「過渡期とアソシエーション」
 『季報 唯物論研究』 季報『唯物論研究』刊行会 第68号 VOL.23夏 1999年5月


 20世紀の歴史は、ソ連の崩壊で幕を閉じた。21世紀がどのように推移するかを見通しつつ、そのなかでの社会主義の新生の道を探ることは、甚だ厳しく、不透明な現状にある。ただ明らかなのは、近未来において社会主義が再浮上する場合でも、そこで直面するのは現代資本主義からの長期に及ぶであろう移行過程の諸問題であるということだ。本稿では、ソ連での社会主義を目指しての体制建設が失敗に帰した歴史的経験を踏まえて、資本主義から社会主義への過渡期の諸問題にアソシェーション論の見地からアプローチする視点の明確化に努める。

 今日的状況にあって、20世紀社会主義を一新した社会主義の再出発を期するうえでも止目すべき事相が現出している。ここでは二つの動向にふれよう。

 近年の欧米諸国では、協同組合、共済組合、その他の非営利組織が広汎に拡大しており、国民経済のなかのマージナルな位置から脱し、私的セクター(企業セクター)と公的セクター(行政セクター)に次ぐ「第三セクター」──論者によっては「非営利セクター」、あるいは「社会的経済セクター」、あるいは「社会的セクター」などと呼ばれる──ヘと独立化する傾向を見せている。このNPOの広がり、独立のセクター化は、脱工業化とか情報化としての、製造業からサーヴィス産業への重点移行という産業構造の変化を基盤としているのだが、昨今の新自由主義的な市場至上主義の進出、それにともなう貧富の格差拡大や福祉国家の危機に対しての、自発的、互助的で非営利的な組織つまりアソシエーションの結成による対抗という意味を有している。わが国でも遅蒔きながらボランティアの非営利活動が盛んになり、それを担う組織も続出して、NPOの制度化が進展している。

 協同組合やその他の非営利組織の増大、それのセクターヘの発展は、新自由主義に抗する人民大衆の側での生活世界の変革として、下からの静かな社会改革の進展と見做されることができよう。そうした新たな経済的動向が進展するなかで、協同組合セクター論や協同組合地域社会論にも改めて関心が向けられている。あるいはまた、NPOやNGOの活動の大衆的な広がりと高まりには、社会の底辺から民主主義を築きあげ、日常生活に民主主義を根付かせるという積極的意義が認められる。ハーバマスが自発的で自律的な結社Assoziationが折りなすネットワークとして市民的公共性を体現する市民社会Zivilgesellshaftについて論じるのも、こうした今日的動向に対応していよう。

 いま一つ、地球環境破壊の深刻化によって、エコロジーによるエコノミーの制約がますます緊切な課題としてクローズアップされてきている。環境保全のために、資本主義企業はこれまでの大量生産・大量消費・大量廃棄のシステムの見直しを否応なしに迫られている。ここでもNPOの活動や住民運動が重要な役割を担い、強まる社会的圧力のもとで、企業も政府も環境規制を考慮した経営運営を余儀なくされるようになっている。ヨーロッパ諸国ではすでに環境政党も誕生し一定の進出を果している。

 エコロジーの観点から、環境負荷の少ない生活スタイルを可能にする、新たな非市場主義の経済システムヘの要請が強まってきているのである。

 NPO、NGO活動についても、地球環境問題の取り組みについても、多くの人々のボランティア活動が大変活発化しているのだが、そこに、暮らしやすい世の中に変えるように何かできることをしたいという意向を看て取るのは、さはど的外れではあるまい。こうした動静は、東欧・ソ連の「社会主義」に対しても、それの解体を促すように作用したのであった。

 20世紀の幕開け時には<集団の噴出>が生じて、株式企業、資本家団体、労働組合等々、諸多の利益集団が簇生し対抗し合う様相を呈した。20世紀は株式会社を筆頭として、営利を目的とする集団が益々巨大化しながら林立し、鎬を削る時代であった。それに対して、近年における非営利組織の噴出は21世紀における新たな集団の時代の到来を予示するのであろうか? NPO、NGOのかつてない発展は、営利ではなく集団ないし社会の二ーズを満たすことを目的とする、自発的、自律的で民主的に管理運営される協同組織たるアソシエーションを基軸として形成される社会、すなわち社会主義体制の基盤へと転化しうるのであろうか?

