萬蔵ニュース(09年8月〜)

 

10年8月

    

 

 

 

広島に行く機会があり、待望の宮島に出かけることできた。五重塔への入口に萬蔵の燈篭があった。古い台座に新しい本体。本体だけクリーニングしたのだろうか。

10年1月

              

   知多遍路道に萬蔵の道標があると連絡を受け、常滑に行ってきた。

 INAXライブミュージアム近くの古道の片隅に70cmほどの道標が、ひっそりと立っていた。焼物の散策路を離れており、教えていただけなければ、気がつかない場所にあった。

 教えていただいた方は、「知多巡礼紀行」の編集に関わられた方です。

09年12月

              

 萬蔵さんも発起人の一人である覚王山日泰寺の四国八十八箇所を歩いてきた。12月21日の終い弘法の日で、出店も多く、参拝客で賑わっていた。

 日泰寺に近い札所はお参りの人も接待する人も一杯だが、それをはずれると訪れる人もなく寂しい札所が連続していた。これも致し方ないのだろう。

 

09年9月

 8月にメールで連絡のあった神奈川県横須賀市の萬蔵寄進物の確認に9月27日行って来ました。

 京浜急行逸見駅を降り、教えられたように三浦按人の按人塚がある県立塚山公園への山道を歩いて行った。この道は「浦賀道」といって、横浜と浦賀を結ぶ古道で、途
中按人塚への道標も見られた。民家が途切れた先に古い石段が見えた。石段を登りきると雑草地の正面に石碑が飛び込んできた。高さは本体部だけで2.1mと高い。正面にセメントで埋められ、不鮮明だが「弘法大師 七難即滅 七幅即生 霊場」、左側面に「名古屋市西区塩町 伊藤萬蔵」、裏面に「大正十二年八月建造」と彫られていた。どんな謂れの場所かは不明である。

10月に入り、問い合わせ中の「按針会」の方から、次のようなメールをいただいた。

「明治時代に弘法のお灸場として、近隣の村から来ていたそうです。戦後だれもいなくなり今は荒れ地になっています。」と
 そうだとすると、大正12年の建立の頃は、賑わっていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

09年8月

 今まで、九州では見つからなかった萬蔵さんの寄進物が、遂に大宰府にあることが判明しました。奥さんの実家(鹿児島)に行く途中に見てきました。

  
    

大宰府本堂の北側にある「照星館」の前にある常夜燈が萬蔵の寄進物。字が薄かったが、名古屋市と伊藤の力強い伊が見えた。