![]() 三 過渡的時代の経済 − 協同組合型志向社会へむかって |
田畑・大藪・白川・松田編『アソシエーション革命へ』 社会評論社、2003年3月 |
三 過渡的時代の経済 − 協同組合型志向社会へむかって (1)生産協同組合の建設 これまでの通念とうってかわって、資本主義から社会主義へと移り行く過渡にある社会を、協同組合型志向社会として想定しよう。協同組合型志向社会とは、協同組合的生産様式が支配的である協同組合的社会を志向している社会、つまり、生産協同組合をはじめとする協同組合を基点にして作りなおされる途上にある社会を指す。 この社会をイメージするのに、国際協同組合同盟(*10)が定めている協同組合の七原則をひとまず借用して、ざっとした特徴づけを図っておこう。@自発的で開かれた成員制、A構成員による民主的運営、B構成員の経済的参加、C自治と自立、D教育、研修、広報の重視、E協同組合間協同、F地域社会への関与。 協同組合型志向社会へむかってどのような経済過程を辿り進むと見通されるのか、枢要と思われる事柄を点描してみよう。 協同組合、とりわけ生産協同組合には、19世紀初葉における発祥以来、資本主義にたいする一種のオルタナティヴとしての期待がこめられてきた。労働者生産協同組合が魅力的なのは、現在的な社会的役割にもまして未来の可能性であった。 しかしながら、生産協同組合が秘めていると想われた新たな社会経済システムとしての未来的発展可能性は、一世紀半をこす歳月を重ねた今日にいたるまで、充たされることがなかった。今後も、生産協同組合のうってかわったような発展を楽観的に展望することはできない。 生産協同組合などのNPOが基本単位となり、支配的セクターとなる経済システムを創出するには、多国籍化しグローバル化する巨大な資本主義企業が圧倒的な支配力を築いている今日の時代にあっては特に、多くの大難問を解決しなければならない。 一方で、資本主義企業に外部から対抗し、資本主義企業が手をださない隙間を埋める補完的役割を担う地位から脱し、それに取って代る拠点として、生産協同組合を創出し拡大強化することが必要である。そのためには、資金の調達、生産効率、資本主義企業との競争といった躓きの石を取り除かなければならない。また、資本主義経済のマージナルな部域にとどまらず、中枢部域、基幹産業分野で厚い壁を破って、生産協同組合が進出を果し、更には優位にたつように躍進させなければならない。協同組合が地域社会に根を張り、福祉、医療、住宅、文化、スポーツ等の活動で、住民の生活の質の向上に努め、地域でのセンターの役割を担うまでに発達をとげることも求められる。 これらについては、近年全世界の注目を集めてきたスペインのモンドラゴン協同組合複合体の成功に学び教訓を吸収するべきだろう。モンドラゴングループは、1966年設立の工業協同組合に信用、共済、流通、教育などの協同組合が加わって、連合した複合体に発展をとげるにいたり、バスク地方から国内、更にEU圏での市場競争力をつけて、労働の資本への優越や社会変革への貢献を掲げた協同組合企業体として進出してきている(*11)。 とはいえ、通常の状態で、資本主義企業との市場競争をつうじて生産協同組合が優位にたつのは、ほぼ不可能事であろう。 (2)株式会社の協同組合化 他方では、資本主義企業に内部から対抗し、株式会社を協同組合化する道を探る必要がある。これまでしばしば起きたのは、協同組合の株式会社への変質や大企業への身売りであった。それとは逆に、現代資本主義の支配的企業形態である株式会社を協同組合へと変革する問題である。 現代資本主義の根幹をなす大企業体制をどのように変革するのか。これは今日の社会変革の核心的課題である。20世紀は、大企業の時代であった。しかし、20世紀末葉になって、大企業が肥大化しすぎるとともに、大量生産・大量販売・大量消費の時代の終焉の傾向が生じるにいたり、巨大株式会社は翳りをみせ、それに代わるものが求められるようになってきている。一世紀あまり君臨してきた株式会社に取って代るのは、どういう企業だろうか。