放浪記 東チモール
 岡部一明 (東邦学園大学編『新版・地球社会に生きる地域を創る』唯学書房、2005年、より)

「ギャー」
病棟にけたたましい悲鳴が走る。

 何ごとか。ふりむくと、白い病着の患者たちが一斉にそのベッドに向かっている。男はもう二、三度すさまじい叫び声を上げると、突然静かになった。何だ、何が起こったのだ。ざわつく大病棟の中で「病友」の男に聞く。

 「マティー。」

 そうか、死か。現地語はわからないが、彼の苦渋の顔から、その言葉の意味を直ちに理解した。今でも覚えている唯一のチモール語の言葉だ。人が死ぬような所か、ここは。入れられた野戦病院のような病棟を私は改めてながめ渡した。

 三二年前(一九七三年)、私は大学を休学してアジアを放浪していた。インドネシアを島づたいに東進し、バリ島からチモール島に入ったところで腸チフスと肝炎に倒れた。浜辺の無医村バトガディで、何も食べられずひどい下痢。食堂の土間で寝たまま弱っていくところを、たまたまやってきたポルトガル軍の上陸用舟艇に救助され、東チモールの首都ディリの病院まで送られた。当時東チモールはまだポルトガル領で、その後の独立、インドネシアの介入と大量虐殺、最近の新たな独立という歴史をまだ知らない。雨季で道路が寸断され、陸の孤島となった国境沿いの寒村に、軍が救助活動に来たのだ。

 入れられたのは高台の粗野な病院だった。最初は死んだようにただ眠りつづけた。周りの患者が、水を飲ませたり、かいがいしく面倒を見てくれるのがうれしかった。一〇〇人くらいがベッドに寝ている大部屋の病棟。満足な医療機器はなく、私はブドウ糖の点滴を受けただけだった。しかし、若い肉体にはこの点滴だけで充分だったのだろう。ようやく起き上がれるようになり、しばらくしてあの患者の死(マティー)が発生した。

 死はこんなに簡単に訪れるものか。医療機器に囲まれ、何人もの医師が見守る中、おごそかに訪れるのが死ではなかったか。若い医者が一人居るだけの病院で、あの初老の男は突然に死んでいった。

 「野戦病院」の生活はその後一ヶ月続く。旅の予定を狂わされたことに怒りながら、不機嫌に毎日本を読んだ。散歩をすると、高台の病棟から真っ青な海が眺められ、それを背にディリーの街や丘の上の白い建物が見えた。夜になると猛烈なスコール。地響きを立てるような雨が天から降り、病棟の屋根をとどろかせる。鋭い眼光の患者が異様な叫びを発し始める。精神を病んでいるのか、アラーの祈り、というよりシャーマンの叫びのような声が毎夜、病棟に響きわたった。

 しばらくして、七、八歳の少年が近くのベッドに入った。寂しいのか、夜、うめくような声で泣く。かわいそうだが、毎夜毎夜だと周りの患者が眠れない。二、三度注意した。「ここは人が死ぬような大変な病院だ。甘えてはいけない」。ギっとにらんで「シー」(静かに!)。

 そのうち耳栓をして寝ることにし、少年のことは気にかからなくった。そして、ある朝、起きると少年のベッドがない。どこかに移されたのか。周りに聞くと、

 「マティー」。

 再びあの恐ろしい言葉を聞く。そんなばかな。私はうろたえた。が、気づくべきだった。彼の腹が異様に膨らんでいたのを。腹膜炎でも起こしていたかも知れない。あのうめき声は、寂しいのでなく、苦しかったのだ。短い彼の生涯の最後に怖い外国人が現れて「静かにしろ」と怒られた。良心がうずいた。

 マティーはその後も次々と病棟を襲った。私の入った病院はそういうところだったのだ。

 一ヶ月後、私は退院し放浪の旅を再開する。オーストラリアをまわりシンガポール、香港経由で日本に帰ってきた。実は私は、腸チフス(typhoid)という英語を理解していなかった。現地で買った安い英中辞典には「悪性○×△病」などという漢字が並ぶだけで、「たちの悪い風土病か」と思っただけだ。オーストラリアで、typhoidにかかった、と言うと誰もがただならぬ形相に変わるので、よほどの風土病だな、とは思ったが。日本に帰って辞書を引き、かの法定伝染病・腸チフスと知った時、今度は私が形相を変える番だった。交通の途絶した寒村に(しかも土間しかない「ホテル」に)腸チフスで取り残される…ポルトガル軍舟艇が現れなければ、私はあの時死んでいただろう。

 その後、大学を卒業して、私はさらに放浪を続け、アメリカに留学し定住もした。外国滞在は一四、五年になった。途上国の問題にも首をつっこみ、現在、大学でNGOやNPO、そして国際ボランティアなども教える。その時私の脳裏には、苦しく泣いたあのチモール少年の顔があったりする。東チモールでは、一九七四年からインドネシア軍の介入がはじまり、二〇〇二年の独立までに二〇万人(全住民の三分の一)が飢餓や虐殺で死んだ。あの病棟の「病友」たちの多くも亡くなったに違いない。甘美な思い出だけにはとどめられない「マティー」の島。今新しい出発が来ることを願うばかりだ。