「過渡期時代とアソシエーション」
 二 20世紀社会主義とアソシエーション
 田畑・大藪・白川・松田編『アソシエーション革命へ』 社会評論社、2003年3月


二 20世紀社会主義とアソシエーション

(1)ソ連の破綻の原凶

 資本主義社会に代わる社会の建設に挑戦するのであれば、20世紀におけるその種の最大の試行であつたソ連の経験の総括に立つことが必要である。新社会を社会主義として再構想するのであれば、そうした反省はなお一層欠かせない。アソシエーションの理論的見地からすれば、20世紀における社会主義の通念はどのように一新されるだろうか。

 20世紀初葉には世界史の新たな突破口を開いたかに見えたソヴェト・ロシアの社会主義を志向した建設が蹉跌し、世紀末には体制崩壊にいたったのは、なぜだろうか。革命ロシアの一国的孤立や、経済、政治、文化の全面にわたるロシアの伝統的な後進性といった、極悪の客観的詣条件による制約は言うまでもないが、それだけではなく、ボリシェヴィキの党・国家中心主義と規定しうる革命と建設の路線を、主体的な要因として指摘しなければならないだろう。

 党・国家中心主義とは、@自党派を唯一前衛として絶対化する一国一前衛党主義、Aまずなによりも国家権力を奪取するという政治革命主義、そしてBプロレタリアート独裁の樹立と主要な生産手段の国家的所有化を基柱にした国家集権・国家主導の過渡期建設、等を複合した総称である。かかる党・国家中心主義の革命と建設の路線は、レーニン主義からトロツキー主義、スターリン主義にいたるまで、ソヴェト・マルクス主義の根幹部をかたちづくっていた。

 党・国家中心主義は、ロシアの現実と伝統にいかにもぴったりと合致していたし、到来した介入主義国家化の時代にも適合的であった。一国社会主義建設に転じたスターリンのもとでこの路線を歩んだソ連は、ファシズムがイタリアに続いてドイツでも勝利を収めるのとほぼ時を同じくした「上からの革命」(*3)により、一党独裁と国家集権・国家主導の経済運営を極限にまで推し進め、社会主義を称する国家主義の体制を築くにいたった。ソ連はいったい何であるかは、永年の論争テーマであるが、社会主義社会の建設を達成したという、1936年のスターリンの託宣以来のオフィシャル・レトリックに囚われ続けるのでないかぎり、社会主義を目指したものの、その建設の初動段階で逸脱を深め、遂には変質をとげた体制として把握するのが至当であるにちがいない。

 1930年代には、大恐慌に見舞われ深刻な危機に瑞ぐ資本主義世界で市場の失敗が爆発する一方、新世界の創建に挑んだソヴェト・ロシアでは革命の失敗が疑いのないものになったのであった。

 L・トロツキー(*4)『裏切られた革命』(1936年)は、社会主義建設の勝利宣言を発したスターリン主義体制について、「堕落した労働者国家」と規定し、ソ連はなお社会主義への過渡的、中間的な体制として未完結の過程にあり、資本主義への後滑りも完全に可能だという指摘を忘れなかった。その功績が評価されるべきである。J・A・シュムペーター(*5)は『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)のなかで、必要な産業発展の段階にすでに到達していることに加えて、過渡期の諸問題がうまく解決されることを、社会主義が社会体制として現実に可能となるための要件として挙げていた。このことにも、あらためて留目したい。

 資本主義体制から社会主義体制への移行には、資本主義的生産様式を新たな生産様式に取って変え、階級的な支配=服従関係をなくし、国家を消滅させるなどの、まさしく人類史を画する大変革を、世界的な規模で達成する、長期におよぶ構造的転形の過程が存在する。この過渡期は、全面的で根底的な転換のただなかにあり、経済的にも政治的にも文化的にも、旧来のシステムと新生のシステムが併存し矛盾的な二重構造をなす、中間的な体制の時代である。そこには、資本主義への後戻りの可能性も所在する。過渡期の諸問題を成功的に解決することなしには、目指す社会主義体制に達することはできない。

