『21世紀のマルクス』「まえがき」


 本書は、カール・マルクスの生誕200周年を記念して編まれた論文集であり、マルクス研究の今日的な到達点を提示することを図っている。

 マルクスは、1818年にドイツのトリーアで生まれた。青年時代、ヘーゲル左派の急進的哲学者、『ライン新聞』編集者として頭角をあらわし、ヘーゲル法哲学批判に取り組んだ。43年にパリに出て、ドイツやフランスの社会主義・共産主義の諸派と交流するとともに、唯物論的歴史観をエンゲルスと共同して形成した。やがて義人同盟(のち共産主義者同盟に改組)に加わって『共産党宣言』を著し、48年にフランス、ドイツなどで革命が勃発すると革命的共産主義派として闘った。

 48年革命の敗北後イギリスに亡命し、1850年代半ば頃から経済学研究を本格化した。困窮した生活のなかで、資本主義経済構造を解剖する学問的苦闘を重ねて膨大な草稿を作成、67年に『資本論』第一部を出版して注目を浴びるようになった。また、西ヨーロッパの先進的労働者達が64年に設立した国際労働者協会に参画し、指導性を発揮、71年パリ・コミューンの民衆反乱に際してはその世界史的意義を讃える公式文書を発表して名を馳せた。

 晩年になっても、生成する各国労働者政党への理論的アドヴァイスをおこないつつ、旺盛な理論研究を継続した。だが、『資本論』第二部、第三部は未完に終わり、原始社会・古代社会などの研究もノートを残したままに終わった。

 マルクスの思想・理論は、現代世界に多大な影響を与えてきた。20世紀において西欧では社会主義の潮流の一つとなり、ソ連・東欧や中国などでは「共産主義体制」のイデオロギーの源流として力を揮った。しかし、ソ連の体制崩壊とともに一転して厳しい批判にさらされたが、同時に「マルクス=レーニン主義」などの旧来の思想・理論に対する批判的総括も進み、マルクス研究の新たな活性化となった。

 21世紀の今日では、厳しい歴史的試練を受けとめつつ、マルクスの業績や限界について原点に立ち返って解明する研究が進展している。「カール・マルクス問題」(各時期におけるマルクスの理論的立場の変化如何の問題)や「マルクス・エンゲルス問題」(マルクスとエンゲルスの理論的異同問題)の解明は格段に精緻化している。また、新MEGA(マルクスとエンゲルスの原著作全集)刊行に伴う草稿や抜萃ノートについての研究は、『資本論』解読、歴史認識、周辺世界論などの面でマルクス研究の大きな更新をもたらしている。

 マルクスの真価を示す主著『資本論』の資本主義経済構造の究明は、150年を隔てた現在も、新自由主義のグローバリゼーションが席捲し様々な危機を生んでいる世界において、力強い輝きを放っている。彼の哲学論、政治論、歴史理論、世界の革命的変革と未来社会構想などのなかにも、今日の時代の解放運動のための示唆や方向づけを数多く読み取ることができる。

 本論集は、マルクス思想・理論の発展的継承を志向している。マルクスの提示した理論は包括的で多彩であり、また考究の鋭さと構想の広がりにおいても際立っている。そこで彼のライフワークである『資本論』関連の研究を第一の柱として立て、哲学、政治理論、歴史理論、未来社会構想、エコロジー論をあつかった研究を第二の柱として立てることにした。

 テーマと執筆者の選定にあたっては、次の諸点を指針とした。(1)マルクスの諸理論の達成、近現代思想・理論史上において占めるその意義、継承すべき成果と残されている課題について明らかにする。(2)日本の戦後世代のマルクス学派総体による研究を踏まえつつ、現在のインディペンデントなマルクス研究の達成を結集し次世代に伝えるように努める。(3)この間のマルクス研究の第一線にあって活躍し実績を有する人達に、執筆を依頼する。

 日本では1995年にエンゲルス没後100年記念の『エンゲルスと現代』、1998年に『マルクス・カテゴリー事典』、2000年に『新マルクス学事典』といった大作が、マルクス研究者を結集した協同作業として公刊されてきた。本論集もマルクス生誕200年の機に、大きな旋回の途上にあるマルクス研究の里程標の一つを遺そうとする営為である。

 本書の諸論稿は、マルクス理論の功績と限界をそれぞれのテーマに即して描き出している。こうした多様な考察、吟味や問い直しをつうじて、マルクス研究は豊かになり前進していくにちがいない。

 最後になったが、現在、専門書離れの世相や研究者層の縮小により、マルクス研究書の出版は極めて困難な状況にある。険しい環境にあって本論集の刊行を引き受けていただいた新泉社に、厚く御礼を申しあげる。

 2019年9月15日     

 伊藤誠、大藪龍介、田畑稔