「グラムシの国家論をめぐって」
 水田洋 他編『グラムシの思想空間』、文流 1992年11月


「統合的国家」のテーゼ

 20世紀マルクス主義国家論の総体的不振のなかにあって、グラムシ国家論は光彩を放っている。レーニン国家論への批判が一段と強まるのとは対照的に、その輝きは弥増すにちがいない。

 グラムシ国家論の最大の功績は、「プロレタリアートのヘゲモニーの問題」をブルジョア国家の分析へ転位させて、ブルジョア階級がその道徳的、政治的、文化的な価値を承認させ受容させて被支配諸階級の同意を組織化する「ヘゲモニー」、ならびに政党、新聞・雑誌、組合、教会、学校等、市民社会にくまなく分節している「ヘゲモニー機構」を論定したことにある。これにより、政治支配構造を国家に狭隘化し、国家を暴力的抑圧機構に単純化しがちであった定説をこえて、経済構造と国家のあいだに介在する政治的支配の極めて重要な部面を鮮やかに浮上させ、マルクス主義国家論の新しい境位を開いた。

 わが国での先進的なグラムシ研究から幾周もおくれて、わたしは最近やっとグラムシ理論に一とおり目を通したにすぎない。わたしなりのグラムシ国家論考については、拙著『現代の国家論』(世界書院)「第5章 グラムシ国家論」の参照を願い、ここでは、『獄中ノート』における国家概念の拡張、「広い意味」あるいは「統合的意味」での国家のテーゼに関して、通説的解釈にたいする批判を記したい。

 「国家イコール政治社会プラス市民社会、すなわち、強制の鎧をつけたヘゲモニー」、「独裁プラスヘゲモニーという意味での国家」、「『国家』という言葉は、統治機構のほかに、『ヘゲモニー』をもつ『私的』機構をも表現する」等々、グラムシが国家機構に「ヘゲモニー機構」を合体させて組みあげた、統合的と形容される国家のテーゼは、イタリア本国での研究の当初から、ブルジョア国家の一般的定式として受けとられてきたようである。当然にそこでは、拡張された国家に組み入れられた市民社会の問題をめぐって特に、概念詮索と解釈の紛糾が避けられなかった。グラムシ国家論研究の一到達と目されているCh・ビュシ=グリュックスマン『グラムシと国家論』は、グラムシのテーゼをすぐれて現代国家に関する定式として扱い、更にはそれをこえてブルジョア国家に汎通しうると解釈している。

 果たして、そうであろうか。グラムシの統合的国家のテーゼをブルジョア国家の一般的定式と解するのはもとより、現代国家の歴史的特性を表わす定式と解するのも、グラムシから遊離するとともに当の対象的事象を掴みそこなった空論のように思われる。

イタリア・ファシズム国家の分析

 『獄中ノート』のグラムシが政治理論上追求した直接的にして最も基本的な課題は、戦争とファシズムの時代のイタリアの国家の分析であり革命路線の探索であった。彼が定立したいかなる命題も、イタリアの特殊的、個別的現実に深く根ざし、その具体的状況の重みを背負っていた。それに随伴して、彼は、戦後革命や大恐慌の危機をのりきった西ヨーロッパとアメリカの帝国主義諸国の防禦体制の強固さの謎をとくことに、考察を及ぼした。更には、幾つかの重要事項に関して一般的、抽象的な研究を深め、近・現代に通底する本質的な構造を解明した。「ヘゲモニー」論や政党論は、かかる理論的な二重ないし三重構造性を端的に示しており、イタリアの具体的現状から出立しつつ一般的、抽象的な考究にまで達した成果であった。それにたいし、統合的国家のテーゼは、ファシズム期イタリアの現実を超出した定式ではなかったと受けとめられるのである。

 『獄中ノート』には、市民社会(「ヘゲモニー」をもつ民間の諸機構)と政治社会(国家機構)の関係について、(1)「区別」、(2)「均衡」あるいは「統合」の相異なった位相での論述が見いだされる。グラムシが関心を集中したのは、帝国主義現代に顕然と現れて出ている社会と国家の相互関係の変化、分離型から絡みあい型へ、支配・従属型から相互補強型への推転であった。「均衡」や「統合」は、その今日的な再編動向を捉えたものであり、近・現代に通貫する一般的、抽象的規定ではなかった。

 それに、ブルジョア国家の一般的な定式として民間の機構である「ヘゲモニー機構」を国家のなかに繰りこむのは、理論的逸脱であり、国家概念の誤れる拡張である。グラムシが重要視しているのが狭い意味での国家(国家機構)よりも市民社会(「ヘゲモニー機構」)であることを考えればますますもってそうである。

 では、統合的国家のテーゼは、帝国主義時代の国家の歴史的特性を表わすのだろうか。

 20世紀世界を支配するにいたるアメリカニズムへの逸早い注目は、グラムシの歴史認識の卓抜姓の一証左であった。彼は、帝国主義的西方世界の諸国家を「中枢」群と「周辺」群に類別し、アメリカ合衆国を「中枢」型のモデルに定めて、「周辺」型のモデルであるイタリアと対質した。

