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『季報 唯物論研究』第111号、2010年2月 |
法学部出身で専攻は政治学であり、国家論を研究テーマにしてきたが、理論的に最も影響を受け拠り所ともしてきたのは、マルクス『資本論』である。私にとってのこの一冊として、『資本論』について記したい。 1956年のスターリン批判の翌年に大学に入学し、学生自治会運動の実践を通じて初めてマルクス主義に接した。当初は当然にマルクス主義に抵抗を感じた。それを受け入れるうえでは、当時日本の左翼のすべてが讃えていたソ連について、トロツキー『裏切られた革命』や対馬忠行『クレムリンの神話』を介して、これは決して社会主義ではないという認識を獲得したことが、決定的であった。もし、マルクス主義の社会主義がソ連などをもって本来の姿を実現しているというのであれば、私は社会主義に反対しマルクス主義を拒否しただろう。 そして、勃興する新左翼運動の戦列に加わり、全学連の60年安保闘争を最前線で闘い、三池闘争支援に加わったりして、頭でというよりは身体で、マルクス主義思想・理論を学んだ。61年大学卒業後は、「反帝国主義・反スターリン主義」の新たな前衛党の創設活動に従事した。道を切り拓いて進んでいこうという強い意志はあったが、苦難に満ちた年月であった。漸く新左翼党派運動が躍進しはじめる頃、私には破綻がきた。 党派運動の戦列から離れて、すでに30歳代になっていた身であらためて進路を思い悩みながら、学生時代以来部分的に齧ってきた『資本論』を手始めに、マルク主義理論の習得に努めた。それまでは、学生大衆運動の高揚に追われ、また革命党組織づくりの日常活動に手一杯で、まとまった理論的学習はできなかったから、初めての本格的な理論勉強であった。 『資本論』の勉強にあたっては、数多存在する研究書のなかで、宇野弘蔵の『資本論と社会主義』、『経済原論』、『経済学方法論』、梯明秀『資本論への私の歩み』などが大変に役立った。『資本論』に集大成されるマルクス経済学、それを元にした宇野経済学や梯経済哲学を学んで、奥深い学問的思索の一端に触れ感銘を覚えた。 私が掴んだ『資本論』の意義は、ざっと次のようなものであった。 まず、『資本論』として結実するには、経済学批判の膨大な積み重ねに示される、誰しもが圧倒されるほどの飽くなき探究、経済学研究の長年にわたる研鑽の過程があった。凡庸な自分には、ひたすら努力、努力、努力しかなく、たゆまざる努力がなければ、意味のある研究などできっこない。 そうしてマルクスは、価値法則、剰余価値生産の法則など、「近代社会の経済的運動法則」を解明し、古典経済学の伝統を汲んだ資本主義経済の解剖の一つの到達地点を開示した。資本主義経済体制が存続するかぎり、その本質に最も鋭く深く迫った『資本論』は理論的輝きを失わない。自分が政治学研究に取り組むのであれば、それに倣って、近代ブルジョア国家を解剖しその政治的運動法則を実地に発見しなければならない。 加えて『資本論』は、弁証法的論理の具体化や方法論的厳密さにおいても卓抜である。「資本論という論理学」(レーニン『哲学ノート』)としても学ぶものも多い。典型的形態の選定とそれの唯物論的抽象、単純なものから複雑なものへの上向法、論理的・歴史的方法などは、政治学や国家論の研究ではどのようになるのか。 ともあれ、『資本論』は、資本主義経済の本質的構造の解明に関して、スミス『諸国民の富』、リカード『経済学ならびに課税の原理』をも凌駕する傑作である。加えて、ヘーゲル論理学を解体的に摂取して、それを方法的武器として理論構制している。古典経済学と古典哲学のそれぞれの到達成果の批判的継承を統一して成っており、学問的な総合性と緻密性において近代社会科学を代表する金字塔である。 マルクス主義についての思想的賛否は一応措いて、『資本論』は歴史上の卓越した学問的な業績として評価されうる名著だと、私は確信した。しかし、それでも、完璧ということはありえないし、所在する難点についての補全が欠かせない。かかる姿勢については、『資本論』に徹底して内在しながらそれをのりこえようとして独特の科学的再構成を敢行した宇野弘蔵から、その主体的な批判的創造の精神を学んだ。 転じて、『資本論』の学問的水準を踏まえて国家論を検討すると、マルクスに確たる業績がないことは明らかであった。傑作として高い評価を与えられてきた『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』についてみても、基本的な狂いを有していると思われた。 実際、マルクスが確かな国家論を遺さなかったことを内意して、盟友エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起源』が、経済学の『資本論』と一対で、国家論の原典として称揚されてきた。ところが、通説に反して『起源』の国家論が根本的な難点に満ちていることを看破するのは、困難ではなかった。『資本論』は、1世紀近く定説として通用してきた後期エンゲルス国家論を批判する規準としても役立った。 こうした理論的な問題意識と視点を獲得して、私は理論研究に活路を求めていこうと決め、国家論にテーマを定めて、最初の研究課題としてマルクス、エンゲルスの国家論の追思惟に取り組んだ(『マルクス、エンゲルスの国家論』)。ただ、大学のマルクス主義政治学や経済学の教授連のインチキ性を身辺でいやというほど実見してきたので、在野での理論研究を志していた。 マルクス、エンゲルスの理論において、経済学に関しては『資本論』によって90%達成されたが、国家論に関しては90%未達成である、エンゲルス国家論に対する批判は21世紀半ば頃にはその意義を認められるだろう、などと私は放言していた。私の考えるところ、結局、マルクスの、そしてマルクス主義者の理論的な業績として歴史に誇ることができるのは、『資本論』しかないのである。だが、逆に言うと、『資本論』があるのである。 そして、マルクスは『資本論』に後続する近代ブルジョア国家の本質論的研究としての国家論を構想しながら取り組むことなく終わった。ならば、その創造に自らが挑戦してみようではないか、という途轍もない課題を設定してそれを追いかけることとなった。19世紀後葉に議会制民主主義に発展するイギリス国家を対象とし、それを抽象して、また、古典政治学の歴史的頂点をベンサム自由民主主義論に求め、その摂取に努めて、ブルジョア国家の本質的構造の解明を試みた(『近代国家の起源と構造』)のは、その第一次作業であった。しかし、その第二次作業には取り組めないままに、現在にいたっている。 30歳までは新左翼党派運動を担い、それ以降は理論研究に携わる―40歳代半ばからは大学教員―というスタイルの大きな変化はあったが、1956年のスターリン批判から1992年のソ連崩壊へという、マルクス主義の隆盛から凋落への現代史を直に見聞しつつ、今日まで一貫してマルクス主義を世界観として過ごしてきた。かつての左翼勢力がマルクス主義の信奉から離反へと雪崩をうった時代にあって、マルクス的批判理論の立場を堅持し、思想的、理論的にほとんどぶれないできたと言えるだろうが、その理由は、叙上のような意味で『資本論』を理論的原点としてきたことにあるかと思う。 |