はずれ!で〜す。 ここも「歌劇」の方です、でも開いたので読んで下さいな!
◆歌劇・歌姫マリアカラスのダイエット法
53才でこの世を去った偉大なオペラの女王マリア・カラス。彼女は,さまざまなダイエット法にチャレンジしましたが効果がありません。そこでサナダ虫を体内で飼う「サナダ虫ダイエット」を試みたところ,105キロあった体重を55キロまで減らすことができたのでした。
  いっそのこと,サナダ虫を痩せ薬として考えればいいのでしょうが、この痩せ薬,日本ではほぼ問題ないものの,北欧を中心に悪性貧血をひきおこすとの報告もあります。また,感染量によっては下痢や腹痛に悩まされるという侮れない面もあるのです。環境や個人差によって共生関係はまちまちなことを実感させられます。
ちなみに、彼女の名前が付けられたバラ、「マリアカラス」があります。
◆歌劇・イタリア歌劇
イタリア歌劇は、フィレンツェに起り、この音楽は、たちまちイタリア全土へと広まりましたが、特にヴェネツィアに現れたモンテヴェルディによって、さらに進展することになります。モンテヴェルディには「オルフェウス」をはじめ、いくつもの歌劇作品があります。彼はそれらの作曲を通して、従来の諸形式と新様式を融合し、朗唱ふうな独唱をより旋律的なものにしました。それと同時に、その表現内容を深めて、劇的な要素を盛り上げ、そうすることによって発生当時の単純な音楽劇を一歩歌劇的なものへ進めたのです。また、当時使用されていたさまざまな楽器を集めて、合奏形態による伴奏を初めて行い、後のオーケストラへの道を開いたことも注目すべき業績といえます。ヴァイオリンのトレモロや弦楽器のピッツィカート等の奏法を初めて用いたのもモンテヴェルディだといわれています。
イタリア歌劇は、17世紀の後半から18世紀の初めにかけて、活動の中心がヴェネツィアからナポリに移ります。その中心的な人物がアレッサンドロ・スカルラッティでした。このナポリにおける歌劇運動のなかで、ダ・カーポ・アリアと呼ばれる独唱形式やイタリア式序曲といわれる器楽曲形式が確立されて、歌劇が形式的にも整えられるに至ります。
このイタリア歌劇がフランスに移入されたのは17世紀の中頃ですが、これはただイタリア歌劇を上演したというだけの話で、それによって歌劇がフランスの土地に根をおろすということはありませんでした。しかし、16世紀の終り頃に、〈王妃のバレエ・コミック〉と呼ばれる総合的な舞台芸術が上演されるようになり、これの方がむしろフランス歌劇の直接の起源といえるかもしれません。
◆歌劇・ソフィア国立歌劇場の歴史
ソフィア国立歌劇場は1890年にブルガリアに創立された歴史ある歌劇場です。
ブルガリアといえば、数多くの著名なオペラ歌手を輩出していることは意外と知られていないのですが、2000年の引越し公演でも来日していた、ゲーナ・ディミトローヴァをはじめ、アンナ・トモワ=シントウ、ニコライ・ギャウロフ、ニコラ・ギューゼレフなど名前を挙げたらいくらでも出てくる。
若手ではボイコ・ツヴェターノフ、メゾでは2000年にグルヴェローヴァと来日したヴェセリーナ・カサロヴァといった歌手も世界の歌劇場で引っ張りだこです。歴史と伝統に加え、このように名歌手が豊富にいる国の歌劇場はやはり凄いです。強い声質からくる大音量の合唱も豪快。旧ローマ帝国の流れを汲むブルガリア人はまた、イタリアオペラが大変得意で言葉の響きも美しいです。
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