「過渡期」
 『マルクスカテゴリー事典』(青木書店、1998年)の執筆項目


【テキスト】
「自分自身の解放をなしとげ、それとともに、現在の社会がそれ自身の経済的作因によって不可抗的に目指している、 あのより高度な形態をつくりだすためには、労働者階級は長期の闘争を経過し、環境と人間とをつくりかえる一連の歴史的過程を 経過しなければならない」(『フランスにおける内乱』17-320)
「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある」(『ゴータ綱領批判』19-28〜29)
過渡期の固有の存在意義

 マルクスの構想では、資本主義社会から共産主義社会へといたるには、プロレタリア革命を突破口として、資本主義的生産様式を 新たな生産様式に変革し、諸階級の対立を除去し、国家を消滅させるなど、あらゆる面にわたる社会諸関係を、人間の自然との関係を含め、 抜本的に改造しなければならない。資本主義社会から共産主義社会への発展は、これまでの歴史におけるような一階級社会から 他の階級社会への移行とは異なり、人間社会の「前史」(13-7)から本史への進展という巨大な意義を有している。そこにおいては、 強制労働や私的所有、諸階級、階級闘争、支配・服従関係、国家、などなど、数千年の歴史を重ねてきた諸事象を一掃する至難な課題を 果たす過渡的な時期が必要不可欠である。その「長い生みの悲しみ」(19-21)の過程を経て、共産主義社会は生まれでる。

 共産主義社会への過渡期の建設は、局地的には不可能で世界的規模でのみ可能な共産主義社会の存在性格からして、一国的枠組を超え、 「先進的な国々の実践的および理論的な協力」(16-12)による国際的に連帯した営為として押し進められる。また、「階級闘争が、 その様々な局面を最も合理的な、人道的なしかたで経過することのできるような環境をつくりだす」(17-517)ことが、 そこでは要請される。

 この過渡期は、資本主義から共産主義社会(直接にはその第一段階としての社会主義社会)への転形の只中にあり、経済的にも政治的にも、 旧来の社会と新生の社会とが矛盾的な二重構造をなして構造的変動する進行する、未完結の、文字通り過渡期的な時代である。したがって、 成り行きいかんでは、資本主義社会への逆転の可能性も存在する。過渡期の諸課題を成功的に解決することなしには、目指す共産主義社会 へ到達することはできないのである。

過渡期の存立構造

 経済上の過渡期 共産主義をすぐれて現実の状態を止揚する実践的運動と規定してきたマルクスが、いま現に存在する社会の内部に新しい社会の諸要素を 見いだしそれを解放せんとする見地から、1860年代以降、特に着目したのは、当時社会主義者達や協同組合主義者達によって取り組まれていた 労働者生産協同組合であった。彼は、労働者生産協同組合に、労働者達自らが生産を管理し、生産手段を所有し、協同労働に従事する点で、 新たな社会の経済システムの基礎組織へと発展転化しうる可能性を認め、「協同社会」(4-496、他)としての共産主義社会について、 協同組合を基軸に据えて構想するにいたる。資本主義的生産様式に代わる新しい生産様式は、「協同的生産様式」(25-562)、ある機会の 述語では「協同組合的生産様式」(U/8-1394)であり、資本主義的な生産、所有には、「協同組合的生産」(17-319)、 「協同組合的所有」(19-22)が取ってかわるべきであった。

 パリ・コミューンの経験は、新たな経済システムたる「協同組合的生産」、「協同組合的所有」の意義を確証するものであった。 「もし協同組合の連合体が協同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の 宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣[恐慌]とを終わらせるとすれば諸君、それこそは共産主義、『可能な』共産主義で なくてなんであろうか!」(17-319〜320)。また、「閉鎖されたすべての作業場と工場を、補償を支払うという留保づきで、 労働者の協同組織に引渡した」(17-324)のは、コミューンの偉大な社会的方策の一つであった。

 過渡期は、資本主義的生産様式から「協同組合的生産様式」への移行過程であり、資本主義的な生産、労働、所有の「協同組合的生産」、 「協同組合労働」(16-194)、「協同組合的所有」への転化過程である。この経済的構成の全国的規模での抜本的改造は、時間を要する 漸進的な事業でしかありえない。「現在の『資本と土地所有の自然諸法則の自然発生的な作用』を『自由な協同労働の社会経済の 自然発生的作用』とおきかえることは、……新しい諸条件が生じてくる長い過程をつうじて初めて可能になる」(17-518)。