 ソ連での過渡期社会・国家建設の破綻の主体的な要因として挙げた党・国家中心主義路線では、第一に、生産手段の全面的な国家的所有化により、国家は政治権力に加えて経済権力も一手に集中し、かつてなく巨大化する。そして、この巨大で全能的な国家にあっては、官僚層の寄生によって官僚主義が横行するとともに、目的と手段の転倒の法則が作動し、主観的な意向から離れて客観的には国家主義の体制へ転結するのが避け難い。ソ連の経験ほど、目的と手段の転倒、あるいはまた「歴史のイロニー」(*6)が見事に実現された実例は、滅多にあるものではない。第二に、支配的党派が独裁国家の権力をフルに発動して、「マルクス=レーニン主義」(*7)のイデオロギーと大規模なテロルを併用しながら、人民大衆を動員しその潜勢力を汲み出すのだが、その方式は一定の期間は効を奏することがあっても、党=国家官僚専制と過剰国家化の本質的な無理を内包しており、発展を持続することができない。

 生産手段の国家的所有化とプロレタリアート独裁の樹立をキーワードとするソヴェト・マルクス主義の過渡期建設路線には、思いもよらぬ、しかし決定的なほどの意味をもつ落し穴が潜んでいた。

 国家化をつうじての社会化という問題設定が、そうである。目標は社会化であり、国家の消滅であるが、そこにいたる過程としてまずはじめは国家化する、端的に重要産業の国家的所有化によって経済の管制高地を占拠するというのは、マルクス=エンゲルス『共産主義派宣言』(1848年)(*8)の過渡的方策でも知られているように、広く19世紀からの社会主義に通有の公式である。しかしながら、この国家化がどのようなプロセスで社会化へと逆転していくのか、その論理は不明のままである。あるいはまた、個人的所有抜きに社会的所有への移行が想定されている、と批判してもよい。そして、過渡期の段階での生産手段の国家的所有化、それと一体的な国家の中央集権化が、社会主義とは反対の国家主義へ道を開くことは、実際的経験によっても、まざまざと示された。

 他方、プロレタリアート独裁は、ブルジョア民主主義を凌駕するプロレタリア民主主義と一体だと唱えられたが、独裁によって自由や民主主義を建設するのは、そもそも不可能である。加えるに、プロレタリアート独裁の自発的な解除がいかにして可能かは不問にされていて、階級独裁が容易に一党独裁に転化したり、独裁が永続化して専制と化したりする危険に満ちている。前民主主義の時代であればまだしも、自由民主主義の形態で民主主義が普及し定着していく20世紀の世界にあっては、プロレタリアート独裁はアナクロニズムであることを免れなかつた。

 過渡期社会・国家建設の基本路線としての生産手段の国家的所有化もプロレタリアート独裁も、社会主義への道を開きえない。このことは、壮大な挑戦ではあったがあまりにも大きな犠牲を生んだソ連の経験から汲み取り、今後に生かさなければならない最大の教訓に属しよう。

(2)マルクスの構想

 それでは、国家中心主義の革命と建設を通念としてきた20世紀社会主義のオルタナティヴ・ルートはどのようなものであるべきだろうか。原点に立ち戻って、前世紀における諸々の社会主義、共革主義の思想の一つの集大成として、ほかならぬマルクスがその理論的生涯の後期にいたって到達した過渡期社会・国家構想に足掛かりを得ることができる。

 マルクスは、1960〜70年代に、「国際労働者協会創立宣言」、『フランスにおける内乱』、『ゴータ綱領批判』などで、協同組合型志向社会とコミューン(地域自治体)国家の接合として、資本主義社会から共産主義社会、直接にはその第一段階たる社会主義社会への過渡期社会・国家像を描きだした。その骨格は以下のようなものであったが、それ自体、1848年革命期、『共産主義派宣言』段階におけるいっさいの生産手段の国家への集中、中央集権国家化という国家集権的に偏倚した構想の根本的な変更を含意して形成されたのであった。

