「サムデイ」 の感想   byオッチョ(養護学校時代のボーイフレンド)

 長い間ご無沙汰しています。この前会ったのがT坊(長男)が生まれた年だから、もう6年になるね。

 さて、この度は新作を送ってくださりありがとうございました。
いつもただ読みですまないね。
そこで、せめてもの罪ほろぼしとして読後感想文をしたためます。
結婚後、ずーと子どもができませんでした。
その頃はけっこう浅田次郎を読みました。
「鉄道員」をはじめ、子どものいない夫婦の甘くせつない物語によく共感したものです。
そして、子どもが生まれてからはもっぱら重松清を読んでます。
少し憂いを含みながらも七転八倒しながらの家族にこれまたわが身を重ねてみたりして(それにさー俺たち同世代じゃんみたいな。


 それはさておき、重松清の軽快な文体はなおこの文体に似ている。
さらに、彼の作品はくどいくらいに自分の主張を登場人物の言葉を通して語ったりしているが、
そこがわかりやすかったりしておもしろい。
なおこの今回の作品もそういう傾向を持ち、障害者・健常者の言い分を登場人物に語らせて
問題提起しているところに巧妙さを感じました。
例えば、ミサキの母に「体の不自由な人と同じ目線になることがむずかしい」と言わせたり、
トミコさんをして「世の中に出ても障害者は一人前にあつかってもらえない」と言わしている。


 「男の人には『照れ屋さん』が多いのよ。リュウジ君のお父さんはわたしを無視したわけじゃないわ。
どんな風に接していいか 戸惑っていただけ」(
P117)
 障害者としての自分、自分自身現実の日常生活ではそんなはっきりした意識は持たず、
頭の奥底にしまっておくものだが、たとえば、休日の幼稚園での親の集まりで息子の友達の父親に笑顔で挨拶したのに、
相手が引いてしまったことがある。
「男は照れ屋なのよ」くるみさんの言葉には年を重ねただけあっての暖かい人間に対する洞察がある。
そもそも幼稚園児の保護者として母親たちは「〜チャンのママ」というところで
すぐヨコ的な「対等な関係」ー友だちになれるのに、父親たちはそれぞれ身に付けている社会的鎧というべきものが違い、
容易にそこから脱皮できないでいる、ロンリーウルフたちです。
なんせ、父親には課長さんもいれば、係長さんもいれば、私のような平社員もいる。
会社のなかでアゴで使ってきたような人と同等の人といきなり「対等な関係に」と言われても戸惑うのかな。
男の人って「タテ社会」のなかで生きている生物ですから。
ま、私はそういったなかでも「規格外」の男・・・そこに一種の気楽さを感じている今日この頃です。


 ところで、この「戸惑い」という言葉ー健常者が障害者と出会って感じる感情をうまく言い当てている。
それに対する障害者側の健常者に抱く感情は「もどかしさ」とでもいうのでしょうか。
普通に社会のなかで一人前に人々と接して生きたい。
されど、片方はどんな風に接していいかわからない。
障害者と健常者の間にはそういうせめぎ合いがあるのかもしれない。


 次に、話の展開は主人公であるまりえの母が、保育園児という幼い頃に、死んだいきさつへのほのかな問いかけから始まる。
それが単なる親子の対話からではなく、くるみさんをはじめ、ミサキママ・ケントママといった、
いろいろな人との出会いを通してだんだんと解き明かされていく。
その程よい話の流れで読み手の心を離さないところはやはりさすがだなと思う。

 さて、この手法はなおこ2作目の「真夏のSCENE」を想起させる。
中学2年になった現在、いまだに主人公の夢に出てきてイヤな感じにさせる「白い手」〜あれは何だ? という問いかけ。
それから主人公の手首のあざ〜これは何だという問いかけ。
Q太郎との付き合いそして、とある障害者夫婦との出会いのなかからいもづる式に解き明かされていく。
その過程と並行して同じマンションに住む、ゆりさんの子育ての風景を垣間見る。
そして障害者である母親が、幼児期の主人公に手首のやけどを負わせ、育児ノイローゼからパパとの離婚に至った事実を知っていく。

 新作「サムデイ」の感想文を書くにあたって、「真夏のSCENE」ももう一度読み返してみた。
T坊を育てたこの6年間、思えばいろいろなことがありました。
自分が抱いたらよく泣いた赤ん坊の時期、度重なる風邪、目が離せない多動・奇行の時期、
第二子(N子)誕生による赤ちゃんがえり、まさに育児は待ったなし。
それにまた、さらに育児にまつわる姑さんとカミさんとの確執等が襲って来る。
それらがもとでの夫婦げんかもしばしば。
必ずしも順風満帆ではなかった、我が家の6年間を振り返って思わず少し目がうるんでしまった。


 ちなみに妊娠中のカミサンをさんざん悩ました(つわりがひどく、1ケ月間入院)
N子は動作が機敏で自己主張の強い子で、服装にうるさく手を焼いている。
そのうち、「
Yシャツにトランクス。黒い靴下」のオレを見て軽蔑の眼差しを送るのではないか と楽しみにしている。

 自分の話はさておき、結びでは母が死ぬまでのいきさつを知ったまりえが、母の死を肯定的に受け入れ、
お父さんへの愛情もより深くなったところで終わっている。

「ママは思い通りに生きられたのだから悔いはないと思います。」(P134)

小学生なんだから、「わたしにとって・・・」というところで、もう少しエゴイストになってもいいんじゃないのかな?
なんてカミさんによく「自分勝手」と言われる私は思うのであります。
でも美しい。その美しさは読者に希望を与えるのであります。








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