STILLNESS


 …Dum medium silentium 

 tenerent omnia…


 全てが沈黙のうちにあり…とグレゴリオ聖歌は唱える。
 
 全てが沈黙に沈む深い夜、神の全能の言葉が天より下る…と。
 
 降誕節後第2主日のミサで唱えられる聖歌。
 
 修道士達の唱う声は天上から降りてくるように浄らかに響く。


 そして、声と声との間の静寂の美しさ。


 自分自身の中に静寂を感じる時がある。例えば、ある日曜日。正午にはまだ少

し間のある時間、一人でコーヒーショップの中に坐っていた。店の中にはブラック・

ゴスペルが流れている。家ではまず聴かないような音楽。エスプレッソを入れるコ

ーヒーメーカーの音。食器の触れ合う音。黒人女性の超絶的に美しい歌声。ガラ

スの扉を通して、表を歩く人々のざわめきがかすかに聞こえて来る。疲れている

身体に、苦みの強いコーヒーは、沁み通る程に美味しい。頭の中は、妙に静かな

幸福感に浸されていた。


 一人、扉の近くのテーブルに坐り、誰かを待つ訳でもなく、ただぼんやりと表の

通りを眺めていた。堅めに焼かれたブラウニー。チョコレートと胡桃の香り。コー

ヒーの香り。黒人女性が素晴らしい声で歌う。“愛とはまず与えること”


 あえて、沈黙を破り、語り続ける事。

 避け難い出発点、性的な事柄について。


 子供の頃の「探検」による成果。確か、5歳位の頃だったと思う。好奇心の強い

子供で、家中の引き出しや棚の中を探り回っては遊んでいた。そして、父の本棚

や机の引き出しの中に「発見」してしまったのは山程のポルノグラフィー、雑誌や

写真の類だった。その中でも、今でも鮮烈に覚えている一冊。一見したところ、何

の本か分からないような、表紙がくすんだ赤い色の布で装丁された、厚い本。そ

の中はほとんど写真で埋められていて、それも裸の若い女性が縄で拘束されて

いるような写真ばかりだった。衝撃や嫌悪を感じるには幼な過ぎ、何か名状し難

い奇妙な感覚を覚えながら、その本を眺めていた。


 思い出したくはない事柄の数々と、あえて語り続ける事。牧師である友人から借

りた本、神と教会とについて書かれた本の著者は言う。“快楽に身を捧げ尽くすこ

とはわたしたちを逆に深い絶望へと導く”


 公共機関の主催による、HIV感染予防のキャンペーン。フリーマーケットやコン

サートが行われている公園の一角にテントが設営され、世界各国のHIV感染予

防やセイファーセックスに関するポスターが展示されていた。その中にあったドイ

ツのポスター。バックが白く飛ばされたモノクロームの写真。レザーキャップを被

った一人の男が真正面を向き、顔を心持ち下に向けている。バストアップといった

構図で、肩から下は画面の外に出ている。顔はレザーキャップによって半分影に

なっているが、それ程若くも、美しくもない。男の片手はレザーの手袋をはめ、顔

の傍にあるもう一人の男の尻にあてられている。その男は、尻の部分が大きく開

いたレザーパンツを穿いているので、裸の尻が剥き出しになっている。毛穴まで

はっきりと見えるようなシャープな写真。尻にあてられた手は、指が中に入ってい

るのではないかと思う程、深く尻の割れ目に食い込んでいた。

 HIV抗体検査の結果が陰性(非感染)であったことの奇妙な感覚。
 
 負わねばならないリスクから突然解放されたような、後ろめたさ。


 フランス生まれの“女王様”、クレオ・デュボワは言う。SMは癒しへの道であ

り、幼児虐待による痛みを分かち合う手段であることを理解したと。“悔い改め

ではない、罪の赦しでもない、しかし、癒しである”と。

 
 全てが沈黙のうちにあり…とグレゴリオ聖歌は唱える。
 
 心に深く響く様々な声。熱情、あるいは衝動。
 
 自分自身の中に潜むもの。消え去ることのないもの。
 

  …そして闇が最も深く、全てのものが沈黙に沈む時、
 その静寂の中から語りかける声を聴く。…


 永遠の断片であるような、穏やかな静寂。


 その声を、今も聴く。