「『現代の国家論』まえがき」
 1988年12月


 本書において企てるのは、20世紀現代におけるマルクス主義国家論の到達地平の要覧である。但し、検討の対象領域は、近代ブルジョア国家論を主軸にして、プルジョア国家の本質論的研究および帝国主義国家の発展段階論的研究に焦点を絞っている。現代国家の具体的現状の分析的研究に関しては、プロレタリア社会主義革命後の労働者国家に関する理論とともに、今後の検討課題としている。

 20世紀を迎えて、マルクス主義国家論をめぐる客観的ならびに主体的な問題状況は、どのようなものであったろうか。

 客観的な時代状況については、少なくとも次のような事相を閑却することはできない。

 理論史上の新たな局面として、世紀の転換と符節を合わせるように、マルクス主義への対抗の意味をこめ、その理論的空隙を衝く形で繰り広げられた新思潮のうねりがあった。それ自身二つの代表的潮流が挙げられる。1つは、19世紀末葉以来、主にドイツで、ディルタイの「精神科学」、新カント派の「文化科学」や「目的科学」など、近代を支配してきた自然科学的世界像の限界を超え出ようとして、価値や当為によって特質づけられる人間社会に関する科学の独自性を高調する思索が隆盛した。この思潮は、マルクスへの卓抜な対抗者にしてまたレーニンへのそれでもあるウェーバーにおいて頂点に達した。また一つには、20世紀に這入るとともに、アメリカ合衆国において、国家制度の静態的分析から政治過程の動態的記述へと論域を遷移させる、現代政治学の成立と展開があった。現代政治学は、国家についてはこれを所与のものとして不問に付す国家論なき政治学であったが、諸々の団体の噴出、世論、マス・コミュニケイションによる宣伝など、広汎にわたる政治的諸事象の描出において新たな理論展開を示していた。

 マルクス主義国家論は、こうした理論的新動向と触れあい、その挑戦に対して応戦し、もって意識ないしイデオロギーの能動的活動によって産出される世界の固有性を解明し、またブルジョア政党、圧力団体、マス・メディア、学校、等々にも考察を及ぼして、これまでの未墾の論圏を開拓することが必要であった。

 現実の歴史の展開の面でも、経済的な独占資本主義段階への移行に対応して、政治的に新しい藷様相が現出し国家も顕著な変貌をとげてきていた。今や独占ブルジョア階級のみならず、その支配下におかれたプロレタリア階級や中間諸階級も覚醒して、諸階級、諸階層がそれぞれの利益と要求を掲げ、諸団体を結成し、系列の政党を押し立てて、政治過程で鎬を削るとともに、他方では国家の経済過程への積極的干渉が著しく広がり強まり、下からも上からも全般的に政治化が進展した。また、軍事的、行政的機構の前代未聞の拡大強化、軍国主義の跋扈、官僚主義の蔓延、そして内閣=政府への政治権力の集中などに示されるように、国家が嘗ってなく巨大化した。世界の制覇を賭け、未開発諸民族の強盗的な略奪と抑圧を競いあう帝国主義語列強問の熾烈な角逐は、遂には世界大戦を捲き起し、政治的な反動と民主主義、戦争と革命の緊迫した対抗も極点に達した。全般的な政治化と国家化の進捗につれて、経済ないし社会と政治ないし国家、経済的土台と政治的上部構造の相互関係にも、明らかな変動が生じていた。

 こうした新時代の政治的な諸特徴を、レーニン『帝国主義論』が独占資本主義に関しておこなったごとく、分析し理論的に明らかにすることが、マルクス主義国家論には必須的に要請されていた。

 如上の客観的な現況によって促されていた切実緊急な課題の他に、マルクス主義国家論は自らの内部に特別の事情を抱えていた。マルクスが長年にわたる理論的研鑽に基づく学問的金字塔として『資本論』を打ち立てた経済学の場合とは異なって、マルクスによってもエンゲルスによっても確乎不抜の国家論は形成されなかったということが、それである。すでに再三論じてきたように、マルクスにとり、資本主義の経済的構造を本質論的に解剖した『資本論』に続けて、ブルジョア国家に関する本質的理論を創出することは、為すべくして為しえなかった理論的課題であった。代ってエンゲルスが国家について著述したが、その後期エンゲルスの国家論は、方法的にも内容的にも重大な難点に満ちていた。空想より科学への社会主義の発展としてマルクス主義を位置づけたのほエンゲルスであったが、その後期エンゲルスの広く知られた国家論作は科学への発展を成しとげるにいたらなかったのであった。20世紀のマルクス主義国家論は、主体的な状況として、後期エンゲルスが遺したそれを超え、科学的理論として自己確立しなければならないという課題をも、独自に背負っていた。

 一方で新たな時代への突入によって不可避的に要求される国家論の発展的な具体的展開、他方で課せられている、いっさいの国家論研究の依拠すべき基準ともなる近代ブルジョア国家本質論の科学的形成という、共に欠くことのできない課題に、レーニンからパシュカーニス、グラムシ、そして今日の西欧マルクス主義者までの、20世紀のマルクス主義国家論を代表する最良の論者達は、どのように取り組み、答えていったか? その追跡と批判的論評が、本書の中心的主題である。これについては本文での詳述に委ねて、重複した説明は避けたい。ただ、レーニン国家論から国家論ルネサンス≠ワでのいずれに対しても、しばしば見うけられる乱雑な批判も安易な便乗も排し、内在的理解による成果と欠陥の究明に極力心懸けたことを記しておくにとどめる。

