史料・福岡ブントの文書A
革命的戦旗派福岡フラク「福岡における共産主義者同盟の革命的止揚と日本の革命的マルクス主義者の原則的統一のために」、1961年3月16日



福岡における共産主義者同盟の革命的止揚と
  日本の革命的マルクス主義者の原則的統一のために
                   革命的戦旗派福岡フラク

[注記
 60年6月安保闘争の終息ともに、ブントは分解し分派闘争に突入した。福岡ブントは、戦旗派に属し、鈴木武論文「大衆運動によって党をつくる路線批判」など、ブントの党建設路線について反省的総括を独自に深めるとともに、九大細胞が中心になって革命的共産主義者同盟全国委員会との交流を進めてきていたが、61年3月、中央で結成された革命的戦旗派の提唱に呼応して、組織解体し、大半が革命的共産主義者同盟全国委員会へ加入していった。]

 3月上旬の革命的戦旗派フラクのオルグ及び戦旗51号青山論文を契機として、福岡同盟は結成以来かってない深刻な自己批判、相互批判、討論を、文書を通じ、地区委員会を中心とする細胞会議を通じ、更には自己と同一傾向にあって“腐敗・堕落”した同志を個別訪問し、まさに“ケンカ”を通じて積み重ねてきた。この十数日の討論を通して、福岡同盟の停滞、腐敗を自己自身の停滞、腐敗として、更に自己否定的に捉えかえし、革命的マルクス主義者としての場所的立場と革命的マルクス主義=反帝・反スターリニズムの立脚点を獲得したものの同志的結合が勝ちとられた。これをもって同盟の革命的解体と止揚、革命的マルクス主義者の原則的統一をこの福岡において現実的に遂行する中核が成功的に結成されたことをここに明らかにする。
 以下に展開するものは、過去における自己の反動性への憤激をバネとした、自己批判書であると同時に、今だに自己の反動性をその根底において突きとめず、にごしている部分への、また、ブンドの反動性を認めようとすらしない部分への闘争宣言であり、福岡においてはじめて発せられる、革命的マルクス主義者組織からの、反帝・反スターリニズムののろしである。我々は、この宣言を、我々の形成せられきたった経過と共に全同盟員諸君の前に明らかにし、同盟の解体、止揚をさらに革命的に遂行し、我々と共に革命的マルクス主義者の原則的統一を闘いとらんとする同盟員諸君の討論の材料とし、また自己の腐敗との訣別の契機として資するものである。

