「21世紀初めのマルクス理論研究」
 『季報 唯物論研究』 季報『唯物論研究』刊行会 第92号、2005年5月


 20世紀の歴史がマルクス主義の興隆とともに新時代を開いていったとすれば、21世紀はマルクス主義の凋落を伴いながら幕開けしました。

 かつては1917年のロシア革命が20世紀最大の事件として挙げられることが多かったわけですが、1991年のソ連の崩壊はそれに勝るとも劣らない巨大な出来事でした。その成立によって資本主義体制の社会主義体制への世界史的移行の時代の始発を劃したと位置づけされていたソ連の体制が、挑戦と破綻を重ねた末に倒壊するにいたったのは、資本主義世界における情報革命やグローバリゼーションの変動の波及もさることながら、一党支配制をとりあらゆる面で限度を越えて国家主義化し全体主義化して、ついには行き詰まり身動き取れなくなった体制の内部構造的欠陥を主因としていました。

 ロシアに似たような近代的発展の後進国であったわが国では、体制批判の左翼勢力のなかでソヴェト・マルクス主義が圧倒的な影響力を揮ってきました。その反動として、ソ連の体制倒壊の衝撃、ならびに時を同じくして始まったわが国戦後体制の新保守主義的、新自由主義的改編の攻勢のなかで、マルクス主義の衰退は決定的に進行し、今や体制批判勢力もかつてなかった危機的状況に追いこまれています。
 マルクス主義的左翼勢力は、ソ連を社会主義として讃えたりスターリン主義ないしレーニン主義を信奉したりしてきた永年のツケを、当然にも支払わされているのでしょう。

 こうした時流は、今後もなお続くと見込まれます。近隣の北朝鮮において社会主義を名乗る金正日体制―スターリン主義の亜流体制―の存在が及ぼすマイナス影響一つをとってみても、そうです。

 それに、マルクスの思想・理論が、当時の資本主義の最先進国で本拠地であったイギリスでほとんど影響を揮うことができなかったことは、21世紀におけるマルクス理論の未来を暗示しているように思われます。

 1989−91年の東欧・ソ連革命は、ソヴェト・マルクス主義が主流をなした20世紀マルクス主義の破産を宣告し、まさしくマルクス主義に対して自らの革命を迫るものでした。
 21世紀のマルクス理論研究は、大変な難境のなかで、新たなマルクス像を求めての再出発の途上にあると言えるでしょう。ただ、そのマルクス理論研究も、前進するためには、なお暫く、20世紀マルクス主義の負の遺産を振り払うのに、多くの力を費やさざるをえないでしょう。

 しかも、マルクスは過去の世紀に属しながら20世紀の歴史に大きな影響を及ぼした稀有の思想・理論家であったとはいえ、21世紀を迎えて、真のマルクスの発見によって直面する難題に応えうるような地点を、歴史はすでに通り越しているでしょう。

 それでも、資本主義システムに不可避的な貧富の甚だしい懸隔、弱肉強食の跋扈、労働者大衆の失業や生活苦、万物の商品化、社会的退廃、政治的抑圧、(局地的)戦争、民族的・人種的差別や性差別、環境破壊の深刻化、等々に反対して、いたるところで変革への志向と闘争が止むことはありえないし、支配=従属諸関係の是正、あらゆる面での解放への希求と運動が不断に湧き起こるのは必至です。 

 マルクスの思想・理論は批判性と変革性を優れた特質として備えていました。その批判理論と変革理論としての性格を受け継ごうとするのであれば、通例の思想史的、学説史的研究の存在価値を認めつつもそこにとどまることなく、その思想・理論を今日の資本主義世界の現実のなかで生かし発展的に展開することが問われます。しかし、そのためには、マルクスに徹底的に内在しながらもそれを超え出るような論理、問題設定が欠かせないのです。