 1929年の大恐慌という市場の大失敗以降、現代資本主義は、国家が経済過程に、構造的に介入して市場を制御する国家独占資本主義あるいは混合経済の体制を築いて、フィスカル・ポリシーを通じて景気を調整するとともに高雇用の確保や社会保障の拡充を果し、第二次大戦後から1970年代のオイル・ショックまでの四半世紀を越す年月にわたって未曾有の発達をとげた。経済と絡まりあう国家の規模と役割も増大したが、その面では国家化として特徴付けられる時代であった。この国家化の時代にあって、一方のファシズム、他方のスターリニズムという過剰国家化、つまり国家主義化した体制が出現し、それぞれが一時的に世界を席捲しさえした。

 しかし、1970年代に経済の高度成長は終焉し、同時に国家化の時代も終わりを告げた。代わって新自由主義が台頭した。この歴史的転換の波を被って、東欧・ソ連の社会主義を公称した国家主義体制はあっけなく瓦解し、加えて先進資本主義諸国の社会民主主義的福祉国家──綴じて行政的手段による解放の促進──も行き詰まりを呈した。国家の失敗が顕出したのであった。ところが、自由主義と市場主義の復権は、国内的、国際的な貪富の両極分化や福祉の切り捨てを生んだのみならず、経済の「バブル」化や、「ドミノ」化をもたらしている。それに対抗するかたちで、前述のNPOが顕著な発展を示し、またヨーロッパでは社会民主主義政党が相次いで政権を担掌し、転進の道を手探りしている。

 世紀末葉における現代資本主義のこのような変転は、国家独占資本主義あるいは混合経済の新たな変容の模索、それをめぐっての保守主義と社会民主主義の攻防として捉えられよう。この歴史的−大転機に、どのような立場をとって臨むべきか。新自由主義的な市場主義に反対し、だが同時に国家としての社会化という、そのかぎりではマルクス主義にも社会民主主義にも共通する20世紀社会主義の公定路線も却けて、脱国家としての社会化をアソシエーション(協同組織)化として具体化するというのが、基本的スタンスであるだろう。すなわち、従来は国家が担ってきた公的諸機能を社会へ委譲する、但し私企業と市場ヘ──民有化・民営化──ではなくして、アソシエーションたる協同組織ヘ──協同所有化・協同経営化──、併行して中央集権制から地域分権制へという方位である。とりわけ市場原理になじまない福祉、医療、教育、農業などについて、社会的に大きな争点となっているように、この構造転換は切実である。

 ひるがって考えれば、今世紀初葉には世界史の新たな突破口を開いたかに見えたソヴェト・ロシアの社会主義を志向した体制建設の蹉跌、そして世紀末における崩壊の原因には、革命ロシアの一国的孤立、口シアの全面にわたる後進性といった極悪の客観的諸条件のみならず、ポリシェヴェキの党・国家中心主義と規定しうる革命と建設の特異な路線が主体的な契機として含まれていた。党・国家中心主義とは、(1)自党派を唯一前衛として至上化した一国一前衛党主義、(2)なによりもまず国家権力の奪取をという政治革命主義、そして(3)プロレタリアート独裁の樹立と生産手段の国家的所有化を基柱とした国家主導の過渡期建設などを複合した総称である。かかる党・国家中心主義の革命と建設路線は、レー二ン主義からトロツキー主義、スターリン主義にいたるまで、ソヴェト・マルクス主義の基幹部をかたちづくっていた。

