2001年10月



                        2001年10月09日(火)
東マレーシアの奥地、OISCAテノム研修センターの朝は早い

朝5時半。起床のベルで起こされる。 東マレーシアの奥地、
OISCAテノム研修センターの朝は早い。 宵っ張りの朝寝坊が得意のメーコにとって
は、ゴーモンに近い辛さ。
 井戸水で顔を洗い、ジャージに着替える。 5時55分に整列し、
国旗の掲揚と国歌斉唱。マレー語は分からないので、とりあえず口パクでごまかす。
 その後の点呼が終わると、「ラジオ体操第一」が始まる。 日本\人のメーコ、これだけは
誰よりも上手い。体操の後1ほどのジョギングをし、朝の清
掃。布団の周りに散らばる羽蟻の屍骸を掃きだし、7時から朝ご飯。今日のメニュー
はナシゴレン。お世辞にも「美味しい」とは言い難いけど、他に食べる物がないから
とりあえずがっつく。
 7時25分、朝の作業前の点呼。 そんなに何度も点呼しなくたっ
て数は変わらんだろう、と思うのだが、話を聞くと、やはり相当数の人間が脱走する
らしい。 メーコ、脱走者の気持ちが何気に分かる。
 7時半から朝の農作業が始まり、12時の昼ご飯まで続く。 メー
コ、脱走者になりたいと思うが、一番近い町まで13kmもあると聞き、諦める。
 昼のメニューはココナッツライスと焼き魚。 これまたお世辞に
も美味しいとは言い難い。でも食べる。
暑さを避けるため2時まで休憩し、2時から5時まで午後の農作
業。背筋をギシギシいわせながらの堆肥作りの間に、13kmを何時間で歩けるだろうか
?と真剣に考える。
 5時に作業が終わり、泥だらけの体を水シャワーで洗う。 髪の
毛をギシギシいわせて洗いながら、ここの人たちは、「お湯」というものを知ってい
るのだろうか?とギモンに思う。
 6時半から夕ご飯を食べ、8時から9時までが講義の時間。 メーコ、この頃には
ほとんど意識がない。
 講義が終わると夜の点呼。 どうやら脱走者はいないらしい。
  点呼の後は自由時間となり、10時の消灯までは部屋でお寛ぎタイ
ム。 研修生たちは、それぞれゲームをしたりテレビを観たりしてるけど、メーコは
気絶。 でも、蚊取り線香をつけることだけは忘れない。
  10時に電気が消える。 明日も5時起きかぁ〜・・・。あ、また
羽蟻が入ってきた・・・。でも、追い払う元気ない・・・。やっぱり13km歩こうか
なぁ・・・。う〜ん・・・。ガー。zzz・・・。

                  東マレーシアの夜は早いのであった。まる。     







      2001年10月13日(土) メーコ、涙が溢れるのを止められない

今日はいよいよ研修センターを離れる日。 「どーせまた仕事で来るんだから」と思
いながらも、やはり研修生たちとの別れは辛い。メーコ、誰よりも先に号泣。
センターからコタキナバルまでは、およそ240キロの距離。が、しかし、道が悪いた
め、自家用車でも3時間半以上かかる。エンジンを唸らせているおんぼろバスじゃ〜
尚のこと。坂道を登る度に止まりそうになってしまうバスを気の毒に思いながらも、
メーコ、「絶対に後ろからは押さんぞ〜」と心に誓う。
途中、「グナン・エマ」という高原で昼食。メニューは中華。うっっ、6日ぶりに見
る湯気の出ている食事だ〜!と、メーコ、ここでも涙。そして、美味い。 調子に
乗ってビールを3杯も飲み、メーコ、仕事も忘れて上機嫌。
残念ながら東南アジア最高峰のキナバル山は望めなかったものの、久しぶりのご馳走
に満足し、再びバスへ。 
「腹の皮が突っ張ると目の皮が弛む」の言葉通り、メーコ、出発15分にして睡魔に襲
われる。そして! いい気になって飲んでしまった3杯分のビールが出口を要求しだ
した。
ヤバイ。コタキナバルまでは少なくともあと1時間20分。メーコ、股間に力が入る。
膀胱を「ハイパワーモード」に切り替え、何とか耐え切ったメーコ、無事にホテル到
着。チェックインをするより先に、トイレに走ったのは言うまでもない。
一週間ぶりに戻ってきた文明社会は、それはそれは素晴らしいものだった。
テレビがある。冷蔵庫がある。すなわち、冷たいビールが飲める。 そして、真っ
白なシーツにくるまれた大きなベッド。 蚊もいない。羽蟻もいない。日課になって
いた蚊取り線香付けも必要ない。メーコ、涙が溢れるのを止められない。
夕食までの時間に、シャワーを浴びた。 お湯だ〜! 湯気が立ち込めるバスルーム
で、メーコ、文明の有難さをかみ締める。 さぁ、入浴! 
あっちぃ〜!! 
水浴びに慣れてしまった体は、40度のお湯を受け付けなくなってしまっていたので
あった。
メーコ、ハイアットホテルにて水浴び。
この夜、ベッドが大きすぎて眠れなかったのは言うまでもない。