 ところで、将来の共産主義社会での生産は、「協議した計画」(『フランス語版資本論』上巻、法政大学出版局、54頁)にしたがって 営まれる。これに準拠すると、過渡期においては、生産単位である協同組合企業では、労働者達と彼らによって選出された経営管理者とが 協議して生産計画を決定し、国民経済に関しては、国家の後見的関与があるにしても、連合した協同組合の中央機関が中心を担い、 幾段階かの協議を介して総生産の大綱と基準を計画的に策定することになるだろう。経済の計画化は、ここでは、民主主義の生産の場への 導入による経済民主主義の創出、生産当事者達による自主的な経営管理の樹立と一体不可分である。

 しかし、マルクスは明言していないのだが、過渡期にあっては、資本主義的生産が「協同組合的生産」に代わっても、多面では、 小商品生産は存続するし、協同組合企業をはじめとする各種企業相互間は市場的関連によって結ばれるであろう。従って、商品生産と 商品流通は依然として存在しよう。「商品生産と商品流通とは、その広がりや重要性はいろいろ違うにしても、非常に違った生産様式に 属する現象である」(23-150)。過渡期においては、資本主義的市場経済は終焉して市場経済が社会のなかで占める位置と役割は 減退するけれども、市場経済を廃絶することは不可能である。過渡期の経済は、過渡的な二重構造をなすものとして、計画と市場を 結合した複合経済である。計画化の拡充を図り、それと組み合わせて市場を統御し制限しつつ、新たな社会経済への発展転化の諸条件を 築くことが、過渡期経済の歴史的課題である。

 政治上の過渡期 マルクスは、青年時代から、国家の消滅を立言していた。だが、アナーキズムの主張のごとく、ブルジョア国家を打倒する プロレタリア革命後即座に国家を廃止してしまうことは、不可能事である。では、国家そのものを無くす過渡に位置し、 漸次的な消滅の論理を体現する国家は、どのようなものであるべきか。この永年の懸案問題についての解答を、マルクスはついに パリ・コミューンのなかに発見した。

 パリ・コミューンの経験的諸事実のなかから未来創造的な諸傾向を抽出して、マルクスは、過渡期の国家の機構的編成に関して、 次のような諸原則を提示した。「常備軍を廃止し、それを武装した人民におきかえること」(17-315)。すべての公務員の選挙制と 随時の解任制。同じくすべての公務員についての「労働者なみの賃金」(同上)。人民自らが武装する民兵制、それに民警制。 すべての公職者が人民大衆によって任免され人民大衆に責任を負うとともに有象無象の特権を一掃された「公僕」(17-316)。 制への変革は、ブルジョア国家の基柱をなす中央集権的な軍事的、官僚的機構を解体するのに的を射た方策であり、「国家そのもの にたいする革命」(17-523)にふさわしかった。他にまた、代表制の派遣制への変革。更には、国家と教会の完全な分離、 教育の無償化・非国家化・非宗教化、学問の公開・自律など。

 「地方自治体の自由」(17-318)、すなわち地域分権制も、コミューン国家の重要な一原則であった。コミューンは、独立し、 可能最大限の自由を有する地域自治体である。自らの処理可能な事項はすべからく自らの手で遂行する。そこで、「中央政府には 少数の、だが重要な機能が残る」(17-316)。「全国派遣委員会議」(同上)に直属しながら、中央政府は外交、軍事、大規模公共事業、 全国的な行政の調整、司法、等について、専権的にではないが、その任にあたる。

 パリ・コミューンの綱領、「フランス人民に対する宣言」は、「連邦した諸コミューン」を掲げた。コミューン国家は、各地域自治体の 全国的連合による連邦制国家である。フランス第2帝政に具現されたような、社会の上に立つ強大な国家による上からの中央集権 (主義)的統一を、分権的な地域自治体による下からの連邦制的統一へと改編するのである。

