藤田社会主義社会論の批判(上)
 『現代と展望』36号、1993年12月


 は じ め に

 「スターリン批判によるスターリン主義の崩壊の始まりから昨今のソ連、東欧での革命によるその最後的崩壊までの30数年間、日本の「正統」派国家論研究は、「社会主義」国としてのスターリン主義体制に凭れ、スターリン主義的に教本化されたエンゲルス主義国家論の教義学的思惟にとらわれて、その枠内で進化を図るあれこれの解釈主義的構成に明け暮れてきた。その諸論説は、生まれかわるために新しい生命力を育くむのではなく、遺産を食いつぶしながら、生き永らえるべく老衰した力をふりしぼってきたのであった。歴史の審判に耐え、日本の「正統」派国家論研究が独自に創りだし積みあげた理論的成果として今後に残るものが、果して存在するであろうか?」

 このように、本誌31号で、藤田勇の論稿に代表される「正統」(=スターリン主義)派国家論研究を批判した、その直後、遂にソ連そのものの崩壊という決定的な事態が生起した。ソ連の崩壊は、否応なく、「現段階におけるスターリン主義国家論の日本的移植版」にも大打撃を与え、その権威を失墜させずにはおかない。「正統」派は大学アカデミズムにおいて大きな勢力を誇ってきたが、藤田の国家論説を党派主義的、学派主義的に誉めそやすことほ、もはや不可能であろう。

 本稿では、藤田の多産的な理論的研究のなかでも法理論と並ぷ業績をかたちづくる社会主義社会論を取りあげ、そのスターリン主義的歪みの批判を試みる。

 社会主義社会論として、藤田には『社会主義における国家と民主主義』(1980年)、『社会主義社会論』(1980年)、その他の多くの著論があるが、それらをつうじて、「最も核心的な問題、すなわち所有と権力の問題に考察を集中」(注1)していると言える。そこで、上記二書を主な対象にして、まず社会主義的所有を中心にした経済システム論について、次に社会主義国家論について、検討を加える。他方、藤田は「現存社会主義体制の歴史的位置」(注2)についてしばしば論じ、ソ連などに「初期社会主義」という性格規定を与えている。その「ソ連=初期社会主義」説を、続いて爼上に載せることにする。

 1 国家主義的経済システム論

 すでに1970年代には、いわゆるソ連型社会主義への批判の高まりのなかで、生産手段の社会的所有化、とりわけ国家的所有化をもって社会主義の規定的メルクマールとする俗説にたいする批判が、わが国でも続出していた。藤田は、それに反駁し、「生産手段の社会化が社会の社会主義的性格を規定するメルクマールとなるという考え方」(注3)に与した論陣を張っている。「歴史的『端緒』としての社会化については、エンゲルスのように 『プロレタリアー卜は国家権力を掌握し、生産手段をまずはじめには国家的所有に転化する』ということができるし、共産主義の第一段階にまで達したところでの『結果』としての社会化について語るときには、マルクスのように、『労働者自身の協同社会的所有』ということができよう」(注4)。

 この藤田説のポイントは、「歴史的『端緒』としての社会化」と、「『結果』としての社会化」というように、社会主義への過渡期の所有と社会主義社会の所有とを「社会化」ということで一括りしておいて、「生産手段の社会化(国有化)」(注5)という表現にも示されるごとく、過渡期における国家的所有も社会的所有にひっくるめるところにある。引用されているエンゲルスの場合には、「国家的所有」は、社会主義社会では国家自体が死滅するとされているように、社会主義社会における社会的所有への過渡的形態にすぎない。にもかかわらず、藤田は社会主義への過渡期の所有形態と社会主義社会のそれとを二重うつしにしつつ、国家(的所有)化をも社会(的所有)化のなかにもぐりこませているのである。

 それにとどまらない。藤田がソ連では1930年代には社会主義体制が成立したと評価するのは後に見るとおりであるが、そのソ連について、「社会的所有形態はなお国家的所有と協同組合的所有との二元的構造をとり」、社会的所有の二つの形態のうちで国家的所有が「主導的形態である」(注6)と述べている。生産手段の国家的所有化が主導的形態であっても社会の社会主義的性格を規定するメルクマールとなりうることを是認しているわけであり、国家(的所有)化を社会(的所有)化にすりかえているのである。

