながら歩いていた時、突然、「ストップ!」と、前から来た若い女性にむんずと腕をつかまれました。何事か、と歩みを止めると、「後ろから自転車が来ているので危ない」とおっしゃいます。そして「私は視覚障害者の友人がいる、誘導します」と、私の手をぐいぐい引っ張っていきます。
 私は自分のペースを測れず、ただ強引に引っ張られるばかり。段差があるとか左右に曲がるなど、肝心な情報は伝えてくれないため、怖くて腰が引けてしまいました。そこで「慣れた道ですので、大丈夫です」と、丁重にお断りしました。
 このことを話すと、ある友人も「白杖の先を持って引っ張られたことがあり、大変怖かった」と言っていました。 
実は、視覚障害者を介助する時は、障害者の前を歩き、肩に手を置かせて頂くか、または肘に手を触らせて頂いて、その上で階段や右左折、歩道、信号などの情報を下さるのが、一番いいのです。
 お願いです。視覚障害者が困っていたら、どうか肩や肘を、差し出してください

2010年9月16日更新
 6月28日に毎日新聞の投稿欄みんなの広場に載った小学校の統合教育についての記事が7月15日に3つの投稿に連鎖したので紹介させていただきます。

6月28日元も記事

「障害児教育、学校はもっと説明を」
 息子が通う小学校には、障害児のための特別なクラスが設けられている。国語や算数などの学習以外は、障害児もそれぞれ普通学級で学んでいる。障害児にとっても普通学級の子供たちにとっても、それぞれが孤立せず、とてもよい取り組み方だと思っている。
 しかし、息子に「その人はどんな障害を持っているの?」と聞くと、「先生からも説明がないから、分からない」と答えた。私が代わりに説明しようにも、保護者にも教師から特に説明はない。せっかくのいい取り組み方が生かし切れていないように思う。
 低学年のうちは簡単な言葉で、高学年になったら具体的な障害を伝えた上で、ともに生活することの重要性や必要性を説明すべきではないか。普通学級に交じることで、いろいろな面で障害が緩和される。障害児とともに過ごすことで「思いやり」を教わっていることを学校でも家庭でも話し合えたら、もう少し生きやすい社会を築いていけるのではないかと思う。

7月15日の連鎖記事
「障害児の特別な説明、不要では」
6月28日の本欄で普通学級の障害児教育について学校からもっと詳しい説明を、との投稿を読みました。確かにその子がどんなことで困っているか知っておくことは、ともに学校生活を送る仲間として大切で、場合によっては保護者への説明もあつと、おたがいにがより暮らしやすくなると思います。
 しかし、具体的な障害名や「ともに生活することの重要性」の説明が必要でしょうか。私は以前、特別支援学校に勤務し、いろいろな子どもたちがいましたが、障害名はもとより、障害の有無は子どもとかかわる上で重要ではなかったと思います。誰にでも不得意なことはあるし、人は誰でも「ともに生活する」ことが当たり前もことではないでしょうか。
 学校から障害のある子について、どういった場面でどんな支援があれば一緒の学校生活しやすいか、などの説明があれば、十分だと思います。それは障害の有無に関係なく、みんなに当てはまることだ、と感じることができる教育を望みます。

「障害の息子を支える学校」
 6月28日の本欄に掲載された「障害児教育、学校はもっと説明を」を読み、思わずペンを執りました。
 私の息子は先天性の心臓病です。入院生活が長く、小学校に上がるまで同年代の子どもたちと接する機会がほとんどありませんでした。耳の聞こえも悪く、不安が多かったため、入学前から学校側と話し合いを重ねました。
 入学後は連絡帳で細かなことを毎日のようにつづりました。クラスのお友達にも、その内容を伝えてもらうなど、息子が生活しやすい環境を作っていただきました。5年生の学習参観では息子の心臓病の授業もしてもらいました。お陰でお友達の息子に対する思いも聞くことができました。
 今年、中学生になりました。今まで以上に大変なことが多いのですが、小学校のときと同じように良い担当の先生や校長先生に巡り合いました。息子は校長室で校長先生と話すことが特に楽しいと話しています。周りの方々には本当に感謝したい毎日です。

「障害児はハンディより能力見て」
 6月28日の本欄「障害児教育、学校はもっと説明を」の趣旨に賛成です。ただ投稿者が息子さんに聞いた「その人どんな障害を持っているの」を「何が得意なの」、「どんなところでがんばっているの」「その人とどんな話をしたの」に変えたら、返事があったかもしれないと思いました。
 「国際ピアノコン 辻井さんが優勝」の本紙記事で指揮者佐渡裕さんが「『全盲のピアニスト』ととらえがちですが、僕が彼の音楽に共感したのひゃハンディがあるからではなくて100%音楽的なこと」と述べていたことを思い出します。
 障害児教育の場合、教育も友達も障害の種類より、その子が発揮している力を見るようにしたら、
障害のある子もない子も、ともに有意義な学校生活を送れるのではないかと考えています。



*3つ目の記事はピアニストの辻井さんの1年以上の記事が出てくるということはふだんからそういう記事を切り抜いているとういことで、どんな方なんだろうと不思議に思っていたところ、手抜きでコピー・ペーストをしたくこの投稿記事を掲載されたページがないか探していたところにたまたまこの方の前職がわかりました。埼玉県にある養護学校の元校長で、全国の養護学校の先生の集まりのトップも勤めたことがあるほど立派な方とのことでした。(余計なおまけでサッカー選手の中田ヒデ選手の高校時代の部活の顧問が養護学校の校長先生をしていたなど天下りのひとつにもなっている事実もあり、元養護学校校長=障害を理解しているということはないです。)