つづく。



      2001年10月14日(日) 帰国の日


お湯を受け付けなくなり、大きなベッドでは眠ることのできなきくなってしまった体
を土産に、今日は帰国の日。
とは言え、コタキナバルから成田への直行便は夜中の出発なため、昼間は近場のマヌ
カン島へお遊びに。
年甲斐もく水着姿になったメーコ、ダイエットの必要性を痛感す。
マヌカン島は、コタキナバルからモーターボートで20分ほどの距離にあるリゾート。
海はあまりきれいではないが一応近隣の人々からは人気のスポットらしい。 海外か
ぶれのメーコ、実は一度も行ったことはないのだけれど、多分、灯台のない江ノ島そ
のものだ、と勝手に思う。 
浜辺で横になり、今回お世話になったボランティア団体のスタッフと珍しく高尚な会
話。東マレーシアでの生活や、庶民の暮らしぶりを聞く。 メーコ、しばし知的な自
分に酔いしれる。 が、開始10分であくびが止まらなくなったことは、誰の想像にも
難くないと思う。

害虫退治と水浴びに明け暮れたテノムの街あたりでは、公務員の平均収入は月に900
リンギット(約3万円)ほど。その分物価も安いが、やはり日本と比べると、人々の
暮らしはまだまだ貧しい。 マクドナルドのコーヒーが一杯50円、レストランでのラ
ンチは飲み物込みで平均200円〜300円くらい。そして、3LDKの新築物件が500万円ほ
どで買えると聞き、メーコ、一瞬マレーシア暮らしを考えるが、それでもやはり給湯
器は付いてないと聞き、瞬時に考え直す。
だけどね、この国には、今の日本にない「逞しさ」があるよ。人々は、毎日を一生懸
命生きてる。 だからこそ、あんなに素直に、心からの笑顔で笑えるんだと思う。 
う〜ん、メーコ、いいことを言ってるぞー、とまたまた自分に酔いしれる。

でもね、本当だよ。 暮らしてみれば色んな不平や不満も出てくるのかもしれないけ
れど、メーコはこの国が好きだー。シャワーとトイレが改善されれば、もっともっと
好きだー。 …と、力説する頃には、メーコの瞳は半分しか開いていなかった。
そして1時間後。
蚊と蟻に喰われて、ボコボコになった顔を触って呟いた。「前言撤回。」
エラそうなことを言っても、所詮メーコは温室育ちのジャパニーズであった。

つづく。





      2001年10月15日(月) 続・帰国の日


あられもなく水着姿をさらけ出したマヌカン島より戻り、ホテルにて着替え。 8日
ぶりにスーツを着るメーコ、肩が凝って仕方ない。
チェックアウトを済ませ、マレーシア最後の夕食へ。メニューは、またまた中華。一
応、マレーシアの民族舞踊ショーは付いているものの、「中華なら問題ないからさ」
という自社の安直な手配を嘆くメーコ。が、ベリー美味いので即座に許してしまう。
 この、単純さはメーコの特技の一つである。
ショーも終盤に差し掛かり、観客参加の吹き矢の競技へ。メーコ、壇上へ誘われ、添
乗員のイゲンをかけ吹き矢を飛ばす。
敢え無く失敗。メーコ、再度挑戦。そして、またまた失敗。
3度目の挑戦にしてようやく成功したメーコ、「やっぱり肺活量増強のため、タバコ
は止めよう」と、心に誓う。 3秒でもろくも崩れるおぼろ豆腐のような決意をする
のも、メーコの特技である。
マレーシアでの最後の食事を終え、いよいよ空港へ。搭乗の手続きを済ませ、出国審
査へと向かう。 そして、言うまでもなくここでも号泣。メーコの涙腺は、本人の出
納管理以上にモロイらしい。搭乗までの待ち時間の間に、団員たちとテノムでの想い
出話に花をさかせるメーコ。 
「辛かったけど、素敵な体験ができたよね。」「メーコさん、ジャージが似合いすぎ
だよ」等々、農作業と虫退治に明け暮れた1週間を振り返る。そして、搭乗開始。 
全員の搭乗を確認し、自分の席に着いた途端に、睡魔が襲ってくる。毛布にくるまり
ながら、ガイドさんやボランティア団体のスタッフとの別れを思い出し、またま涙腺
が緩んでくる。

0時23分。マレーシア航空80便、離陸。
グッバイ、マレーシア。 グッバイ、テノム。 殆どのことは3歩歩けば忘れるけれ
ど、君たちのことは3日間は忘れないよ。約束するよ。本当だよ…。
想い出に浸りながら、深い眠りにつくメーコ。
離陸後1時間半の機内食サービスの頃には、そんな思いはすっかり消え去り、魚か肉
かで真剣に悩んでいたのは言うまでもない。

