「薫ing」を読んで

みっちゃん様

本を読み出し、本の世界に入ったみたいで、興味が先に先に行って、アッというまに読み終わっちゃったよ。

薫の喜怒哀楽が人間らしさをかもしだし、まるで自分が薫になったような気がしたな。
それに、なんの抵抗もなく心に入って来たのが嬉しかったかな。

あと、これは感想なのかな?
本を読み終わってからだけど。。
俺の心の中に、一羽の小鳥がとんできて話しかけてくれたよ。
小鳥「あなたには、私のように、自由に大空を飛べることのできる自由がありませんね」って。
ふと、足元を見たら側にいた小石が話しかけてくれたよ。
小石「私には、あなたのように、自分の心を伝える自由がありません」って

薫ingは、「自由」と「束縛」という矛盾を「自由」と「束縛」を持ち物として持っている自分を再確認させてくれた一冊でした。
俺には、ね。

2001.3.21公開


井出裕子様

なおこさんとであったのが、紙芝居サミットの時。講師は長野ヒデ子さん。
『ともだちきねんび』の絵をかかれていて、脚本がなおこさん。当日、坂戸市まで来て下さる、とのことで、作品を大急ぎで読み、予備知識を得てお迎えしたわけです。今、全作品を読み返してみて、やっぱり薫ingは印象深かったな、と思いました。
おけいの両親のことだけ忘れていましたが。それもそのはず、関西芸術座の公演を見たのですから。父ちゃん(夫)も一緒に行って、良かったねって言ってました。
私は、4歳上に重度の脳性麻痺の兄がいたので、気がついたら障害者の家族。母のつらかったこととかは、だいぶ後になって知りました。手元に20歳の時ガリ版で刷った、障害者問題のパンフレットのようなものがあります。S・45年に起きた、重度児殺し減刑反対運動の支援のものです。2歳の重度脳性麻痺の幼女をエプロンのひもで絞め殺した母親に、近隣の住民や障害児をもつ親たちが、減刑を嘆願しました。4歳の兄も障害児、二人の障害児を抱えて、将来を悲観した犯行でした。これに、反対運動したのが、横浜の青い芝の会。普通、子供を殺せば重罪だ。障害児だから、罪が軽くなるのなら、われわれは不安だ。この問題は、我々の、生死にかかわる、という主張でした。私は、学生運動なんかに首を突っ込んでもなかなかわからなかったのに、このことは、よく分かったんです。だから、話を聞きに訪ねていったり、裁判も傍聴しました。結局、執行猶予がついて、理由は、残された子の世話をする人がいない、とかって言ってました。母親のうなだれた顔も覚えています。あれから、30年、ノーマライゼーションとか、バリアフリーとか言っていろいろ変わったけど、私の原点はあのころかな。

薫がバス停で怪我をして行った病院でのこと。医者が、外見で判断して、母親にばかり質問して、普通高校生と分かるまで薫の顔も見ない。帰りの車の中で「わたしの知恵が遅れてたら、ママは何て言う?」と迫るところ、すごく感動しました。
だって、障害のある人の中でもランク付けがあって、兄なんかいつも馬鹿にされてたもの。その反面、人間として、とっても大切に思ってくれる人も中にはいたけど。薫ingを読んで、多くの人が見えなかったものが見えてくると思います。

2001.3.12公開


たりたくみ様

「普通ということ」「薫ing」を読んで(「普通ということ」とは、なおこの問いかけにある原稿のことです。管理人より)

さっと体の中を涼しい風が吹き抜けていったり、熱いものがぐーっとのどのところに突き上がってきたり、ふふっとやさしい気持ちになったりする本だったのですが、なんといっても、一番の収穫は薫に会えたこと。薫に共感していました。私自身薫になりきっていま した。この薫の気分すっごくよくわかると、まるで私の気持ちを代弁してもらってるような嬉しさがありました。
なぜなら、私にも、薫が養護学校から普通校に編入した時の出来事と重なり合うような出来事があったから。