 一、破産した同盟と福岡同盟

 福岡同盟は、『戦旗』51号青山論文も指摘するとおり、安保闘争の敗北を同盟の敗北として捉えかえした、同盟内の唯一の勢力であった。
 四回大会において破産した同盟が、五回大会においてその解体が全面的に進む中で、我々は、同盟の打ちだした政治方針のすべてが、客観主義的分析にもとずく主観主義的方針であり、同盟の党建設路線が根底的に誤っていたこと、従ってその再生は、政治方針の内容をかえたり、新たな国家独占資本主義論で分析をやりなおすこと等では、決して解決されないものであることを確認してきた。従って、プロ通的、革命的ブンド再生の追求に対して、全面的否定をかかげる戦旗派が結成されると共に、それを支持し、鈴木論文に象徴されるような、同盟の「大衆闘争によって党を創る路線」批判の確定として、一つには「前進」していったのである。しかしこの間の「党建設路線確定」の追求は、一方において「革命的理論なくして革命的実践なし」を、文字どおり「先ず革命的理論の獲得、それから実践」的傾向を結果的に生み出し、他方には「大衆闘争によって党を創る路線」批判に対して、大衆闘争と無関係に党を創ることは出来ないとし、「理論―実践的段階論」への直感的反発を形成していった。福岡同盟の路線を確立せんとする努力は、12月の総会の、地区委員会の高野草案へと結実されてゆくが、これは、一つには、大衆追従主義的傾向として、また革共同全国委員会及び同盟戦旗派の評価の誤りとして九大細胞を中心とした部分より徹底的に批判され、討論によって否決され、高野・白川氏が地区委員会をおりる結果を生んだ。
 この12月総会を契機として、九大細胞を中心とする部分と、総会においては自己主張をなさず、形式的にのみ、九大細胞派に賛同した杉本氏を含む労対派へと分離していった。
 その後労対派は、長船等と共に、労働者協議会形式を用いての真正ブント再生への積極的賛同、加担へと1月交流会を契機に進展し、それに対して、九大細胞派は反発を感じつつも杉本氏が2月の同盟労細代へ参加し、社会主義労働者同盟創設の活動を行うために、その旅費をカンパする等に拘る協力体制を保持したのであった。
 この両派の間にあって、このいずれにも反発を感じつつ、そのいずれかに身を近づけたり、あるいは沈黙したのが学連グループであった。
 我々が、ブントの革命的解体と止揚と革命的マルクス主義者の統一の立場を獲得した今、過去の自分の姿をこのように概観するとき、そして、それを同盟の解体と真正ブントの再生として動きつつある左翼諸派の激動の中に自らを位置づけるとき、自らの果しつつあった役割はあまりにも明瞭である。安保闘争の敗北を同盟の敗北として位置づけ、根底的に自己を否定したはずの出発点はいかに進展せられたのか。
 同盟の客観主義=主観主義はいかに根底的に否定せられたのか。主観的には、何であれ、まさに腐敗であり堕落であって、その他の何物であろうか。我々の革命的マルクス主義者の立場獲得は、憤激―バネを抜きにしてはありえないであろう。
 九大細胞派は一貫して、党建設路線を求めつづけ、同盟の根底的批判を追求していたから、真正ブント再生の動きを阻止しようとしなかったその努力の足らなかった限り部分的に誤っていたが、追求していた限り正しかったといえるだろうか、否! 断固として否!  この態度のなかにこそ、腐敗、堕落の極が集中的に表現されているのだ。5月の転換を、「党創造路線の誤謬」として自己否定抜きの客観主義的批判ですまし、今またその二の舞を演じ、なし崩し的同盟の解体をもって、自己を「革命的共産主義者」への「止揚」とごまかそうとしているものに他ならない。九大細胞派は確かに党路線の追求を行ったかもしれない。しかしその追求の仕方は、我々の5月段階の反省によって既につかまれてしかるべき直感をも失ったものであり、決定的に誤った追求の仕方である。
 「革命的理論なくして革命的実践なし」ということは、一般的に正しいし、そのとおりであり、革命党を現在的に創造しようとするとき、その、革命的理論を早急に獲得することは、確かに我々の課題ではある。しかし、鈴木氏に代表される追求方法は革命的マルクス主義の立脚点を持たぬ、その全面否定のスローガン故に、真の革命的立脚点を獲得せんとする同志の足をひき、反動的役割を果す以外の何物であったろうか。
 今我々が確定すべきものが、「いかなる理論か」にあるのではなく、「いかなる立場で、いかにその理論を獲得するか」にあるのである。鈴木氏をはじめとして今回の青山論文に対して、自己をいずれかの面で弁護する全同盟員に対して、我々は、断固たる闘争の宣言を発する。理論的追求、蓄積や杉本氏に象徴的に現れている実践能力の追求、蓄積、これが、いかに大きく大量になされようと、それは「無」であり、その蓄積を、革命的と誤って自覚するところに、反動が反革命がはじまるのである。自らの蓄積に自負をもつ全ての諸君は、「相対的知識のなかに、絶対的な確実な知識が含まれている。・・・相対的知識は、その進歩の過程で絶対的なものに近づいてゆく」(マルクス主義哲学の方法)という向坂氏の主体抜きの客観主義者の言葉を自分の態度と比べて今こそ良くかみしめ、自己の左翼スターリニスト的、向坂的傾向を自己否定的に自覚することこそ必要である。
 歴史の現実のなかにあって、青山論文、黒田理論を媒介としてすら、今だに、自らの客観主義者としての立場に無反省の諸君とは、闘いあるのみである。革命的マルクス主義の立場は、これまでのような姿勢で、いかに、理論や実践を積み重ねても到底獲得されるはずもなく、遠い未来に、その立場を獲得するというのは、まさにごまかしでしかない。我々がいまなすべきことは、自己の反動性の根底的追求をとおした自己否定的自覚とそれをバネとして、プロレタリアの自覚の論理を自己のものとすることである。
 自己否定と場所的立場の獲得。