できもしない約束をたやすく誓うのも、メーコの特技であった。まる。



      2001年10月16日(火) 十五日の続き


午前6時25分。メーコたち一行を乗せた飛行機、無事に成田到着。
ちなみに、全くの余談ではあるが、メーコと仲の良い添乗員たちの間では、夜出発の
飛行機を「夜這い便」、朝出発の飛行機を「朝勃ち便」と呼んでいる。 「類は友を
呼ぶ」の諺通り、メーコの仲間は皆、寒いオヤジギャグが得意なのである。
一般的に、添乗員は成田で集合・解散するものなのだが、メーコの場合、某G県内で
の仕事をしているため、成田と県内を往復するおマケが付いている。 それこそ「朝
勃ち便」の時なんて、夜中の2時、3時に県内を出発するのは当たり前だし、夜7時過
ぎの到着便だったら、その日のうちには帰れない。 それでいて、他の添乗員と給料
は全く変わらないのだから、トンでもないおマケである。こんなおマケは、「銀のエ
ンジェル」を5枚集めても、誰ももらいたくないだろう。
何にせよ、「おマケ付き」のメーコの仕事はまだまだ終わらない。 気合いを入れ直
し、お客様をバスへと誘導する。
「??」 先頭に立ち、歩き進むメーコ、妙に周りの視線を感じる。 オカシイ。 
どう考えても、絶対に人々はメーコの顔を見つめてる。
「アタシってば、そんなにビューティフルかしら?」「ふふっ、30過ぎてもまだまだ
捨てたモンじゃないわね」、と、勝手に思い込むメーコ。 メーコを知っている人が
聞いたら、3秒で殴られることはまず間違いない思い込みである。
バス乗り場に着き、荷物を積み込む。 お嬢様育ちのメーコ、この仕事に就くまでは
箸と鉛筆より重たいものは持てなかったハズなのに、今となっては30キロのスーツ
ケースですら片手で運べるようになってしまった。嘆かわしいことである。
バスに乗り込む前に、トイレへ行った。 手を洗い、鏡を覗き込んだ瞬間に全てが分
かった。
黒い。
ジャングルの中農作業に明け暮れ、マヌカン島で蚊と蟻に喰われながらも昼寝してし
まったメーコの顔は、インド人もびっくり!の黒さであった。 人々がメーコを見つ
めていたのも当然である。

添乗員というものは、仕事の度にいらん土産までもらえる、素晴らしい「おマケ付
き」の仕事なのである。

つづく




      2001年10月17日(水) 上司をアゴで使うメーコ


解散場所には、メーコの上司が迎えに来ていた。挨拶を済ませバスを降り、団員たち
と最後の記念撮影に興じるメーコ。19名の団員のほぼ8割を占める、若くてカワイイ
女性陣に囲まれるメーコに注がれる、上司の羨望の視線。その眼差しは、「水浴びさ
せられても農作業させられても、やっぱりオレが行くべきだった」と物語っていた
が、そこで上司に気を遣うほどの忠誠心がメーコにあるはずもない。「課長、黙って
突っ立ってないでシャッター押してよ」と、上司をアゴで使うメーコの心臓には、周
囲の人曰く、「毛が生えているどころかパーマまでかかっている」そうである。
本人ですら見たことがないのに、他人がどうして分かるのだろう。メーコにとって、
永遠のギモンの一つである。
別れを惜しみつつも団員を見送り、メーコも家路につく。 普段だったら早々に引き
上げようとする課長が、今日ばかりはメーコが声をかけるまで団員たちに必死に手を
振っていたが、彼女たちが手を振り返していたのは、課長の後ろにいたメーコであ
る。 が、そのあまりの一生懸命な姿に、メーコ、小学校の道徳の時間に観た「明る
い仲間」を思い出し口を噤む。「思いやり」は大切なのである。(この番組名に聞き
覚えのある人は、間違いなく30歳以上である)

車に乗り込んだ途端に課長が呟いた。「メーコ、次のエジプトは中止になった。代わ
りに、お前には九州に行ってもらうぞ」 「??キューシュー??」そんな国、あったか
いな?とばかりにキョトンとするメーコ。 「湯布院だよ、九州の。お前、国内添乗で
きるんだろう?」 ろく、しち、はち、の後にくるもの。そりゃ「キュー・ジュー」。
皇居の中のこと。そりゃ「キューチュー」。 予想もしていなかった突然の事態に呆
然とするメーコの横で、課長はとくとくと空爆開始以降の旅行業界の現状を語ってい
たが、頭の中で「ろく、しち、はち」が回転しているメーコの耳には入らない。
10分ほどで家に着き、ちょうど昼時だったというのに「メシ食うか?」の一言もなく
帰っていった課長の、仕事にもそうだがカネにも厳しかった性格を思い出した頃に
は、メーコの思考回路も何とか正常に戻りつつあった。 「国内添乗」。 確かに、で
きなくはない。だってメーコは、海外に出る前は国内の仕事もしていたんだもの。48
都道府県、全部回ったさ。でもね、それはもう、7年も前のハナシだよ。今のメーコ
に国内の仕事をしろ、って言うのは、うちのバーちゃんにモーニング娘のメンバーを
全員言え、って言うくらい無理なハナシだ。 断ろう。絶対に断ろう。
翌日、仕事にもカネにも厳しい課長に懇願したメーコの申し出が、3秒で却下された
のは言うまでもない。
メーコはどこまでも不遇なのである。 つづく