 こうした藤由の所説が、スターリンの次のような命題の言い換えであることは明らかであろう。「現在わが国には、社会主義的生産の2つの基本的形態が存在している。すなわち、国家的−全人民的−形態と、全人民とは呼べないコルホーズ的形態とである。国家企業では、生産諸手段と生産物とは全人民的所有となっている。ところが、コルホーズ企業では、生産諸手段・・・・・・は国家に属しているとはいえ、生産物は個々のコルホーズの所有となっている」(注7)。このスターリン命題は、生産手段と生産物の国家的所有をもって「全人民的所有」と称し−藤田も「全人民所有=国家的所有」(注8)という言い方をしている−、生産手段の全面的な国家所有化をもって社会主義と性格規定している。これは、マルクスの所論の完全な歪曲であり、社会主義ではなくして国家主義である。

 そのスターリン主義性を確認したうえで、藤田の所説についての批判を深めよう。エンゲルス命題に立脚して、藤田は先の「歴史的『端緒』」の時期、ないし社会主義への過渡期の所有形態としては、国家的所有を必然的なものとしている。「過渡的にではあるが、国家的所有という形態をとらざるをえない」(注9)。これは、果して正しいであろうか。過渡期における所有のあり方をめぐってのマルクスとエンゲルスの理論上の相違を考慮にいれざるをえない。

 確かに、レーニン『国家と革命』での引用と依拠によっても良く知られているように、1848年の諸革命にのぞんで、マルクス、エンゲルスは、革命に勝利したプロレタリアートはまずはいっさいの生産手段を国家の手に集中すべきだと提言した。しかし、それは、当時の彼等の革命綱領が国家集権的に偏倚していたことを示す一つの点であった。レーニン以来すっかり見失われてしまったのだが、1860年代以降の、あらゆる面で飛躍的な前進を重ねて円熟したマルクスは、直接には労働者生産協同組合に潜在する将来の「協同社会association」、すなわち社会主義・共産主義社会の基礎組織への発展可能性の洞察を機に、協同組合的所有を過渡期の所有形態の中軸に位置づけるにいたる(注10)。他方、エンゲルスは、この時期にも以前と同じように、過渡期における生産手段の全般的な国家所有化を説き、国家集権的偏倚を再生産しているのである。

 後期エンゲルスの所有論には、その他にも、社会主義社会での社会的所有と個人的所有の関係をめぐっての「社会的所有にはいるのは土地その他の生産手段であり、個人的所有にはいるのは生産物すなわち消費対象である」(注11)という論点などの逸脱が所在しており、それらがそのままレーニンによって継承されて増幅され、更にはスターリン(主義)所有論の源泉ともなってきたという経緯がある。藤田の所説も、社会的所有と個人的所有についての「生産手段の社会的所有と消費資料の個人的所有」(注12)という点を含め、この系譜につらなっている。スターリン(主義)理論といえども、その克服は簡単では決してないということを、ここでも再確認しておきたい。

 なお、藤田は、マルクス『フランスにおける内乱』第1草稿から「労働者階級の政府とは、労働手段の独占者」という語句を抜きだして、「国家的所有」説の正当化に役立てている(注13)。ところが、『フランスにおける内乱』本文中のパリ・コミューンの経済的方策についての記述−「閉鎖されたすペての作業場と工場を・・・労働者の協同諸組織(associations)に引き渡した」(注14)−を切り捨てているし、それと趣意を同じくする『資本論』第3巻や「フランス労働党綱領前文」などでのマルクスの所有論を無視している。

 つまるところ、藤田の所説は、(1)社会主義への過渡期の所有形態について、生産手段の全般的な国家的所有化、(2)社会主義社会の所有制について、過渡期のそれとの無差別的混同に基づいた、国家的所有の社会的所有へのすりかえ、という二重の誤謬に貫かれており、いわゆる社会主義的所有を国家主義的に歪曲したものである。次の一文は、ロシア革命における所有関係の変革についての論述であるが、そうした国家主義的所有論を鮮かに表明している。「個別的生産単位における資本の所有=専制と労働者の非所有=無権利という関係の〔革命による〕逆転は、それらの生産単位における労働者グループの所有と包括的支配権の樹立にではなく、支配階級として組織された労働者階級、すなわち国家による所有と全国的な計画的管理体制への個別企業の活動の従属に導かれざるをえない。所有関係の社会主義的変革とはかかるものである。国家所有に対置される、『労働者』所有は、社会主義とは無縁といわざるをえないであろう」(注15)。