最も有力な解答は、協同組合であるにちがいない。 そこで、企業革命として、株式企業を、必要に応じての分割をまじえながら、協同組合企業、つまり労働者たち自らが経営管理し所有する自治企業へと内面的に変革することが課題となる。その際、所有と経営の分離の実態を踏まえ、所有制と経営管理制の変革を区別と連関において扱うことも必要であろう。労働組合の経営参加についても、協同組合原理の導入による新たな企業形態への転換に備える見地から取り組む。 株式会社の協同組合への変革にかかわる歴史上の先駆的な事例として、ここでは、後論とのつながりで、スウェーデンの経験に着目したい(*12)。スウェーデンでは、社会民主労働党が「政治の民主化」、「社会の民主化」、「経済の民主化」とともに「産業の民主化」を標榜し、社会民主労働党政府は産業民主主義を実現する取り組みを進めてきた。すでに、大恐慌に見舞われた1930年代の終りに、労資のナショナル・センター間で基本協約がむすばれていたが、第二次大戦後に各企業に労資協議制が導入され、1970年代には、雇用保障法、労働者重役制、共同決定法、労働環境法等、生産の場において労働者の権利を強化しその地位を向上させる、一連の産業民主主義立法が、労働側の攻勢でかちとられた。更には、労働組合が企業から、年々、利潤の約20%を徴収して基金として積み立てて、それをつうじて企業をコントロールする労働者基金が、1984年に導入された。但し、労働者基金は、資本の側の強い反対にあって6年後には中止された。こうした達成を、貴重な試行として参考にするべきだろう。 ところで、ほぼ19世紀の後葉以来、禁止され弾圧されてきた労働組合が制度的に承認されると、労働者階級の経済闘争および社会変革の中心的組織は、(生産)協同組合から労働組合へ移った。社会主義運動も、その主力を社会主義政党と労働組合が担うようになった。協同組合運動については、生産協同組合は低迷、衰退傾向に向かい、消費協同組合が支配的になった。 20世紀にあっては、社会主義運動における国家的所有・国家的経営路線の浸透によって、他方では労働組合運動の体制内化につれて、生産協同組合運動と社会主義運動、労働組合運動は溝を深め、それぞれの道を歩んだ。そのような従来の相互関係を変え、既述のごとき資本主義企業に対抗しそれを変革する諸課題で、生産協同組合、消費協同組合、労働組合、社会主義諸政党のあいだの協力、提携を構築していくのも、重要な課題である。 上述来の生産協同組合の建設や協同組合化の他に、最近ではわが国でも広がり、あるいは注目をあびている地域通貨、社会的責任投資(*13)がある。もちろん、これらの取り組みによる資本主義経済の変革は、一定の範囲、程度をこえでることはできない。体制内での社会改良であるが、それの最大限の追求をつうじて、新たなる経済システムの萌芽形態を育み、それを担う労働者、市民大衆の経験を蓄積し能力を涵養して、資本主義社会に代わる協同組合型志向社会を可能ならしめる諸条件を拡充してゆくことが求められる。 新社会は政治革命の後に初めて生成するのではない。20世紀資本主義社会の主柱をなしてきた諸々の利益集団をアソシエーション型へと改造する形で、絶えず下からの社会変革を押し進め、変容を迫り、新社会の萌芽を成長させてゆき、社会革命の道を切り開くことに努めるのである。 (3)過渡期経済の構造 政治革命による国家権力の掌握とともに、社会革命は全面的な展開を迎えるだろう。そのなかで、上述のような外と内との両面からの資本主義企業の革命によって、生産協同組合を全部門、全地域に波及させ、協同組合セクターを私的セクター、公的セクターに優位する支配的セクターヘ発展転化さてゆくことになろう。その際、国家権力を奪取するや国家による所有・経営に企業を移し、集権主義国家が経済をも全面統括したソヴェト・ロシアとは異なる方途をとり、後述の地域自治体国家が経済システムの変革を促進的に助成するにすぎない。協同組合システムを全国的規模で発達させるのも、社会、人民大衆の自主的な取り組みにかかる。