「代表制と派遣制」
 『マルクス・カテゴリー事典』 1998年、青木書店


 【テキスト】
「代表制は,近代市民社会のまったく特有な一産物で会って,近代的な個人が市民社会と切り離されえないのと同様に,近代市民社会と切り離されえないものである」(『ドイツ・イデオロギー』3-606)
「各地区のもろもろの町村コミューンは,中心都市におかれる派遣委員会議 an assembly of delegates をつうじてその共同事務を処理することになっており,これらの地区会議がついでパリの全国派遣委員会議 theNational Delegation に代理人 deputies を送ることになっていた。派遣委員 delegate はすべて,いつでも解任することができ,またその選挙民の拘束的委任(正式指示)に従わなければならないことになっていた」(『フランスにおける内乱』17-316)

 || 代表制民主主義をいかにのりこえるか ||

 現代における議会制民主主義の空満化が指摘されるようになってから,すでに久しい。だが,ソヴェト民主主義が虚妄性をあらわにして無惨に瓦解した今日,体制のいかんにかかわらず政治システムとしては議会制民主主義しかない,という風潮も広まっている。議会制は,代表制の機構的実現である。マルクスは,代表制についてどのように分析し,代表制民主主義をのりこえるシステムをどのように構想したか。

 代表制 初期の国家論考においてすでに,マルクスは,近代国家について,そのシステム編成上の特質を「代表制」(1-315)に看て取り,「代表制国家」(2-120,3-596,4-477)と特徴づけて把握した。テキストAで述べているように,近代における市民社会と政治的国家の分離は,双方を媒介する国民代表機関としての議会を必要ならしめ,議員が市民の総体たる国民を代表する制度を現出させるのである。代表議会制をつうじて,私的諸個人の個別的,特殊的利害が分裂し対立する市民社会のアトミズムの体系は,国民的な普遍性をもつ政治的国家としての「幻想的な共同態」(廣-126)へと転位する。

 実際,国民代表制は,近代における国家的支配の根幹をなすものである。近代国家では,「国民主権」を謳いながらも,「代表的委任」にもとづく国民の代表者としての国会議員が「拘束的委任」の禁止と免責特権とにより選挙民からの独立を保障され,国民に代わって国家意思を決定しかつそれを行使するのである。「代表原理」(1-362)においては,選良が大衆に代わって意思を決定(=代意)しかつそれを行使(=代行)するのだが,その核心は代意にある。国民代表制は,他方での政党制と不可分であり,職業政治家を中心とする政党が被支配諸階級を政治に参加させて国民として統合しつつ,しかし国家意思の決定過程からは排除するという,近代に特有の,きわめて巧妙な政治的支配のシステムである。

 代表制は,民主主義との必然的な一体的結びつきを有しない。近代国家は,その初期から盛期の段階にかけて,イギリスでは名誉革命から第2次・第3次選挙法改正にいたるまでの2世紀の長きにわたり,フランスでは大革命から1848年2月革命までの半世紀の間,代表制をとりながら民主主義を排していた。この歴史的事実が,そのことを示している。爾後,20世紀にかけて代表制国家の中に民主主義を取り入れる過程が進展した。しかし,代表制にあっては,「民主主義的代表制国家」(2-119,3-596)であっても,「国民主権」はイデオロギーと化し,議会制民主主義は空洞化する必然性が内包されているのである。

 派遣制とは マルクスは,その後,理論的研究の主題を経済学に移し,代表制(民主主義)国家についての分析を深めることがなかったが1848年の諸革命のなかで,ブルジョア的な代表制に代わるべきシステムに言及しはじめる。「ブルジョアジーの代表者Vertreter」(7-14)や民主主義的小ブルジョアジーの「議会の代表者Repra-sentant」(7-64)に対置して,労働者組織,それに自らの共産主義者同盟やプランキ派の活動家については,「派遣委員Delegierte」(7-319)と呼称するのが,それである。

 そして,1871年のパリ・コミューンの経験を理論的に抽象して,マルクスは,共産主義社会への過渡期の国家制度の重要な環として,代表制に代替するシステムとしての派遣制を描きだす。テキストBに示されるように,人民大衆は派遣委員を選出するが,派遣委員は選挙民の「拘束的委任」の受任者として選挙民の指示に服しなけれはならないし,いつでも解任されうる。別語では代理人である。こうした派遣委員の集まりとして,ブルジョア国家の議会に代えて,各地方そして全国の派遣委員会議が形成される。かかる人民派遣制は,すべての公務員についての完全な選挙制と解任制などの,いわゆるコミューン国家の諸原則とあいまって,草の根民主主義の貫徹を志向するのであり,代表制民主主義を超える新しい民主主義の構築を可能にするだろう。