 続いて、生産管理の問題を取りあげる。

 生産の国家管理か労働者自主管理かという、近時の社会主義論上の一大争点について、「国家管理は、社会主義の発展の歴史段階では不可避である」(注16)と、藤田は説いている。なぜ、国家管理か?すでに見てきたように、生産手段の国家的所有−全人民的所有とも称されている−が前提されており、そのうえに所有形態に管理形態も直結されているからである。「所有主体である全人民は、国家(特殊な公的権力)が存立せざるをえない歴史段階においては、自己の所有物を、その代表である国家を媒介として管理するという形をとらざるをえない」(注17)。「社会的所有形態」のうちで国家的所有が「主導的」であるのに直接に対応して、生産管理の中枢もまた国家だとされるのである。

 それに反して、マルクスが想定した生産手段の協同組合的所有は、共同の生産手段を用いて労働する労働者集団自らによる協同組合の経営管理に結びつく。勿論、マルクスが描いた過渡期社会において、基本的形態としての協同組合的所有に加えて、国家的所有が「主導的形態」ではないにしても副次的形態として存在するし、国家管理のセクターも所在する。しかし、国家的所有企業であっても、必ずしも国家経営である必要はなく、経営管理はそこで働く労働者集団にゆだねるという形態がありうる。後期のマルクスが望ましいとしたのも、そうした方向であったようである。

 藤田は、その他に、「共同的労働=領有関係の組織化の中枢、計画化センター」(注18)としても国家を位置づけている。経済の全国的規模、更には国際的規模での調和ある組織化、計画化にはそのセンターが不可欠であり、それには多かれ少なかれ国家が関与せざるをえないだろう。だが、マルクスが「協同組合労働を全国的規模で発展させる必要」(注19)を説き、「協同組合の連合体が一つの計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにお〔く〕」(注20)方向を示唆したのにたいして、藤田が描いている経済システムは、共同的労働の組織化についても計画化についても、あまりにも国家主導主義的である。

 藤田も、「社会のいっそうの発展の結果としてこの国家が死滅するときがきた場合には、そのときには国家管理は『国家』的性格を失い、全社会的な自主管理(自治)に全面的に転化するであろう」(注21)と、国家管理が過渡的形態にすぎないことは認めている。ところが、藤田の説では過渡期社会にとどまらず社会主義社会にいたっても国家的所有が存続するのだから、労働者自主管理は彼岸化されてしまう。否、藤田の論理は逆立ちしている。国家が死滅するとき自主管理が達成されるのではなく、逆に、社会の諸組織における自主管理の発達につれて国家が消滅していくのである。企業における経済民主主義の導入をはじめとして、社会諸組織が自主管理、自治を発展させ、国家にゆだねられてきた公共的諸機能についても自主的な調整に転化させていくことなしには、国家は消滅にむかうまい。藤田は国家主導主義的思考にはまりこんでいるのである。

 かかる藤田の所説が、生産手段の国家主義的所有についてと同じように、ソ連における経済の国家主義的管理を社会主義的なものとして追認し一般化することに基づいていることは、明白である。それに加えて、ここでもその理論史的な背景を視野にいれなければならないだろう。

 マルクス以来の過渡期経済論、社会主義経済論は、生産の管理運営の問題については特に、その解明に乏しかった。なかでも、後期エンゲルスが展開し、レー二ンに継承され、スターリンによって公式論とされた、社会的生産と資本主義的取得のあいだの矛盾という理論においては、マルクス的な労働そのものの疎外についての考察が抜け落ちることになり、生産=労働過程の変革が没却された。資本主義の根本的な第一次的規定を生産の社会的性格と取得の私的性格との矛盾におくことから、その矛盾を解決するものとして所有の社会化が一面的に強調され、その反面、生産=労働の民主主義的組織化の追求がないがしろにされてきた。そしてレーニンは、『国家と革命』第5章で、共産主義社会の第一段階すなわち社会主義社会について、「ここでは、すべての市民は、武装した労働者である国家に雇われる勤務員に転化する」(注22)と論じ、その理論的混乱によって国家主義的管理システムの基礎づけを与えることになっていた。