 自らを省みると、この10年来、『国家と民主主義』(1993年)、『マルクス社会主義像の転換』(1996年)、『マルクス派の革命論・再読』(2002年)、それに数冊の共編著で、国家論、民主主義論、革命論、社会主義論に関して、後期エンゲルスからソヴェト・マルクス主義へと伝承されてきた通俗的マルクス主義の定説を批判するとともに、マルクスの達成の意義と限界を明らかにして、マルクス主義理論の内部革命、あるいはパラダイム転換を標榜してきました。しかしながら、それらは全体として、解釈論の枠内での新説の提起でした。解釈論の限界を突破できない非力さを痛感します。

 これからのマルクス理論研究に求められるのは、その再構築reconstructionというより脱構築deconstructionではないでしょうか。そのことを、基軸概念の一つ、「市民社会」をめぐって述べてみます。

 周知のように、マルクスの「市民社会」論は、多義的で多層的でした。彼は、「市民社会」の語を、概ね、三通りの意味で用いました。
 @、「資本がいっさいを支配する市民社会」(『経済学批判要綱』)のように、ブルジョア社会、あるいは資本主義社会として。すなわち、近代ブルジョア社会としての「市民社会」。
 A、「市民社会は、生産緒力の一定の発展段階の内部での、諸個人の物質的交通の全体を包括する」(『ドイツ・イデオロギー』)のごとく、古代から現代にいたる、すべての歴史的諸時代に存在する経済社会として。すなわち、経済社会としての「市民社会」。
 初期から中期にかけてのマルクスは、ヘーゲル法哲学から継承した「市民社会」概念を、とりわけ@として、近代の政治的国家と対比しながら、汎用しました。そして、これらの用法は、唯物史観の公式での土台・上部構造論と結び合って、広く知られ定着してきました。

 しかし、それらに加えて、いま一つの「市民社会」の語の用い方が稀少であれ存在したことが、掘り起こされ次第に注目を集めてきました。
 B、二、三の機会(アネンコフへの手紙、『哲学の貧困』や「『フランスの内乱』草稿」)に、「市民社会société civile、civil society」と「ブルジョア社会société bourgeoise、bourgeoi society」とを使い分けているように、「ブルジョア社会」とは区別した「市民社会」として。すなわち、市民社会としての「市民社会」。

 これらの用法は、マルクスが、「市民社会」概念を、基本的に、近代的発展が進行したイギリスやフランスではすでに区別されていた「ブルジョアbourgeois」と「市民citizen,citoyen」を、いずれも「Bürger」として表現した後進国ドイツにあって、「ブルジョア社会」も「市民社会」も「bürgerliche Gesellshaft」として概念化し論じたへーゲルの影響下で展開したことを示します。
 そして、ドイツよりも更に後進的な日本のマルクス主義において、かかる「市民社会」概念の用い方はそのまま踏襲され,「bürgerliche Gesellshaft」は「市民社会」=「ブルジョア社会」を意味させられて、様々の語義解釈や議論を生んできました。

 しかし、資本主義の発達につれて、資本主義経済構造をとってブルジョア階級が労働者階級を支配する社会は、その多層的存立構造の表層に、人々が自由で平等な市民としてとりむすぶ社会を分出するのであり、ヘーゲル=マルクス的な「市民社会」概念の用法の歴史的現実への不適応性は、益々明瞭となってきたのです。
 ドイツ、日本を含めて、今日の先進資本主義諸国の歴史と現実に照らすならば、マルクスの「市民社会」概念の用法―直接的には上記の@,A―は、不適切と言わざるをえません。ブルジョア階級と労働者階級が主軸となって支配・被支配関係を構成しているブルジョア社会あるいは資本主義社会と、それを基層とした表層として、階級の違いにかかわらず自由、平等の同権的な市民が構成する市民社会とは、存在の領域と構造において違っているわけですし、概念としてもはっきり区別される必要があります。

 近年になって、J・ハーバーマスが、従来の「bürgerliche Gesellshaft」と異なる概念「Zivilgesellshaft」を新たに提唱して、「ブルジョア社会」と「市民社会」の区別を明確化した(「『公共性の構造転換』第2版の序文」1990年)のは、まさに当を得ていました。

