「学生運動の反省と展望@」
『九州大学新聞』第453号、1960年11月25日
 大藪龍介(前九学連委員長)


[注記
 1960年安保闘争の終息とともに、共産主義者同盟(ブント)は分解し全学連も分裂して混乱に陥っていった。その渦中にあって、九学連(九州地方学連)委員長を退任した直後、全学連運動について反省し新たな方向を模索した一文である。安保闘争が最高揚に向かう60年春頃から、福岡ブント、九学連は、ブント中央、全学連指導部の路線に対して批判的立場を固めてきていた。]

 現在の学生運動の四分五裂と混乱は、安保闘争のなかで全学連自身が未曾有の学生を結集して反政府運動のなかで大きな役割を果たした数ヶ月後に生じ、危機として把えられている。しかしながら、この分裂と停滞を生み出す萌芽は、一年有半の安保闘争、なかんずく5,6月のあの学生運動の爆発のなかで、絶えず拡大されていたのである。

 このことをすでに、9月の九学連第18回大会は、空前の力量を発揮した安保闘争のなかで学生運動が有していた幾つかの偏向、従来の反主流派(日本共産党系)の右翼日和見主義に加えて、自らを含む主流派(共産主義者同盟系)のプチブル急進主義、ブランキズムとして、率直に指摘したのである。私は、全学連主流派が安保闘争のなかで果たした一定の役割、資本家階級と最も果敢に闘い安保闘争を支えた一部隊であったことを疑わない。しかし、全学連主流派が持っていた理論的、実践的誤謬を徹底して究明することは、学生運動の危機の克服と前進のための、また私自身がなすべき不可欠の義務であると考える。

 国会デモや一連の首相官邸デモに現れた極左冒険主義、中央執行委員会や幾つかの大会からの反対派締め出しによる民主主義の破壊、8月原水協脱退の左翼小児病、これらあれこれの誤謬を数え上げるだけでなく、このプチブル急進主義に根本的にメスをふるうには、この数年間、全学連の行動を導き出してきた支配的理論―14大会路線―の検討が必要である。何故なら、この14回大会路線の「労働者階級の同盟軍」としての学生運動論こそ、金科玉条的に絶えず強調され、安保闘争のなかでは一層高められて、極端には「学生運動のみが正しい方針を提起し、労働運動に波及させる階級的任務を負っている」にまで達した思想の源流をなしているからである。

 1958年、勤評闘争や警職法闘争の実践の試練と反スターリニズム・イデオロギーへの接近のなかで、学生運動の指導部では、従来の原水爆実験反対や戦争政策との対決に代表される平和擁護闘争を中心任務とする路線からの脱却と転換が追求されていく(58年11回大会から13回大会にいたる過程)。そしてこの転換を確立した59年の14回大会は、転換路線について、「転換の内容を要約すれば、(1)政治方針を絶えず階級的視点に立って提起し、(2)階級闘争をいかに勝利さすかを基礎に、そのためには階級闘争の主力である労働者階級の動向になによりもまず注目し、労働者階級の戦いを有効に発展させるための積極的役割を果たす同盟軍として学生運動を位置づけた。(3)そして学生運動の政治路線を階級闘争の基本路線であるブルジョア権力打倒、なかんずく世界帝国主義の一貫としての日本帝国主義打倒の同一の基礎においた」(『全学連第14大会議案書』)と述べている。

 明らかに転換の内容は、(1)階級的視点に立つこと、(2)労働者階級の同盟軍としての学生運動の位置づけ、の二つであった。

 (1)について。「情勢分析の基本的視点として、資本主義と社会主義の両体制の対立、力関係に世界情勢の根本的動因を求める方法―したがってそれからでてくる平和共存論―を克服し、国際ブルジョアジーと国際プロレタリアートの対立を通じてダイナミックに情勢を把えようとした」(同上書)。「゛戦争と平和゛ですべてを割りきり、情勢を平和擁護闘争を引きだす見地から見るのではなく、われわれを取り巻く情勢が資本家階級と労働者階級の闘争の世界であり、この渦中の学生の諸要求も労働者階級の闘いと固く結合しあってこそ発展が保障される」(『全学連第15回大会議案書』)。

 階級的視点に立つということが強調されたのは、勤評闘争や警職法闘争において、既存の指導部、社共両党や総評が議会主義や日和見主義、はては民族主義に毒され、真の階級的立場を放棄していることに対する批判、特にそれまで影響をうけてきた共産党の非科学的理論と実践、スターリン主義からの脱却への努力を含んでいた。階級的視点の確立とは、まさに科学的方法論の追求、獲得であり、このことはなんら誤りではない。

 (2)について。

 言うまでもなく、学生は資本制社会の本質的2大階級である資本家階級と労働者階級の対立の間で浮動する中間的社会層である。そして、学問の自由や学園の自治、よりよき学生生活、平和、民主主義のためには、国家権力や支配階級との闘いが不可欠であり、また大衆運動として可能である。更に、こうした学生運動が、現代における社会発展、平和や民主主義の担い手である労働者階級と結びつかねばならないし、究極的には労働者階級の解放は人間全体の解放であることは真理である。

 しかし、学生層はその特殊な社会的存在ゆえに、この真理を論理的に理解し、即座に労働者階級の立場に立つことはできない。従って、「学生運動を階級闘争の基本路線であるブルジョア権力打倒の同一の基盤」におくことはできない。何故なら、インテリとしての知的特権によって、学生層のきわめて限られた少部分のみが、労働者階級の立場に、しかもプチブルとしての自己否定と変革の苦闘の後に初めて、立つことができるのである。だから、大衆運動として「学生運動を単なる中間層の運動としてではなく、労働者階級の同盟軍として帝国主義打倒の政治路線に立たせる」ということは、極左的な位置づけであり、非科学的な規定であり、大衆組織である全学連のセクト的政治団体化と学生層独自の諸要求の軽視しか意味しないのである。

 実際、労働者階級の同盟軍という過大で不可能な役割を担った全学連は、その主観主義を益々拡大しつつ、階級闘争の指導的役割論、学生運動無限定論というナンセンスを生みだすのである。万年「労学ゼネスト」、「革命的情勢つくりだせ」などの主観主義的急進主義、行動における極左主義を克服するためには、「労働者階級の同盟軍」規定ときっぱり手を切らねばならない。

 勿論、学生大衆の運動として、個々の政策で政府に対する利害が一致するかぎり、労働者階級との共闘、提携はしばしば可能であるが、それはそれ以上にでないものであり、労働者階級の立場に立つ同盟軍とは程遠いものである。

 14回大会路線は、階級的視点に立って、労働者階級の解放は人類の解放であり、従って労働者階級の立場に立つことなしには自分自身の解放もありえないという真理を明らかにしつつも、最も肝心の学生運動(大衆運動)とプロレタリア解放運動(前衛的少数者の革命運動)の区別と関連を明確に位置づけえずに混同したまま、「労働者階級の同盟軍」と誤って規定したのである。こうした混同の必然的帰結が、大衆闘争(学生運動)によって新しい前衛党を創ろうとした共産主義者同盟とセクト団体化した全学連双方の現在的破産なのである。

 以上のように述べたとしても、それはなんら共産党の正当性を意味しない。私は次に、共産党の主張の批判的分析、更にプロレタリア解放運動と学生運動の関連性と区別、政治的闘いと経済的闘いでの関連を明確にし、学生運動の前進の方向を解明しなければならない。