 「国家的所有は社会主義的所有の最高の形態であり、生産の国家的形態は社会主義的生産の最高の形態である」(注23)。これは、全盛時代のスターリン主義の定説である。これほどまでに極端ではなく、それなりの修正が重ねられているけれども、藤田が論示しているのは、スターリン主義的に定型化された国家主義的経済システムである。

 ここで、「生産手段の社会化が社会の社会主義的性格を規定する決定的メルクマールとなるという考え方」それ自体を取りあげよう。生産手段の国家所有化だけでは、労働力の商品化を廃絶できないし、社会主義たりえない。むしろ国家集権主義的体制をもたらす。このような批判にたいして、藤田は防戦に努め、所有関係に社会の経済的編成の出発点的基礎をおく理論的立場をとっている。これは、生産手段の所有形態を生産関係の体系全体の基礎とするスターリン(主義)経済学の基本枠組を守護することを意味する。スターリンは、次のように生産関係についての三要素説を述べていた。「経済学の対象となっているものは、人間の生産諸関係、経済諸関係である。これに関するものは、(a)生産諸手段の所有形態、(b)それから出てくるところの、生産における種々異なった社会諸集団の地位とそれら諸集団の相互関係・・・、(c)それらにまったく依存しているところの、諸生産物の分配の諸形態、である」(注24)

 このスターリン説には、根本的な諸欠陥がある。まず、直接的生産関係の位置づけを欠如している。そして、社会構造全体の最奥の基礎をなす労働者と生産手段との結合の仕方・様式、ないし生産条件の所有者の労働者にたいする直接的関係を、そのモメントにすぎない生産手段の所有形態にすりかえている。不可避的に、資本=賃労働関係の軛からの解放という問題追求を欠き、生産関係の変革を生産手段の所有形態の転換に倭小化することになる。また、直接的生産過程での生産手段の占有、用益、処分との連動なしに、生産手段の所有形熊だけを孤立的に位置せしめている。従ってその所有は、内実のない、形式主義的所有にすぎない。そして、資本主義的生産の基本的矛盾は生産の社会的性格と取得の私的性格とのあいだの矛盾であるという公式と結びつけて、労働者自身が共同の生産手段にたいして現実に自己のものとしてかかわることとはまったく無関係に、生産手段の国家所有化をもって社会主義と規定することにもなるのである。

 藤田の論説は、所有とは生産関係の総体であるとした初期のマルクスの定義などに立脚して、所有論の問題性格を直接的生産過程の問題とも関連づけて拡大する方向をとっているのだが、それでも、生産手段の所有形態を第一義的基準とするスターリン説の枠組を継いでいる。

 藤田は反論するだろう。「社会化だけでは、所有論だけでは社会主義は論じられないと人はよくいうが、そうではない・・・。私的所有の揚棄、所有の社会化ということが古くから社会主義論の核心的な問題とされてきたのは、・・・十分に道理のあることである」(注25)というように。そのとおり、マルクス、エンゲルスも、その初期にあって、私的所有の廃止という一語で共産主義思想を簡潔に要約した。私的所有は資本主義が発展する以前から存在しており、それを社会的諸悪の根源として認識することで、私的所有の廃止が近代初期までの社会主義、共産主義思想の核心問題とされてきた。その伝統にマルクス主義の創始者たちもならったのだった。

 しかし、1850年代以降、資本主義経済の全面的な発達過程と時を同じくした、資本=賃労働関係の経済学研究の徹底的な深化に裏づけられつつ、マルクスは、遠くは、『経済学=哲学草稿』などから通底する労働の解放へと、自らの共産主義思想の第一の主題を移動させていった。ただ、そうした方向はエンゲルス以後には受け継がれなかった。私的所有の廃止に焦点を絞るのは、近代初期の社会主義、共産主義思想を超出する独自の理論的構想の開拓が進展していないマルクス主義の理論的弱点を示す。このように反省すべきであろう。