 二、福岡における革命的マルクス主義者組織の確立
 1、我々の基本的立脚点

 自己の主観的革命性にもかかわらず、いや、主観的革命性の故に尚一層、福岡同盟は反動的歩みを進んでいる。腐敗、堕落の中にあったこと、しかも、その現実を戦旗派革命的フラクのオルグ、青山論文を前にしてすら、容易に自覚しえない存在であったことに対する憤激、現実直視の態度は、徹底した自己否定へ、そして自己疎外よりの解放の情熱を、自己の苦悩とプロレタリアの苦悩との根源的同一性として把握し、プロ解放=人間の普遍的解放の自覚とそれへの情熱へと位置づけなくてはならない。
 自己否定の徹底はまさに、プロ解放=人間解放(=自己解放)として自らを位置づけさせ、現在的自己の存在の歴史的位置の確定とそこにおける歴史的主体としての階級的責任感に裏付けられた場所的立場の獲得として遂行されなくてはならない。
 この立場の獲得にもとずく「労働者の特殊諸利害=階級的全体性の実現」への献身、これこそが我々の論理的根拠であり、主体性の原理である。
 なしくずし自己批判は、スターリニスト、左翼スターリニストの本領であり、客観主義者の本質は、まさにこの場所的立場の欠如、唯物論における客観主義にほかならない。
 我が左翼スタ的カメレオン姫岡氏のスターリニストの客観主義者に対置する主体性論は「レーニンの精神をもって、この世界全体に不遜な弾劾の言葉を投げつける革命的大胆さが多かれ少なかれ全てのものに欠けていたこと」(プロ通9号)らしい。このマンガ的主体性論が、他人事として笑えるだろうか。
 我々の革命的マルクス主義者としての出発は、この場所的立場の獲得にあるのであって、絶対にここ以外にはあり得ない。福岡同盟における十数日にわたる討論は、自己否定の徹底=場所的立場の獲得として一致し、以下に見るごとき経過で以って、革命的マルクス主義者の結合をなしていった。
 先に理論の蓄積も、経験の蓄積も、いかに自己の内に蓄積しようとも、その場所的立場を欠いた主体性抜きの蓄積は「無」であり、それを誤って革命的と自覚するとき、反動と反革命が実現することを述べたが、ここで再び「知識」の問題にもどらなくてはならない。
 同志青山がオルグで又論文で、自己否定=場所的立場の確立と叫び、革命的マルクス主義者の原則的統一の問題を提起したとき、全国委員会との統一を同盟の革命的解体、止揚と別個に追求したり、又、「全国委員会をあまり知らないから」とか「蓄積が足らないから」として、これを自己の課題として受け止めないものが大半であり、又自己の課題として形式的には受け止めたものも、その逆の「知っているから」と言う傾向をもつものであり、今なおそれらの傾向は完全には克服されていない。われわれは、これら二つの傾向を断乎粉砕するであろう。
 我々の立場獲得は、上記の如く、自己否定=場所的立場獲得としてなされるのであって、それ以外ではありえない。
 しかし、このことを獲得した上に立って、次に理論的、経験的蓄積の問題を捉えることが必要である。スターリニストにあっては、主体の論理を欠如しているが故に、哲学は諸科学の一つとして平板化される。向坂氏にあっても、「哲学は全ての科学の上にあって、これに優位するものではなく、自らも一個の科学として……」(前掲)と把握される。我々にあって哲学と科学の関係は「科学に意味を与えるのは人間であるが、その人間のあるべき指針を、彼は科学を媒介としてつかんで行く。哲学は諸科学を使用し、それぞれの限界を越えて世界観を樹立するのであるが、その越え方自身つねに、科学に見守られて行く」(梅本)のであり、客観的に獲得された場所的立場は、階級闘争の理論を、科学を獲得することを通して、プロレタリアートの自覚の論理の主体化として、深められ、より強固に確立されるのであり、同時に、それによって対象認識をより正確なものとし、自覚を高め、判断力を正確にし、決断力を強め、実践を一層革命的なそれとして遂行することを可能なさしめるものである。
 我々は従って、決して蓄積を無視しようとしているのではない。我々がなそうとしていることは、自己の誤れる蓄積を否定的本質において止揚できず、蓄積に引きずられ、場所的立場の獲得すら不可能となさしめている蓄積を「いいもの」として「成果」として保持し、「悪いもの」のみをすてんとしている人々の蓄積を反動的、反革命的と規定することである。

 2、組織的結集の経過
 
 我々革命的マルクス主義者の福岡における組織的結集は、徹底した自己否定=場所的立場を獲得していることを第一の条件として、次にその立場確立の強固さが、過去の理論的蓄積の使用能力として、反帝・反スターリニズムの把握の現在的正確さ等として検討され、自己批判的自己総括の確実さの内容検討として遂行された。自己総括は第一に、場所的立場獲得の成果と契機の総括として、第二に、青山論文と自分との対立「内容」がいかに究明され克服されたかの検討が、自己の課題の本質が何であり、実体的にどこに依拠していたが故にそれを自覚できず、克服できなかったのか、その究明として、第三に、入盟時の、革命・革命党の思想と理論及びその態度に現在的同一性がないかどうかの点検として遂行されていった。これらの自己批判は非妥協的な相互批判として徹底され、これまでの同盟において一度として相互批判されることのなかった私生活における小ブル的安住性、生活感覚の小ブル的=自己の物化に安住的傾向と「マルクス主義者」的言動との分離の批判にまで及び、それらの批判をとおして、真に主体的に革命的共産主義者たらん者の強固な同志的信頼が、革命的マルクス主義者組織の結集を成功的に遂行させたのである。
 我々は、我々の組織へ結集された同志以外に、革命的マルクス主義者たらんとして、苦闘している多くの同志諸君を知っている。我々は、これらの諸君と、以上の観点より、さらに徹底した討議を行い、共に、同盟の革命的解体、止揚と、全国委員会との統一をなすべく努力するであろう。しかし、妥協的な組織拡大を行い、同盟の二の舞を演じることは階級的責任感の名において絶対に行わないことを明らかにするものである。