 マルクスの「市民社会」概念は、基本的な上記@、Aの用法についてはこれを放棄し、Bの用法を継承して、脱構築すべきでしょう。それによって、「市民社会」概念は、近代始期のイギリスでJ・ロックなどによって政治社会と同義的に用いられたそれへ復位し、あらためてマルクス的な考察の固有の対象となります。

 こうした脱構築による「市民社会」と「ブルジョア社会」の明別によって、従来のようなブルジョア社会もしくは資本主義社会と市民社会との二重写しや相互浸透、等置や対置、あるいはまた「市民社会」の規範化などによる理論的な混乱―一方で、資本主義社会における資本家の労働者に対する階級的支配や貧富の両極的分裂を、市民社会における自由・平等な関係を強調することによって曖昧にする、他方では、その逆に、市民社会における自由・平等を、資本主義社会における階級的支配=従属関係や貧富の対立を強調することによってなおざりにする―を避けたり解決したりすることができるでしょう。

 それとともに、マルクスが未展開に終わった市民社会論の開拓―別言すると、唯物史観の公式で言う「社会的sozial」な領域の解明の乏しさの克服―が、重要な課題として浮上します。
 そして、市民社会論の本格的な展開は、一方で、市民社会の上層部に位置して連接し交叉する政治社会に関する研究につながり、国家論研究にも広がりを与えるでしょう。他方では、アソシエーション論とも重なり合い、市民的公共性などの問題を介して、21世紀的な変革論としてのアソシエーション革命論を基礎づけることになるでしょう。

 いま一つ、やはり基軸的な概念である「プロレタリアート独裁」について触れます。
 「プロレタリアート独裁」について、マルクスがこれを社会主義への移行期において必然的で不可避的なものとしたのは、過誤であること、高次民主主義革命としての性格をもつ移行過程において、場合によってはやむをえず一時的に必要となるかもしれないものとして位置づけるべきであったことを、拙著で再三論じてきました
 「プロレタリア−ト独裁」概念は、再構築のしようがなく、私自身実質的にそうしてきたように、脱構築するしかありません。

 ところが、マルクス(主義)思想・理論について柔軟に思考している論者のなかでも、通俗的な「プロレタリアート独裁=プロレタリア民主主義」説が復唱され続けている事例が少なくありません。旧来のドグマからの解放さえ、当分は捗々しく進まないことを予示している証例のように思えます。

 21世紀をつうじてマルクス理論研究がどのような行程を辿り進むか、見当がつきません。

 ここでは、研究の担い手の変化に止目してみます。
 マルクス主義の歴史的伝統がそうであったように、わが国でも、戦後マルクス主義がもてはやされ流行った時代には、共産党、更には新左翼諸党派など、いわゆる革命政党の指導者達が思想・理論面でも、指導的な役割を担いました。また、大学では多かれ少なかれスターリン主義的色合いの多数の教授達が握った講座制のもとで、マルクス(主義)研究者が拡大再生産されました。ところが、今では、革命政党は見る影もないし、大学でのマルクス(主義)研究者の育成も立ち行かなくなっています。
 実践運動家についてと同じように、マルクス理論研究者の世代的な断層が生じることは避けられません。

 そうしたなか、現在の中心は、68年革命世代または全共闘世代以降の研究者に移ってきています。しかし、その研究者のほとんどが、自己形成した時代の有力な思潮の影響を脱しきれず、後期エンゲルス理論からソヴェト・マルクス主義へと流れてきた通俗的理論を、程度の差こそあれ依然として襲用しています。率直に言って、この世代にもマルクス(主義)理論のラデイカルな変革は期待できないでしょう。

 21世紀の歴史の進展如何にもかかるのですが、この間出立した新たなマルクス理論研究の行方は幾世代か後の世代にまかせよう、というほかありません。

(大藪 龍介)