      2001年10月18日(木) オサマ・ビン・ラディン


オサマ・ビン・ラディン。 
今やマイケル・ジャクソン以上に有名なこの人間の名前を、知らない人はほとんどい
ないだろう。
何千人という尊い命を一瞬にして奪い、平和な世界に争いをもたらせた悪の根源。人
を「憎む」ということを毛嫌うメーコですら、イタリアでメーコの大切なカバンを盗
んでいった犯人よりも許せない人間である。 
友達の中には、「そんなこと言ったって、まだ彼が犯人だと決まった訳じゃないし」
と言う心優しい人間もいるが、メーコはそうは思わない。 
もし、自分が犯人でないのなら、堂々と表に出てきて「私ではありません」と言えば
いいのだ。こそこそ隠れて、裏で糸を引くなんて許せない。全く無関係な人間を、悲
しみのどん底に突き落とすなんて許せない。上司にも強いが正義感も強いメーコとし
ては、絶対に許せないのである。
それだけではない。 
アヤツは、メーコを含め旅行会社の人間や、その他諸々の人々の仕事を奪ったのであ
る。 
アヤツさえいなければ、メーコは今頃エジプトにいるはずなのである。7年ぶりの国
内添乗に出ることなんてなかったハズなのである。  
許せん。どー考えても許せん。

そんな思いを抱きつつ、メーコは打ち合わせに行った。 
「4泊5日なんですよねぇ」と言う営業担当のA君言葉を聞き、驚くメーコ。確か課長
は「湯布院だよ」と言っていたではないか。どーして湯布院に行くのに4泊もかかる
のだろう。 同僚のT子ちゃんが行った、3泊4日のバンコクツアーより長いではない
か。 また課長に騙された、とうなだれるメーコが目にした行程表は、テロ発生時の
衝撃にも勝るとも劣らないものだった。
「有明から門司まで船内2泊」。 確かに現地では湯布院2泊だが、そこに行き着くま
でに2日半もかかるではないか。 しかも、移動手段は「東九フェリー」と名のつく
素晴らしい船らしい。 
呆然とするメーコにA君は言った「皆さんエジプトのクルーズが楽しみだったみたい
なので船にしてみました。客室は一等ですし、メーコさんも楽しめると思いますよ」
と。
違う。違うよ、A君。 メーコが乗りたかったのは「豪華客船」。「豪華フェリー」
じゃないのだよ。 船長主催のディナーパーティーがあり、プールサイドで優雅に本
を読める豪華「客船」にメーコは乗りたかったのさ。 そんな、聞いたこともない
「東九フェリー」なんて乗りたくもない。 第一、船内に一体何がある、って言うの
さ。
途方に暮れたメーコは、仕方なく課長のところに聞きに行った。 「課長、東九フェ
リーって知ってますか?」  
すがるような思いで尋ねたメーコに上司は言った「悪いなぁ、メーコ。俺は“飛鳥”
しか乗ったことがないからなぁ」。
勝ち誇ったような課長の顔が、オサマ・ビン・ラディンに見えたのはメーコだけでは
ないはずである。
かくして、オサマ・ビン・ラディンと、我が課長を撲滅するために、メーコは九州に
旅立つのであった。まる。




      2001年10月20日(土) メーコとかばん


メーコを良く知る人に言わせると、メーコには欠けているものが3つあるらしい。 
その3つとは何だろう?と思い尋ねたところ、「カネと男と計画性」という答が返っ
てきた。 素晴らしい。図星ではないか。 メーコはその本人に、「マスター・オブ
・メーコ」という称号を与えようとしたが、即座に辞退された。彼に欠けているのは
「謙虚さ」である。
カネと男の話は後に回すとして、確かに彼の言う通り、メーコには「計画性」という
ものが欠けている。というか、そもそもメーコのコンピューターには、「計画を立て
る」というプログラムが存在しないのだ。元々存在しないのだから実行できるワケが
ない。よって、当然のことながら、学生時代の試験という試験は全て一夜漬けだった
し、添乗前の荷造りだって前日にならないと始まらない。それでいて、「もっと早く
にやっておくべきだった」と後悔だけは一人前にするのだが、その後悔が次に生かさ
れた試しは未だかつて一度もない。 メーコには、学習能力も欠けているのである。

そんなメーコが、出発の5日前から準備に取り掛かった。驚くべきことである。 こ
の日、雲一つなく晴れ渡っていた天気が、翌日雨になったのは間違いなくメーコのせ
いであろう。森田さんには大変申し訳ないが、何しろ、初めて6泊8日の海外添乗に出
ることになった時ですら前々日からしか仕度に取り掛かれなかったメーコが、4泊5日
の九州添乗の5日前から仕度を始めたのである。昭和ひとケタ生まれの父親が、「パ
ラパラ」を踊りながら通勤するのと同じくらいどエライことだ。お天道様がビックリ
するのも無理はない。でも、そのくらいメーコは、6年ぶりの国内添乗にビビッてい
たのである。