 2 過渡期国家論の歪曲

 「社会主義国家」論は、国家論におけるスターリン主義の特徴的標識の1つである。「社会主義国家論、つまりプロレタリア・ディクタトゥール論はレーニン主義の中核をなすものである」(注26) 。こう、藤田は述べている。だが、それは、レーニン主義に名を借りたスターリン主義の主張である。

 ロシアで革命が勝利し過渡期の社会・国家の建設に踏みだしてから、レーニンは、当面する諸課題について明らかにするなかで、ソヴェト国家を呼び表わすのに、労働者国家のほかに社会主義国家の語をしばしば使用した(注27)。その社会主義国家の呼称は、しかし、彼が社会主義ソヴェト共和国という国名について明言(注28)したように、ソヴェト国家の社会主義国家へ向っての決意・志向性の表明であり、内外の大衆に呼びかける啓蒙的宣伝であって、その歴史的存在構造の性格規定ではなかった。1929年のスターリンも、そのレーニンにそっくりならった発言をしている(注29)。ソヴェト国家の存在性格についてレーニンに言わせるなら、周知のように、「官僚主義的に歪められている労働者国家」(注30)にほかならなかった。

 社会主義社会においては国家は消滅するというのが、マルクス、エンゲルスからレーニンにいたるまでの理論的大原則であったことは、繰り返すまでもない。従ってまた、プロレタリア革命によって樹立される労働者国家が存続する過渡期と社会主義社会との区別も−レーニン『国家と革命』第5章における理論的混乱はあったが−、彼らによる将来社会の構想の根本原則をかたちづくっていた。1924年に一国社会主義論を創唱して以来スターリン主義の展開の途上にあったスターリンも、1920年代には、次のようなことは再三にわたって確認していた。「社会主義とはなにか。社会主義とは、プロレタリアート独裁から国家のない社会へうつることである」(注31)。

 「社会主義国家」論は、ネップと共産党一党専制のソ連が1920年代末からの上からの革命によってスターリン主義体制に転換をとげた後、社会主義の完全な勝利の誇号とともに定式化された。スターリンは、1939年のソ連共産党第18回大会で、もはや搾取階級は根絶され、敵対的階級は存在せず、これ以上国家の必要はないはずなのに、なぜ国家は死滅しないのかという質問に答える形をとり、資本主義とブルジョア国家による包囲という国際的環境をあげて、社会主義国家の存続を正当化した。「いまや国内におけるわが国家の基本的任務は、平和的な、経済的・組織的活動と文化的・教育的活動ということである。わが軍隊、わが懲罰機関、わが諜報機関についていえば、それらは自己の鋭鋒を、すでに国内にではなく、国外に、すなわち外敵にむけかえている。知られるごとく、いまやわれわれは、歴史上かつて見なかったところの、その形態と機能とにおいて、第一段階の社会主義国家とは著しく相違する、ぜんぜん新しい社会主義国家をもっている」(注32)。

スターリンが新造した「社会主義国家」論とは、いったいなにか。

スターリンが、「10月革命以来、わが社会主義国家は、その発展において、二つの主要な段階を経過した」(注33)と回顧し、先の引用文では現下の国家を「第一段階の社会主義国家」の新しい、第二の段階として位置づけているように、「社会主義国家」とは労働者国家、プロレタリアート独裁国家の別名である。この点を、スターリン主義の代表的な政治学教科書は、以下のように明記している。「社会主義国家は、・・・プロレタリア国家としてのみ考えうる。その国家によって労働者階級は自己の独裁を実現する」(注34)。「労働者階級の独裁の国家とは、社会主義国家である」(注35)。それを踏襲して、藤田も言う。「社会主義国家の歴史的諸形態は、その『本質』において、プロレタリアのディクタトゥーラである」(注36)。

ところで、1918年のレーニン以来、国家の本質は独裁と規定されてきた。だとすると、プロレタリアート独裁という本質は通貫しているのだから、「社会主義国家」も過渡期の労働者国家の変形にすぎない。要するに、「社会主義国家」論は、過度期国家論のすりかえなのである。

