VOICE
静かに、熱を帯びて、夏が通り過ぎて行く。
何処にも行き場が無いかのように、都市に閉じ込められたままの時間が通り過
ぎる。声を発する事の無い叫びが、白熱した都市の中に融けて行く。
8月の蒸し暑い夜、1人で地下のクラブにいた。AIDSチャリティー・パーティが行
われるので出かけて行ったが、フロアの中は何のために集まったのか分からない
ような人々の熱気で溢れていた。ラメのパンツだけを身に付けて、ステージで踊る
ゴーゴーボーイ。深夜に近いと言うのに、ドレスアップして騒ぎまくる、10代にしか
見えない少年少女達。家を出る前にシャワーを浴びた身体は既に汗ばみ、瓶に
そのまま唇を付けて飲むビールが、疲れた身体に染み透って行く。DJブースから、
音楽にリミックスされた鋭い声がフロアに響いた。すぐに分かった。マーティン・ル
ーサー・キング牧師の声だった。
―I have a dream! ―
私は今日、夢を持っている。いつの日にか、ジョージアの赤土の上で、かつての
奴隷の子孫と奴隷主の子孫とが、兄弟愛の同じテーブルに座るだろう。ワシント
ン大行進でのメッセージだった。後に、銃弾に斃れるキング牧師の叫ぶような声
は、今でも耳に残っている。
ドラァグ・クイーンのショーが始まると、狭いフロアの中は、大勢の人で身動きも
取れない程になった。着飾ったドラァグ達のセクシーなダンスに続いて、発売され
たばかりの女性用コンドームの装着方法が、下ネタだらけのジョークと共に説明
されて幕が降りると、溢れ返っていた少年少女達は、潮が引くようにフロアから去
って行った。再びDJブースから音楽が溢れ、ショーが終わった後、店に入って来
たゲイのカップルが踊り始めた。2人とも素晴らしく整った肉体を持ち、片方は上
半身裸で、キスし合い、お互いの性器をこすり合わせたりしながら踊っている。先
に出ていたゴーゴーボーイよりダンスもずっと上手で、輝くばかりの美しさに見惚
れていると、ひとしきり踊った後はまた、かき消えるように店から出て行った。2本
目のビールも飲み干し、そろそろ帰ろうかと思った時、見知らぬ相手、今夜が何
のパーティかまるで分かってない奴に呼び止められた。確かに、その夜はいつも
の自分では無かったと思う。退屈な仕事が終わったばかりで疲れた身体に、何と
なく期待外れのまま取り残された夜。欲しいのは誰かと言葉を交わす事では無く、
まして心を触れ合う事でも無かった。欲しかったのはセックス、ただそれだけだっ
た。相手に何も期待しないセックス、時にはそれが楽しいものだと初めて知った。
―ゲイ?あいつらは、アナル・セックスをするんだよ―
ゲイバーやクラブに良く遊びに行く男性が、軽蔑し切った口調で言った言葉。
―俺はホモは嫌いだ―
子供の頃から美しい少年として、周囲の人々の目を引いていた男性の言葉。
―あの人とトイレで出会うと怖い―
同じビルの中に、MTFTG(men to female transgender)の女性が勤務している
職場で働く女性の言葉。
―あなたは普通の人?それともやっぱり、同性が好きなの?―
自分が可愛い女の子だと言う事を1度も疑った事の無いような女性から、いきな
り問いかけられた言葉。返す言葉も無かった。普通では無いセクシュアリティがあ
るなんて、今では、考えもしない事だった。
キング牧師のメッセージは、旧約聖書、イザヤ書に書かれた言葉へと続く。
すべての谷は埋め立てられ、
すべての山や丘は低くなる。
盛り上がった地は平地に、
険しい地は平野となる。
このようにして、主の栄光が現されると、
すべての者が共にこれを見る。
私は今日、夢を持っている。その言葉を発するには困難を覚える。全ての偏見
や差別、無理解、そして何よりも我々自身の劣等感や現実逃避が無くなる事など
あるのだろうか。それは途方も無く非現実的な事のように思える。それでも、妥協
を重ね、諦めを選ぶ事はしたくない。だから今、ここにいる。
何処にも行き場が無いかのように、都市に閉じ込められた時間が通り過ぎる。
熱を帯び、引き裂かれ、血を流しながら、尚、叫ぶ声がここにある。