 代表制に代わる派遣制は,民衆による新たな国家建設の基軸として構想され脈々として受け継がれてきた歴史を有している。主要な事例を幾つか挙げよう。

 つとにルソーは,人民主権を貫きとおすべく,代表制の虚構性を痛烈に批判し,直接民主主義を唱えるとともに,直接民主制が不可能な場合における拘束的委任の制度の採用を説いていた。フランス革命のなかでは,とりわけ,サン=キュロット・ミリタントのヴァルレが『社会状態における人間の権利の厳粛な宣言』(1793年)のなかで,人民は「委任によって派遣されることはできるが,決して代表されることはできない」,「代理人は従属的な派遣委員」にすぎないと明記し,国家に創設される第1機関を「国民派遣部DELEGATION-NATIONALE」と呼ぶとしていた。

 また,イギリスでは,チャーティスト運動が,当時なお財産による制限選挙制をとりブルジョア階級の独占物であった議会に反対し,それに取って替わる人民議会として公会Conventionの開設を掲げ,議会の議員representativeに対する公会の構成員を派遣委員delegateと称した。1840年には,各地の公開集会で選ばれて送りだされた派遣委員を集めた全国派遣委員会議National Delegate Meetingが開かれた。他方,これと反対の階級的立場にあるJ・S・ルは,選挙民の指示に拘束される「派遣delegation」とそれに拘束されない「代表representation」を弁別したうえで,「代表」の真正さを論説した。

 1864年に創立され,マルクスが思想面で指導的に関与した国際労働者協会も,当然,代表制とは異質の原理に基づいており,その中央評議会,総評議会や大会は各国の諸活動団体から派遣された委員delegateによって構成されるのを原則としていた。そしてパリ・コミューンにおいても,蜂起した民衆の側の派遣委員delegue,場合によっては代理人depute,それに派遣機関delegationは,できあいの国家の代表者representant,それに代表機関representationと明別されていた。テキストBの一文は,このような歴史的伝統を背負っているのである。

 双方の原理的相違 代表制が,「国民主権」一「代表的委任」と一体のブルジョア国家の編成原則であるのにたいし,派遣制は,「人民主権」一「拘束的委任」と連結する民衆,労働者階級の国家のそれとして創案され実践されていた。ただし,マルクスは,過渡期国家に関して「人民主権」を掲げることについては否定的であったから,「人民主権」は捨象して,派遣制を代表制の代替システムとして定置した。

 代表制は,政党制を前提としており,政党による上からの統合によって国民大衆から疎外された力を国家権力へと集中する。対するに派遣制は,人民大衆が下から自らの力を奪還して社会へと国家権力を再吸収してゆくとともに,政党制とも対立的に矛盾するところがある。派遣制のもとにあっては,政党はその地位と役割を低下させる。例えば,選挙民の意向と所属政党の方針が異なる場合,代表制下の議員は当然のように党の指令に服するが,派遣委員は選挙民の指示に従う。代表制の派遣制への組み替えは政党制の変革と連動するのであり,政党は人民大衆の民主主義的力の発揚のなかに位置して,社会の自治のなかに溶けこんでいくことを求められる。さらに,代表制国家では,議会は国民代表機関として国民の上に立つとともに,他方,強大化しゆく官僚的,軍事的機構に支えられた内閣=政府との関係では,立法と執行の繰り返しのなかで,内閣=政府に従位する。"議会の優越"の合言葉に反して,現実に進行するのは,内閣=政府の優越の傾向である。これに対し,派遣制国家では,人民派遣機関としての派遣委員会議こそが,名実ともに,国家権力機構のなかで最優越する地位を占めるだろう。また,双方は「委任」というかぎりではいずれも間接制であるが,代表制が直接民主主義と異質で相容れないのとは反対に,派遣制は直接民主主義と相乗的である。

 20世紀マルクス主義においては,レーニンが議会制は廃棄するが代表制は保持するという立場をとり,ソヴェト代表制が定着して以来,代表制と派遣制の原理的相違が忘失され,派遣制も代表制に解消されるにいたった。ソヴェト国家では,諸々の領域とレヴェルで代意と代行がまかりとおり,新手の代表主義が蔓延した。派遣制の主張は,ユーゴスラヴィアの「自主管理社会主義」の試行やソ連圏での異論派のなかに散見されたにすぎない。ソヴェト・マルクス主義の圧倒的影響を受けてきたわが国でも,派遣制は見失われてきた思想の一つである。ちなみに,従来の邦訳書ではすべて,delegateもrepresentativeと同じく代表と訳出されている。

 (大藪龍介)

【関連項目】過渡期,権力分立,パリ・コミューン,民主主義
【参考文献】杉原泰雄「人民主権の史的展開」岩波書店,1978年
大藪龍介「国家と民主主義」(第1篇第1章)社会評論社,1992年