藤田が言う「社会主義国家論、つまりプロレタリア・ディクタトゥーラ論」、これは「レーニン主義の中核をなすもの」ではない。レーニンにはそうした論は存在しない。それはまさしく、スターリン主義(国家論)の中核をなすものである。

 スターリンによる「社会主義国家」論の新造は、ソ連における社会主義建設の完成の宣言と一体でありその随伴物であった。しかしながら、スターリンが託宣した社会主義建設の完成は、果して事実か? スターリン主義体制は、社会主義体制なのか? この問題についての立入った検討は、藤田の「ソ連=初期社会主義」説を取り扱う次節に廻すが、スターリン主義体制はロシアにおける社会主義への過渡期の社会・国家の歪曲形態として位置づけられよう。そうした場合、スターリンの「社会主義国家」論は、過渡期国家の歪曲形態である官僚専制国家体制を擬制するイデオロギーとして捉え返される。

 プロレタリアート独裁を本質とする社会主義国家、こうした所見がスターリン主義理論にほかならないことを見届けたうえで、プロレタリアート独裁の問題に移ろう。

 「レーニンは、・・・マルクス主義の創始者たちのプロレタリア・ディクタトゥーラ論をマルクス主義国家論の新しい段階をきりひらいた」(注37)。藤田によるレーニンのプロレタリアート独裁論のこうした高い評価もまた、スターリン主義的通説の継承である。

 別著で詳論したように(注38)、レーニンのプロレタリアート独裁論は、既成観念にとらわれずに厳格に吟味すれば、全面的な批判的克服を必要とするものであった。ここでは、二つの論点に限って取りあげよう。

 一つは、1920年代のレーニンによるプロレタリアート独裁の多面的な任務と多様な形態の論述について、藤田も、通説どおり、それをレーニンのプロレタリアート独裁論の柔軟な発展的豊富化として解釈している。「彼は、ある場合には労働者階級の『組織性と規律』をプロレタリア独裁の主要な本質とし、またある場合にはそれを『階級同盟の特殊な形態』として規定するなど、多面的な把握を示している」(注39)。だがしかし、レーニンの説論が意味するのは、プロレタリア−ト独裁権力が社会の様々な領域に介入しそれを組織化する国家主導主義の方向づけであった。労働者階級の新しい組織性と規律の形成はもとより、階級同盟の構築も、本来、労働者階級の自主的で創造的な活動の展開にかかっているのであり、国家権力による上からの統導によって達成されるべきものではないし、またそれでは達成できないのである。この時期のレーニンは過渡期建設のおよそあらゆることをプロレタリアート独裁によって統括したが、それは、強力な国家による脆弱な社会の権力主義的編成の意向表明なのであった。

 いま一つは、プロレタリアート独裁と民主主義の関係について、レーニンは、ブルジョアジーにたいしては独裁、プロレタリアートおよび人民大衆にとっては民主主義というように、一体的両面として敵=外と、味方=内にふりわけた。そして、敵対階級にたいして一連の自由を剥奪し民主主義から除外することとともに、民主主義を味方階級内部でのそれ、階級内民主主義とすることを必然化した。これは、民主主義論に致命的な過誤をもたらした。支配階級のなかでのみおこなわれ被支配階級を排除した民主主義、階級内民主主義は、前近代の民主主義ではあっても、プルジョア民主主義あるいは自由民主主義の出現以降、近・現代的意味での民主主義ではないからである。レーニンのプロレタリア民主主義論およぴその具体化たるソヴェト民主主義論の非ないし反民主主義性という大問題が浮かびあがる。かかるレーニンのプロレタリアート独裁=民主主義論が長らく称讃され続けてきたのだが、藤田もそれへの追随に終始している。

 藤田は、「レーニンの後継者たちにみられるような、本質=形態直結型の発想によるロシア革命の経験の妥当な範囲をこえた一般化は、レーニンのきびしくいましめるところであった」(注40)と述べている。そうした相違が、レーニンとスターリンを含めた後継者たちとのあいだになかったわけではない。けれども、なにをもってロシア革命の経験の妥当な範囲内の一般化とするか、その理論的基準自体が問いなおされている。レーニンのプロレタリアート独裁論については、その妥当な範囲内の一般化だと、藤田は了解しているのだが、そうではない。ツァーリズム専制の長い伝統を背負い、政治的な自由、民主主義とは無縁であったロシアで、しかも一国的に孤立して歴史の厳酷な状況に抗しつつ遂行された革命の特異性が、レーニンのプロレタリアー卜独裁論には内深く刻みこまれていた。