 この路線は、ロシアの現実と伝統にいかにもぴったりと合致していたし、到来した国家化の時代にも適合的であった。この道を辿り進んだソヴェト・ロシアは、ファシズムがイタリアに続いてドイツでも勝利を収めるのと時を同じくしたスターリンの「上からの革命」によって、更なる国家化を極限にまで推し進め、社会主義を称する国家主義の体制を建設するにいたった。ソ連はいったい何であるかは永年の一大論争テーマであるが、社会主義建設の基本的完了という1936年のスターリンの宣託に囚われ続けるのであれば別であるが、社会主義体制を目指しながらその過渡期建設の途上で逸脱を深め遂には決定的な変質をとげた体制として把握するのが至当であるにちがいない。

 この点でトロツキーは『裏切られた革命』で、社会主義の勝利宣言を発したスターリン主義体制について、「堕落した労働者国家」として捉え、なお過渡的な未完結の過程にあるソ連社会の資本主義への後滑りが完全に可能との指摘を忘れなかった。その功績が評価されるべきである。また、シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』は、「第一に、必要な産業発展の段階にすでに到達していること」に加えて、「第二に、過渡期の諸問題がうまく解決されること」を、社会主義が社全体制として現実に可能となるための要件としていた。このことにも、あらためて留意すべきである。

 資本主義体制から社会主義体制への移行には、資本主義生産株式を新たな生産様式に取って変え、階級的な支配=服従関係をなくし、国家を消滅させるなどの、人類史を劃する大変革を世界的規模で達成する、長期におよぶ構造的転形の過程が存在する。この過渡期は、全面的で根底的な転換の只中にあって、経済的にも政治的にも文化的にも、旧来のシステムと新生のシステムが矛盾的な二重構造をなす中間的な体制の時代である。そこには、資本主義体制への後戻りの可能性も存在する。過渡期の諸課題を成功的に解決することなしには、目指す社会主義社会に到達することはできない。

 ソ連での過渡期社会・国家建設の破綻の主体的な要因としてあげた党・国家中心主義路線では、第一に、プロレタリアート独裁と生産手段の全般的な国家所有化により、政治権力に加えて経済権力をも一手に手中した、かつてない巨大国家を生み、目的と手段の転倒法則が作動して、主観的な意向に反して客観的には国家主義の体制への転結が避け難い。ソ連の経験ほど、目的と手段の転倒、あるいはまた歴史のイロニーが見事に実現された実例は滅多にあるものではない。第二に、一つの党派が国家権力をフルに活用して人民大衆の潜勢力を汲み出して動員するのだが、その方式は一定の期間は功を奏することがあっても、一党専制と過剰国家化の本質的無理を内包しており、発展を持続することはできない。

 国家中心主義の過渡期建設路線には、思わざる、しかし決定的なほどの意味を持つ落とし穴が潜んでいた。国家化としての社会化、ないし国家化を通じての社会化という基本的な問題構成がそれである。目標は社会化だが、そこにいたる過渡的段階としてまず国家化する、端的に生産手段を国家的所有にするというのは、マルクス=エンゲルス『共産党宣言』の過渡的綱領で周知のように、広く19世紀からの社会主義に通有の公式であった。しかしながら、過渡期の第一段階の方策としての生産手段の全般的な国家的所有化、あわせて国家の中央集権化という路線は、国家主義体制に帰結することはあっても、社会主義への道とはなりえない。このことは、壮大な挑戦ではあったがあまりにも大きな犠牲を生んだソ連の実践から汲みとり、今後に生かさなければならない最大の教訓の一つであろう。

 他方、国家独占資本主義に推転してきた先進資本主義諸国では、国家化は適度の範域にとどめられて、景気の高位安定、経済の高度成長を達成するとともに、社会民主主義が地歩を築いた国を中心に福祉の豊かな発展に成果を収めた。しかし、ここでも、国家化は限界状況を迎えて、福祉国家の再編を迫られているように、国家化の時代からの方向転換に直面しているわけである。