政治的民主主義の生産の場への導入など、民主主義のあらゆる部面への拡充、徹底化、その意味での新しい型の民主主義の全社会的浸透が、その鍵を握るだろう。 過渡期経済は、協同組合企業に加えて、国家(中央政府)から自治体(地方政府)に重心を移し変える公企業、小規模の私企業が併存し、計画経済と市場経済の混合からなる複合経済である。 所有制度の変革としては、生産手段の資本主義的所有か、それとも労働者国家的所有かという二極的価値志向を却けて、協同組合的所有を基本にし、公的所有(国家的所有と自治体所有)、小規模私的所有を副次的とする多元的形態をとる。ここで、協同組合的所有は、将来における個人的=社会的所有を可能にする媒介形態でもあることを強調しておきたい。個人的所有(*14)の創出過程として見るならば、協同組合的所有における個々人の持ち分権の確保、公的所有における個々人の用益権の保障、小規模私的所有について他人の所有権の侵害を生まないような制限が、それぞれに必要であろう。 経営管理制度の変革については、単位をなす各企業での経営を、資本家・経営者による労働者達への専制から産業民主主義の導入による当事者のあいだでの共和制へと組み替える。企業内部での自主的な経営管理として、労働者達が生産、経営計画の決定過程に加わり、経営管理者を選出し、あるいはまた解任する権利を有する一方、知識と経験に長けた専門家が経営管理にあたる。 社会主義経済を計画経済と総括規定するかどうかは措くとして、計画性が社会主義経済の一大特質であることは間違いあるまい。今日的にエコロジーの観点に立てば、特にそうである。問題は、計画の主体や目的、方法のいかんであろう。その点で、ソヴェト・ロシアでの党=国家官僚が包括的な行政的命令としておこなう国家計画システムは、資本主義企業で資本家・経営者の命令として実施される計画が一国一工場体制(*15)としての超大規模の国家独占体において転態したものにすぎないのであり、国家(主義的)統制経済の一種と見倣せよう。 過渡期の経済計画化については、まず、資本主義企業での資本家・経営者の命令による計画を、企業の自主的な経営管理への変革と相即的に、選出された経営管理者と労働者たちの協議による計画へ改編しなければならない。連動して、マクロ経済レヴェルで、資本主義的生産の無政府性、それに無制約な発展=開発性を克服し、国民経済を計画的に組織しなければならない。これは、ミクロ・レヴェルの個々の企業における計画化の遂行よりもはるかに達成が困難であろう。単位企業やセクターの個別的な計画の調節と総合的統一、他面では国際的な対立や協力の調整、情報の充分な提供・収集・処理、そして経済効率の計算、決定の極度の複雑性、等々、数多くの難問の解決を要するからである。この国民経済の計画化は、中央政府の参与はかかせないにしても、基本的には国家計画に非ずして社会計画である。協同組合の連合体を中心にした全国計画機関が、調査や立案を担当する専門家集団に補佐され、種々のチャンネルをつうじ、各企業、各セクターの決定過程への参加の確保に努めながら、国民総生産の大網と基準を策定する。そして、その大枠の範囲で、各企業、各セクターは生産をおこなうことになろう。 反面、過渡期において、資本主義的市場経済は終焉し市場が社会経済のなかで占める位置と役割は減退するが、市場経済を廃絶するのは不可能である。企業相互間は市場的関連によって結ばれ、各企業が社会的生産としての実をあげたか否かは、市場での検証を経て明らかにされる。企業は市場で競争にさらされて社会的な点検をうけるのである。 このように、計画と市場を結合する複合経済として、事前的な計画的調整と事後的な市場的調整を組合せて、それらの循環的な相補作用を重ねるなかで、最適ミックスに達してゆく。そして、徐々に計画化を拡充し市場メカニズムを制限して、協同組合を主軸にする新たな社会経済への発展転化の諸条件を造出し整えるのである。
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