まずは、埃まみれのファイルを引っ張り出して、九州に関する資料を探し出すことに
した。 北海道、東北、甲信越、山陰・山陽・・・。性格はズボラだが仕事にだけは
マメなメーコが、地域別にきちんと整理したファイルからは、7年前の懐かしさが込
み上げてくる。
「利尻のウニ、美味しかったなぁ」。「そーいや雪の兼六園で転んだっけ」。「東北
四大祭りも良かったなぁ」。
新人添乗員時代の思い出に浸るメーコには、「おいおい、キミが行くのは九州だろ」
という天の声は届かない。第一、ちゃんと地域別に整理してあるのだから、北からで
はなく南から探せばいいものだろう。 
メーコはやっぱりバカである。
普段は開くことのなかった資料棚からは、メーコの郷愁を誘う品が次から次へと出て
きた。メーコが、添乗員になる前に勤めていた銀行の手帳。学生時代の仲間と行った
スキーの写真。その一つ一つを懐かしみ、片付けたばかりの部屋を思い出の品で埋め
尽くす頃にはもう、メーコの頭の中に「九州」の文字は存在していなかった。 そし
て、気づけば夜の8時過ぎ。 
メーコが狭い部屋でたった一人、5時間以上も古い写真だの手帳だのを見てニタニタ
していた姿は、B級ホラー映画よりもはるかに恐ろしかったに違いない。

3本目の缶ビールを片手にしながら開けた最後の箱からは、学生時代の成績表やら表
彰状やらが出てきた。よせばいいのに、これまた年代順にきちんとしまってあるもの
だから、メーコが神童から凡人へと移り変わってゆく様が一目でわかる、悲しい箱で
ある。 
タメ息をつきながらも、昔を懐かしむ思いに駆られて開いた成績表には、色の変わっ
てしまったインクでこう書かれていた。
「明るく協調性はあるが、計画性・継続力に欠ける」。
親と教師の言うことは、やっぱり正しいのである。

5日前に荷物が詰め込まれるはずだったカバンが、口を開きっぱなしで放置されてい
た姿は、計画性と継続力に欠ける、おバカな持ち主の寝顔そっくりであった。  


                                 つづく。



--------------------------------------------------------------------
                  世界を股にかけるツアーコンダクター・メーコの旅日記


                        2001年10月27日(土) ついに来てしまった

  ついに、来てしまった。
   この日が近づくにつれ、何度となく「身内の不幸」を理由に断り
の電話を入れようと思ったメーコではあったが、もうすでに、従姉妹から再従兄弟ま
で使い切ってしまい、不幸の訪れる親戚は残されていなかったことを思い出し諦め
た。本当に、身内に不幸が起きてまった時にはどうするのであろう。「釣りバカ」の
浜ちゃんも顔負けの不届きモノである。

タメ息をついてばかりいても仕方がない。 メーコは、諦めきれ
ない思いを抱えながらも家を後にした。 
目指すは「東京港フェリーターミナル」。 国内旅行だというの
に、3泊4日のアジアツアーよりも大きな荷物を引きずり、うなだれながら電車に揺ら
れるその姿は、大切にしまっておいた饅頭を食べようとして、その饅頭にカビが生え
ているのを見つけてしまった時のうちのバーちゃんや、憧れの女子社員とやっとの思
いで食事に行く約束を取り付けたにもかかわらず、当日になって断られてしまった課
長並みに暗かった。 だが、有明に向かう「ゆりかもめ」の中で、メーコの目の前に
座っていたオジさんの頭が、ハロゲンランプ以上に明るかったのはメーコの暗さのせ
いではなかったはずである。

 集合場所には、まだ誰も来ていなかった。 受付窓口に貼られた、
「17:00より受付けします」の紙が目に留まったが、こちとら団体の添乗員であ
る。呑気に待ってはいられない。
 行商のオバちゃんと間違えられるといけないので、メーコは名札
を付け、窓を叩いた。中から顔をのぞかせたまだ20歳そこそこの若い職員に声を掛け
る。 
「すいませ〜ん、団体の添乗員なんですけど、乗船の手続きお願
いできますかぁ?」 パパちゃんに小遣いをねだる時以上の腰の低さで尋ねたメーコ
に、面倒臭そうに彼女は言った。 
                  「貼り紙、読めないんですか?」
                  むっか〜!! 
 メーコ火山、噴煙を上げる。 が、しかし、ここで怒っては元も
子もない。手続きが済むまでは下手に出ておかないと。
                  瞬間冷却装置を作動させ、言われるまま乗船名簿を記入して窓口
が開くのを待った。 そして受付。 乗船票を受け取り、船内の設備についての質問
に入る。 レストランの営業時間や、船室の割り当てについて尋ねたメーコに彼女は
またまた言った。
                  「ここは受付ですから、船内のことは船内で聞いてください」
                  む、む、む、むっか〜!!!!!  メーコ火山、ついに爆発。
 メーコは、分割払いの効かない店も嫌いだが、融通の利かない人間はもっと嫌いで
ある。 コイツ、絶対にロクな大人にならんぞ。「ゴーツクばばぁ」とか言われて、
町中の嫌われものになるに違いない。こーゆーヤツに限って、独占欲強くて男を縛り
付けて、ウザったがられているのも気づかずに、
  「ワタシってば世界で一番可哀相」などとほざくに違いない。 
お前、いい死に方しないぞ〜。
    見ず知らずの相手に対して、死に方まで決め付けてしまうメーコ
の方が、よっぽど「ゴーツクばばぁ」であるのではなかろうか。
                  押し問答を続けていても仕方がないので、15600歩くらい譲っ
て、乗船まで待つことにした。 集まってきたお客さんとも挨拶を済ませ、いよいよ
乗船。 
                  「あのバカ女の文句、絶対言ってやる」と意気込んで乗船した
メーコを迎えたのは、彼女とは月とスッポン、フランス料理のフルコースと定食屋の
日替わり弁当、我が課長と竹之内豊ほども違う物腰の低い客室主任であった。 彼
は、「今の時期は空いていますし、のんびりくつろいでくださいね」と言って、8名
のお客様に対して3部屋しか予約していなかった船室を、無料で4室に増やしてくれ
た。 
                  それどころか、メーコのためにも1等寝室を一部屋くれたのであ
る。何という心遣いだろう。 素晴らしいではないか、「オーシャン東九フェ
リー」。  
                  大嫌いだった前の前の課長から、誕生日のプレゼントをもらった
途端に彼のことを好きになってしまったメーコの単純さは、6年経った今も全く変
わっていなかった。