 国家中心主義的な社会主義革命と建設を通念としてきた20世紀社会主義のオルタナティヴ・ルートは、どのようなものであるべきか。前世紀における社会主義、共産主義の原思想の一つの集大成として、他ならぬマルクスがその理論的生涯の後期にいたって到達した過渡期社会構想に足がかりを得ることができる。拙著『マルクス社会主義像の転換』でも跡づけたように、マルクスは1860〜70年代に、「国際労働者協会創立宣言」、『フランスにおける内乱』、『ゴータ綱領批判』などで、協同組合型志向社会とコミューン(地域自治体)国家の接合として、資本主義社会から共産主義社会、直接にはその第1段階たる社会主義社会への過渡期社会・国家像を描き出した。その骨組みは次のようなものであったが、それ自体1848年革命の時期、『共産党宣言』段階におけるいっさいの生産手段の国家への集中、中央集権国家化という国家集権的に偏倚した構想の変更を含意して形成されたのであった。

 マルクスは、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような共同社会」として特質づけていた共産主義社会の内実を、理論的研究が飛躍的な進展をとげた後期には、協同組合が経済的構成の基軸を占め、「協同(組合)的生産様式」、「協同組合的生産」、「協同組合的所有」を基礎とする「協同組合的社会」として具体化して描いた。過渡期は、資本主義経済システムを、協同組合を単位として労働者たち自らが生産を管理し、生産手段を所有し、「協同労働」に従事するシステムヘと改編する過程である。それはまた、資本主義的支配=服従関係を担ってきた諸組織を自由で対等な諸個人の「協同諸組織」へと改造し、資本主義社会を多種多様な「協同組織」が織りなす「協同社会」へと変革する歴史的移行の時代である。かかる過渡期社会の経済建設は、「長い生みの苦しみ」の漸進的な事業でしかありえない。

 他面、政治過程として、「国家を社会の上部にある機関から社会に完全に従属する機関に変える」ことが必要不可欠である。国家権力の社会、人民大衆への吸収の過程として、ここに存立するのは、「常備軍の廃止」による民兵制、すべての公務員の選挙制ならびに随時の解任制、代表制に替えて派遣制等々の諸原則につらぬかれるとともに、中央政府には「少数の、だが重要な機能」だけを残して、コミューン(地域自治体)を基体に「地方自治体の自由」に定礎された連邦制的統一国家である。先の経済的改造は、このコミューン国家への官僚的、軍事的で中央集権的なブルジョア国家の革命的変革と一体不可分であり、コミューン国家権力によって加速される。

 何故、こうした後期マルクスの過渡期社会・国家構想が見失われてしまい、20世紀にそれとはまるっきり反対の国家主義体制がマルクス主義に導かれて築かれたかについては、ここでは触れない。

 マルクスの過渡期構想は、主要なところでは、(1)市場の存続による計画と市場の複合システムについて言明がなく、それに関する考察を欠いている、(2)プロレタリアート独裁を唱えているが、プロレタリアート独裁が必然的で、しかも過渡期の全時期に通貫するかのような過剰規定に陥っている、(3)協同組合型志向社会とコミューン国家を接合し経済的、政治的変革を推進する鍵と言える新しい型の民主主義について、解明が極めて手薄である、(4)革命と建設での一国史と世界史の絡み合い、ずれについて検討を進めていない、等の難点を免れていない。けれども、レー二ン主義を筆頭とするソヴェト・マルクス主義に導かれたロシアでの革命と建設の経験を批判的に捉え返すとともに、これからの社会主義の新たな進路を照射する思想的光源の一つとしての価値を保持している。

 将来社会の構想については、実践的運動の展開過程での絶えざる検証が不可欠であり、中途で生じた諸々の変動に弾力的に対応し、到達結果を総括して、当初の構想の補充や見直しにより段階を追ってスケール・アップしていかなければならない。社会主義について巨視的に捉えると、前世紀における反体制の思想、運動としての生成、発展の段階から、今世紀には飛躍的に発達してロシア、中国など、資本主義世界システムの半周縁、周縁に位置した幾つかの国で体制としての制度化に踏み出す段階を迎えた。しかし、その体制的制度化への挑戦は、諸般の事情により、途上で破綻に帰し、あるいは混迷を余儀なくされている。現在は、20世紀社会主義の経験の総括を歴史の中間規模での検証としておこない、構想を練り直し豊かにしてオルタナティブ・ルートを定立すべき、まさにその一大転換の地点なのである。