 アメリカ合衆国では、深刻な経済危機に襲われても、国家が柔軟な反発力を発揚し経済過程への介入を一段と強めて政策的に景気調整にのりだすことで、危機の緩和と吸収に努める。ブルジョア階級はフォーディズムによる生産と消費の部面での決定的な支配力に基づいて、労働者大衆を統御し「ヘゲモニー」に順応させる。国家による規制がとみに強まっても、政治的には多元的であり、国家は介添え役にとどまる。対比的にイタリアでは、経済的、社会的危機に直面して、ブルジョア階級は「ヘゲモニーの危機」に陥り、国家も無力化した。その限界的状況で、市民社会に潜在していたファシズムがまたたく間に躍進し、新たな「ヘゲモニー」を打ちたて、国家を建て直した。更にファシストの党と政府は、国家による社会の全面的統合を推し進める。ファシズムの支配下で、市民社会と国家の新しい関係は極点に達する。ここでは、あらゆる領域が国家化され、政治的に一枚岩化し、国家が主役を演じる。

 統合的国家のテーゼはアメリカ・モデルに適合しないし、フォーディズムと統合的国家とは相容れない。そのことを、グラムシははっきり語っている。「アメリカ化は一定の環境、一定の社会構造、およびある種の型の国家を必要とする。国家は、自由な国家、それ自体が”市民社会”としてそれ自体の歴史的発展によって工業集中と独占体制に到達する自由な起業心と経済的個人主義という最も基本的な意味で、自由な国家である」。

 思想史的には、グラムシが援用したヘーゲル『法の哲学』とのつながりがもっぱら議論されてきた。しかしながら、市民社会と政治社会、ヘゲモニーと独裁の区別・連関は、ファシズムの代表的イデオローグ、ジェンティーレの新ヘーゲル主義的な国家至上主義思想、それにたいするイタリア思想界の大立物であるクローチェの自由主義的な政治哲学からする批判にまつわる論点でもあった。そうしたファシズム・イタリアの思想状況へのグラムシの態度表明として、上来のテーゼが成立している面にも、もっと注意をむける必要があろう。

 統合的国家のテーゼは、古典的な帝国主義の時代は別にして、大恐慌以後更に顕著な変化をとげた時代の現代国家、介入主義国家には通用するという見解も唱えられよう。だが、このテーゼが示しているような国家化の極限化傾向、国家が市民社会を包絡する関係は、大恐慌以降の現代においても、市民社会と国家の適正な関係ではありえない。国家主義化の無理、国家化が臨界点に達した「歴史的ブロック」の脆さは、ファシズム体制の瓦解、更に東欧、ソ連のスターリン主義体制の崩壊の歴史的事実によって見事に証明されている。グラムシは統合的国家の定式において、そうした過度の国家化、国家の全体化が国家の破滅につうじることを、少なくともファシズムに関しては、察知していたのであった。

 現代的な社会と国家の絡みあいにも、振幅がある。統合的国家のテーゼが表わすのは、一方の極である。他方、フォーディズム、大衆民主主義と結びあうニュー・ディール国家の場合には、市民社会は頑強な構造を保っており、国家による介入、国家化は適正な範囲内にある。それは、先の引用文中では、「自由な国家」である。大恐慌以来の、アメリカをモデルとした現代国家の定式は、新規に編みだされなければならない。統合的国家のテーゼを現代国家の定式として用いる場合、アメリカニズムの国家(主義)化の限度を見失い、ひいてはその「歴史的ブロック」がなお秘めている強靭さを過小評価することになるだろう。

グラムシの国家論と現代

 統合的国家のプロブレマティクは、あくまでもファシズムの権力主義的支配が確立したイタリアの現実に迫るものであった。こう主張するには、このテーゼが『獄中ノート』の執筆過程でどのような地歩を占めているかについての文献公証による裏づけを必要とする。だがそれには手が届かないので如上の読み方は目下のところのそれである。

 ところで、グリュックスマン『グラムシと国家』は、統合的国家のテーゼを更にプロレタリア革命後の過渡期国家の定式に見立てている。強力なプロレタリアート独裁権力が前衛党に統導され諸々の大衆組織を伝導ベルトとして脆弱な新社会を組織化したソヴェト・ロシア建設路線を定式化したレーニン、スターリンの「プロレタリアート独裁の体系」、これと統合的国家を肯定的に重ねあわせにしているのである。グラムシは、ロシアでの社会主義建設について楽観的展望を免れなかったが、彼のファシズム・イタリアの国家主義への批判を含意するテーゼを、ソヴェト・ロシアの国家主義の追認を意味する過渡期国家の範式へ転用するのは、論外であろう。それとも、グラムシ自身が、「国家イコール政治社会プラス市民社会」などのテーゼで過渡期国家をも構想したのであろうか。そうであれば、グラムシも歴史的に共有した大きな弱点として批判さるべきなのだ。

 グラムシは、西方世界でのマルクス主義の行き詰まりに活路を開こうと図った最初のマルクス主義者であった。今日われわれは、それとは比べようもないほど深刻なマルクス主義そのものの危機に見舞われている。今ほど、革命的な創造が痛切に求められているときはない。グラムシは、戦争、ロシア革命、ファシズム、大恐慌と激しくかつ大きく揺れ動いた歴史の只中に身をおいて、マルクスやレーニンの心髄を大胆に読みとり新しい時代に適応させて、マルクス主義の展開に独創的な寄与を果した。グラムシの時代をうわまわる歴史の変動に当面しているわれわれのグラムシ研究に要請されているのも、グラムシ理論に内在しながらもそれを発展的に組み替えてマルクス主義の革命の貴重な要素として生かすことである。

(大藪 龍介)