 スターリンによると、「レーニン主義は帝国主義とプロレタリア革命の時代のマルクス主義である」(注41)。藤田もこの定義を受けいれている(注42)。更に、スターリンは説く。「レーニン主義の基本的問題、その出発点、その土台は、プロレタリアートの独裁の問題である」(注43)。レーニンのプロレタリアート独裁論の現代における一般化、普遍化は、スターリン(主義)理論の重要な構成要素をなすのである。

 (続く)

 <注>
1 藤田勇『社会主義社会論』東京大学出版会、Y頁。
2 藤田勇編『権威的秩序と国家』東京大学出版会、の藤田執筆論文の題名。
3 『社会主義社会論』43頁。
4 同、53頁。
5 藤田勇『社会主義における国家と民主主義』大月書店、219頁。
6 藤田勇『概説ソビエト法』東京大学出版会、35頁。
7 スターリン『ソ同盟における社会主義の経済的諸問題』国民文庫、23頁。スターリン主義の経済学教科書によると、「共産主義の第一段階では、社会主義的な社会的所有には二つの形態がある。すなわち(1)国家的所有の形態、(2)協同組合的 コルホーズ的所有の形態である」(ソ同盟科学院経済学研究所『経済学教科書』合同出版社、第3分冊、675頁)。「国家的所有は、社会主義社会で優勢な所有形態である」(同、679頁)。
8 『社会主義における国家と民主主義』219頁。
9 同、193頁。
10 さしあたり、拙稿「マルクスの過渡期社会像(1)」『季報・唯物論研究』47号を参照されたい。
11 エンゲルス『反デューリング論』『マルクス=エンゲルス全集』大月書店、20巷、137頁。
12 『社会主義における国家と民主主義』192頁。
13 『社会主義社会論』17頁。
14 マルクス『フランスにおける内乱』『全集』17巻、324頁。
15 藤田勇「ロシア革命と基本的人権」東京大学社会科学研究所編『基本的人権 3』東京大学出版会、315頁。
16 『社会主義社会論』89頁。
17 同。
18 同、117頁。
19 マルクス「国際労働者協会創立宣言」『全集』16巻、10貢。
20 『フランスにおける内乱』319−320頁。
21 『社会主義社会論』89頁。
22 レーニン『国家と革命』『レーニン全集』大月書店、25巷、511頁。
23 ソ同盟科学院経済学研究所『経済学教科書』合同出版杜、第3分冊、683頁。
24 『ソ同盟における社会主義の経済的諸問題』86−87頁。
25 『社会主義社会論』52頁。
26 『社会主義における国家と民主主義』43頁。
27 レーニン「ボリシェヴィキは国家権力を維持できるか」『全集』26巻、102頁。他にも26巻、245頁、350頁、27巻、257頁、345頁など。
28 レーニン 「『左翼的』児戯と小ブルジョア性とについて」『全集』27巻、337頁。また27巻、47頁。
29 スターリン 「クシュトィーセフへの回答」『全集』11巻、344頁。
30 レーニン「労働組合について、現在の情勢について、トロツキーの誤りについて」『全集』32巻、9頁。
31 スターリン「問と答」『全集』7巻、169頁。他に8巻、48頁。10巷、95頁、23頁。
32 スターリン「ソ同盟共産党中央委員会の活動に関する第18回党大会における報告演説」、同「レーニン主義の諸問題」真理社 731頁。
33 同、730頁。
34 ソ同盟科学アカデミー法研究所『国家と法の理論』厳松堂書店、下巻、7真。
35 同、18頁。
36 『社会主義における国家と民主主義』147頁。
37 同、43頁。
38 拙著『国家と民主主義』社会評論社、第2篇第2章。
39 『社会主義社会論』132頁。
40 同。
41 スターリン『レーニン主義の基礎について』『全集』6巻、86頁。
42 『社会主義における国家と民主主義』19頁。
43 スターリン『レーニン主義の諸問題によせて』『全集』8巻、31頁。

(大藪龍介)