 社会主義の歴史としては第三世紀にあたる21世紀において新地平を開くべき社会主義像の構案は、言うまでもなく、容易ならざる大テーマである。ここでは、過渡期の経済と政治をめぐって、協同組合型志向社会の経済構成に関するいくつかの論点を取り上げ、地域自治休国家をイメージする上での参考例としてスウェーデンのコミューン・デモクラシーにふれるにすぎない。

 協同組合、なかでも生産協同組合には、19世紀初葉における発祥以来、資本主義に対する一種のオルタナティヴとしての期待が込められてきた。生産協同組合が魅力的なのは、現在的な社会的役割にもまして未来の可能性であった。しかしながら、生産協同組合が秘めていると想われた新たな社会経済システムとしての未来的発展可能性は、1世紀半を越す歳月を重ねた今日にいたるまで充たされることがなかった。生産協同組合などNPOを基本単位とし支配的なセクターとする経済システムを築くには、多くの難問を解決しなければならない。

 (1)生産協同組合を、生産効率、資本主義企業との競争、資本の調達といった躓きの石を取り除きつつ、設立し拡大発展させる問題。

 (2)資本主義経済のマージナルな部域にとどまらず、その中枢部域である製造業で分厚い壁を破って、生産協同組合が進出し、更に優位に立つ問題。

 (3)歴史上しばしば起きたのは、協同組合の株式会社への変質や大企業への身売りであった。それとは逆に、現代資本主義の支配的企業形態である株式会社を協同組合へ転換させなければならない。巨大企業については必要に応じての分割をまじえて、株式会社を協同組合へ内面的に変革する問題。労働組合の経営参加についても、協同組合原理の導入による新たな企業形態への転換に備える見地から取り組む。

 (4)ほぼ19世紀の後葉から労働者階級の経済闘争および社会変革の中心的組織は(生産)協同組合から労働組合へ移り、社会主義政党と労働組合が社会主義運動の主力を担うようになった。あわせて、協同組合運動については消費協同組合が支配的になった。20世紀にあっては、社会主義運動における国家的所有、国家的経営路線の定着、他方では労働組合運動の体制内化につれて、生産協同組合(運動)と労働組合(運動)は疎遠な関係になり、別々の道を歩んだ。そのような従来の相互関係を変え、(1)、(2)、(3)の問題でも、生産協同組合、労働組合、社会主義政党の協力、提携を構築する問題。

 (5)上記のいずれの問題についても、資本主義体制内部での達成はわずかな範囲にとどまらざるを得ない。その限度内での改良であるがそれの最大限の追求をつうじて、新たな経済システムの萌芽形態を育み、労働者たちの自主的な経営管理能力を函養して、資本主義とは異なる社会の可能性を拡充していく。下からの社会変革、更には社会革命の先行に努める問題。

 (6)政治革命による国家権力の掌握を結節点として、(1)、(2)、(3)の全部門、全地域への波及により社会革命を本格的に展開する問題。その際、ソヴェト・ロシアでの公安委員会型国家による全面的統括とは別の経路をとり、地域自治体国家は社会変革を促進的に助成するにすぎない。協同組合システムを全国的規模で発展させるのも、労働者大衆の自主的な努力にかかる。政治的民主主義の生産の場への導入など、民主主義のあらゆる部面への拡充、徹底化、その意味での新しい型の民主主義の全社全的浸透が、その鍵を握るだろう。