もう10年以上も前のことになりますが、私達4人家族は夫の仕事のために突然アメリカに住むことになりました。
そのことが決まった時には新しい世界に足を踏み入れることの期待ばかりが大きく周囲の心配もどこ吹く風だったのですが、確かに外国で暮すことは善きにつけ悪しきにつけ、予想を超えるものでした。
「普通について」という切り口から語るとすれば、それまで普通であった私たちが、異なる国に住むことで異質な存在、またハンディーを持つ者となったということでしょうか。
「普通」は地球の裏側ではもはや「普通」ではなくなるのです。

言葉が聞き取れず、自分言いたいことも言えないという点においては、言語障害を持つ立場、有色人種ということでは、いわれのない差別の眼差しを向けられる立場、その土地の習慣や常識を知らないために、計らずも迷惑をかける立場となったわけです。
それでも、日本人ばかりが住む居住地を避けて居を構えたのは、薫が養護学校から普通科高校に編入しようとする時、「だれだって、見えないモノが見たいじゃない?」と保彦に問いかけたあの気持ちからでした。当然、隣の家からはしごを借りるのでも四苦八苦し,(なんで日本の学校はこんな日常の道具の名前も教えないんだと文部省に八つ当たりしたい気分でした。)

英語をなんとかしようとコミュニティーカレッジに通い始めたものの教師の指示すら聞き取れず泣きたくなることばかり。
それでも好き好んで、気の張る場所でもどこでも出かけていきました。
なんとか、私を伝えようとしました。かっこのつけようのない丸裸の自分を、ハンディキャッパーのままでド−ンとさらそうとする私がありました。薫のように、「逃げるな!」と自分に言いながら、、、。
薫が自分の姿を外側から眺めながらも精一杯自分であろう、自分の役割を果たそうとがんばっている姿を見て、あの時私を駆り立てたものがはっきり見えてきます。違いの中で、私ingしたかったのです。

薫は次第にまわりの人達のやさしさや温かさに支えられていきますね。
でもそれを別の方向から見れば、薫こそがまわりの人間を本質的な所へと向かわせ、まわりを変えていっている、与えられているのはむしろ助けている側ということが分かります。
与えているのが実は弱い立場にある者ということがどこかで分かっているから、その役割を担うべく自分を前へと押し出していったのかとも思います。いずれにしろ、そこに生じるのは決して一方通行の同情なんかじゃない、お互いのドラマティックなかかわりあい、、、。

薫のみんなの財布を預かったり、みんなのために買い出しをかってでたりという健気な気持ちが温かいひかりのようにまわりの人間に伝わって、そこの空気を変えていくのが分かります。
同様に近所の人達が私たちを助けようとすることで、それまで接点のなかった隣人どうしが繋がり、そこの場所がふわりと温かくなってもいったのです。
薫が「このぬくもりは、わたしにハンディーがあるから味わえる温かさかも知れない。」とつぶやいた言葉の真実。
薫がおばさんから温かさを引き出したように、ハンディーがある私たちだったからこそ引き寄せた温かさでもあったのでしょう。

そしてこんなこともありました。
ダウンタウンを一人で歩いていた時、向こうから来る人の視線の中に明らかな差別の色を見ました。その時私に起こった感情を不思議なようにはっきりと覚えています。私は私も含む日本人に対してこう言っていました。
「日本人よ、おまえは日本の社会の中では強者として優越感を感じて他のアジア人を見下しているかも知れないが、見たか、日本から一歩外に出れば、マイノリティー、このように差別を受けるではないか。」
また同時に、その視線を向けてきた相手にこうも言っていました。
「わたしはあなたに差別されるいわれはありません。お気の毒なのはあなたの方。神様が等しく人間を創ったということをほんとうには分かっていないですから。」と。
あの時の私は薫のように凛としていたことでしょう。

薫にはじめのうち冷たかった公園の老人は自分自身が病んでいたからでした。あの視線を向けてきた人の心にも闇があったのでしょう。ハンディーを持つ者の存在が、隠れている真実を明るみに出してしまう
ということ、ここにも大きな意味があると思います。
「人間を本質的な所へ向かわせる存在として、ハンディーがある者はその役目を担っている。」
薫の出来事に私の出来事とを重ねながら、そんなことも思いました。

「薫ing」はいつの間にか鈍ってしまっていたマイノリティーの心意気を私に取り戻してくれたようです。
ありがとう薫!



                                                                                   2001.3.8公開

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