「書評 神山茂夫『天皇制に関する理論的諸問題』」 |
『社会主義理論学会会報』第54号 2004年3月 |
日本のマルクス主義も20世紀世界のマルクス主義と同様に激しい変転を重ねてきたから、本書の著者神山茂夫についての印象も、世代的体験によって大いに異なるにちがいない。ソ連「社会主義」にも日本共産党にもはじめから徹底して否定的な立場をとって思想形成した私などの記憶に残っているのは、1968年、自由化を求めたチェコスロバキアの闘い、「プラハの春」を押しつぶすソ連の軍事的侵攻を援護、して雑誌『世界』に「それでも共産主義は前進する―チエコ事件の反ソ反共宣伝に抗して」を投稿した、最晩年の神山であり、その度しがたいソ連スターリン主義への盲従であった。 ところが、古い世代のマルクス主義者のなかでは神山とその理論は名高いし、大変高く評価する向きもある。今回、こぶし書房からこぶし文庫の1冊として再刊されたのも、そうした動向にそうものであろう。 では、神山理論とは、どういうものなのか。
本書は、次のような章別構成をなしている。「第一章 日本帝国主義と戦争」、「第二章 社会経済的構成と経済制度」、「第三章 国家理論の中心点」、「第四章 絶対君主制の歴史的意義と特質」、「第五章 絶対君主制とボナパルチズム」、「第六章 絶対君主制とファシズム」、「第七章 日本における絶対君主制の誕生と確立、並びにその本質と役割」、「第八章 天皇制の発展とその諸問題」、「第九章 戦略問題における三二年テーゼの歴史的地位と役割」、「第十章 日本における人民革命の世界史的意義」、「第十一章 結論にかえて」。 全体は大きく2部に、第二章〜第七章の国家理論の部と、第一章・第七章〜第十一章の近現代日本国家論の部とに分けられよう。双方は、前者は後者が則る理論的規準の提示であり、後者は前者の具体的適用として展開されるという関係にある。前者の部に関して、国家とは何かの核心的規定、絶対君主制とボナパルテイズムならびにファシズムの区別いかん、後者の部に関して、日本帝国主義と戦争の問題、天皇制絶対主義論、「軍事的・封建的帝国主義」論、それに天皇制打倒の戦略という、それぞれに本書の基柱をなす六つの論題を検討に付そう。 国家とは何か。神山が「マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンの全国家理論の核心」(28頁)として随所で力説するのは、「国家=暴力装置」論である。例えば、「重要な点は、国家権力は一つの武装した人間の特殊な組織であり機構であること、近代的国家では、それはすなわち、軍隊、警察、官僚を意味すること、これである」(152頁)。それでは、近代国家について、議会や憲法などをどう位置づけるか。「最も重大な点は、国家が直接の暴力の組織であるということだ。憲法その他の法律的・制度的なものは、この独裁権力の形式である」(28頁)。
続いて、具体的な歴史的国家論として、絶対君主制、またボナパルテイズム、ファシズムについては、どのように捉えているか。 「国家論一般と絶対主義的君主制に関するマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの全教訓」(51頁)の要約として、神山は、「一般に国家は階級関係の所産であり、支配階級の被支配階級抑圧の道具であるが、ブルジョア地主階級の均衡の上に立つ絶対君主制はその『例外』と見えること」(同)、「国家は生まれるや否や一定の独立性を持つが、絶対君主制の場合は更に支配階級に対してさえ独立性と独自性を持つこと」(52頁)、その他の、絶対君主制の特徴的性質を明らかにしている。
絶対君主制論自体も的外れであるが、ボナパルテイズム論に移ると、ボナパルテイズム国家についてまったく何も解明しえていない。絶対君主制とボナパルテイズムについて、「権力が官僚特に軍閥の手中にあるという共通点をもつ」(57頁)、「その根本条件をなすところの階級関係の組み合わせが異なっている。ここに根本的差異がある」(同)とするにすぎない。ボナパルテイズムについても理解を欠き、絶対君主制国家とボナパルテイズム国家の相違に関しては、それらの階級的基礎に言及するのみで、不分明のままに残している。 ファシズム論では、この当時のコミンテルンの定説にならい、「ファシズムの本質は‥‥金融資本の最も帝国主義的な要素の赤裸々なテロリズム独裁である」(68頁)と規定して、その見地からファシズムの諸特質を説き、絶対君主制とファシズムの「根本的差異点並びに外見的類似点」(70頁)を明らかにしている。ファシズム論上の限界はともかくとして、主に経済的、社会的基礎の面から、絶対君主制とファシズムとの相違は説明されている。 絶対君主制とボナパルテイズムとファシズム、これらの相違の理論的解明は、明治維新以来の天皇制国家の歴史的性格の分析にとって欠かせない前提的要件であり、極めて論争的なテーマでもある。神山のこの作業への取り組みは、しかし、不成功に終っている。その主たる原因は、神山の追及方法が、現実的対象の歴史的編成構造の分析的研究に踏み込むことなく、いわゆる「32年テーゼ」を絶対視しつつ、エンゲルス、レーニン、スターリンなどの言説の概念解釈的構成に終始していることにあろう。 近現代日本国家論に進もう。 天皇制絶対主義論から入るのが好便である。「32年テーゼはいう― 『日本において1868年以後成立した絶対君主制は、その政策は幾多の変化を見たにもかかわらず、無制限絶対の権力をその掌中に維持し、勤労階級に対する抑圧、及び専制支配のための官僚機構を間断なく作り上げた』と」(86頁)。「32年テーゼはいう― 『日本の天皇制は、その独自の、相対的に大なる役割と、似而非立憲的形態で軽く粉飾されているに過ぎないその絶対的性質とを保持している』と」(88頁)。これら以外にも数多の引用がなされているように、神山は、「32年テーゼ」を金科玉条とし、それを解釈的に敷衍して、明治維新により成立した天皇制絶対主義が1930年代末の現在も続いていると主張する。