 (7)ミクロ的な企業単位での生産に関する計画を資本家・経営者の命令的計画から生産者たち(選出された経営管理者と労働者大衆)の協議的計画へ組み替えることに基づきながら、各セクターごとの計画、さらにマクロ的な国民経済レヴェルでの中央計画を、国家の指令としてではなく社会的協議によって組織する問題。

 (8)過渡期において、資本主義的市場経済は終焉し市場経済が社会のなかで占める位置と役割は減退するが、市場経済を廃絶することは不可能である。計画と市場を結合した複合経済として、事前的な計画的調整と事後的な市場的調整を組み合わせ、それらの循環的な相補作用を重ねて最適の複合を形成する問題。計画化を拡充し市場メカニズムを制限しつつ、新たな社会経済への発展転化の諸条件を整えていく問題。

 ところで、現代の先進資本主義国での革命は、どのような形態をとるか? 何かのカタストロフィーに遭遇しなければ、革命は起こりえないのか? これまた大変な難問であり、不確定のままに残さざるをえない。ただ、さしあたっては現行支配体制の内部にそれに対抗する拠点をなすとともに将に来るべき社会の基礎システムに発展転化しうる経済的、政治的、文化的要素をいたるところで創出していくという、「制度のなかの長征」の革命路線を、ここでは探っている。

 次に、過渡期の地域自治体国家がどのような姿で実存しうるのかを想定するのに、今日のスウエーデンのコミューン・デモクラシーは参考に値すると思われる。

 スウエーデンでは、コミューン(全国で286、人口は平均して約3万2千人)を基礎自治体として、「すべてをコミューンに!」、「すべてをコミューンから」と表現されるように、民主主義の行き渡ったコミューンに国家行政の重心を置いている。地方自治体としてはコミューンに加えていま一つ、わが国の都道府県に相当するランズティング(全国で23)があり、双方が地方政府をかたちづくるが、中央政府と地方政府は、縦割りの上下関係ではなく機能配分の横ならび関係にある。すなわち、およそ、中央政府は外交、国防、経済を、ランズティングは医療サーヴィスを、コミューンは福祉、教育、保育などを担当するというように、それぞれが異なった公的任務を遂行する分業関係に立っている。<大きな政府>が重い税負担とあわせてよく取り沙汰されるが、権限、業務、公務員数、財政等、あらゆる面で<小さな中央政府と大きな地方自治体>である。

 コミューンの内部組織としては、最高機関はコミューン議会であり、執行委員会とその下に置かれた各種専門委員会が政府をかたちづくる。委員は議会における各政党の議席数に比例して選出される。但し、必ずしも議員である必要はない。わが国の地方自治体における首長にあたる役職はなく、執行委員会の委員長が対外的にコミューンを代表する。わが国のように首長と役人組織ではなくて、選挙で選ばれた議員や委員が行政を主導するという制度的仕組みによって、また住民によって選ばれていない役人が権限を持ちすぎるのは民主主義に反するという民主主義の精神に立脚して、全行政について議員と委員が大きな権限と責任を有する。すべての計画は各委員会で立案され決定される。

 執行委員会の委員長など中心メンバーは専業職だが、議員や委員の大多数はそれぞれの職業を持ったままであって兼業である。報酬は公的な仕事に服務した時間に応じた時間給であり、無給のコミューンも少なくない。議員は、学校関係者、医療・福祉関係者、コミューン職員、民間労働者など、現場から送り出された人たち、それに高齢者、障害者、学生、移民などの代表者である。女性議員の割合は、1991年選挙で、全コミューン議会議員1万3526人のうち4608人で34%(ランズティング議会では43%) を占める。

 選挙は、個人に投票するのではなく政党に投票する比例代表制で、選挙権・被選挙権を有するのは、18歳以上の男女、加えて3年以上在住している外国人である。投票率は、いかに低くても80%を優に超している。

 このように、スウエーデンのコミューンでは、地方分権と住民による自治が確立していて、コミューン・デモクラシーによって誰にでも手の届く身近な政治が実現している。過渡期の地域自治体国家への近接を思わせるものがある。

(大藪 龍介)