                  午後7時10分。徳島経由新門司行き「おーしゃんうえすと」は出
航した。 
                  定員5名の1等寝室を一人占めし、ご満悦絶好調のメーコが、船に
酔う前に酒に酔って死にそうになるまでには、さほど時間はかからなかった。   
つづく





      2001年10月28日(日) おーしゃん東九フェリー


「移動の時間」というものは、メーコたち添乗員にとって休息の時間である。 列車
やバスに関してはそうもいかない場合が多いが、「客室乗務員」なるものが存在する
移動機関に於いては、メーコはよほどのことがない限り仕事をしない。その移動機関
に於いては彼らはプロフェッショナルなのであり、彼らの仕事を奪ってしまわないた
めにもメーコは全てを彼らに任せてしまう。 第一、メーコのように美しくて愛嬌が
あって笑顔がカワイイ添乗員が機内や船内をウロついてしまったら、「空飛ぶウェイ
トレス」や「揺れるボーイ」たちの立場がなくなってしまうだろう。 
通り過ぎる女性たちから見つめられ、実は鼻毛が出ていることを笑われているにも気
づかずに、「オレってやっぱりモテるんだなぁ」と信じ込んでしまう課長以上の思い
込みの激しさに、気づいていないメーコは世界一の幸せモノである。
実際、「おーしゃんうえすと」の中では、食事と昼寝以外にすることはほとんどな
かった。 何しろ、船内の設備といったら、客室とレストラン、フロント兼小さな売
店と3台のゲーム機が置いてある「ゲーム室」、大型テレビのある「談話室」と、天
候が穏やかでさえあれば24時間入浴できる、「展望風呂」なる、要は単に窓が付いて
いるだけで湯船からは空しか見えない浴室があるだけなのだ。 カジノなんてもちろ
ん、ディスコもなければバーもなく、唯一の救いとしては、一等と特等寝室にのみテ
レビとポットが付いているくらいなのである。 一泊3千円のビジネスホテルと大差
はないように思うのだが、これでいて一人28,260円も取るのである。 
メーコの日当の倍以上ではないか。 メーコ、世の不条理を感じるのである。

食事の時間は決められているので、メーコはとりあえずその時間だけレストランに顔
を出すことにした。 カフェテリア形式のそのレストランは、メーコが通っていた高
校の学食に毛が生えた程度のものであったが、夜・朝・昼・夜と、同じメニューが4
回連続で登場したのには腰が抜けた。料理が得意なメーコとしては、絶対に納得でき
ない状況である。 
その不平を訴えようと同僚のT子ちゃんに電話したら、彼女は、「アタシの得意料理
は生卵と納豆と冷奴だから、そっちのがスゴイ〜」と逆に誉められてしまった。 
メーコの今の最大の心配事は、彼女が幸せな結婚をできるかどうかである。

4回の食事以外の時間を、お客さんから頂戴した「八海山」とビールとタバコと共に
過ごし、「生きてて良かったぜぃ、ベイビー」などと豪語していたメーコの幸せな様
子を察知してか否か、我が最愛の課長から3時間おきにメールが入り、「今どこだぁ
?どーせお前、ヒマだろうから、メール入れてやったぞー」などと書かれていたが、
3時間おきにメールを入れる彼の方がよっぽどヒマなのではなかろうか。 彼も、
メーコに負けず劣らず、幸せモノである。

35時間の航路の間に、八海山の4合瓶と500mlのビールを8缶空けたメーコの「おー
しゃんうえすと」での生活は、せっかく与えてもらった一等寝室で過ごすよりも、ト
イレにうずくまっていた時間の方が長いという素晴らしいものだった。 下船後、ど
こから見ても二日酔いの状態でバスの乗務員さんとの打ち合わせを終え、席に着いて
意識を失う前にメーコは言った。「ここから先はアナタたちの仕事す」。 