 三、当面の我々の課題
 1、福岡における革命的マルクス主義=反帝・反スターリニズム組織の確立

 福岡同盟にあって、一つの問題は、青山論文に対して、その殆ど全員が支持を表明していることである。この支持の表明の中にこそ、我々は、これまでの福岡同盟の停滞と腐敗を見なくてはならない。先に我々が示したごとく、自己批判と自己の持てる全内容の検討へと徹底させ、自己の本質的誤謬を捉えることなく、杉本同志に象徴されるごとき、自己批判を行うが故にこそ、すぐ又、「自己のいい面」の肯定へと環帰するのである。我々は革命的解体、止揚と統一の問題把握において、止揚の立場=革命的マルクス主義をもたないままの解体、止揚に反対である。
 我々は、この福岡同盟が、実体的にも全て、革命的マルクス主義者として全国委員会として統一されえない現在、全同盟員の革命化を努力しつつ、福岡同盟の革命的解体、止揚を早急に遂行するであろう。
 同時に、我々は革命的マルクス主義に立脚した、反帝・反スタ組織以外の一切の真正ブンド的、西派プロスターリニスト的党組織を、又活動家組織を創らせないであろう。同時に我々は「ブント員は皆政党に入る決意をして入盟したのだから例え統一できなくても、大衆団体に入れて、引き下げるのでなく、統一できるまでは静かに、政治からはなれて統一の条件をかちとるのに努力すべきだ」と言った見解に断乎反対である。
 同盟をいかに捉え、現在なしている「自己否定」のなにたるかが明らかではないか。我々は同盟的反動性を微塵も持たぬ革命的反帝反スタの活動家組織を早急に組織するであろう。そして、現在我々の組織へ結集されていない革命的マルクス主義者たらん全ての現福岡同盟員は、その組織へ自ら結集してくるであろう。

 2、真正ブンドの粉砕
  
 『戦旗』51号の青山論文の「もし破産した同盟の再生を許すとすれば、われわれの非プロレタリア的役割は反プロレタリア的裏切りの行為として完成するであろう」と言う言葉は、我々自身の言葉でなくてはならない。労働者の真正ブンド結集の音頭を九州の一勢力が中心的にとって来たことを許し、我が同盟の地区委員会の有力な同盟員をその人材として提供したことの反革命性は決定的なものである。彼らは「青山論文は基本的には正しいけれども、ただ立場や立脚点のみ強調してその内容がない、これでは闘いの方針は出てこない。」と青山論文を主体的に把握することをさけ、客観主義的、評論家的に評価し、更に「(自らに)内容があったら……!」となげき、「いかなる立場で」「内容」を追求するのかは抜きのまま、豊富な「無内容」の追求を行いつつ、当面の個別的闘争に専念する。彼らがこれでもって(彼らも何らかの形で破産したと認めざるを得ない旧同盟と一体どこが違うのか!)再び共産主義者と称し、革命家を装う時、その反革命的役割は必至である。働きかける主体は、左翼スターリニスト的、寄集め的、借りもの的なもので、スターリニズムの形骸批判、行動戦術批判等技術的優越性に革命性を求めつづけ、客観主義的主体、プロレタリア的自覚を欠如した主体のままで、これ以上彼らが左翼スターリニスト的活動を続ける以上、我々は、階級的責任感の名において死力をつくして、彼らの粉砕につとめるのみである。我々は、福岡同盟のみならず、全国の同盟の革命的解体と止揚の中核として断乎たる闘争を開始するであろう。

 3、九州学生運動の革命的マルクス主義者による再建と革共同西分派の粉砕
 
 『前進』第24号「戦旗派との統一の立脚点」が的確に指摘している如く、これからの革命的左翼戦線は「三つの潮流」に○○〔○は判読不能〕され、「我々革命的マルクス主義者に対立する二つの潮流、すなわち、プロスターリン主義的戦略と社民的戦術をもった100%トロツキストの革共同西分派も、破産を自覚できず、共産主義者同盟を小ブル急進主義党として純粋化して真正ブントの再建を夢見る共産主義者同盟の残党も、〇〇〇〇〇〇階級闘争の過程でそのエセ革命性を一層自己暴露して行くことは、必須である」。しかし、我々はこの九学連の中に、若干のスターリニストと、大量ともいえる西分派を依然としてはびこらせている現実を直視すべきである。我々は、安保闘争の過程において、福岡以前にその組織的結実を見た福岡以外の全ての革命的マルクス主義者と共に同志的連絡のもとに、九学連から一切のスターリニスト、プロスターリニストを追放することを誓うものである。

 万国の労働者は反帝・反スターリン主義のもとに団結せよ!
       
 1961年3月16日