 他方、よく知られているように、マルクスは、過渡期の国家についてプロレタリアート独裁を提唱した。コミューン国家と プロレタリアート独裁との関係いかんについて、マルクスは未確定であった。だが、プロレタリアート独裁が必然であって、しかも 過渡期の全時期を通して存続するように説いた諸規定は、真に民主主義的性格に貫かれ分権を本義とするコミューン国家論と 対立し矛盾するところがあり、位置づけなおしを必要としよう。

 マルクスの転換、到達と限界 1848年の革命当時のマルクスは、エンゲルスとともに、『共産党宣言』において、プロレタリア革命による国家権力の奪取後、 「いっさいの生産用具を国家の手に」(4-494)集中し、国家権力を活用して新しい経済建設を推進する諸方策を、過渡期的綱領として 打ちだした。また、いっさいの生産手段の国家所有化と一体的に、過渡期の国家の中央集権化を主張した。その過渡期に関する構想は、 国家集権的に偏倚していた。

 しかしながら、1848年革命の敗退後、あらゆる面で一大転機を迎えたマルクスは、西ヨーロッパ諸国での資本主義経済の 飛躍的発達過程と並行して、経済学研究への邁進を軸にして多方面で思想的、理論的躍進を達成し、その一環として過渡期に関する 論考でも大きな発展的転換をとげていった。後期マルクスは、全般的な生産手段の国家所有化や中央集権化といった『共産党宣言』 段階の構案の基本的な諸点を覆するにいたったのである。

 円熟した後期マルクスの過渡期社会論は、パリ・コミューンの実践的総括に立脚して、「協同組合的社会」(19-19)への改造途上に ある社会にコミューン国家が相俟つ形で全体的な輪郭を結んだ。協同組合型志向社会と地域自治体国家とを接合し、その相乗によって、 社会から生まれながら社会の上に立ってきた国家の社会への再吸収を押し進めようとするのであった。

 だが、マルクスが到達した過渡期社会・国家の構想も、概要の素描にとどまった。そこにはなお多くの限界や空白が所在しており、 歴史的に発展した諸条件が与えられる後世における豊富化や補充が欠かせなかった。マルクスの所論に欠けていた最重要事項として、 経済的には計画と市場の複合システム、政治的には政党制、それに過渡期建設での各国史と世界史の絡み合いを挙げておこう。

 現代的問題 エンゲルスは、その後期にいたっても『共産党宣言』段階の生産手段の国家所有化路線を基本的に堅持し、生産手段の社会化への 過渡的な工程としてプロレタリア的国家所有化を定置した。過渡期社会構想において、マルクスとエンゲルスの間に重大な理論的 分岐が生まれたのであった。そして、後期エンゲルスの所論が20世紀に伝承された。レーニンは、『国家と革命』に代表的なように、 生産手段の国家所有化とプロレタリアート独裁を決定的なキーワードにして国家集権主義的過渡期社会論を構築した。その後、 レーニンのそれがさらにスターリン主義的に歪められて、20世紀マルクス主義の過渡期社会論の通説としての位置を占めてきた。

 1960年代からの一時期、過渡期の概念をめぐって、レーニン以来社会主義社会と通称されるようになった共産主義社会の 第一段階と過渡期とを歴史的時代として区別するか、それとも重ね合わせるかの、国際的な論戦がたたかわされた。しかし、 いずれもが、スターリン創唱の一国社会主義論を大前提にし、生産手段の国家所有化を社会主義の端的な標識として設定したうえで、 マルクスの原像とはすっかり背馳した自国の体制を社会主義社会として正当化し粉飾すべく、古典的命題を解釈操作していた。 この論争は、現代「社会主義」の頽落を象徴していたと言えよう。

 マルクスが到達した協同組合型志向社会と地域自治体国家を接合した構想は、ソ連などの「社会主義」の虚構性を剔出する 規準たりえたし、今日においてもなおラディカルな変革思想としての輝きを失っていない。20世紀社会主義の歴史の総括に努める一方、 マルクスの原典を基礎理論として継承して新たな過渡期社会・国家像を構築することが求められている。
(大藪龍介)

【関連項目】共産主義、協同組合、代表制と派遣制、プロレタリアート独裁
【参考文献】
ブハーリン『過渡期経済論』(1920)救仁郷繁訳、現代思潮社、1969年
大藪龍介『マルクス社会主義像の転換』、御茶の水書房、1996年