移動の時間は、休息のためにあるのである。





      年10月29日(月) 太宰府天満宮


メーコは、三人姉弟の真ん中である。
上の姉は、身体に障害があるものの、容姿端麗、頭脳明晰。言い方は悪いかもしれな
いが、これで健康な身体に生まれ育っていようものならば、絶対に仲良くなりたくな
いような女性である。
片や年下の弟は、これまた成績優秀で性格温厚、10人の人に尋ねれば10人が「カッコ
イイ」と答えるであろう見た目の持ち主。寝起きの悪さと足の臭さを除けば、最高の
男性なのである。
その二人に比べ、メーコは何であろう。 ちんちくりんのへちゃむくれ、頭は悪くは
ないのかもしれないが、成績も容姿も十人並み、酒と乗り物に強い意外は取り柄のな
い人間である。 
小学校の高学年の頃、あまりにも姉弟と似ていないことを不安に思い、母親に、
「ねーねー、メーコは本当にママの子供なの?」と聞いたことがあるが、食事の支度
をしながら母親はこう答えた。
「何をバカなこと言ってるの。姉弟3人の中で、貴女を産む時が一番苦労したんです
からね。」と。 良かったぁ。やっぱりメーコはママの子供だったんだ。心配して損
したよ。と、安心したメーコに母は続けて言った。
「でもね、お父さんは違うかもしれないわねぇ」
どーゆーコトだ?? メーコは、すかさず父親の元へ走った。 そして、すがるよう
な思いで、「ねーねー、お母さんが、“お父さんはメーコのお父さんじゃないか
も”って言ってたけど、そんなことないよねぇ」と聞いたメーコに、父は冷静に答え
た。
「う〜ん、お母さんがそう言うなら、そうかもしれないねぇ」、と。
が・び・び・び〜ん!  この娘にして、この両親である。 この事件から丸2年、
13歳で初めてパスポートを取得するために戸籍抄本を目にするまでの間、メーコが自
分の出生を疑っていたのは言うまでもない。

血の繋がりは今もってなお定かではないが、その、戸籍上一応「弟」である、成績優
秀で性格温厚なメーコの弟は、「司法試験」なる、全国でも最難関の一つである国家
試験に毎年挑戦し続けている。「試験」という言葉を聞くと拒絶反応を起こすメーコ
からすれば、やはり、「血」が違うのではないかと思い込んでしまうのも無理はない
だろう。
一体、メーコのパパは誰なのだろうか? メーコの姉は、いつもメーコの男グセの悪
さを非難するが、それ以前に母を問い詰めるべきではないのだろうか? メーコの非
行をとやかく言う前に、根源を正すべきである。そうだ。絶対にそうだ。

身内の諍いは後に回すとして、メーコたち一行は、「太宰府天満宮」に到着した。
「学問の神様」として名高いこの場所で、メーコは我が最愛の弟の合格祈願と、あく
まで「ついで」に梅が枝餅を堪能する計画でいた。メーコに限らず、添乗員は皆そう
だと思うのだが、それぞれの見学地や休憩箇所において、「あ
そこに行ったら絶対にアレをやってコレを食べなくちゃ」という、「外せないものリ
スト」を持っている。 今回も、丸6年ぶりの国内添乗でビビリまくってはいたもの
の、狭い船内のトイレでうずくまりながらも「そうだ〜。秋月の葛きりと太宰府の梅
が枝餅と竹田のかぼすは買って帰らなくちゃ〜」と考えていたほどである。 神経質
な我が弟はウンチをした後にカレーは食べられないなどと言うが、メーコはゲロはき
ながらでも食べ物のことが考えられるのである。やはりこれも、「血」の違いだろう
か。

血が繋がっていようがいまいが関係ない。とにかくお願いしてこなくっちゃ。 秋の
うららかな日差しの下、メーコは境内へと進んでいった。
「ミッチー、元気してた? 相変わらず忙しそうだけどさ、私のお願い、叶えてね。
ワタシとミッチーの仲じゃんよぉ」と、菅原道真公が目の前にいたら間違いなく殴ら
れていただろう状況で、賽銭も投げずにメーコがお願いしたことは、当初の予定とは
全く異なっていた。
「どうか良縁に恵まれますよ〜に。 扶養家族になれますよ〜に。」
「えっとね〜、できたらキアヌ・リーブスみたいな人がいいんだけど、だめだったら
福山雅治でもいいよ。 あとね、メーコは運動ができる人じゃないとイヤなんだ。そ
れからね〜、やっぱり料理とか掃除もできる人がいいよねぇ。ホラ、メーコは病弱だ
からさぁ、寝込んじゃった時とかに自分でやってもらわないといけないじゃん。そー
ゆーのって大事でしょ? あ、そうそう、お金はさ、まー無いよりあるに越したこと
はないけどさ、ビル・ゲイツほどじゃなくていいよ。」

