![]() |
2010年1月 |
[注記 昨年末に亡くなられた樋口篤三さんを偲ぶ「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語り継ぐつどい」に送ったが、メール・アドレスをを間違えたために、追悼文集に載らなかった小文である。] 樋口さんと初めて顔を合わせたのは、1980年代半ばころ、前野良さんたちの研究会においてだった。ながーい浪人生活を経て私は大学に職を得たばかりだったが、九州福岡で、全学連60年安保を闘い、60年代後半まで新左翼党派革命運動を担った前歴をもっていた。それもあってか、爾来これまで交際を続けてもらってきた。 多くの便り、出版物をいただいた。エネルギッシュに活躍されている様子、ひたすら前に向かって進んでいこうとする気概が伝わってくる通信だった。 その間、上京の折にお会いして個人的に話をうかがったことがあった。また、私も編者の一人を務めた『新左翼運動40年の光と影』には、「革命戦略と革命モラル」の力作を執筆していただいた。 樋口さんは、外からの輸入理論への依存という、とりわけ左翼陣営に定着してきた悪しき伝統を突破して、日本の政治的、文化的風土に深く根ざした変革、土着的な革命の道を追求され、その革命戦略が拠って立つ拠点として労働者・市民モラルの確立を強調されていたように思う。 未来社会構想として協同社会(アソシエーション)論を唱えられ、近代日本史に関して明治維新革命という見方を示されていた。私などより1回り古い世代のマルクス主義的左翼としては異例であり、理論的にもシャープで極めて先見的だった。 そうした理論的豊かさに裏打ちされた人間的魅力を備えて、樋口さんはオルガナイザーとして抜群の活躍を重ねてこられたことだろう。私はいわば老年期を迎えられた樋口さんと僅かに接触したにすぎないが、かつて新左翼諸党派のリーダーたちのかなりと接した経験に照らすと、そのなかの誰よりもオルガナイザーとして優れていたように感じる。 近年は無残なほどに左翼は凋落し労働(組合)運動は沈滞している時勢である。樋口さんにはもっともっと健在で手腕を発揮してもらいたかったと切に思う。 |