コミンテルンは、当時急進中のファシズムについて、過小評価や「社会ファシズム」論の誤りを犯していて、日本でも始まっているファシズムか化の危機を等閑視している。そして、決定的なことに、1931年の満州事変による日本帝国主義の侵略の開始、軍部の政治的進出の公然化という新たな事態を、現代的専制であるファシズムの勃興ではなく、前近代的専制である絶対主義の存続によるものと錯認したのである。
「日本も、欽定憲法制定によって、天皇制の特質が絶対主義からボナパルチズムに移行しはじめたとするような見解は誤っている」(99頁)。こう、神山は、大日本帝国憲法制定・帝国議会開設を機とした上からのブルジョア革命による絶対主義のボナパルテイズムへの移行開始という、服部之総『明治維新史』の説を批判する。服部の所説にも難点が少なくないのだが、神山にあっては、先に触れたように、絶対君主制とボナパルテイズムの相違を全然明らかにしえていないのだから、当の天皇制国家がボナパルテイズムではない論拠を示せない。神山の批判は、「32年テーゼ」に依拠しその威を借りているだけで、没理論性を免れない。 1889・90年に憲法制定・国会開設を迎えた天皇制国家の歴史的性格は、そのモデルとされたドイツ帝国、それにとどまらず更には各国の初期ブルジョア国家と比較しつつ考察するならば、議会は無力であり憲法は君主主権を謳っていても、これを「似而非立憲的形態」で「粉飾」された絶対主義国家として片付けることはできない。フランスの第一帝政のようなボナパルテイズムか、同じフランスの復古王政のような君主主義的立憲制かをも、検討の範囲に含め、根拠を明確に挙げて結論を下さなければならない。「32年テーゼ」を鵜呑みにするのは、論外である。 明治維新から第二次大戦時までの国家を天皇制絶対主義一色で塗りつぶす神山は、独占資本主義の形成とともに対外的な侵略的性格を強めた日本国家の変移を、絶対君主制の発動たる「軍事的・封建的帝国主義」(102頁ほか)として把握する。レーニンがツアーリズムに関して用い、「32年テーゼ」で日本帝国主義の特徴的性格づけに転用された「軍事的・封建的帝国主義」の語句をめぐって、戦後に激しい論争が交わされることになるが、神山はこれを天皇制絶対主義の別規定として重用するのである。
かかる‘二重の帝国主義’論によって、神山は、日本帝国主義の特質の解明を試みている。とはいえ、大正デモクラシーの時代を過ぎても天皇制国家は絶対主義のままであり続けているというのも、経済的には独占資本主義で「ブルジョア帝国主義」を確立しながら政治的には前近代の絶対君主制であるというのも、説得性がない。
「戦争は日本帝国主義‥‥を生まれさせ、強固にし、発展させ、かつやがて壊滅させる不可欠の要因である」(9頁)。本書の冒頭章で、神山がこのように、明治維新以降の日本の戦争の連続による軍国主義化、帝国主義化と対外進出の歴史とその成り行きを指摘して、日本帝国主義と戦争の不可分の関係を強調したのは、正当であり鋭い把握である。ただ、これも、「27年テーゼ」、「32年テーゼ」に従ってのことだし、その「日本帝国主義」とは上述来のごときものであった。
最後の論題は、「天皇制打倒」の戦略についてである。神山は、「天皇制打倒」の戦略的立場の正しさ、その点での「32年テーゼ」の「27年テーゼ」や「31年政治テーゼ草案」に対する決定的な優越性を揚言している。ところが、それは、天皇制についてのまったく一面的な把握に基づいている。
「天皇制打倒」の戦略化は、一方で天皇制国家が今なお絶対君主制だと規定してそのブルジョア化を否定していることに加え、他方で「国家=暴力装置」説ないし「国家=機構」説に立脚することで、天皇制国家の人心統御の機軸としてのイデオロギー的性格やそれと対を成す国民のなかに根付くにいたっている天皇崇拝の心情を無視していることと、一体不二なのである。
こうした諸点からして、目指すべきだったのは陣地戦的なブルジョア民主主義革命の重要な一環としての天皇制の民主化であり、「天皇制打倒」の戦略は誤っていたと判断される。もしもコミンテルン・日本共産党の指針に従って天皇制が打倒されたとしても、諸般の事情の然らしめるところ、いま一つの全体主義国家、左翼天皇制の全体主義国家が取って代わることになっただろう。 本書の基柱をかたちづくる諸論題に関する批評を連ねてきた。書評としては手厳しすぎるかもしれない。しかし、本書は、スターリンを「偉大なる我々の指導者」(183頁)として称える時代の所産物の一つである。革命にまつわる権威、権力への無批判的追従を帯同していれば、革命のための意志がいかに強靭であり実践がいかに不屈であっても、その闘いが献身的であればあるほど、解放の歴史的大事業は負の蓄積に転結してしまう。悲劇的なことだが、私などの身辺での経験を含めて、歴史はそうしたアイロニーに満ちている。 日本の社会主義の歴史は100年を迎えたが、1920年代初めからのコミンテルンの介入と統導は、果たして日本の社会主義に前進的発展をもたらしたのであろうか。
|