 「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような協同社会(Assoziation)」として特質づけていた共産主義社会の内実を、理論的に成熟した後期のマルクスは、「協同(組合)的生産様式」、「協同組合的生産」、「協同組合的所有」を基礎とする「協同組会的社会」として具体化して描いた。過渡期は、資本主義経済システムを、協同組合を単位として労働者たち自らが生産を管理し、生産手段を所有し、「協同労働」に従事するシステムヘと改編する過程である。それはまた、資本主義的支配=服従関係を担ってきた諸組織を自由で対等な諸個人の「協同諸組織(associations)」へと改造し、資本主義社会を多種多様な「協同組織」が重層的に分節しつつ縦横に連合する「協同社会」へと変革する歴史的移行の過程である。かかる過渡期社会の建設は、「長い生みの苦しみ」の漸進的な事業でしかありえない。

 政治面では、過渡期は「国家を社会の上部にある機関から社会に完全に従属する機関に変える」過程、国家権力の社会、人民大衆への吸収の過程である。その国家は、「常備軍の廃止」による民兵制、すべての公務員の選挙制および随時の解任制、公務員の金銭的特権の一掃、また代表制に代えて派遣制、等の諸原則につらぬかれるとともに、中央政府には「少数の、だが重要な機能」だけを残して、コミューン(地域自治体)を基体にした、連邦制的統一国家である。

 協同組合型志向社会と地域自治体国家の接合というマルクスの過渡的変革構想は、いわゆるソ連型社会主義の俗説が社会主義としてほぼ全一的に罷り通ってきたわが国ではとくに、意外に思われるだろう。なぜ、そうした後期マルクスの過渡期社会・国家像が見失われてしまい、20世紀にそれとはまるで反対の国家主義体制がマルクス主義に導かれて構築されたかについては、ここではふれない。

 マルクスの過渡期構想にも、当然、限界や欠陥、空白がある。核心的なところでは、@過渡期には、市場が社会経済のなかで占める位置と役割は減退するが、市場経済は存続する。その点についての言明がなく、計画と市場の複合システムにかんする考察をまったくおこなっていない。Fプロレタリアート独裁を唱えているが、プロレタリアート独裁が必然的であり、しかも過渡期の全時期に通貫するかのような、ゆきすぎた位置付けを与えている。B経済的、政治的に全面的で根底的な変革を推進し、それの遂行につれて高度化する民主主義についての解明が甚だ手薄である。C革命と建設での一国史と世界史の絡み合い、ずれについて、検討するにいたっていない。

 けれども、マルクスの過渡期社会・国家像は、レーニン主義を筆頭とするソヴェト・マルクス主義に嚮導されたロシアでの革命と建設の経験を総括する規準たりうるとともに、これからの社会主義の新たな進路を照射する思想的光源の一つとして輝きを失っていないのである(*9)。

(*3) 「上からの革命」 1929年から33年にかけ、五ヵ年計画の急激な工業化と農業の全面的集団化として、スターリンにより発動され国家権力によって上から推し進められた。
(*4) L・トロツキー(1879〜1940) ロシア革命の指導者の一人でスターリン(主義)体制の批判者。代表作として、「総括と展望」1906、『ロシア革命史』1931〜32、など。
(*5) J・A・シュムペーター(1883〜1950) ケインズと並び称される現代経済学の巨匠。『経済発展の理論』1912、『景気循環論』1939、など。
(*6) 「歴史のイロ二−」 この場合は、遂行された革命の結果が、当初遂行しようと意図した革命とは似ても似つかないものになる事態を指す、エンゲルスの言葉。
(*7) 「マルクス=レーニン主義」 レーニン主義をマルクス主義の一層の発展とするスターリンの規定に基づいて、1930年代にソ連で公式に用いられるようになった教義であり、スターリン主義の別名とも言える。
(*8) マルクス、エンゲルスの、diekommunistische Parteiは、ソ連共産党やそれをモデルにして結成された各国共産党とは、実像としても理念像としても大いに異なっていた。その歴史的存在性格の差異を表すべく、共産党に代えて共産主義派の訳語をあてる。1848年当時存在した社会主義、共産主義の諸派のなかの一派の意味である。
(*9) マルクスの過渡期社会・国家構想の詳細については、エンゲルスおよびレーニンのそれとの異同を含め、拙著『マルクス社会主義像の転換』御茶の水書房、1996、の参看を願う。