 ここでは、右の双方の課題を果すことにどの論者も確かな成功を収めなかったという、20世紀マルクス主義国家論の総体的な不振をもたらした重要な内部事情について、結論先取り的に言及しておきたい。

 レーニンはマルクス主義理論をなにか完成された、不可侵のものとしては決して捉えなかった。反対に、科学の要石をおいたにすぎず、あらゆる方向に前進させねばならない「発展の理論(『国家と革命』、『レーニン全集』、第25巻、495頁)として理解した。しかし、レーニンの国家論は、体系的全体性においては20世紀マルクス主義国家論のなかでも最も卓越しているにもかかわらず、「発展の理論」としては根本的な限界を有した。その主要な原因の一つは、彼が後期エンゲルス国家論の正当性を全面的に信じて疑わず、それに悉く立脚したことにあった。19世紀末以降、第二インターナショナルをつうじてマルクス主義国家論として伝承されたのはなによりも後期エンゲルスの国家論であったが、レーニンもそれを継受して、国家論の発展的展開を追求したのであった。

 その後、パシュカーニス『法の一般理論とマルクス主義』とグラムシ国家論とは、それぞれ独自に、レーニン主義を継ぎながら後期エンゲルス国家論とは別異の方向をとって、新たな理論領域を開発し、マルクス主義国家論の発展の多様な可能性を現実化した。けれども、その研究成果が局所的であったうえに、程なくしてスターリン主義の君臨につれて、あるいは断罪され、あるいは無視されてしまい、共に散逸させられてしまう悲劇的な道を歩んだ。

 1930年代以降、マルクス主義国家論は、スターリンとその亜流のもとで批判性、創造性を喪失して、単純化と低俗化を極めていったが、しかし、その理論的頽落は、『家族、私有財産および国家の起源』を代表作とする後期エンゲルス国家論の教典化によって正当化されていた。

 レーニンの時代からスターリン主義の全一支配の時代へかけて、極く一部の批判的理論を例外として、総じてマルクス主義国家論研究は、とりわけ後期エンゲルス国家論をもって理論的に確立済みであるとする錯認のうえに繰り広げられ織りなされた。科学的な国家論を後期エンゲルス国家論の水準を突破して建設するという、20世紀マルクス主義に背負わされていた課題はいささかも自覚されなかったし、追求されるはずもなかった。

 スターリン主義の信仰が崩壊するにつれ、理論的反省の徐々たる深化をつうじて、マルクス主義国家論にまつわる錯認が破れたのは、漸く最近にいたってである。そこから、マルクス主義国家論の根底的再生、創造的再構築のための現今の苦心惨憺的諸試行が、西欧諸国でも日本でも生まれ成長してきた。だが、当今の″国家論ルネサンス″も、一世紀に及ぶ伝統の桎梏から解き放たれるのに精一杯であり、新たな理論的創造に到達するには決定的に力量不足である。

 創始者達の古典的著論を含め、マルクス主義の理論的達成の限界は、今日、他ならぬ国家の問題において鮮列に露呈している。20世紀現代における代表的な諸業績の討究を踏まえ、いっさいの解釈主義的思考から訣別して後期エンゲルス国家論をのりこえた国家論の創造的な建設へ、というマルクス主義国家論研究のコペルニクス的転回を、改めて提唱せざるをえない。

 レーニン国家論から国家論ルネサンス″にいたる諸理論の批評の基準をなす幾つかの論項、後期エンゲルス国家論の基本的問題点、国家の起源、政治的イデオロギー、国家のイデオロギー的性格、政党と国家、国家権力機構における内閣=政府の優越の法則的傾向、等については、別著『近代国家の起源と構造』において積極的な解明をおこなっている。この前著をあわせて読んでいただければ幸いである。なお、国家論の呼称について説明しておくと、狭く国家、それも国家機構だけではなくて、広く政治の世界を国家論は対象としている。マルクス主義では、資本主義の経済的構造の理論的解剖を、資本主義経済のいっさいを支配する経済力である資本に即位して『資本論』と表題したように、本来、国家を中軸とするブルジョア的な政治的構造全体の理論的解剖をもって、国家論と称するのである。

 スターリン批判とハンガリー革命が勃発した年の翌年に大学に入学して初めてマルクス主義に接し、真実のマルクス主義を新たに興して、現代世界の変革の戦列に加わろうとの志を抱いてから、およそ30年の歳月が経過した。だが、実践運動で挫折し、この20年近くは、マルクス主義の革命的再生の重要な理論的環節である国家論の創造的構築を目指して研究生活を送ってきた。それだけに、この期間の日本の社会と国家の凄まじい変貌にも、「社会主義」諸国でますます顕出した否定的諸相にも、ひとしお感慨深いものがある。

 1984年以来、住みなれた福岡を離れて富山大学に勤務することになった。本書は、『富山大学教養部紀要』第17巻1号から第21巻2号まで、5年間10回にわたって発表した論文を基礎にして成っている。一冊の書物にまとめるにあたり、かなりの削除をおこない、一部加筆した。

 世界書院には、本書の公刊に際し、誠に心暖かい配慮をいただいた。記して、厚くお礼を申しあげる。

 講壇マルクス主義の悪習に染まりこまないように厳しく自戒しつつ、「発展の理論」としてのマルクス主義の創造性を蘇らせる一助たるべく、批判的精神を発揮した国家論の研究にひたすら邁進したい。

 1988年12月

 大藪龍介