21世紀のシルクロード

      岡部一明 (日米タイムズ』2005年1月1日より)

 ここ数年、中国に熱中している。かつて中国にはなかなか行けず、周辺のアジア諸国ばかり歩いていた。今、中国を相当奥地まで自由に行ける。そうか、中国こそほとんどアジアそのものだった。人口的にも面積的にも。などと思いながら。

 日本やアメリカに居ると、自分がどういう時代に生きているかわからなくなる。アジア・中国に舞い戻るとそれがはっきりする。「豊かになりたい」。貧しさと不潔さの街々にその強烈な意思が充満する。生活臭漂うすぐ隣に、けばけばしたデパートが建ち、電化製品やブランド衣服が溢れる。そう、世界はこの豊かさに向かって進んでいる。欧米化、あるいはアメリカ型グローバリゼーションか。社会主義と毛沢東の時代は終わり、中国は今、資本主義プロパガンダの真っただ中。日本の高度経済成長期と同じだ。向かう方向が明確で誰も疑うことなかったあの懐かしい時代。

 昨年の夏は、ウイグル新疆自治区に行った。敦煌のさらにかなたのシルクロード心臓部。パキスタンに近いカシュガルから敦煌までバスと列車を乗り継いで戻ってくると、敦煌はシルクロードというより完全な漢民族世界、見慣れた東アジア世界だった。
 

カシュガル:豊かな農業地帯

 「あのー、砂漠を見たいんですが。」

 カシュガルのホテルで聞くと、「そんなの100キロ行かないとないよ」と笑われた。私としては、広大なタクラマカン砂漠の西端オアシス都市に来たつもりだった。しかし、街は緑で、周辺も豊かな農業地帯が続く。「灼熱の砂漠」はどこだ。調べれば、なんと新疆ウイグル自治区の耕地面積(約600万ヘクタール)は日本の耕地面積より広い。タクラマカンは確かに日本の国土面積より広い大砂漠だが、周囲は天山山脈、カラコルム山脈、クンルン山脈など4-7000メートル級の山々に囲まれ、特にカシュガルのある西部域は雪解け水で豊かな農業地帯が広がる。バスで田園地帯を行くと、東南アジアの農村だと言われてもわからない「熱帯農村」の風景が続く。

 日本人にとってシルクロードほど想像力をかきたて、悠久のロマンに満ちた地域はない。今年はNHKの「新シルクロード」シリーズがはじまるから、そのイメージは益々肥大されるだろう。しかし、旅というのは常にイメージを壊すためのもの。イメージをイメージ通りに見てくるのがパック旅行なら、個人の旅はイメージのむこう側の生々しい現実を体験してくることだろう。

 カシュガルからウルムチまでは、開通したばかりの「南疆鉄道」が走っていた。最新鋭の2階建て特急列車が走り、1等寝台は、額付き絵もかかる小ホテル部屋のよう。冷房の効いた空間が時速百数十キロで移動する。外は灼熱のタクラマカン砂漠。宇宙船に乗ったように、月面岩山をなめるように航行する。時たま交差する道路も四車線高速道路。ラクダの商隊は昔の話。これが現代版シルクロードの旅だ。
 

イスラム世界

 ウルムチ、と聞いても私たちにはどんな街か想像もできない。世界で一番海から遠い街、ユーラシア大陸のど真ん中…のこの街はしかし、高層ビルが林立する人口160万の大都市だった。マグドナルドもケンタッキーFCもある。漢民族が大挙して住むようになったが、西洋系顔立ちのウイグル族の人びとが多い。ここからカシュガルまでウイグル人の世界だ。モスクから哀愁を帯びた祈りの声が聞こえる。中東から北アフリカまで続くイスラム文化圏のはじまりでもある。

 覚悟(期待?)した灼熱の砂漠は、ついにトルファンで体験した。気温摂氏40度以上、地表面温度は70度を超える。駅に降りて市バスに乗ると、窓から入る風が熱い。日本の蒸し暑さとは違い、炎のような乾いた熱気だ。受けているうち体が熱されてくる。地元の人たちが窓を閉めはじめる。確かに風が危険だ。

 近くに西遊記の舞台となった火焔山がある。灼熱の岩山から熱気が立ち、さながら燃えるよう。真夏にこの山(800m)に登るギネス的スポーツに世界から人が来るという。私はパスだ。バスで中腹展望台に登る。朝9時、備え付けの大型寒暖計がちょうど摂氏50度を指していた。

 トルファンから敦煌への途上にあるハミの街がなぜか心に残った。天山山脈のふもと、空気が清浄で暑くはなく、街路が広い。人々がゆったり暮らしている。ハミ王たちの霊廟がよく保存されていた。ハミは、清朝に服属したイスラム系のハミ王国の首都だった。「各地の反乱を抑え祖国の統合を維持する上で大きな貢献があった」と、社会主義中国の案内板(英文)がたたえる。祖国とはもちろん中国のことだ。強大な中華帝国周辺に生きた小国の身のこなし方に思いをはせる。
 

シルクロードの交流空間

 敦煌には立派な砂漠が迫るが、観光化していた。砂漠に入るのに高い入場料が要る。遊園地のようにバスが月牙泉その他名所をシャトルする。砂漠と言えばラクダ。エキゾチックな衣をかぶったラクダが群を成し、観光客を待つ。さらにハングライダー、エンジン付きグライダーも轟音をたてて飛びかう。

 「月の砂漠とラクダ」というシルクロードのイメージを私たちはいつから持ったのだろう。砂漠は本当は「沙漠」と書く。砂の沙漠もあるが、土沙漠や岩石沙漠の方が面積的には広い。シルクロード商隊は決して、あのような歩きにくい砂丘沙漠は通らなかったろう。平らで硬い地面を選んで通ったはずだ。

 そしてシルクロードはネット先進地だった。ネットカフェが至るところにある。パソコンが数十台、数百台並び、若者たちがゲームに興じる。日本で言えばパチンコ屋か「ゲーセン」の雰囲気。ゲーム専用機を入れるよりパソコンとADSLでも入れた方が安く済むのだろう。

 旅行者もそこでインターネットを1時間30円程度で使える。Hotmailなどでメールも可。日本語も表示されるし、日本語入力可能な端末もある。シルクロードも敦煌まで帰って来ればWindows XP端末もあり、環境は十分だ。旅行中、各地からゼミの学生たちに旅行記を送り続けた。空と大地の広大なシルクロード空間。しかし、インターネットがさらに広大な交流空間を提供してくれた。