それまで晴れ渡っていた青空が突然豪雨になったのは、道真公が気絶してしまったか
らに違いない。 「まったくもう。しょうがないなぁ、ミッチーってば。 もう少し
オトナにならないと。キミは神様なんだからさぁ」。
合格祈願の神様に、良縁祈願をしているメーコの方が、よっぽど「まともなオトナに
なれ」と言われそうであるが、いつも言われていることだからメーコは全然気にしな
い。

豪雨の中梅が枝餅を頬張りながら、我が最愛の弟と、道真公にこの図太さが備わって
いないことを悔やむメーコの元に、帰京後結婚紹介サービス会社からのダイレクト
メールが届いたのは、道真公の思し召しであったのだろうか。 

 お願いは、してみるものである。 まる。



      2001年10月30日(火) 「限度」ということ


先日、この旅日記を読んでくれている知り合いのK子ちゃんからこんなことを言われ
た。
「ねーねー、メーちゃんってばいっつもお酒飲んで酔っ払ってゲロ吐いてるみたいだ
けどさ、添乗員さんの仕事って、それでいいわけ??そんなんでお給料もらえるなん
て羨ましいよねぇ。」と。
ノー、ノー。違うのだ、K子ちゃん。我々添乗員にとっては、「飲む」ということも
仕事のうちなのだよ。
そう反論したメーコに、K子ちゃんはすかさず言った。
「それはそうかもしれないけどさ、でも、ゲロまで吐くのは仕事じゃないでょ?」
う〜む。スルドイ。K子ちゃん、キミは大物になるよ。 そう褒め称えたメーコに対
し、彼女はまたまたすかさず答えた。 
「そんな当たり前のことが分かって大物になれるんだったら、メーちゃん以外の日本
人は、全員社長か大臣になってるよ。」と。
メーコを取り囲む環境は、公私にわたってキビシイのである。
それはさておき、確かに言い訳がましく聞こえるかもしれないが、実際問題、「飲
む」ということは我々添乗員にとって大事な仕事の一つなのである。 
「飲む」ことだけではない。お客様と一緒に楽しみ、その場を盛り上げるということ
は、添乗員にとって欠かすことのできない業務なのである。 
お客様に対し、「安全かつ円滑な、そして“楽しい”旅行を提供すること」が、君た
ち添乗員がしなくてはならない仕事である。メーコは、新入社員研修の場でそう教え
られ、以後、添乗員たるモノは、「行程を管理する最高責任者であり、且つ最高のエ
ンターテイナーでなくてはならない」というポリシーの下に仕事をしてた。 とは言
え、K子ちゃんに言われた言葉が多少なりとも気にかかり、困った時だけ相談する課
長の所へ出向いてみた。

「課長、この間K子ちゃんに言われちゃったんですけど、たとえ飲んだくれてもゲロ
吐いても、お客様を楽しませることが添乗員の一番の仕事ですよねぇ?」  そう尋
ねたメーコに、課長は言った。
「まぁなー。確かにそれはそうだけど、お前の場合“限度”ってモンを知らないから
なー」
なにぃ?? 確かにメーコは、今年の夏15歳の中学生相手にムキになってソリ競争を
し、転倒して病院送り寸前の大ケガをしたさ。去年の夏だって、これまた中学生たち
と飛び込み競争をして、湖に頭から突っ込んで前歯を2本折ったさ。しかも、前歯は
保険が利かないから、自腹で30万も払ったよ。 飲んだくれて記憶を失うことだって
しょっちゅうさ。でもね、夜遊びの「限度」が過ぎて、奥さんに浮気してるんじゃな
いか、って疑いをかけられたアナタには言われたくないね。
「他人のフリ見て我がフリ直せ」って諺知ってるか〜?? べぇぇぇぇっっっ。
そう息巻くメーコ自身が、その諺を勉強するべきである。

何にせよ、「限度を知らない」メーコは、言うまでもなく湯布院での2晩を飲みま
くって過ごした。
何しろ、大分は「麦焼酎」の本場である。 乾杯のビールで始まり、焼酎のビンを空
け、お客様持ちなのをいいことに、フランスの赤ワインまで注文して飲みまくった。
 翌日、二日酔いの状態で「やまなみハイウェイ」なる山道でバスに揺られ、全ての
アルコールが口から「こんにちは」しそうにはなったものの、K子ちゃんの言葉を思
い出して何とか我慢した。が、「今晩は絶対に飲まないぞ〜」と固くココロに誓った
にもかかわらず、その夜も勧められるがままに飲んだくれてしまった。しかも、酔っ
た勢いでそのまま温泉に入り、たまたま居合わせた旅館の人から「添乗
さん、大浴場を汚すのは勘弁して下さいよねぇ」と言って連れ出されてしまったオマ
ケ付きである。
翌日、メーコが初めて乗る「のぞみ700系」、しかもグリーン車で東京に帰る5時間強
の移動の間、広島から岡山間、そして新大阪から名古屋間にわたる全工程のほぼ半分
を、せっかく与えられたグリーン座席でよりも狭いトイレで過ごしてしまったメーコ
の姿は、3日前の「おーしゃんうえすと」での姿と全く同じであった。

メーコの辞書に、「限度」という文字は存在しないのである。 げろっっ。




メーコの旅かばんTOPへ






壁紙はアンの小箱からいただきました